Date: 11月 10th, 2016
Cate: ステレオサウンド
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ステレオサウンドについて(その92)

岡先生による「虚構世界の狩人」の書評の見出しには、
「瀬川さんの知られざる一面がわかるエッセイ集」とつけられている。
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 オーディオ評論を純粋にハードの面からやっている人は別として、聴いて何かを書くという(それがわが国のオーディオ評論のほとんどなのだが)場合、音についてのいろいろなことを文章でいうということは本当にむずかしい。聴感で何かをいうとき、どうしても音楽がどういうふうに鳴ったか、あるいは聴こえたか、ということを文章に表現するために苦労する。そのへんのことで一ばん凝り性なのが瀬川さんであることはいうまでもない。しかし、その背後に、どういう音楽観をもっているかということがわからなくては、評価にたいする見当はつけられないわけである。だから、何らかのかたちで、音楽やレコードについて語ってくれると、手がかりになる。ある音楽なりレコードなりを、こういうふうにきいたとか、作品を演奏・表現についての見解が具体的に書かれたものが多ければ多いほど、そのひとがオーディオ機器についてものをいったときの判断の尺度の見当がついてくるものである。大ていのオーディオ評論家はそういう文章をあまり書かないので、見当をつけることもむずかしいどころか、何のことかわからぬ、というヒアリング・テストリポートが多いのである。
 瀬川さんが、音楽をよく知り、のめりこんでいることは、一緒にテストをやる機会が多いぼくは、いつも感心している。いろんな曲の主題旋律をソラでおぼえている点ではとてもぼくなんかかなわないほどで、細かいオーケストレーションの楽器の移りかわりまで口ずさんだりするのにおどろかされる。そういう瀬川さんの知られざる一面が、本書によってかなり明らかにされているのである。
 本書を読んで、瀬川さんのテストリポートを読みなおしてごらんなさい。きっと納得されるところがおおいはずだ。
 瀬川さんは何か気にいったことにぶつかると、ひととおりやふたとおりでないのめりこみかたをする。時にははたで見ていてハラハラするようなこともある。そんな瀬川冬樹の自画像としての本書は、最近やたらと出ているオーディオ関係の本のなかでも、ひときわユニークな存在となっているのである。
     *
岡先生らしい書評だ、いま読んでもそう思う。
瀬川先生の文章からは、背後にある音楽観が伝わっていた。

いまのオーディオ評論家と呼ばれている人たちも、音楽について書いてはいる。
それで、その人がどんな音楽を好きなのかはわかる(わからない人もいるけれど)。
けれど、それで音楽観がこちらに伝わってくるわけではない。

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