Archive for category テーマ

Date: 4月 26th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その8)

時代はすこし違っているというものの、
井上先生、瀬川先生、黒田先生がおもな執筆の場としてステレオサウンドに早瀬文雄氏も書かれていた。
同じフィールドにいた人たちの間でも、
オーディオの音の関する評価基準の中で、どちらかといえば客観的ともいえる音像の立体感において、
正反対の評価となっていることは、
フィールドが違えば、さらに大きくなることだってあるし、
いまここで取り上げていることは書き手側の問題であって、それだけでもこういうことが起り得るのに、
実際にはここに読み手の問題がある。

例えばステレオサウンドしか読んでこなかった読者が、
ステレオサウンド以外のオーディオ雑誌を読んだとして、
そこに書かれていることをステレオサウンドに書かれているのを読んだときと同じように受けとれるか。
これはどのオーディオ雑誌が優れているのかということではなく、
ステレオサウンド以外のオーディオ雑誌(できればステレオサウンドと執筆者がかぶらない雑誌)、
それしか読んでこなかった読み手がステレオサウンドをはじめて手にとって読んだとしても、
同じことがいえる。

言葉で音を表現することは粗視化であり、主観的、恣意的なことが多分に含まれるだけに、
ある人によるある記事だけを読んだだけで、
そこで評価されているオーディオ機器の音が正確に把握できるものではない。

ある人が書いたものをできるだけけ多く読んでいくことで、
ようやく試聴記に書かれていることから音がある程度想像できるようになってくるわけなのだから、
書き手側にはフィールドがあれば読み手側にもフィールドがあり、
そこで順列組合せ的に事柄が発生する。

そうなるとすべての人に共通する事実というものは、ほとんどないにも等しい。

書き手側においても、JBLの2405の例のように立体感でまるで正反対の評価が出ているわけで、
2405の件に関してはここで取り上げている範囲では3対1で平面で切り張りが事実として受けとれるが、
これは書き手側だけにおけるわずかなサンプルであり、
読み手側を含めて2405をの音についてきいたことがある人に意見をきいていけば、逆転するのかもしれない。

Date: 4月 26th, 2013
Cate: アナログディスク再生

ローインピーダンス型カートリッジのメリット(その2)

コントロールアンプもしくはプリメインアンプの入力セレクターをPHONOにしてボリュウムをあげていく。
当然ノイズが聴こえてきて徐々に大きくなってくる。
このときのノイズの量は、カートリッジが何も取り付けられていない状態、
インピーダンスの高いMM型カートリッジが取り付けられている状態、
MC型カートリッジが取り付けられている状態、
さらにオルトフォンSPUのようにMC型の中でもインピーダンスの低いものが取り付けられている状態で変化する。

つまりフォノイコライザーのノイズ量はアンプのPHONO入力端子にショートピンを差した状態がいちばん少なく、
PHONO端子につながれているカートリッジのインピーダンスが低い、
カートリッジ実装状態のノイズ量は、ショートに近い状態のモノほど少ない。

とはいえローインピーダンスのカートリッジはMM型にしろMC型にしろ、
インピーダンスが高めのものよりも出力が低いことが多いわけだから、
S/N比という観点ではsignalのレベルが下げることで、必ずしもS/N比が高くなるともいえない。

けれどフォノイコライザーのノイズがカートリッジのインピーダンスによって変化していくのを耳にすれば、
アナログディスク再生においては、
必ずしもカートリッジの出力が大きい(そのためにハイインピーダンス仕様)だけでは
実質的なS/N比が有利になるとはいえなくなる。

ローインピーダンスのカートリッジのもつ技術的メリットを活かすのは、
だから難しい面があることは事実としても、
インピーダンスの値と出力レベルとの相関関係において、特に聴感上のS/N比に関しては、
いいポイントがあるのかもしれない。

Date: 4月 25th, 2013
Cate: アナログディスク再生

ローインピーダンス型カートリッジのメリット(その1)

いま別項「D130とアンプのこと」で、ローインピーダンスのカートリッジについて書いていて、
ひとつ、技術的なメリットを思い出した。

それはカートリッジ実装状態のフォノイコライザーのノイズが減る、ということ。
このことはステレオサウンドでも活字になっているので、記憶されている方、ご存知の方もおられるだろう。

