ハイエンドオーディオ考(その6とクルマの場合)
二年前の(その6)で、
タンノイのガイ・R・ファウンテン氏が自宅ではイートンで、
音楽を聴かれていたことを書いている。
今日、興味深い記事を見つけた。
3月13日に、イタリアのカー・デザイナー、マルチェロ・ガンディーニ氏が亡くなった。
クルマに詳しくない私でも、カウンタックののデザイナーだということは知っている。
そのガンディーニ氏が、二十年ほど前のことではあるが、
愛車は、スズキのワゴンRだった、という記事である。
二年前の(その6)で、
タンノイのガイ・R・ファウンテン氏が自宅ではイートンで、
音楽を聴かれていたことを書いている。
今日、興味深い記事を見つけた。
3月13日に、イタリアのカー・デザイナー、マルチェロ・ガンディーニ氏が亡くなった。
クルマに詳しくない私でも、カウンタックののデザイナーだということは知っている。
そのガンディーニ氏が、二十年ほど前のことではあるが、
愛車は、スズキのワゴンRだった、という記事である。
DBシステムズと同時代、
DB1+DB2よりも先に登場したマークレビンソンのLNP2。
このLNP2が、いまに続くハイエンドオーディオの始まりといえる。
そのLNP2が目指していたのは、マランツのModel 7といえる。
*
LNP2で、新しいトランジスターの時代がひとつの完成をみたことを直観した。SG520にくらべて、はるかに歪が少なく、S/N比が格段によく、音が滑らかだった。無機的などではない。音がちゃんと生きていた。
ただ、SG520の持っている独特の色気のようなものがなかった。その意味では、音の作り方はマランツに近い──というより、JBLとマランツの中間ぐらいのところで、それをぐんと新しくしたらレヴィンソンの音になる、そんな印象だった。
そのことは、あとになってレヴィンソンに会って、話を聞いて、納得した。彼はマランツに心酔し、マランツを越えるアンプを作りたかったと語った。その彼は若く、当時はとても純粋だった(近ごろ少し経営者ふうになってきてしまったが)。
*
瀬川先生の「いま、いい音のアンプがほしい」からの引用だ。
ここでのマランツとはいうまでもなく、マランツのModel 7のこと。
ならばハイエンドオーディオの始まりは、LNP2からさらに遡ってModel 7ということになるのか。
そういえないこともないと思いながらも、
LNP2の誕生、その後の改良に影響を与えていたのは、Model 7以上に、
マランツの管球式チューナーのModel 10(B)ではないだろうか。
3月1日に「audio wednesday (next decade) – 第二夜・マーラーかワーグナーか」を書いた。
そこに書いてるように、3月のaudio wednesdayではマーラーの第九を、
照明を落とした状態でかけた(聴いてもらった)。
4月の会でもふたたびやるつもりでいる。
今回はマーラーでもワーグナーでもない。
誰の曲なのか、誰の演奏なのか、何も言わずにかける。
五味先生がいわれた「音による自画像」。
あれこれ考える。
今年になって、ふたたびaudio wednesdayで音を鳴らすようになって、
やはり「音による自画像」について考える。
いまのところ三回やっている。
そこでの音は「音による自画像」なのだろうか。
そんなふうに問いになっていく。
アルテックのModel 19は、どうしても欲しいという存在ではないが、
このスピーカーシステムを置けるだけのスペースの余裕があれば、
手元にあってもいいなぁ、とは思う。
さらにはユニットがアルテックでなく、
ヴァイタヴォックスに置き換えたModel 19があれば、絶対に欲しい。
そんなことをあれこれ考えていると、JBLのL200Bのことも思い浮べてしまう。
L200Bは、昨年末、あるオーディオ店で見かけた。
こんなにカッコいいスピーカーだっけ? と思ってしまうほど、
それは魅力的な存在としてうつった。
私がオーディオに興味をもった1976年秋、
L200Bは登場していたし、上級機のL300もあった。
L200は2ウェイ(4331のコンシューマー版)、L300は3ウェイ(4333のコンシューマー版)。
この時はL300がほうがスマートに見えた。
それに2405がついていることも大きかった。
L200とL300、絶対L300だと、中学生だった私は、そうだった。
それから五十年近くが過ぎ、逆転してしまった。
音を比較してではなく、そのデザインについて、この二機種を比較するならば、
断然L200Bである。
