Archive for category テーマ

Date: 9月 23rd, 2016
Cate: ショウ雑感

2016年ショウ雑感(その9)

「判断しよう」、さらには「判断してやろう」という耳には、
気づきがない、と、私は思っている。

気づきがなければ、楽しくもないはずだ。
別項「瀬川冬樹氏のこと(ヴィソニック David 50・その9)」でも書いているが、
気づき、発見、再発見は大切にしなければならないことだ。

これらがあるから楽しい、ともいえる。
楽しむ耳にこそ、気づきがある。

けれど残念なことに、いまのオーディオショウには「判断してやろう」という耳が多いのかもしれない。
そんな雰囲気を感じてしまうことがある。

私だけが感じているのだったら、どうでもいいことだ。
けれど、なんとなくそう感じている人が、私の他にもいるような気がする。

「判断してやろう」という耳の人ばかりになった会場の雰囲気を想像してもらいたい。
そんなところに私は行きたいとは思わない。

ましてオーディオに興味を持ち始めたばかりの人だったら、
よけいに及び腰になっても不思議ではない。

中野で行われるヘッドフォン祭に、あれだけの若い人たちが集まる。
インターナショナルオーディオショウでは、どうだろうか。

若い人が集まらない理由は、決してひとつではない。
それでも楽しむ耳を忘れてしまった人たちが増えてきていることと、
無関係ではないはずだ。

若い人たちに迎合する必要はない、と考えているが、
若い人たちを遠ざけてしまうような雰囲気をつくってしまうことだけは避けるべきだ。

Date: 9月 22nd, 2016
Cate: ショウ雑感

2016年ショウ雑感(その8)

すべてがというわけではないが、いくつかの出展社のブースでは、
持参したCDをかけてくれるところもある。

聴きなれたディスクをかけてもらえれば、
そこで鳴っている音の判断が正確にできる──,
とは私は思っていない。

そう思うのは各人の自由だけれど、
意外にもそうではないことを知っておいてほしい。

むしろオーディオショウという場では、
聴きなれた一枚のディスクをじっくり聴くよりも、
傾向の違うディスクを何枚か鳴らされた音を聴いた方が、まだ確かといえる。

レーベルの違い、録音年代の違い、編成の違いなど、
ディスクによってそれらはさまざまである。

一枚のディスクがどう鳴ってくれた、といういわば絶対的な聴き方よりも、
こういう場では、それぞれのディスク(録音)がどういう違いで鳴ってくれるか、
という相対的な聴き方のほうが向いている。

なので私はオーディオショウにディスクを持参したことはない。
それに私はオーディオショウは、厳密な判断を下せる場とも思っていない。
楽しむ場だと思っている。

もちろんオーディオショウという場を、どう捉えようと、これも各人の自由である。
けれど自宅の音(自分の音)と比較ばかりして、
このブースも、あのブースも、いまひとつの音ばかり、聴くにあたいしない、
などといって何になるのだろうか。

自分の音をいい音だと思いたいからなのか、
それとも自分の耳はいい、とアピールしたいからなのだろうか。

ブースに入っても、ほんのわずかな時間だけで出てしまう人が少なくない。
そういう人を知っている。
彼は、「音なんて、ちょっと聴けばすぐに判断できるから」とその理由をいう。
そこには自慢が含まれていない、といえるだろうか。

私も場合によっては、すぐにブースを出ることがある。
あまりにも人が多過ぎて、であり、そういう場合は時間をずらしてもう一度行くようにしている。
二時間ほどしか会場にいられなかったりするときも、
できるだけ多くのブースの雰囲気だけでも知りたいということで、
割と短時間でブースを出ることもするが、
「音なんて、ちょっと聴けばすぐに判断できるから」という理由では、決してない。

Date: 9月 22nd, 2016
Cate: 新製品

新製品(Nutube・その7)