ステレオサウンド 76号での「読者参加による人気実力派スピーカーの使いこなしテスト」の基礎篇にある。
このときの試聴で使っていたコントロールアンプはQUADの44。
44にはCDプレーヤー(パイオニアD9010X)と
アナログプレーヤー(トーレンスTD126MKIII)が接続されていて、主に試聴はCDで行われていた。

ある程度セッティングを詰めていったところで、
それまでTD126MKIIIにつけていたカートリッジをMM型からMC型へと交換して、CDの音を聴いている。
このときのMM型はスタントン、ピカリングのローインピーダンス型ではなく、一般的なハイインピーダンス型。

カートリッジを交換して聴くのはアナログディスクではなく、CDである。
にも関わらず、音ははっきりとよい方向へと変化する。

そのときの音の変化を、
読者代表として参加されていた舘一男さん(早瀬文雄氏)と井上先生はこう語られている。
     *
舘 これは好き嫌いの問題というよりも、MC型に変えた方が、SN比がよくなり、CD再生のクォリティが上りますね。
井上 CDを聴いている時の大きな問題のひとつとして、フォノイコライザーからのノイズの飛びつきがあります。この問題を解決するには、CDを聴いている時はイコライザー部の電源が落ちるか、イコライザーの出力にミュートをかけてほしいんだけど、現在ではそれを望むのは無理。だから、CDを本気で聴きたいときは、アナログ入力を外してショートピンを差すか、もしくはローインピーダンスのMC型カートリッジをつけてやるといいでしょう。インピーダンスの低いカートリッジだと、等価的に入力がショートされた状態になりますから。
     *
このメリットは、なにもCD(ライン)入力のみ作用するわけではない。

Date: 4月 24th, 2013
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その31)

一般的な弧を描くタイプのトーンアームの先端に取り付けられたカートリッジの針が、
レコードの溝をトレースしながら内周へと移動していくのは、
オーディオに興味を持ち始めたばかりの少年の頭でも容易に想像できた。

けれどカッターヘッドと同じ軌跡を針先が移動するリニアトラッキング方式となると、
B&O、ヤマハ、マカラなどから製品が出ていても、考えれば考えるほど、その動作は理解し難かった。

それでもカッターヘッドと同じだから、それが理想的なものであると思い込もうとしていた。
実際にリニアトラッキング方式を採用したプレーヤーが動作しているのをみることができたのは、
もう少しあとのことで、そのときは気がつかなかったことが、
ステレオサウンドで働くようになり、自分の手で触れ調整し操作し、その音を聴けるようになって、
リニアトラッキング方式への思い込みを、やっと消し去ることができた。

リニアトラッキング方式といっても、各社各様である。
それでもひとついえることは、カンチレバーの動きを注視してほしい、ということだ。

こういうふうに動いてくんだ、と納得できる、そんな動きをカンチレバーがしている。
もちろん、それだけでリニアトラッキング方式のトーンアームの音はこうだ、と決めつけられるわけではない。
それでもカンチレバーの動きをみていると、リニアトラッキングといっても、
カッティングマシンにおけるそれと、再生側のアナログプレーヤーにおけるそれとでは、
決定的に異るものであることがわかるというものだ。

それに実際のカッターヘッドの実物を手にしてみると、
カートリッジとカッターヘッドはまったくの別物であり、
そのまったくの別物を移動させていく手段の理想が同じである、と考えるのが根本的におかしいことにも気づく。

Date: 4月 24th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その7)

リッスン・ヴュー(Listen View、のちのサウンドステージ)というオーディオ雑誌があった。
そのリッスン・ヴューの8号に早瀬文雄氏の「JBLのマインド・トポロジー」が載っている。

