Archive for category テーマ

Date: 10月 24th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、カセットテープのこと(その5)

写真家の野上眞宏さんのところに、
メリディアンの218が入って、ほぼ一ヵ月。

野上さんによると、mp3の音もいい、ということ。
今日は野上さんのところでいろいろな曲を聴いたあとで、mp3の音源も聴いた。

それまで聴いていた音とは、はっきりと違う。
違うけれど、他の機器で聴くmp3音源の嫌な感じは気にならない。
ない、とさえいいたくなる。

それに音の印象が、実にカセットテープの音の印象そのままに感じる。
高校生のころ、
レコード(アナログディスク)をカセットテープにダビングした音を思い起こさせる。

低音域も高音域もナロウレンジになっている。
ダイナミックレンジも狭くなっている感じがある。

それに不安定とまでいうといいすぎかもしれないが、安定感にはかける。
ふわふわした感じがつきまとうなど、
私がカセットテープに抱いている印象そのままで鳴っている。

悪くない。
これだったら、しばらく聴き続けていられる。ちょっと意外な感じがした。

こんなことを書くと、
MQAは非可逆圧縮、mp3も非可逆圧縮。
非可逆圧縮音源の再生が得意なD/Aコンバーターなんだろう──、
そんなことを言い出す輩がいるはず。

mp3はデータ量が少ないからひどい音で、
ハイレゾ音源のようにデータ量の多いものはいい音で、
そうであってこそハイ_・フィデリティだ──、
つまり二つの音源の違いがはっきり出たほうがいい、というのか。

私はmp3でしか聴けない音源があるのだから、
mp3がカセットテープのような感じでもいいから、
聴いていて苦痛になるような感じが払拭されている218での音は、歓迎する。

Date: 10月 24th, 2019
Cate: 世代

世代とオーディオ(老害、独断と分断・その1)

老害とは、
企業や政治の指導者層の高齢化が進み,円滑な世代の交代が行われず,組織の若返りがはばまれる状態、
と大辞林には、そう書いてある。

オーディオの世界でも、老害について書かれていることを、
SNSでもみかける。
割と多いのではないか、とさえ思うほど、頻繁にそうであったりもする。

それほど熱心にSNSをチェックしなくなったので、
たまたまみかけた、そういう書き込みについての印象でしかないのだが、
この人が指摘している老害は、ほんとうに老害なのだろうか、
と一言返したくなることもないわけではない。

面倒なので返信したりしないのだが、
老害といっておけば、それに賛同する人が必ず現れるというのが、
SNSの、オーディオに関する投稿ではないのか。

五年前に、twitterに、
《年寄りの話をきちんと聞けない、年寄りと会話できない人はオーディオに向いてない、と断言できる。》
と投稿した。

これに数年後、書いたことを忘れたころに返信があった。
見知らぬ人、フォローもしていない人からだった。

そこには、老人の話ばかりを有難がって、
若者の意見に耳を貸さないのは老害である──、
そんなことが書かれてあった。

どんな人なのかは、まったくわからなかったけれど、
おそらく私よりも若い人なのだろう、かなり若い人なのかもしれない。

その人の返信を読みながら、こんなふうにとらえるのか、とがっかりもした。

Date: 10月 24th, 2019
Cate: High Resolution

メリディアン 218を聴いた(喫茶茶会記の場合・その5)

今回、Windowsを触って思うのは、
音楽を聴くためにWindowsは使いたくない、ということを再確認していた。

Windowsを使うのに抵抗のない人はそれでいいのだろうが、
私はどうしても嫌である。

自分のところではいろいろ試すのもいいが、
喫茶茶会記でのaudio wednesdayでは、Raspberry Piの導入を考えはじめている。

Raspberry Piの基板にはI2Sのコネクターがついている。
I2SをSPDIFに変換するドーターボードも、いくつか市販されている。
どちらも数千円で購入できる。
サイズも小さい。

