ステレオサウンドについて(その93)
ステレオサウンド 56号には、もうひとつ書評が載っている。
安岡章太郎氏による「オーディオ巡礼」の書評がある。
ここに「〝言葉〟としてのオーディオ」という言葉が登場している。
安岡章太郎氏だからの書評だ、と改めておもう。
*
この本の『オーディオ巡礼』という著名は、まことに言い得て妙である。五味康祐にとって、音楽は宗教であり、オーディオ装置は神社仏閣というべきものであったからだ。
*
この書き出しで、「オーディオ巡礼」の書評は始まる。
全文、ここに書き写したい、と思うが、
最後のところだけを引用しておく。
*
しかし五味は、最後には再生装置のことなどに心を患わすこともなくなったらしい。五味の良き友人であるS君はいっている。「死ぬ半年まえから、五味さんは本当に音楽だけを愉しんでましたよ。ベッドに寝たままヘッド・フォンで、『マタイ受難曲』や『平均律』や、モーツァルトの『レクイエム』をきいて心から幸せそうでしたよ」
*
書き出しをもう一度読んでほしい。
「オーディオ巡礼」と「虚構世界の狩人」の書評は、
見開きページにあわせて載っている。
この約一年後に、瀬川先生も亡くなられるとは、まったくおもっていなかった。