Nutube 6P1のデータシートが公開されている。
見ていくと、(その4)で書いたパワーアンプの実現は、
不可能ではないけれどけっこう困難そうだ。

ならばNutubeで挑戦してみたいことが変ってくる。
MC型カートリッジのヘッドアンプはどうだろうか。

これまでにも真空管ヘッドアンプはあった。
カウンターポイントからSA2が、ミュージック・レファレンスからRM4が出ていた。
どちらもステレオサウンドの試聴室でじっくり聴いている。

ソリッドステート式ヘッドアンプにはない肌触りのよさが感じられはするものの、
安定性、ノイズなどで実用にたえるかとなると、そうとはいえない出来だった。

でもいつかはまともに使える真空管ヘッドアンプが登場してくれるだろう、と期待していた。
結局は登場しなかった。

Nutube 6P1がヘッドアンプに向いているかどうかは、なんともいえないが、
コスト的にも複数並列接続の小出力のパワーアンプよりも、負担はずっと少ない。

これから来年にかけて、Nutube 6P1の製作記事は、
オーディオ雑誌、インターネットにいくつも登場するはずだ。
その中にヘッドアンプはあるだろうか。

Date: 9月 22nd, 2016
Cate: 素材

素材考(柔のモノ・その3)

セレッションのSL600のエンクロージュアの材質は、
軽くて高剛性のアルミハニカムである。

セレッションの技術者は、最初はがっちりとしたつくりにした。
両側板、天板、底板をがっちりと接着していた。
ところが、意に反して、冴えない音がしたそうである。
最終的には一個所、ハニカム素材の接合面に緩衝材をいれている。

SL600とSL6の違いはエンクロージュアの材質だけでなく、
専用スタンドも違う。

SL6用は木製だったが、SL600用は鉄製で支柱のパイプの中には軽石に似たものがつめられている。
クリフストーンスタンドと呼ばれていた。

エンクロージュアの高剛性化にともなってスタンドの剛性も高くなったわけだが、
スタンドの天板とSL600の底板との間に、
付属してくる粘着性のあるゴムを挿入するようになっている。

最初は私もそのゴムを使っていたが、
しばらくしてあれこれいろんな素材を試してみた。
大半はゴムよりも硬いもの、剛性のあるものだった。
結局は、付属のゴムに戻ってしまった。

ハニカム素材をスピーカーに積極的に、そして最初に導入したのはダイヤトーンだった。
ウーファーの振動板に採用している。
ダイヤトーンは振動板には積極的に新素材を採用してきた。
ウーファーだけでなく、ドーム型ユニットの振動板にもである。

そのダイヤトーンは、エンクロージュアの材質は、昔ながらの木である。
なぜかここに新素材を採用してはこなかった。
試作品ではやっていたのかもしれない。はっりきとしたことはわからない。

セレッションは反対にエンクロージュアには高剛性のハニカム素材を採用していたが、
ウーファーの振動板は高分子系のもので高剛性とはいえない。
トゥイーターの振動板は銅。金属だからその分剛性は高いけれど、
金属の中では剛性が高いとはいえない銅である。

高剛性でガタつきのないモノは理想なのかもしれない。
でもそのための高剛性とは、いったいどれだけの高剛性なのか。
もっともっと剛性を高めていければ、そしてガタつきを極限までなくしていければ、
ゴムやフェルトなどの柔らかい(曖昧な)素材を必要としなくなるのかもしれないが、
現状では、どこかにそういったモノを使ったほうが、好結果が得られることが多い。

Date: 9月 22nd, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ラックスCL32・その3)

CL32が登場したころ、ラックスの真空管のコントロールアンプは、
CL35IIIとCL30が現役だった。

CL35IIIは型番末尾の「III」が示すように二回の改良を受けたロングセラーモデルだった。
プリメインアンプのSQ38FD/IIも四回の改良を受けている。

ラックスは、このころ国内の他メーカーよりも息の長い製品をいくつか出していた。
そういう背景があったから、私は勝手にCL32もCL32II、さらにはCL32IIIまで出て、
SQ38FD/IIに次ぐロングセラーモデルになってくれるでは……、と期待していた。