そこで早瀬氏は、2405というトゥイーターについて、こう書かれている。
     *
高域に用いた2405は、一歩間違えると金属的で人工的な響きを出しかねない怖いトゥイーターだが、鳴らしこめばもうこれでしか絶対にでない立体的な、造形のたしかな高域をつくってくれる。
(中略)
高いクロスオーバーポイントで繋いだ2405のデリケートな響きにはどうしても惹かれてしまう。軽やかな、うまくすれば想像を絶するほど柔らかな表現をする響きは、たとえばパイオニアのPT−R7リボン型トゥイーターなどでも聴けた。でも、よりそのデリケートさに立体感や浸透力をもとめていくと、どうしても2405にいきついてしまうのだ。
     *
早瀬文雄氏も瀬川先生同様、2405というトゥイーターに惚れ込まれている人だ。
でも、このふたりには大きな、決定的な違いがあることを、
引用した早瀬文雄氏の文章を読まれれば気づかれるだろう。

早瀬文雄氏にとって、2405は「立体的」な音のトゥイーターである、ということだ。
ここでの「立体的」は、ステレオ再生における音像の立体感のことである。

音の左右への広がり、奥行き感、音像の定位、音像が平面的なのか立体的なのか、
こういう評価基準は客観的な項目であり、
聴き手によって、その判断に大きな違いは発生しないもの──,
そう思われている方もおられるだろうが(私も若いころはそう考えていた)、
実のところ、この客観的と思われている項目も、人によって感じ方がまるで違うことが発生する。

ステレオ再生において、そこに形成される音像が平面的か立体的なのか、
そんなことは、初心者ならばまだしも、ある程度キャリアがあれば、
平面的なものを立体的と判断することはない──、とは言い切れない。

ステレオ再生の音像が実像ではなく虚像であることを考慮すれば、
これもまた充分起り得ることかもしれない。

Date: 4月 24th, 2013
Cate: Noise Control/Noise Design
1 msg

Noise Control/Noise Designという手法(その36)

ノイズが音の感触を生んでいるかもしれない、と、この項の(その5)で書いた。
2010年2月27日のことだから、もう三年が経つ。

その三年のあいだに、いろいろ書いてきて、この項でもマッキントッシュのMC2300のことを中心に、
マッキントッシュのアンプのツマミの変化についても書いてきて、
ノイズが音の感触に直接関係していることは、もう実感へと、確信へと変ってきた。

そして、ノイズはいくつかの意味での「背景」でもあり、
結局のところ、ノイズがまったく存在しない(zero-noise)再生音は、
それはもう再生音ではなくなってしまう気もしている。

別項で書いている「続・再生音とは……」、
ここで生の音になく再生音にあるもの、
おそらくいくつかあるであろう、これらの中でもっとも重要なのがノイズであり、
ノイズは時として信号を補う存在でもある。

Date: 4月 24th, 2013
Cate: audio wednesday

第28回audio sharing例会のお知らせ

次回のaudio sharing例会は、5月1日(水曜日)です。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 4月 24th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その6)

HIGH-TECHNIC SERIESのトゥイーター特集号で、
JBLの2405の音については、井上先生、瀬川先生、黒田先生の三人とも、
表現の仕方に違いはあってもそこで語られようとされていることは同じであった。

違うのは、ピラミッドのT1と2405の、どちらを選択するかという点であった。
井上先生と黒田先生はT1、瀬川先生は2405だった。

T1に関しては、私は聴いたことはない。
それでも2405を使ったシステム(JBLの既成のスピーカーシステム、自作システムを含めて)は、
幾度となく聴いている。
それにジェームズ・ボンジョルノの設計したアンプも自分で使っていた。

HIGH-TECHNIC SERIESの鼎談で、瀬川先生はT1対2405の音を、
アンプでいえばGAS対マークレビンソンというふうに表現されている。

だからT1の音を聴くことはなかったけれど、T1の音を想像できる。
その想像は、かなり正確なものだろうともいえる。

それほどにHIGH-TECHNIC SERIESの巻頭の鼎談記事はおもしろいものであった。

598のスピーカーシステムをテーマにしておきながら、
598のスピーカーシステムが重くなってきてきたこと、
長岡鉄男氏のスピーカーユニットの重さを量られたことを書きながら、
ここで2405とT1の話を持ち出したのは、平面な切り張りの魅力をもつ2405の音を、
立体的な音と表現する人も、またいるということ、
そこに音を言葉で表現することの問題についてふれておきたいからである。

Date: 4月 24th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その5)

音を言葉で表現するということは、いわば粗視化ともいえるし、
音を聴いて感じたことを書くということは、主観的でもあり、ときとして(人によっては)恣意的ですらある。
ようするに曖昧さをつねに内包している。