Raspberry Piには以前から興味をもっていたけれど手を出すことはしなかった。
単に面倒がっていただけである。

でも218の喫茶茶会記への導入を機に、Raspberry Piの導入は、
優先順位として高くなりつつある。

Raspberry Piをいじるようになったらなったで、
CDプレーヤーの、なんだかんだいっても完成度の高さを実感するようになるような気がする。

CDプレーヤーは第一世代から、
ステレオサウンドの試聴室でじっくりと触ってきている。

そのころのCDプレーヤーはプログラム再生を試すと、
動作がおかしくなって、電源を一度落さなければならないモデルも、
実を言うといくつかあった。

そういう時代から知っているだけに、
よけいに完成度ということを思ってしまう。

Date: 10月 23rd, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、音の量感のこと(その6)

BCIIにしても、LS3/5A、そしてPM510も、
その音を最初に聴いたのは、CDではなくアナログディスクでの音で、だった。

どのスピーカーも、CD以前に登場している。
そういう時代に、これらのスピーカーの音を聴いて、みずみずしい音というものを知った。
知った、といえるし、出逢えた、ともいえる。

これらのなかでLS3/5Aは、いまも人気のあるスピーカーだし、
復刻版や各社から、いくつものLS3/5Aか出ている。

それでも、私が十代のころ体験できた、あのみずみずしい音を、
いまの若い人たちが体験できるのかというと、
周りの状況がずいぶんと違ってきているし、
LS3/5Aも、いまではLS3/5aになって、音そのものの変化もあるだろうから、
なんともいえない。

みずみずしい音の認識、捉え方が違っていても仕方ないのか、と
なかばあきらめもあるが、
それでもみずみずしい音、
私がずっと求めてきているみずみずしい音を、
誰もが聴く機会がもてるようになってほしい。

そこに昨秋、メリディアンのULTRA DACを聴く機会が訪れた。
MQA-CDの音を、ULTRA DACで初めて聴いて、驚くとともに嬉しくなった。

みずみずしい音が、
本音でみずみずしいといえる音が、そこにあったからだ。

ULTRA DACは、喫茶茶会記のスピーカー、
つまりアルテックのユニットを中心としたシステムであり、
私か感じるみずみずしい音を出してくれるスピーカーとは大きく違っている。

それでも、そこからみずみずしい、といえる音が聴こえてきた。

Date: 10月 23rd, 2019
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(理解についての実感・その20)

小林秀雄が語っている。
     *
美の鑑賞に標準はない、美を創る人だけが標準を持ちます。人間というものは弱いものだね。標準のない世界をうろつき廻って、何か身につけようとすれば、美と金を天秤にかけてすったもんだしなければならぬ。
     *
坂口安吾との対談での発言のはずだ。

《美の鑑賞に標準はない》、
七十年以上前に、すでに語られている。

この項は、『「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」』に、
「理解についての実感」という副題をつけて書き始めた。

そのきっかけとなったのは、
ステレオサウンド 207号の特集はスピーカーシステムのテストだった。

そこでの柳沢功力氏のYGアコースティクスのHailey 1.2の試聴記に関して、
avcat氏がツイートしたことが始まりである。
一年ほど前のことだ。

そしてステレオサウンドの染谷編集長が謝罪した、とavcat氏のツイートにはあった。
「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その6)』から、
この件について触れている。

この件については、ずいぶん書いてきた。
一年以上経っている。
染谷編集長は、だんまりだ(少なくとも私が目にした範囲では)。

それにしても……、いまだに思う。
avcat氏は、美の鑑賞に標準はある、と思っているのだろう。
しかも自身の美の鑑賞を標準と思っているようにも思える。

《美の鑑賞に標準はない》、
そういうふうに考えたことは、ないのだろう。

もしかすると染谷編集長も同じなのだろう。
だからこそ、avcat氏のツイートにあるのが事実なら、
avcat氏に謝罪する必要などまるっきりないのに、謝罪という行為を選択した。

だとしたら、けっこうおそろしいことのようにも思えてくる。
ステレオサウンドは、美の鑑賞の標準となろうとしているのか……。

Date: 10月 23rd, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、音の量感のこと(その5)

量感の乏しい(貧しい)音で、
みずみずしい音は絶対に出ない、と、
ずっとみずみずしい音を求めてきた私は断言する。

にも関らず、みずみずしい音と表現されることは案外多い。
そんな試聴記をみかけるたびに、みずみずしい音とは? と、
その試聴記の書き手に問いかけたくなる。

そういえば、清楚に関しても同じように感じる。
こちらは音というよりも、清楚な女性という表現をみかけるたびに思う。

清楚な女優、と見出しにあったりすると、ついクリックして見てしまう。
そこに誰かしらの写真が表示される。

たいていは、いまでは、こういう人を清楚というのか、とがっかりする。
別に、そこに表示される写真の人が美しくない、きれいじゃない、ということではなく、
ただただ清楚とは感じないだけである。