キット版のA3032(88,000円)でも、すぐに買えるわけではない。
買えるのがいつになるのかは学生だったから、わからない。
ただ先のことだ、というのははっきりしていて、
そのころにはCL32もモデルチェンジしているだろうなぁ……、ぐらいに思っていた。

1980年、CL32はCL34となった。
CL32IIではなかった。

CL32にはトーンコントロールがついていなかった。
かわりにラックス独自のシーソー式に高低のバランスを変化させるリニアイコライザーだった。

瀬川先生はステレオサウンド 43号に、
《旧録音を含めて数多くのレコードを楽しみたいとき、ラックス得意のリニアイコライザーだけでは、音のバランスを補正しきれない。簡単なものでもトーンコントロールが欲しい。》
と書かれている。

こういう注文をつけられるということは、CL32を認められていたのでもあろう。
CL34にはリニアイコライザーがなくなりトーンコントロールがついた。
それにともないツマミが増えた。
デザインの変更点はそれだけでなく、電源ONを示す部分が、
CL32の小さな点から、大きめの四角になっている。
言葉で掻けば些細な変更点のように思えるだろうが、
実際の製品を見ると、大きな変更点である。

それからCL32にはウッドケースはなかった。
なかったからこそすっきりした装いで、
真空管アンプであることをことさら意識させないアピアランスに仕上がっていた、ともいえる。

CL34にはウッドケースが用意されていた。
別売ではあったけれど、広告やカタログにはウッドケースを装着した写真がメインだった。

薄型のCL34に、けっこうな厚みのあるウッドケースは、
重いコートを羽織ったようで、熱苦しい、野暮ったい、とも感じられる。

ラックス、どうしたんだろう……、と思っていた。

Date: 9月 22nd, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ラックスCL32・その2)

ラックスのCL32は、当時中学生だった私にとって、
マークレビンソンが憧れではあったけれど、
高価すぎてすぐには手が届くモノではなかったから、現実的な憧れ的モノだった。

CL32は当時128,000円。
マークレビンソンのJC2は630,000円、LNP2が1,180,000円していた。
しかもCL32にはキット版のA3032が用意されていた。
こちらは88,000円で買える。

ステレオサウンド 41号特集「世界の一流品」では、岩崎先生がCL32について書かれている。
     *
 この外観に接して、これが管球式とは誰も思うまい。さらにこの音に触れれば、その思いは一層だろう。今様の、この薄型プリアンプはいかにも現代的な技術とデザインとによってすべてが作られているといえる。クリアーな引きしまった音の粒立ちの中にずばぬけた透明感を感じさせて、その力強さにのみ管球アンプのみのもつ量感が今までのソリッドステートアンプとの差となってにじみ出ている。高級アンプを今も作り続けている伝統的メーカー、ラックスの生まれ変りともいえる、音に対する新体制の実力をはっきりと示してくれるのが、このCL32だ。管球アンプを今も作るとはいえ、もはやソリッドステートが主流となる今日、あまりにも管球アンプのイメージを深くもったラックスの新しい第一歩はこのCL32によって大きく開かれたといってよいだろう。おそらくソリッドステートを含むすべてのアンプの基礎ともなり得る新路線が、CL32に花を咲かしたと思うのである。
     *
《あまりにも管球アンプのイメージを深くもったラックスの新しい第一歩はこのCL32によって大きく開かれたといってよいだろう。》
ここに惹かれた。

43号のベストバイの特集でも、CL32は高く評価されていた。
岡先生以外の全員が、CL32をベストバイとしていた。

真空管というノスタルジーは、そこにないことは、
井上卓也、上杉佳郎、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三の五氏の文章が語っていた。
それでいて真空管アンプの特質は、持っているのもわかる。

このころの私は女性ヴォーカルをしっとりと鳴らしたいことを、最優先していたから、
CL32(A3032)には注目していた。

Date: 9月 22nd, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ラックスCL32・その1)

