Archive for category テーマ

Date: 5月 26th, 2015
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その10・余談)

ラックスのターンテーブルPD121は1975年に出ている。
デザイナーは、現在47研究所を主催されている木村準二氏。

いまのラックスにもアナログプレーヤーはある。
PD171がある。

私は、PD121はいまも欲しい、と思っている。
つい一ヵ月ほど前、あるオーディオ店にPD121Aとフィデリティ・リサーチのFR64Sの組合せが、
中古で店頭に並んでいた。
けっこうきれいな感じだった。つけられていた価格も妥当なものだった。

しばらく眺めていた。
こういうスタイルのアナログプレーヤーの良さというものを思い出していた。

PD171をオーディオショウ、オーディオ店でみかけても欲しいとは思ったことはない。
どちらが音がいいのかというと、PD171は聴いていないのでなんともいえないが、
PD171の方かもしれない。

それでも欲しいのはPD121である。
デザイナーが違うのだから、このふたつのアナログプレーヤーの印象が違うのは当然だと思っていた。
けれど、それだけではないようにも思うようになった。

PD121のころ、ラックスは本社が大阪にあった。
1984年に本社を東京都(大田区)に移す。
1987年には品川区へ移転。
1994年同じ品川区内でまた移転している。
いまは神奈川県横浜市に本社がある。

本社が関東に移ってから30年以上が経っている。

PD121とPD171のデザインの違いは、
本社がどこかにあったのかも関係しているのではないだろうか。

Date: 5月 26th, 2015
Cate: 老い

老いとオーディオ(音がわかるということ・その4)

瀬川先生は「続コンポーネントステレオのすすめ」に、こうも書かれている。
     *
 さて、カートリッジに望む第二条件は、そうしてあらゆる音楽(レコード)をきちんと鳴らしてくれるばかりでなく、そこに、そのカートリッジでなくては聴けない音の魅力がなくてはならない。そうでなくて、どうして、そのカートリッジをあえて選ぶ理由があるのだろう。
 この音の魅力というのを、カートリッジの音のクセと混同して頂きたくない。あらゆる音楽に、その音楽固有の音色の魅力がある。それぞれに異なる音楽の魅力をうまく抽き出しながら、しかもつい聴き惚れてしまうほどの美しい音楽的なバランスの良さが必要だ。どことなく無機的な、いわゆる蒸留水のような音は私は最も嫌う。だいいち、もとの音楽には演奏家の心をこめた気迫もあれば、色や艶もあり、そこにかもし出されるえもいわれぬ深い味わいがある。そういう音楽の魅力を、まるで鳴らしてくれないカートリッジがある。低音から高音までフラットでバランスが良い。ひずみもきわめて少なく、トレースは全く安定していて、どんなレコードも心配なく鳴らしてくれるのに、その音に味わいも艶も余韻の微妙な美しさもなくて、ただ白痴のような美しさだけ聴かせる。そんなカートリッジはどこか間違っていると私は思う。いや、正しいか間違いかなどはこの際問題ではない。そういうカートリッジではレコードの世界の深さを聴き手に伝えてくれないから、思わず時のたつのを忘れてあとからあとからレコードを聴き耽るというような気持にさせてくれない。結構な音でございます、では音楽の魅力は伝わってこない。だが、そういう音だけのカートリッジが、世間では案外、良いカートリッジ、みたいに言われている。
     *
これはカートリッジについて書かれているけれど、
同じトランスデューサーであるスピーカーにも、まったく同じことがあてはまる。
スピーカーだけではない、アンプやその他のオーディオ機器についても同じといえる。

さらにいえば、ここに書かれていることはオーディオ全体についていえることである。

「続コンポーネントステレオのすすめ」は1979年に出ている。
36年前に書かれたことである。
なのに、いまもそっくりそのまま、とまでは言わないけれど、
かなりの部分あてはまるのではないか。

このことは別項「つきあいの長い音」にも深く関係してくる。
それだけでなく、別のことにも関係しているように思えてならない。

Date: 5月 25th, 2015
Cate: 老い

老いとオーディオ(音がわかるということ・その3)