「“盤鬼”西条卓夫随想録」のクラウドファンディングは達成して、
2月には手元に届くはずだったが、結局届かず。
なんでもCDのプレスの予定がずれ込んでいるのが理由とのメールが、少し前に届いた。
いつになるのか。3月中に届くとは思えなくなってきた。
X(旧twitter)に、ラジオ技術(組版担当のS)というアカウントがある。
この方の投稿を読むと、ラジオ技術誌の進行もストップしているようだ。
この方は「“盤鬼”西条卓夫随想録」には携われていない。
なので、この方の投稿からは「“盤鬼”西条卓夫随想録」についての情報は得られないが、
なんとなくではあってもラジオ技術編集部の事情は伝わってくる。
のんびり待つしかなさそうである。
スヒーカーシステムが決ると、私のなかでテーマが決っていく。
そして選曲も、一曲目は絞られていく。
アポジー Duetta Signature、クレル KMA200で鳴らす第三夜の一曲目は、
リンダ・ロッシュタットの“What’s New?”をかける。
意外に思われるかもしれない。
リンダ・ロッシュタットを特に好きというわけではないし、嫌いでもない。
なのに第三夜の一曲目を“What’s New?”に決めたのは、
アポジーが日本に入ってきたとき、ステレオサウンドの試聴室で聴いた時、
リンダ・ロッシュタットの“What’s New?”は何度も聴いているからだ。
アポジーのScintillaが最初に日本に入ってきて、
ステレオサウンドで紹介記事を担当されたのは傅 信幸氏だった。
それから数号後の組合せでも、アポジーの担当は傅 信幸氏だった。
そのころの傅 信幸氏だったは、
リンダ・ロッシュタットの“What’s New?”をよくかけられていた。
リンダ・ロッシュタットばかりではないのだが、
かなりお好きだったようだ。
おかげで、“What’s New?”はよく聴いた。
同名のアルバムも購入した。
だから、私にとってリンダ・ロッシュタットといえばまず浮ぶのは“What’s New?”である。
この“What’s New?”という曲名。
“What’s New” a直訳すれば新着情報と味も素っ気もない文字が並ぶが、
歌“What’s New?”と疑問符がついて、その対訳を読めば意味は違ってくる。
と同時に、この“What’s New?”は、オーディオマニアに問いかけているような気もする。
DBシステムズのDB1+DB2の音について、瀬川先生は、
ステレオサウンド別冊「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」でこう書かれている。
*
アメリカのソリッドステートアンプのごく新しい傾向の良さの素直に出た、とてもフレッシュで生き生きとした音。総じて音のぜい肉をおさえて繊細にどこまでも細かく分析してゆく傾向があるが、しかし細身一方のたよりない弱々しさではなく、十分に緻密に練り上げられて底力を感じさせ、それが一種凄みを感じさせることさえある。力を誇示するタイプでなく、プログラムソースの多様さにどこまでもしなやかに反応してゆくので、音楽の表情をとてもみごとに聴き手に伝える。弦の響きもとてもよく、アメリカのアンプにしてはどこかウェットな音に思えるほどだ。ハイエンドに一種キラッとした音色があって、そこが好みの分れるところかもしれない。
*
ステレオサウンド 47号の特集ベストバイでは、
《マークレビンソンにも一脈通じる繊細な、現代の先端をいく音》とある。
いま読み返しても、この音の評価は、まさしくハイエンドオーディオに通じる。
DBシステムズはRFエンタープライゼスが輸入元だった。
このDBシステムズに惚れ込んだ人がいる。
シュリロ貿易の社員だったHさんである。
彼はDBシステムズを取り扱うためだけの(そういえる)会社を興した。
別項でトロフィーオーディオについて書いている。
トロフィーオーディオとは、いわば成功の証しであるし、羨望の的ともなる。
そういったトロフィーオーディオ、ひとつ前に書いたハイラグジュアリーオーディオ、
こういうオーディオ機器のみをハイエンドオーディオとして捉える人の目には、
DBシステムズは安物としかうつらないだろうし、
ハイエンドオーディオではない、と否定するだろう。
それに同意する人もいる。
それはそれでいい。
けれど、私はそうは思わない、というだけの話で、
Hさんのことを含めて、DBシステムズは私にとってハイエンドオーディオを考える(語る)にあたって、
絶対に外せない存在である。
ハイエンドオーディオについて考える時、時を遡ると思い出すのが、