私にとっての清楚と感じる女性は、
十代のころ、そう感じた人がいまもつよく記憶に残っているからなのだろう。

四十年前のことだ。
でも、清楚ということは、四十年前も現在も変るようなことではないはず。
なのにずいぶん変った、と感じてしまう。

みずみずしい音も同じなのか、私にとっては。
十代のころ聴いたBBCモニター系列の音、
スペンドールのBCII、ロジャースのLS3/5A(15Ω9、そしてPM510など、
それらの音を聴いて、みずみずしい音を知った、といえるのだから。

現行のスピーカーシステムで、みずみずしい音と表現したくなる音は、
すぐには思い浮ばないのだから、ないといえる。

それはそのころはアナログディスク全盛の時代でもあった。

Date: 10月 22nd, 2019
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その20)

エソテリックのデザイン担当者は、音楽好きなのだろうか。
音楽が好きだとして、いったいどんな音楽を聴いているのだろうか。
そして、どんな音楽の聴き方をしているのか。

そんなことを考えてしまうのは、
エソテリックのデザインからは、一切の調和という要素を感じないからだ。

(その19)でも書いているように、しつこくくり返すが、
オーディオというシステムはコンポーネントである。
他社製のオーディオ機器と組み合わせて使われる、ということだ。

エソテリックの製品だけで、音を鳴らすことはできない。
エソテリック聖のCDプレーヤーはある、
トランスポート、D/Aコンバーターもある、
コントロールアンプ、パワーアンプもある。

ここまではエソテリックだけで揃えられる。
けれど肝心のスピーカーシステムは、エソテリック製はない。

エソテリック扱いのスピーカー・ブランドは二つ、タンノイとアヴァンギャルドがあるが、
タンノイのスピーカーとエソテリックでまとめたプレーヤー、アンプ群、
これらのシステムにデザインの調和があるとは、私は感じない。

アヴァンギャルドにスピーカーをかえても、同じだ。
そこになんらかの、わずかでもいい、調和を感じる人はいるのか。

そんなことをおもうから、エソテリックのデザイン担当者は、
音楽に調和ということを感じていない人だと思ってしまう。

少なくともクラシックを聴く人ではないはずだし、
いやクラシックを聴いています、と反論されても、
ずいぶん、というか、私とはまったく違う聴き方をしている人としか思えない。

Date: 10月 22nd, 2019
Cate: 「オーディオ」考

「音は人なり」を、いまいちど考える(その14)

どんな時でも、同じ音が、自分のオーディオから鳴っている──、
そう心底思っている人は、まぁオーディオマニアではない、といえる。

いつ聴いても、ウチの音はいい音だ、
そう思い込んでいられる人は、シアワセだ。

そういう人にとって「音は人なり」を、重たく感じることはないはず。

けれど、実際は同じ音、さらにはずっといい音が鳴っているわけではない。
これ以上美しい音はないのでは……、
そんなふうに思える音が鳴る時がある。

そういう時であれば「音は人なり」は、
これ以上ない讃美のことばとして、受け止められる。
昔の人は、いいことをいったなぁ、と思うことだろう。

でも、それはずっとは続かないどころか、
あっさりと消えてしまったりする。
消えてしまうどころならば、まだいい。

どうして、こんなひどい音しか鳴らないのか、そう嘆く日もある。
そういう時も「音は人なり」である。
「音は人なり」を正面から受け止めなければならない。

箸にも棒にもかからない、そんなふうに表現するしかない音であっても、
どこまでも「音は人なり」はついてまわる。

都合のいいときだけの「音は人なり」ではない。

Date: 10月 22nd, 2019
Cate: 「オーディオ」考

「音は人なり」を、いまいちど考える(その13)

自己模倣から逃れられない──、
そうみえるオーディオマニアがいる。

私が勝手にそう想っているだけで、
他の人からみればそんなことはない、ということになることだってあるし、
当の本人にしてみれば、たとえそうであったとしても、よけいなお世話ということになる。