瀬川先生が書かれている。
     *
 と、さんざんうるさいことを書いておいて、最後にちょっと補足しておくが、違う違うといってもその音の差はきわめて微妙。その微妙な差を大きな問題に感じるが音のマニアなのであれば、反面、ヘッドシェルを交換して聴いてもその差がわからずにキョトンとする人も決して少なくない。ヘッドシェルといいリード線といい、それらを変えてその音の差を聴き分けるのが高級な耳だなどとは誤解しないほうがいい。そういう差をよく聴き分ける人が、装置全体の音楽的なバランスをひどくくずして、平気で聴いている例もまた少なくない。ヘッドシェルの類いといい、またシールド線やスピーカーコードの違いといい、それらの細かな音を比較してよりよい方向を探すことも大切だが、装置全体を、総合的に良い音に調整するには、もっと全体を大きく見とおすような、全体的な感覚が必要で、それは細かな音の差を聴き分ける能力とはまた別の感覚だという点は、忘れないでおきたい。(「続コンポーネントステレオのすすめ」より)
     *
ほんとうにそうである。
書かれているとおりだ。

Date: 5月 25th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その4)

つきあいの長い音とは、自分の感覚に馴染んでいるということ。

Date: 5月 25th, 2015
Cate: 素材

素材考(発電ゴムという素材・その3)

リコーの発電ゴムがどれだけの性能なのかは、はっきりとしたことはなにもわかっていない。
リコーの発表資料にあるとおりの性能であるならば、センサーとしての性能も期待できる。

別項の「電子制御という夢」、ここでもセンサーとして期待している。
発電効率が高いのであれば、細かくしてトーンアームの各部に装着できる。
ゴムという素材なのだから、いままでのセンサーでは拾えなかった情報もピックアップできるように思える。

さらにこれまではアームパイプ内部の状態を知ることは難しかったように思う。
発電ゴムならば、パイプ内部にも簡単に装着できるし、トーンアームの実効質量にもほとんど影響を与えないだろう。

さらにさらにカートリッジ内部のセンサーとしても使える。
ダンパーの一部としての利用、そしてカンチレバーのセンサーとしても使えるのではないだろうか。

電子制御トーンアーム。
おそらくどこも新たに開発しようというところはないだろう。
新しい電子制御トーンアーム開発の環境は、その昔よりもずっと整っているけれど……。

Date: 5月 24th, 2015
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その31)

ステレオサウンド 52号にJBL#4343研究の第二回が載っている。
瀬川先生による、プリメインアンプで4343はどこまで実力を発揮できる、という内容だ。

52号は1979年9月に出ているから、
598のスピーカー・ブームの数年前である。

この記事では、八機種のプリメインアンプが用意されている。
もっとも高価なモデルはマランツのPm8で250000円、
いちばん安いモデルはテクニクスのSU-V6で59800円。
1979年当時、4343WXは一本58万円だった。

598のスピーカーの約10倍であるから、
ここでのスピーカー対プリメインアンプの価格比をそのまま598のスピーカーにあてはめれば、
6000円から25000円ほどのプリメインアンプということになる。
現実には、2万円台のプリメインアンプはいくつかあったが、1万円を切るモデルは存在しなかったし、
価格比をすべての価格帯にあてはめることには無理がある。

ステレオサウンド 52号の記事中に瀬川先生は、こう書かれている。
     *
 これだけ日本国中にひろがった♯4343ではあるが、いろいろな場所で聴いてみて、それぞれに少なくとも最低水準の音は鳴っている。従来のこのタイプのスピーカーからみると、よほど間違った鳴らし方さえしなければ、それほどひどい音は出さない。これは後述することだが、アンプその他のパーツがかなりローコストのものでも、それらのクォリティの低さをスピーカーの方でカバーしてくれる包容力が大きいからだろう。
     *
4343には包容力がある。
ここがブームになった598のスピーカーシステムと大きく違うところである。

価格が違う、ユニット構成が違う、大きさが違う、国が違う……、
そういった違い以上に、包容力の違いは、組合せ(特にアンプの選択)において重要なこととなる。

Date: 5月 24th, 2015
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その30)

いまはどうなのかは知らないが、
昔は価格的にバランスのとれた組合せということは、次のようなものだった。

スピーカーシステムの価格が一本59800円だとする。
約60000円だとして、アンプ(ここではプリメインアンプ)にもほぼ同額、
アナログプレーヤーにもほぼ同額ということだった。