1976年秋に、ラックスからXL32というコントロールアンプが登場した。
このころの日本のコントロールアンプは、
明らかにマークレビンソンのJC2の影響下にあったといえる。

各社から、それまでとは違う薄型のコントロールアンプが登場してきた。
アメリカでは、マークレビンソンの成功に刺戟され、
多くのガレージメーカーが誕生したが、こちらは薄型のコントロールアンプはほとんどなかった。

とはいってもJC2が外部電源仕様だったのに対し、
国産メーカーの薄型コントロールアンプは、すべて電源内蔵仕様だった。
この違いは評価すべきことである。

ラックスのCL32は、その中でも、真空管アンプだったという点が、JC2との違いとして挙げられた。
真空管を横置きにしたアンプは、それまでにもあった。
マランツのModel 7もそうだ。
けれど、CL32のような薄型のモノは存在しなかった。

真空管で薄型だから、CL32の存在価値があるわけではなく、
真空管アンプであることを打ちだすことをしなかった点にある、といえよう。

いまでこそ各社から真空管アンプが出ているが、
1976年当時、真空管アンプをつくり続けているメーカーは、わずかだった。

ラックスは、その代表的メーカーであり、
ラックスを象徴するアンプはプリメインアンプのSQ38FD/IIだった。

 最新の技術を駆使した、いわば、電算機的なプリメインアンプが登場してくると、旧型アンプの存在価値が薄れるのが当然であるが、そこは、趣味としてのオーディオであるだけに、アナクロ的な典型ともいえる、古き良き時代の真空管プリメインアンプが、現在に生きているのも大変に楽しいことなのである。プロトタイプ以来10年に近い歳月を経過したこのモデルは、いわば、SL的な新しさであり、懐かしさがある音を聴かせる。
(井上卓也 ステレオサウンド 43号より)
     *
SQ38FD/IIには、こういう面があった。
旧型アンプ、アナクロ的な典型、古き良き時代の、といった面が、
トランジスターアンプ全盛時代の1970年代後半、《SL的な新しさであり、懐かしさ》でもあった。

CL32は、同じラックスの真空管アンプであっても、このところが対照的だったのだ。
だからこそ、高い評価を得た。

Date: 9月 21st, 2016
Cate: 素材

素材考(柔のモノ・その2)

SAECのSBX3を使ったプレーヤーシステムを組むとなると、
ターンテーブルシートも、SAECの金属製のSS300ということになる。
ここにゴム製のシートを使ったのでは、全体のポリシーが統一されなくなる。

ゴム系の素材だけでなく、フェルトなど柔らかい素材を追求する理由は、
メーカーによって多少違うところはあるだろうが、支点の明確化のはずだ。

この理屈は理解できるし、賛同もできるが、
実際にはアナログプレーヤーは振動を扱い、振動から無縁ではいられないモノであり、
完全にゴム、フェルトなどの柔らかい素材を排除して、
理屈通りにうまくいくものだろうか、という疑問は、そのころからあった。

トーレンスのReferenceも金属の塊といえるプレーヤーだが、
アームベースには木を使っているし、アイアングレインなども使って、
振動をうまくコントロールしているように見受けられる。
Referenceのターンテーブルシートは厚手のフェルトである。

メーカーが実験室で、熱心なオーディオマニアがリスニングルームで、
いわば試作機としてあれこれ試してみるのはいいし、
そこから得られた成果をメーカーは実際の製品に反映してくれればいい。

オーディオガラのプレーヤーキャビネットは、
想像するにかなり扱い難い性質のモノであったはずだ。

個人のリスニングルームは実験室ではない。
そこにおいて、うまい結果を得るには、妥協点というか、
ゴムやフェルトの柔らかい素材をうまく使っていくしかない、と考える。

高剛性をつきつめていくと、
最終的にはレコードの材質が塩化ビニールであることにぶちあたる。
素材として、塩化ビニールは柔のモノである。

Date: 9月 21st, 2016
Cate: 素材

素材考(柔のモノ・その1)