どこそこの誰が、自己模倣のまま、と指摘したいわけではない。
考えているのは、なぜ自己模倣をしてしまうのか。

別項「続・何度でもくりかえす」で、
無為に耐えられないから、ついつい手を出してしまう、と書いた。

とにかく、なにかあるとどこかいじっている人がいる。
時には屋上屋を重ねる的なことを、何度もくり返している人がいる。

もう少し、じっくり腰を落ち着けて音楽を聴いてからでも、
オーディオをいじるのは遅くないどころか、
昔からいわれているように、そのほうが確実である。

にもかかわらず、ここを変えたら……、
そんなことをずっと言っているオーディオマニアがいる。

そういう人たちは、無為に耐えられないのだろう、と思っている。

自己模倣の人たちも、同じに思う。
無為に耐えられない人なのだろう、と。

Date: 10月 22nd, 2019
Cate: 真空管アンプ

現代真空管アンプ考(その27)

真空管アンプではどうしても不可欠になってしまうトランス類、
これらをどう配置して、どう取り付けていくのかについて、
こまかく書いていこうとすると、どこまでも細かくなってしまうほど、
やっかいな問題といえる。

それに真空管アンプを自作される人ならば、
こうやって文章だけで伝えてもイメージされるだろうが、
自作されない方のなかには、なかなかイメージしにくいと思われている方もいるのではないか。

ここまで書きながら、もう少し具体的に、
もう少しイメージしやすいようにしたい、と考えていた。

なので、過去の真空管アンプで、
私が考える現代真空管アンプに近いモデルはあっただろうか、とふり返ってみた。

マランツの管球式アンプ?
マッキントッシュ?

いくつかのブランド名とモデル名が浮びはするが、
どれも違うな、と思う。

結局、QUADのIIが、意外にも、
私が考える現代真空管アンプに近いようにも感じている。

ここで考えている現代真空管アンプとは、
あくまでも自分の手でつくれる範囲において、である。

加工機械を駆使して、金属ブロックからシャーシーを削り出して──、
そういうことまでは、ここでのテーマではない。

もちろん理想の現代真空管アンプとは? ということは考えながらも、
個人でつくれる範囲に、どうもってくるのか。
それもテーマの一つである。

そういう視点で眺めてみると、
QUAD IIというモデルこそが、という想いが確固たるものになってくる。

Date: 10月 21st, 2019
Cate: ロングラン(ロングライフ)

どこに修理を依頼したらいいのか(修理にまつわる難しさ)

この項で、二つの修理業者について以前書いた。
その一つの業者について、悪い、とまではいかないまでも、
いい評判ではなくなっている、というウワサを耳にした。

そこに修理を依頼したことはないから、
はっきりとしたことはいえない。

それに修理業者の評判は、難しい。
ある人が、故障したオーディオ機器を、どこかに修理に出す。
戻ってきた製品を、どう評価するのか。

たとえば、あるオーディオ機器を二台以上所有していて、
同じ時期に、同じ箇所が故障したばあいは、
一台はA社、二台目はB社に修理に出して、
戻ってきて、両社の修理の出来ぐあいを比較するならば、
そこそこにきちんとした判断はできようが、
たいていの故障は、そういう状況ではない。

一台しか持っていないオーディオ機器が故障して、
どこかに修理に出すわけだ。
修理から戻ってきたモノを、何かと比較することはできない。

結局、なんとなくの印象で、修理業者は評価されているところもあるはずだ。

そして、信頼できそうな修理業者は少ない。
だから、そういうところに修理依頼は集中するであろう。
そうなると、以前とは違ったトラブルとはいえない些細なことだって起るかもしれない。
でも、それは人によって受け止め方が違ってもくる。

さらに個人で修理を請け負っているところはそうではないが、
複数の人たちでやっているところだと、人の入れ替りもあるはず。
いろんな変化が起っているだろうし、これからも起るだろう。

よさそうなところがそうでなくなってしまう。
残念だけど、あり得ることだ。

ただ、それは業者側だけの問題なのだろうか、と思うから、
こんなことを書いている。

修理を依頼する側、つまりオーディオマニアの態度も、
時によって、人によって、修理業者を困らせ、
やる気を失わせているのかもしれない。

信頼できる、腕のいい修理業者がいなくなって困るのは、
われわれオーディオマニアだ、ということを忘れないでいただきたい。

Date: 10月 21st, 2019
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その19)