つまりスピーカーは二本必要だから、60000×4=240000円が、
価格的にバランスのとれたといえる、ひとつの基準であった。

これがセパレートアンプを使うようなスピーカーシステムのグレードになってくると、すこし違ってくる。
スピーカーシステムの価格が一本50万円であれば、
コントロールアンプに50万円、パワーアンプに50万円、
アナログプレーヤー(カートリッジも含めて)に50万円、
つまりトータルで250万円くらいまでは、価格的にバランスがとれているとみなされていた。

もちろんここでもアンプにかける費用をスピーカーシステムと同額、
つまりコントロールアンプ、パワーアンプの合計が50万円というのもあった。

実際にはあくまでも目安であり、
予算的にはつねに制限があるものだから、
スピーカーに比重がおかれたり、
アナログプレーヤーが少し犠牲になったり、
予算内でのやりくりはもちろんあるわけだが、
59800円のスピーカーシステムを鳴らすのに、ペアで数十万円のセパレートアンプをもってくるのは、
あきらかに価格的にアンバランスな組合せとなる。

スピーカーシステムよりもアンプ、アナログプレーヤーのクォリティが高ければ、
それだけスピーカーはよく鳴ってくれる。
それでも59800円のスピーカーに対しては、
59800円から10万円くらいまでのプリメインアンプが選択肢となる。

だが1980年代半ば以降ブームとなった598のスピーカーシステムは、
同価格帯のプリメインアンプでうまく鳴ったという記憶がない。

Date: 5月 24th, 2015
Cate: オーディオの「美」

美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない、を考える(その1)

美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない。

別項「正しい音とはなにか?」の(その8)でもとりあげた。
小林秀雄の有名すぎる一節であり、これまでにいろいろな解釈がなされている。

私はオーディオマニアだから、まず「花」を「音」に置き換えて考えてみる。
それでもわかったようなわからないような……。

だが「花」を別のものに置き換えてみたら、どうだろうか。
「月」である。

美しい「月」がある、「月」の美しさといふ様なものはない。
こうなるわけだが、月そのものは、ほんとうに美しいのか、と思う。

夜空に浮ぶ月は、美しいな、と思うことはある。
けれどわれわれは実際の月を写真で見て知っている。
月の表面がどうなっているのかを知っている。

私は月そのものを美しいとは思えない。
けれど遠く離れたここ(地球)にいて、夜空の月を眺めれば美しい、と思う。

となると、美しい「月」がある、「月」の美しさといふ様なものはない、といえるのか。

Date: 5月 24th, 2015
Cate: 素材

素材考(発電ゴムという素材・その2)

発電ゴムということは、その逆もまたできるはずである。
つまり音声信号を発電ゴムに流せば、振動するはず。
発音ゴムでもあるはずだ。

ゴムなのだから、叩いても共振はしないはずだ。
それに動作だか一手もピストニックモーションでの振動による変換ではないから、
振動板としての剛性の高さは必要としないはず。
つまりベンディングウェーヴ型のスピーカーの素材として使えるはずだ。

オーディオではカートリッジとスピーカーに使えるはずだと多くの人が考える。
他に使えるところはないのだろうか。

これは私の直感なのだが、トランスに応用できるのではないかと考えている。
トランスは鉄芯(コア)にコイルを巻いている。
一次側(入力側)のコイルに信号が流れると、コアに磁束の流れが生じる。
この磁束の流れは二次側(出力側)のコイルに電流を発生させる。

電気→磁気→電気という変換がトランスの中で発生している。
発電ゴムは、この磁気のところを振動に置き換えられるのではないか。
電気→振動→電気というトランスが可能になるのではないか。

トランスは一次側と二次側のコイルの巻線比を変えることで、昇圧(降圧)ができる。
発電ゴムの柔軟性が、コイルの巻線に相当するのであれば、
柔軟性の異る発電ゴムが登場したら、コアを必要としないトランスが可能になるような気がする。

Date: 5月 24th, 2015
Cate: 素材

素材考(発電ゴムという素材・その1)

5月18日にリコーが発電ゴムを発表している。
いわゆる圧電素子のひとつとなる。

これまでの圧電素子といえば、リンク先にもあるようにセラミックと高分子樹脂があり、
それぞれに長所と短所がある。
今回の発電ゴムがリコーの発表通りのモノならば、それぞれの長所を併せ持つ圧電素子となる。