DBシステムズのデビュー作であるコントロールアンプDB1+DB2のことだ。
DB1がコントロールアンプ本体、DB2は外部電源。
続けてトーンコントロールのDB5、パワーアンプのDB6が登場したが、
私のなかでいまも印象深いという以上に、
この時代のアメリカのオーディオ・シーンをふり返る時、DB1+DB2は無視できない。
DBシステムズはハイエンドオーディオといえたのか。
私は、そうだと思っている。
DB1+DB2は決して高価なアンプではなかった。
1978年、DB1+DB2h212,000円。
同価格帯のアメリカのコントロールアンプには、
AGIのModel 511(260,000円)、AEAのAnalogue 520(298,000円)などがあった。
これらの中でDBシステムズのつくりは、もっとも実質本位といえる。
いいかえれば、徹底的にコストをかけないつくりである。
DB1の外形寸法はW16.0×H8.1×D10.7cmで、重量は1.0kg。
小型というだけでなく、そっけない外観で、おそらくツマミは既製品だろうし、
リアパネルはRCAジャックをハンダ付けしたガラスエポキシ基板がそのまま使われている。
多くのアンプのようにリアパネルが金属で、そこに端子が取りつけられているわけではない。
内部を見ても、メインのプリント基板が一枚あって、
この基板にアンプ部の部品を含めて、
入力セレクターやレベルコントロールの部品もハンダ付けされていて、
内部配線材は見当たらない。
AGIのModel 511も合理化した内部だが、それでも内部配線材は少しとはいえ使われていた。
DB1+DB2のつくりは素っ気ないとかドライとか、そういえるけれど、
ある目的をもってのつくりだと理解すれば、このこともまた魅力とうつる。
全生新舎は、整体協会・身体教育研究所/狛江稽古場を拠点とする
野口晴哉氏のお孫さんの野口晋哉さんの団体。
全生新舎のインスタグラムでは、毎月のaudio wednesdayのフライヤーが公開されます。
フライヤーをつくられているのは、野口晋哉さんです。
下記の紹介文も野口晋哉さんです。
*
audio wednesdayは毎月第一水曜日に(公社)整体協会・狛江稽古場にて行われているクラシック音楽鑑賞会です。毎月異なるハイエンド・ヴィンテージオーディオを組み合わせ、その妙を活かしながら比較的大きい音量で音を鳴らしています。通常、和室は音響が沈む傾向にあり、音楽を聴く場所として適切でないとされますが、当和室は音が響く特性があり、コンサートホールでも自室でも経験できないような特徴的な音響経験を鑑賞いただけます。音楽、もしくオーディオに興味のある方のご参加をお待ちしております。
*
全生新舎のX(旧twitter)もあります。
野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会の告知も、全生新舎のインスタグラム、Xでなされます。
《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
3月6日のカザルスの無伴奏チェロ組曲は、私にとって答にかぎりなく近い、と信じられる。
カザルスによるバッハの無伴奏チェロ組曲は、
SP盤をアクースティック蓄音器でも聴いている。
LPでも、日本盤とイギリス盤で聴いている。
CDを聴いている。SACDも聴いている。
どれが一番だということは、鳴らす機器によっても大きく違ってくることだから、
それぞれが、自分で聴ける範囲で聴いていくしかない──、そうとしかいえない。
3月6日のaudio wednesdayでの、TIDAL(MQA)でのカザルスは、
すでに書いているように私がこれまで聴いた中では最高といえるほどだった。
1936年の演奏(録音)とは、まったく思えなかった。
もちろん最新のデジタル録音のように聴こえてきたわけではない。
冷静に聴けばモノーラルだし、復刻につきもののスクラッチノイズもある。
けれどカザルスのリアリティは群を抜いていた。
正直、ここまで鳴るのか、と困惑も少しばかりあった。
別項で「オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる」を書いている。
私にとっての「裸の音楽」が、この時のカザルスが最初でないのか。
そんなことを思いながら、ただ聴くだけだった……
4月3日のaudio wednesdayでは、
アキュフェーズのCDトランスポート、DP100、
それからD/Aコンバーター兼コントロールアンプとしてメリディアンの818を使う。
