Date: 10月 6th, 2021
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スメタナ 交響詩「わが祖国」(その3)

スメタナの「わが祖国」を、いろんな指揮者で聴いているわけではない。
数える程しか聴いていない。

先日、ふと、そういえばカラヤンは「わが祖国」は録音していないのでは? と思った。
カラヤンの「わが祖国」といえば、
モルダウだけをベルリンフィルハーモニーで録音しているディスクがある。

日本盤には、「モルダウ〜カラヤン/ポピュラーコンサート」とつけられていた。
それからウィーンフィルハーモニーとのドヴォルザークの交響曲第九番にも、
モルダウだけがカップリングされている。

カラヤンのモルダウ(ウィーンフィルハーモニー)を聴いていた。
TIDALにあるから、思い立ってすぐ聴けるのは、ほんとうにありがたい。

流麗なモルダウだった。
カラヤンは、モルダウだけを演奏しているわけだから、
モルダウだけということでは、名演といえるだろうな、と思う。

クラシックに強い関心のない人でも、モルダウのフレーズは耳にしている。
日本語の歌詞がつけられていたりするからだ。

そういう人にとっては、カラヤンのモルダウは名演となるだろう。
けれど「わが祖国」を聴いている人にとっては、
モルダウは交響詩「わが祖国」の第二曲であるわけだがら、
モルダウだけを聴いていたとしても、「わが祖国」と切り離して聴くということはないはずだ。

カラヤンのモルダウを聴いていると、そこのことがひっかかる。
カラヤンのモルダウは、モルダウだけ、なのだ。

「わが祖国」は思い出したように数年おきに聴くぐらいである。
全曲通して聴くことは、いまではほとんどない。
モルダウだけを聴いて、ということが多い。

だったらモルダウだけの演奏で完結してしまっているカラヤンの演奏でもいいのではないか──、
自分でもそんなことを思ったりする。

なのにカラヤンのモルダウを聴いて、これは「わが祖国」ではないと憤ったりする。

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