剛性追求の波は、1970年代後半からアナログプレーヤーに関しても始まっていた。
SAECのダブルナイフエッジという構造と実際の製品としてのトーンアームは、
剛性追求のモノといえた。

SAECは1981年ごろに、プレーヤーキャビネットSBX3を出した。
材質は高剛性重金属とあるだけ。
見た目は、完全に金属の塊りであり、
このプレーヤーキャビネットに似合うトーンアームはSAECの製品以外にはない、
という感じさえ漂っていた。

キャビネットの手前上部にはスリットがある。
このスリットに立方体のブロックがはめこんであり、位置を左右に移動できる。
たしか共振点をコントロールするためのものだったはずだ。

SBX3の重量は使用するターンテーブルによって取付け穴の大きさが変るため、
40〜45kgとなっていた。

トーホーからは砲金製のキャビネットも出ていた。
ビクターのターンテーブル用がTV30、デンオンのターンテーブル用がTC20だった。

SAECのSBX3以前にも、金属の塊といえるキャビネットはあった。
東京・吉祥寺のオーディオガラの鉄製のモノがそうだった。
SBX3より、もっと武骨な金属の塊だった。
重量は70kgくらいあったはずだ。

このころゴム系の柔らかい素材は曖昧につながるということで、
一部のメーカーでは排除する、もしくは極力使わない動きがあった。

サテンのカートリッジは、そのことを早くから謳っていた。
サテン独自の発電機構によるMCカートリッジにはゴム系のダンパーは使われていない。

Date: 9月 21st, 2016
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(先生という呼称・その2)

ラジオ技術1957年5月号に「誌上討論会 OTL是非論」が載っている。
十人の方が、それぞれにOTLアンプに対する私論を述べられている。

OTLアンプは無線と実験1951年4月号に、最初に登場している。
アメリカの技術誌にOTLアンプが発表される八ヵ月前のことだそうだ。
つまり日本の方が、OTLアンプに関しては先駆けていたともいえるし、
それは日本が当時は貧乏国で、満足な出力トランスを用意するのが大変だから……、
ということも関係している、とのこと。
(OTLアンプの最初の発表者、乙部融郎氏がそう述べられている)。

「誌上討論会 OTL是非論」には、それぞれの書き手の肩書きが文末にある。
 木塚茂(アマチュア)
 田丸一彦(田丸研究所)
 乙部融郎(アマチュア)
 今西嶺三郎(今西研究所)
 瀬川冬樹(LP愛好家)
 浅野勇(プリモ音響KK技術部長)
 高城重躬(音楽家・音響技術者)
 山根雅美(福音電機技術部)
 鴨治儀秋(東通工)
 加藤秀夫(加藤研究所)

括弧内の肩書きは、ラジオ技術編集部が勝手につけたわけでもないだろう。
おそらくそれぞれの書き手の自己申告によるものと思われる。

瀬川先生は「LP愛好家」である。

Date: 9月 21st, 2016
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(先生という呼称・その1)

オーディオ評論家を「先生」と呼ぶ。
私も、先生とつけて呼んでいるし書いている。
ただし先生とつける人とそうでない人がいて、そうでない人のほうが圧倒的に多い。

私はそうだが、オーディオ評論家全員を先生と呼ぶ人もけっこう多い。
オーディオ業界の人たちだけでなく、オーディオマニアの中にもそういう人も多い。
評論家ごときに先生とつけるなんて、という人もいる。

いったい誰が、いつごろからオーディオ評論家を先生と呼ぶようになったのか。
ステレオサウンドからだ、という人もけっこういる。

ステレオサウンドはそういわれても仕方ない面ももつが、
ステレオサウンドが最初ではない。

あくまで私が目にした範囲でわかっているかぎりでは、
レコード芸術のほうがステレオサウンドよりも早くから、先生と呼んでいる。

レコード芸術1961年11月号に「オーディオ相談室の質問をめぐって」という記事がある。
若林駿介氏が司会で、江川三郎氏と瀬川先生が登場されている。

この記事に、瀬川先生、江川先生とすでにある。
ステレオサウンドが創刊される五年前から、「先生」が使われている。

丹念に探していけば、もっと古いのが見つかるかもしれない。
誰が、いつごろから、に正確な答はまだいえないけれど、
少なくともステレオサウンドが最初ではないことだけははっきりといえる。