3月の会ではメリディアンのULTRA DACだったのに、
今回はなぜ818? と思われるだろうが、
4月のシステムはDP100だけが私のモノで、クレルもアポジーもHくんの私物である。
Hくんが宇都宮の自宅から運んできてくれる。
つまりHくんのシステムそのものを鳴らすということでもある。
同じシステムでも部屋が変れば、当然音は大きく変る。
セッティングして鳴らす人が変れば、ここでも音は変る。
自分の使っているオーディオ機器を、ほぼすべて移動して別の空間で鳴らすというのは、
大変なことだ。
それでも同じ個体をもってくるだけに、そこでの音の違いをどう受けとめるのか。
これは、その人次第である。
どちらがいい音で鳴るのかは、誰にもわからない。
それでも、その結果を真正面から受けとめれば、
自身のシステムの可能性を確かに探ることになる。
得られることはある。他では得られないことでもある。
4月3日のaudio wednesdayで、別項で触れているように、
アポジーのDuetta SignatureをクレルのKMA200で鳴らす。
時代的に揃っている組合せであり、
1980年代のハイエンドオーディオをふり返ることにもなる。
そこであらためてハイエンドオーディオについて考えてみたい。
ハイエンドオーディオが使われはじめたのが、いつなのか。
おそらく1970年代後半あたりからであろう。
一般的に広くつかわれるようになったのが約十年後、1980年代半ば過ぎからか。
とにかく四十年以上が経っている。
そのあいだにハイエンドオーディオの使われ方も、ずいぶんと変ってきた。
名器やヴィンテージオーディオと同じように、安っぽい使われ方も見受けられるようになった。
なんでもかんでも名器と呼ぶ人がいるし、
すこしばかり古い製品の大半をヴィンテージオーディオと呼ぶ人も増えてきている。
これが名器? これがヴィンテージオーディオ?
そう問いたくなることが増えているのは、ソーシャルメディアを眺めていると、
どうも日本だけではなく他の国でもその傾向はある。
ハイエンドオーディオも、その傾向があるが、
それ以前に、ハイエンドオーディオのはっきりとした定義はどこかにあるのだろうか。
使われ始めたころは、なんとなくではあっても共通の認識のようなものはあった。
少なくとも私はそう感じていた。
価格が高いモノだけがハイエンドオーディオの範疇ではなかった。
それがいつしか非常に高額なモノがそう呼ばれるようになってきた。
けれど、ここで考えたいのは、非常に高額なオーディオ機器は、
そのブランドの最高級機であるから、その意味では確かにハイエンドオーディオといえる。
でも、最近のそれはハイエンドオーディオと呼ぶよりも、
ラグジュアリーオーディオであって、そのラグジュアリーオーディオのなかには、
ハイ・ラグジュアリーオーディオ、その上のハイアー・ラグジュアリーオーディオ、
さらにその上のハイエスト・ラグジュアリーオーディオがあるような印象を持っている。
このラグジュアリーオーディオは、もうオーディオマニアのモノではない。
そんな感じすら受ける。
4月3日のaudio wednesdayには、私はエラックの4PI PLUS.2を持っていく。
Hくんからのリクエストでもあるし、
実を言うと、2月、3月のサウンドラボの時にも持っていこうかな、と考えていただけに、
アポジーとエラックの組合せは、私自身、ぜひとも聴いてみたいし、
おそらくこれから先、そういう機会はないだろう。
ただうまくいくのかはなんともいえない。
アポジーはリボン型で後方にも前方と同じように音を放射している。
当然、前方は正相であれば後方は逆相のダイボール型の指向特性のスピーカーである。
一方エラックの4PI PLUS.2は同じリボン型でも、水平方向360度の無指向性。
前方であっても後方であっても正相、逆相は同じである。
そこでアポジーの高域とエラックの高域とが、どんなふうに干渉するのかは、
やってみないとわからない。ちょっと予想がしがたい。
タイトルでは、Apogee Duetta Signature + 1.0としている。
+1.0とはエラックのことなのだが、失敗すれば-1.0になることだってある。
曲(録音)によってうまくいったり、そうでなかったりするのか。
これも楽しみのひとつである。
4月のaudio wednesdayは、1980年代のハイエンドオーディオの音の再現ともいえる。
そのころすでにCDは登場していたけれど、44.1kHz、16ビットのPCMだった。
いまは違う。
そのことが出てくる音にどう作用していくのか。