圧電といえば、昔のローコストのカーリトッジは圧電型があった。
セラミック型、クリスタル型と呼ばれていたカートリッジである。

MM型、MC型、MI型が速度比例型なのに対し、
圧電型カートリッジは振幅(変位)比例型であるため、
イコライザーアンプは原則として不要になる。
しかも出力電圧も大きいため、
ポータブル型のスピーカー内蔵のプレーヤーには、圧電型カートリッジが搭載され、
アンプは小出力のパワーアンプのみという簡単な構成になっていた。

そのせいか、これまで圧電型カートリッジはローコスト向きのように受けとめられてきたところがある。
けれど、一部のあいだでは、圧電型の可能性を評価する声もあった。

とはいえ圧電素子そのものが改良されることが必須であり、
リコーの発電ゴム以前にも、圧電素子はいくつも登場してきている。

それでもオーディオの世界で圧電素子が採用される事はなかったが、
今回の発電ゴムは可能性があるように思える。

当然カートリッジへの採用がまず考えられる。
しかもゴムだから、この圧電素子自体がダンパーを兼ねることになる。
コイルも磁気回路もいらない。
設計の自由度は高くなる。

これまでのカートリッジとは違う音を開いてくれる可能性もある。

Date: 5月 23rd, 2015
Cate: 孤独、孤高

毅然として……(その17)

コンサートホールで音楽を聴く人のことを、聴衆と呼ぶ。
けれど家庭でオーディオ機器を介して音楽を聴く人のことは聴衆とは呼ばない。

聴き手と呼んだり、リスナーだったりする。

レコードと本は似ているところもあり、そうでないところもある。
本を読む人のことは読者という。
ならば音楽を聴く人のことは聴者ということになる。

実際に聴者という言葉はある。
けれど聴者という言葉は、読者ほど一般的ではないし、
コンサートホールで音楽を聴く人のことを聴衆とは呼んでも聴者と呼ぶことはまずない。

この「聴者と読者」については、
黒田先生がステレオサウンド 43号からの新連載「さらに聴きとるものとの対話を」で書かれている。
当時読んで、なるほど、と感心した。

コンサートホールで音楽を聴く。
私にとって、このことはほぼクラシック音楽をコンサートホールで聴くことを意味している。
そこでは音楽を聴くというのは、「個」の行為である。
この点においては、まわりに人がいたとしても、
家庭で一人で聴くことと本質的には違いはない。

クラシックのコンサートでは、皆息をひそめるように聴いている。
そして演奏が終る。
皆が拍手をする。

この拍手という行為は、「個」の行為といえるのか。
ここで聴衆になるといえるのか。

こんなことを考えながら、(その2)で書いた映画「仮面の中のアリア」の冒頭のシーンを思い出していた。
そこでの拍手について。

Date: 5月 23rd, 2015
Cate: 楽しみ方

想像は止らない……(その1)

オーディオの楽しみの、少なからぬ部分は想像だと思っている。

オーディオに興味を持ち始めたばかりのころ、
ステレオサウンドの記事を読んでは、
そこに登場しているオーディオ機器の音を想像していた。

どのスピーカーが自分に合うのだろうか、アンプは……、カートリッジは……、と想像する。
オーディオはコンポーネントだから、組み合せなければ音は出ない。
だから組合せもあれこれ想像する。

組合せを想像しては、どんな部屋が似合うだろうか、とまた想像する。
どういう置き方をしたらいいのか、具体的なことも想像してみる。

とにかくオーディオに関する想像は始めたら終りがない、ともいえる。

想像はそれだけではなく、こんなことも10年以上前から想っている。
洋楽にはカバーアルバムというのがある。
ならばオーディオ機器にも、カバーモデルというのがあってもいいじゃないか、とおもう。

カバーモデルとは、あまりいい語感ではないから、オマージュモデルとでもいおうか。
そういうモデルが登場してきてもいいのではないか。

たとえばJBLのパラゴン。
パラゴンのオマージュモデルを、他のメーカーが出すということを想像していた。

いまはもう創業者のフランコ・セルブリンが離れ、
しかもフランコ・セルブリンが亡くなってしまっているからもう望めないが、
フランコ・セルブリンがいたころのソナスファベールがパラゴンのオマージュモデルをつくったら……。
パラゴンのオマージュモデルということで、まっさきに浮んだのはこれだった。

