賞からの離脱(その26)
ステレオサウンド 43号の「私はベストバイをこう考える」から読みとれる菅野先生と井上先生の、
ベストバイ(Best Buy)、この誰にでも意味が理解できると思えることについて考え方の違い、
そして重なるところ、このへんについて書いていくと本題から外れていくので、このへんにしておくが、
とにかく、この時代のステレオサウンドは、読者に考えさせる編集だった。
それが意図していたものなのか、それともたまたまだったのかははっきりとはしない。
けれど読者にとっては、内部のそんな事情はどうでもいい、といえる。
面白く、そしてオーディオについて、オーディオに関係するさまざまなことについて、
考えさせてくれる、考えるきっかけ、機会を与えてくれる本であれば、なにも文句はいわない。
私は、そういう時代のステレオサウンドを最初に読んでいままで来た。
だから、いまもステレオサウンドに、そういうことを求めてしまう……。
けれどそういう時代のステレオサウンドを読んでこなかった読者にとっては、
ステレオサウンドに求めるものが、私とは大きく違ってきても当然である。
私は、いまのステレオサウンドを、そういう意味での面白い、とは思わないけれど、
私とは大きく違うものをステレオサウンドに求めている人にとっては、
いまのステレオサウンドは面白い、ということになり、
私がここで書いていることは、旧い人間がどうでもいいことを言っている、ということになろう。
編集者も旧い人間ばかりがいては……、ということになる。
組織を若返らせるためにも、血を入れ換えるように人を採用する。
その採用された人が、そういう時代のステレオサウンドではなく、
そういう時代の良さを失ってしまった時代のステレオサウンドを読んできた人であれば、
そういう時代のステレオサウンドの良さを読者に届けるのは、もう無理なことかもしれない。