Date: 9月 21st, 2016
Cate: ショウ雑感

2016年ショウ雑感(その7)

オーディオに興味を持ち始めたころ、熊本に住んでいた。
東京でオーディオフェアが開催されていることを羨ましく思っていた。

中学、高校のころ、ずっとオーディオフェアに行きたい、と思っていた。
オーディオフェアでは満足な音は聴けないことは、当時から指摘されていたし、
そのことは知っていたけれど、それでも行きたいと思ったのは、
オーディオフェアが楽しそうに映ったからである。

インターナショナルオーディオショウの前身は輸入オーディオショウである。
輸入オーディオショウは、いわばオーディオフェアから独立したともいる。

オーディオフェアの大規模な会場よりも、
少しでも満足の行く音を聴いてもらうために、九段のホテルを会場として第一回が開催された。
そして、いまは国際フォーラムを会場として、
音を出す場としては、オーディオフェアよりも、九段のホテル時代よりも良くなっている。
このことは、けっこうなことであるが、
このことが、いまのインターナショナルオーディオショウの雰囲気につながっているようにも感じる。

オーディオフェアは楽しかった。疲れもするけれど。
輸入オーディオショウの第一回のときは、ステレオサウンドにいた。
前日搬入の夕方に九段のホテルに取材に行っている。
輸入商社の人たちが、みな楽しそうだったことを憶えている。

このころからすれば、若い人のオーディオ離れがいわれるようになってきている。
これらの雰囲気の違いを知る者からすれば、当然だととも思う。

若い人のオーディオ離れの原因はひとつではないはずだが、
そのひとつはインターナショナルオーディオショウからは、
オーディオフェア、輸入オーディオショウにあった楽しそうな雰囲気があまり感じられない。

音を出す条件として良くなっていったことが、来場者を変えてしまった、ともいえないだろうか。
音を判断しすぎていないだろうか。

Date: 9月 20th, 2016
Cate: ショウ雑感

2016年ショウ雑感(その6)

私も、そんなふうに斜に構えていた時期はあった。
オーディオショウでいい音なんて聴けっこない、と、
自ら楽しむことを放棄するような態度だったことがある。

でも徹底的に楽しんでみよう、と思った。
十年以上の前のことだ。
ちょうど三日間とも行けるようにスケジュールが調整がついた。
だから三日間とも朝十時から最後まで会場にいて、すべてのブースを何度も廻ったことがある。

朝一から会場にいると気づくことがいくつもある。
どんなことだったのかは具体的には書かない(書けない)が、
朝一だからこそ見れることがある。

それから各出展社の音も、出展社によっては変ってくる。
初日よりも二日目の方が良くなっているところもあった。

三日間、最初から最後までいると気づくことは多い。
何も気づくことなどない、という人は、どこに行っても同じではなかろうか。

三日目の朝、たまたまエレベーターで菅野先生と一緒になった。
「三日間とも来ているのか」ときかれた。
「はい」と答えた。
「楽しいだろう」と菅野先生が笑顔でいわれた。
「楽しいです」と答えた。正直な気持での「楽しいです」だった。

いまは三日間、朝から行くことは厳しい。
今年もどの日に行けるのかはまだ決っていない。

二時間程度であっても、行けるのであれば行くようにしたい。
行けば楽しい。
楽しむ気持をもっていれば、インターナショナルオーディオショウは楽しめる。

Date: 9月 20th, 2016
Cate: ショウ雑感

2016年ショウ雑感(その5)

あと10日ほどでインターナショナルオーディオショウが始まる。
楽しみにしている人がいる一方で、
オーディオショウではまともな音は聴けないから特に興味はないという人もいる。