そういう音の表現を読む側にも同じことがいえ、
美辞麗句で語ったところで、どれだけ流暢な文章で語ったところで、
読み手に伝われるかどうかはなんともいえない。

書き手の能力も読み手の能力もつねに要求され試されている、ともいえる。

JBLに2405というトゥイーターがある。
1970年代のJBLのスタジオモニターに採用された2405の音は、
この時代を代表するスタジオモニター的性格を色濃く持った音といえる性格のトゥイーターである。

ステレオサウンド別冊のHIGH-TECHNIC SERIESの三冊目はトゥイーターの特集だった。
巻頭記事で、4343のトゥイーターのみを専用アンプで駆動して、
5種類のトゥイーターを、井上先生、瀬川先生、黒田先生で聴くということを行っている。

この記事は2405の性格をもっとも正確に伝えたものだと私は思っている。
この記事は鼎談によるまとめで、
当時登場したばかりのアメリカのリボン型トゥイーターピラミッドのT1と2405の比較は、
よくわかる内容であり、T1か2405かは、目指す方向を意識させてくれるものでもあった。

ここで2405は平面の切り張り、T1は自然な立体、と表現されている。

Date: 4月 23rd, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その4)

「量られますからね……」が、何を意味しているのかは、
1980年代のオーディオ雑誌、FM誌を読まれていた方ならばすぐにわかることである。

長岡鉄男氏の記事のことを「量られますからね……」は指している。

私は長岡鉄男氏については、ほとんど関心がなかった。
FM fan、別冊FM fanは買っていたから、長岡鉄男氏がどういうことを書かれているのかは、
大ざっぱには把握していても、そのほとんどを読んではいなかった。

学生が小遣いで買う雑誌だから、できるだけ隅から隅まで読みたい気持はあっても、
長岡鉄男氏の文章を読んでいると、途中でやめてしまうことが圧倒的に多かった。
最後まで読み通したことは、あまりない。

長岡鉄男氏の文章がへたであるわけでもないのだが、
それでも途中で読むのをやめてしまっていた。
だから、ここで長岡鉄男氏について、あれこれ書くことは私にはできない。

でも長岡鉄男氏がダイナミックテストという記事の中で、
スピーカーユニットを取り外し重さを量ったり、
アンプでもツマミや脚部のサイズ、重さをはかられていたことは知っている。

そして、なぜそんなことをやるのかについて書かれた文章も読んだ記憶はある。
ただ私の長岡鉄男氏への関心はかなり低いもので、
そんななか読んだものだから、記憶違いがあっても不思議ではない。

でも、そのとき長岡鉄男氏の文章を読んで、一応は納得したような気がする。

Date: 4月 23rd, 2013
Cate: 50E, QUAD, 電源

電源に関する疑問(QUAD 50E・その6)

オートバランス回路による位相反転にはこういうところがあり、
このことが理論に忠実であろうとすればするほど、納得のいかない回路であるし、
オートバランスを採用するのであれば、カソード結合のムラード型にするとか、
さらには徹底して入力トランスを用いて、電圧増幅段、出力段ともにプッシュプルとしたほうが、
性能的にも優れ、音質的にもよい結果が得られる──、
私もそう考えていた時期があった。

伊藤先生による349Aプッシュプルアンプ、
これもオートバランス回路を使っている。
だから、このアンプの音に惚れながらも、
349Aのプッシュプルアンプを作るのであれば、オートバランス以外の位相反転回路を採用するか、
ウェスターン・エレクトリックの349Aアンプ、133Aの回路をそのままで作ろうと考え、
前段に使われている348A、それもメッシュタイプのモノを探し出してきたこともある。

133Aの回路のほうが、伊藤先生の349Aアンプ(元はウェストレックスのA10)よりも、
回路の平衡性ということでは理論上優れていることになる。

とにかく最高の349Aのアンプが欲しかった私は、
最初は伊藤先生のアンプのデッドコピーをしよう、から、ここまで変化していった。

なのに主要パーツが集まり、あとはシャーシーの設計と発注の段階まできて、また考えが変っていた。
オートバランスのもつ、
私が気付くような欠点はウェスターン・エレクトリックやウェストレックスの技術者はとうに知っていたはず。
伊藤先生もそうであったはず。
にも関わらず、オートバランスを位相反転の回路として採用していることには、
電源回路に1kΩの抵抗を直列に挿入するのと同じように、
私が気付いていない意味があるはずだと考えるようになったからである。

