純度と熟度(その1)
大人の男が、実年齢より若く見られて喜んでいるのは、日本人くらいだ、
そんなことをずっと以前に何かに書いてあった。
これがほんとうのことなのかどうかは私にはわからない。
欧米の人でも、若く見られて喜ぶ大人の男はいるかもしれない。
日本人の大人の男全員が、若く見られて喜ぶわけでもないはず。
人によって違うだろうし、同じ人でも現役のときと、仕事をリタイアしてからでは違ってくるのかもしれない。
若く見られる、ということは、つまり貫禄がない、ということだ、とそこでは指摘されていた。
私は以前から実年齢よりも若く見られる。
いまでもそうだ。
これは、年相応の貫禄がない、ということでもあろう。
二年前に、オーディオマニアとしての「純度」(追補)を書いた。
オーディオマニアとしての「純度」を思いついたのは、残り時間を意識しているからなのかもしれない、
と書いた。
それから二年。
オーディオマニアとしての「純度」とともに、
オーディオマニアとしての「熟度」について考えるようになってきた。