インターナショナルオーディオショウでは、前日搬入のはずである。
おそらく出展社ごとに搬入の時間帯が決められている、と思われる。
すべての出展社が一度に同じ時間に搬入を開始してしまったら、
エレベーターの奪い合いになるだろうし、時間のロスは増える。
あらかじめ順番と時間帯が決められていれば、搬入作業はスムーズにいく。

搬入が終れば開墾作業、設置作業。
それから結線して音を出してチェックしていく。
そういう流れであろう。

細かなチューニングはその後から始まるはずだ。
実際にチューニングにさける時間はどのくらいなのだろうか。
そう長くはないと思う。

そんなふうに出される音を聴いても、つまらないだけだろう……、
と言ってしまうのは、簡単なことだ。
誰にだってできることだ。

インターナショナルオーディオショウが現在の会場で開催されるようになって十年以上は経っている。
各出展社のブースもいくつかは変更になっているが、多くは以前からのブースのそのままである。

これだけ長いことやっていれば、そのブースでの音出し、チューニングのノウハウは、
それなりに積み重ねられている、とみていい(そうでないところもあるようだか……)。

ケチをつけようと思えば、どれだけでもケチはつけられる。
でもそんなことをして何も楽しくはない。

楽しむために行くところのはずだ。

Date: 9月 20th, 2016
Cate: ロングラン(ロングライフ)

自分で直すために必要なのは……(その2)

修理対象のアンプについているコンデンサーと同規格であることを優先的に探すのであれば、
容量と耐圧によって違ってくるが、秋葉原よりもインターネットの方がすぐに見つかる可能性が高い。

Digi-KeyRSコンポーネンツがある。
こここでなら、おそらく同容量で同耐圧のコンデンサーが見つかる、と思う。

修理されようとしているアンプは、そうとうに古いアンプのようだった。
その時代は、高音質パーツ、オーディオ用パーツなどは使われていなかった。
しかも、その人はコンデンサーのメーカーにはこだわりはなかったようで、
とにかく同容量・同耐圧のコンデンサーであることが重要だった。

このことを含めてわかってきたのは、その人はどうもインターネットをやられていない。
だから秋葉原のパーツ店を廻っていたようだ。

おそらくメーカーにも電話で問い合せられたのだろう。
電話だったから、修理担当の人は、相手がどういうレベルの人なのか、
おおよその見当がついたからこそ、あえて同容量・同耐圧といったのだ、と推測できた。

ここに書いていることは、私の推測がけっこう入っている。
実際は違っているところもあるだろう。
でも、その人は、同容量で耐圧の高いものであれば大丈夫、といわれたであろう。

修理担当者はそう言ったはずだ。
その人は、どのくらい耐圧の大きいものであればいいのか、とさらに訊ねたのではないだろうか。
何Vだったらいいのか、何Vだったらダメなのか。

メーカーの修理担当者から、ことこまかな指定を欲しがっていたのではないだろうか。
電話で話しているうちに、その人のレベルと性格のある部分が修理担当者にはわかってきたはずだ。

私が店先で聞こえてくる話を五分ほど聞いていただけで、
ある程度はその人のレベルがわかってきた。

修理担当者は、だからその人に合う答を返したのであろう。
私が思っているとおりであれば、このメーカーの担当者はきちんと仕事をしている、といえる。

そのメーカーがどこなのかはわかっているけれど書かない。
型番は不明だが、ゲルマニウムトランジスターが使われている、といっていたから、
相当に古いアンプである。

となると同容量・同耐圧のコンデンサーをその人は見つけたとして、
実際に自分でパーツ交換する段になって、また心配になるのではないだろうか。

ゲルマニウムトランジスターということは50年ほど前である。
そのころのコンデンサーといまのコンデンサーは、
同容量・同耐圧ならばサイズがびっくりするほど小さくなっている。

元のコンデンサーはこれだけの大きさがあるのに、
いまのコンデンサーはこんなに小さい。これで大丈夫なのだろうか……と。