Date: 4月 22nd, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その3)

たとえばステレオサウンド 76号に掲載されている「読者参加による人気実力派スピーカーの使いこなしテスト」、
その中で、ブックシェルフ型スピーカーをスピーカースタンドの上で、前後に動かしてみることがある。

この記事中にあるように、CDプレーヤー、アンプのセッティングをきちんと行なうことで、
このスタンド状での前後に動かした時の音の違いは、よりはっきりと表れる。

なぜ、わずか1cm前後、どちらかに動かしただけで変るのか。
井上先生は、こう述べられている。
     *
音が変わるのは、台に対するスピーカーの荷重のかかり方が変わるためです。荷重が変わると、底板の鳴り方が変わるんです。
スピーカーの重心は前側にありますから、後に持ってきて、台の重心と揃えた状態でもっとも安定して、音の拡がりが出てくる。前にすると、アンバランスですが、台の前の方に荷重がぐっとかかるために、低域が締まって中域がぴっと張ってくる。
     *
もしスピーカーの重心が底板からみてぴたりと中心にあるならば、
底板のどこのポイントにおいても均等な荷重がかかるように設計されたスピーカーシステムがあったならば、
おそらくスピーカースタンドの上で前後させても、音の変化は小さくなっていくはず。

どんなに完璧な重量バランスを実現できても、実際にはスタンドの重心との関係があるため、
音が変化しないということはあり得ないわけだが、
それでも重量バランスが前面に偏りすぎているスピーカーほど、
そのスタンドの上での前後移動による音の変化幅は大きいのは事実である。

国内のオーディオメーカーのスピーカーの開発の人たちも、このことには気づいてはず。
にも関わらず、598のスピーカーは新製品が出るたびに重くなり、重心が前側に少しずつ偏っていた。

一度きいたことがある。
「重くなってきていますね」とあるメーカーの方、
試聴室にスピーカーを運び入れてくれた人にそういったところ、
「量られますからね……」という返事だった。

Date: 4月 21st, 2013
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」について考えている

一週間前、ある方からあるメッセージが届いた。
こう書いてあった。

もっと「新しいオーディオ評論」を期待しています。

わずか一行のメッセージであった。
けれど、どきっ、としたことは確かだった。

まず考えたのは、こうやって毎日ここに書いていることについてだった。
そのあと、メッセージの意味するところを考えていった。
短いだけに、考えていく必要があった。

なぜ「新しいオーディオ評論」と鉤括弧でかこんであるのか。
「新しいオーディオ評論」の前に、もっと、とあることについても。

このメッセージを受けとって数時間後に考えたのは、グールドの存在だった。
彼は「新しい聴き手」「新しい新しい聴き手」について書いている。

ここから浮んできたのは、「新しいオーディオ評論」は、
「新しい読み手・聴き手」の誕生に関係していく・つながっていくことなのかだった。

たしかにこれも「新しいオーディオ評論」ではある。
だが、これだけではないし、必ずしも「新しい読み手・聴き手」の誕生へとつながっていかなくとも、
「新しいオーディオ評論」は存在し得る、とも考えられる。
つまり、そうとは限らないわけだ。

実はそういう返答もいただいている。

この一週間、「新しいオーディオ評論」について考えていた。
まだはっきりと「新しいオーディオ評論」が見えてきたわけではない。

毎夜ブログを書く。
書いているときも、書き終り「公開」のボタンをクリックするときも、
「新しいオーディオ評論」が頭をよぎる──。

Date: 4月 20th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その2)

1980年代に登場した598のスピーカーシステムの重さには特徴があった。
ただ思いだけでなく、重量のアンバランスさが、他の価格帯のスピーカーシステム以上にあった。
とにかくフロントバッフル側が重い。

たいていのスピーカーシステムはフロントバッフルにスピーカーユニットが取り付けてあるから、
フロントバッフル側に重心が偏っているものだが、
それにしてもこのころの598のスピーカーシステムの重心はフロント側に偏りすぎていた。