Date: 5月 23rd, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(続ハンダ付け)

魚を焼く網へのハンダ付け。
山水電気だけでなく、他の国産メーカーもやっていたところはあるし、
やっていないとこもあっただろう。

この研修をやっていたメーカーの工場でハンダ付けを担当されていた人たちは、
このことは出来てあたりまえのハンダ付けの腕前であったわけだ。

当時の国産のオーディオ機器は、そういう人たちの腕前によって作られていた。
いまはどうなっているのたろうか、と思う。
いまも同じレベルのところもあるだろうし、
そうでないところもあると思う。

そして、想像でしかないのだが、後者のほうが増えて来つつあるのかもしれない。
それだけではない、海外はどうなのか、とも思ってしまう。

海外製品の中には、ひじょうに高価すぎるオーディオ機器がある。
それらは、国産メーカーのハンダ付けと少なくとも同等、もっと上のレベルなのだろうか。
ついそんなことを考えてしまう。

ハンダ付けは基本である。
だからこそ、たとえば往年の管球式アンプを修理もしくはメンテナンスに出す際には、
ハンダ付けの技術を確認するのもひとつの手だといえる。

多くの業者が、完璧なメンテナンスを行います、と謳っている。
オリジナルパーツを使います、とか、よりよいパーツと交換します、とか。
そんなことよりも大事なのは、メンテナンスを施す人のハンダ付けの技術である。

調子のいいことをいう業者はいる。
それだけではない、自分より上の技術を目にしたことがない人は、
自分のレベルが高いと思い込んでいることだってある。

そういう人に、大事に使ってきたオーディオ機器の修理をまかせても平気な人はいない。
そういう人を見抜くには、魚を焼く網にハンダ付けをしてもらうのもひとつの手である。
そして、ハンダ付けが終った網を硬いものに力いっぱい叩きつける。
ハンダがひとつも落ちなかったら、その人のハンダの技術はしっかりしたものといえる。
ボロボロ落ちるような人には、決して愛器の修理はまかせてはいけない。

Date: 5月 22nd, 2015
Cate: 変化・進化・純化

変化・進化・純化(その5)

考え込むことになることはある。
けれど「立ちどまるな」という声が聞こえてくる──、そんな気がする。

蚕が死に行くまで糸を吐き続けるのだから。

Date: 5月 22nd, 2015
Cate: 使いこなし

スピーカー・セッティングの定石(その3)

KEF Model 105に感じた疑問。
それに対する答らしきものを見つけるにはけっこうな時間を必要とした。
ずっと考え続けていたわけではないが、それにしても20年以上経っていた。

それでも答らしきものとしかいえない。
これが完全な答とはいえない。
それでも、これまで聴いてきた音、聴かせてもらった音をふり返って気づいたことがある。
低音再生に関しては、スピーカーを内側に向ける必要はないどころか、
むしろ内側に向けない方がいいのではないのか。

スピーカーと聴き手の位置関係は、
左右のスピーカーを結んだ距離を底辺とする正三角形の頂点で聴くことが基本である。
正三角形が、時には部屋の関係もあって二等辺三角形になることもあるが、
基本は正三角形であり、スピーカーシステムの指向特性が60度の範囲まで保証しているものであれば、
たしかにスピーカーシステムを内側に向ける必要はない、ともいえる。

けれど実際にはスピーカーシステムの指向特性が再生周波数帯域で均一であるとはいえない。
JBLは4350、4341(4343)といった4ウェイのスタジオモニターを開発した理由は、
この指向特性の均一化の実現である。

ただしここでの指向特性はあくまでも水平方向のものであり、
ユニットの数が増えるマルチウェイでは垂直方向の指向特性はまた別問題として存在する。

実際には、だからスピーカーシステムを内側に向けることが多くなる。
どのくらい内側に向けるのか、その角度はスピーカーの指向特性も関係してくるし、
スピーカーシステムのエンクロージュアのプロポーションも関係してくる。

たいていの場合、内側に向けた方がいい結果が得られる。
けれどもし低域(ウーファー)のみ、内側に向けずに正面を向かせ、
中高域のみ内側に向けることができたら……、と考えたことがあった。

そして自作スピーカーを、実にうまく鳴らしている人のセッティングを思い出していた。