時代が違うとはいえ、いまのスピーカーのつくられ方からすると、
一本59800円のスピーカーシステムとは思えないほど、物量が投入されたユニットがついていた。

物量投入型のスピーカーユニットは当然重くなる。
その重量を支えるのがフロントバッフルなわけだから、
フロントバッフルも強度を、ユニットの重量増に応じて高めていかなければならない。

しかも598のスピーカーシステムは揃いも揃って3ウェイだったから、
フロントバッフルには穴が3つ開けられ、それだけ強度も低下しやすい。

そのための手っ取り早い手法としてはフロントバッフルの厚みを増すこと。
そうすることでさらに重心がフロントバッフル側に移動することになる。

予算が充分とれる価格帯のスピーカーシステムであれば、
フロントバッフルだけの強度を増すだけにとどまらず、
エンクロージュア全体の強度もバランス良く高めていくだろうし、
重量のアンバランスさは音にも密接に関係してくることをわかっている技術者ならば、
極端なアンバランスな状態には仕上げない。

いくら物量投入がなされていたとはいえ、59800円という価格の制約は大きい。
それが重量のアンバランスさの大きさとなっていたように思う。

Date: 4月 19th, 2013
Cate: 広告

広告の変遷(ソニーのこと・その2)

そのSS-G7の広告に載っていた文章である。
     *
 わが家の応接間にG7を持ち込んだ。聴取条件の定石は少しく無視したが、調度品との関連や低音のでかたを考え、一間はばのサイドボードの両側に設置することとした。このサイドボードは、机や小物箱とともに三越製作所で多少奮発して購い求めたもので、気が向けばぬか袋で拭いて大切にしている。同じ丁寧さで、新たに横に並べたG7の天板や側版も拭いている。しかし拭くたびに思うことは、しっとりした色合いとつやのでかたはサイドボードの方が上であり、見比べると、G7は仕上げが少しお粗末な感じがする。
 スピーカーはよい音がだすのが身上であるから、外観、それも側版のつやまで考える必要はなかいと言えばそれまでだが、一台十万円以上のスピーカーであってみれば、時には丁寧に拭いてみたい気を起こすようなものであってもいいのではないか、と自問自答してみた。そして木材の質や仕上げを変えたら、値段も多少よいが、音もさらによいG7デラックス版ができ上るのではないかと考えた。
それで、上家具に用いられる、キャビネット材としても好適なサクラやナラを素材として、同じ寸法でシステムを組んでみたが、G7にみるバランスのよい音はえられなかった。また板の厚みや補強の方法を変えてみたが、やはり大同小異であった。いろいろの試みから分かったことは、納得できる音質をうるには、キャビネットをいじるだけではだめで、それとスピーカーユニットのうまいとり合わせが必要のようである。そういう目でG7を改めて眺め直してみると、それらのマッチングが実にうまくとれていることが分かった。あるときうちの技術者に「限られた時日に数階の試作でここまでまとめ上げた努力は多とするが、それは多分に僥倖であったと思う。」といったら、そんなことはないと目をむいておこられた。
 いうまでもなく、いかに堅い材料を用い、うまく補強を施しても、キャビネット自体は振動板の振動に応じて振動する。それからでる音の大きさは、振動板からの音の十分の一にもみたないが、音の残り方、音のひびき方はその十倍にも達する。このひびきがスピーカーの音質形成に大きな役割をもっており、このひびきをユニットの音にいかにうまく整合し、添加するかが、音作りの要諦である。音づくりに技術や経験をベースにするのは勿論であるが、ときとしてその上に勘や飛躍が必要なのも、うなずけることである。
     *
中島平太郎氏が書かれている。
このSS-G7の広告をみて、ソニーとはこういう会社なのだ、とおもっていた。
ここでの、こういう会社、というのは、いい意味での「こういう会社」である。

この広告から30年以上が経った。
さまざまなことがらが変っていき、ソニーもずいぶん変ったようにみえる。

もうSS-G7を見かけることもなくなった。
最後にSS-G7を見たのはいつの日だったのか、それさえも思い出せないほどずっとみていない。

でも、この広告とともにSS-G7を、私は忘れることはないであろう。