十年前に、
別項でエソテリックの当時のプリメインアンプA100のデザインについて書いた。

そこでも書いているが、A100の中身は力作だと思う。
けれど、なんとも、あの人の顔を連想させる、
しかも聖飢魔IIのデーモン閣下のメイクにも似ていて、
A100の写真を見る度に、どうして、こんなデザインにしたんだろうか、と思っていた。

これも別項で書いているが、
エソテリックのデザインは、A-Z1、S-Z1のころからおかしくなっていた。

それでも、A-Z1、S-Z1のころは、
こういうカーヴがつくれるようになったという、
いわば腕試し的な面もあっただろうから、
徐々に洗練されていくかもしれない、と期待も同時に持っていた。

洗練されていった──、
と、おそらくオーディオ雑誌とかオーディオ評論家はいうのかもしれないが、
私の目には、より手間をかけて醜悪になっていった、としか映らない。

いまのエソテリックのデザインを、有機的とかいう人がいるのだろうか。
そういう意図があるのかもしれないが、それでもくり返すが醜悪だ。

いまのエソテリックのデザインを見ると、
エソテリックのデザイン担当者(デザイナーとは書くのには抵抗がある)は、
どんな考えを持っているのだろうか。

オーディオは、これまで何度も書いてきているように、
コンポーネント(組合せ)である。

アンプ一台で音が鳴るわけではない。
CDプレーヤーだけで、音が鳴るわけではない。

すべてが揃って、音は鳴るのが、オーディオというシステムであり、
オーディオマニアの空間には、さまざまなオーディオ機器が並ぶ。

そこにエソテリックの機器を置いた状態を、
エソテリックのデザイン担当者は、どう考えているのか。

Date: 10月 21st, 2019
Cate: 映画

映画、ドラマでのオーディオの扱われ方(その8)

Netflixオリジナル・ドラマ「マインドハンター」のオープニングは、
一台のポータブル型オープンリールデッキをアップで映し出す。

最初見た時、たいてい、こういうところに使われるのはナグラというイメージが、
私の中にすでにあったものだから、ついナグラ? と思って見ていた。

けれど、どうも違う。
だからといってステラヴォックスではないことは、
VUメーターの形状などからいっても明らか。

では、どこのメーカー? と思い、もう一度見たら、
ソニーのTC5550だとわかった。

ドラマ本編を何本かみていくと、主人公がTC5550を抱えていくシーンが出てくる。
そこでもはっきりとするわけだが、
オープニングのシーンは、実物のTC5550よりも魅力的に見える。

ポータブル型オープンリールデッキといえば、かっこいいのはナグラ、
そういう図式ができあがってしまっていただけに、
ソニーのTC5550の良さに気づかなかったともいえる。

とはいえドラマ本編に登場するTC5550は、デカいな、と思う。
そう思うと、もうかっこよく見えなくなってしまうけれど、
またオープニングを見てしまうと、なかなかいいなぁ、と思ってしまうから、
不思議といえばそうだけど、オープニングを演出した人、カメラマンの腕が見事なわけだ。

Date: 10月 20th, 2019
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その18)

このブログも、10,000本まで残り250本を切った。
2019年以内には目標だった10,000本になる。

だから、そろそろはっきりと書いていこう、と決めた。
はっきりとブランドを書くことは抑えてきた。

でも、もう書いていこう。

デザインの店頭効果。
デザインのオーディオショウ効果。
デザインのオーディオ雑誌効果。

これをまとめて、デザインの店頭効果としよう。

最近の、一部のオーディオ機器のデザインを見ていると、
こんなことをいいたくなってくる。

デザインの店頭効果の代表例といえるのが、エソテリックの製品群である。

エソテリックの製品の仕上げ、特にフロントパネルは、
仕上げに時間もお金もかけていることはわかる。

けれど、それをもって、エソテリックのデザインが優れている、とはいえない。
はっきりいえば、エソテリックのデザインはひどい、というより醜い、と感じる。

ますます醜悪さがひどくなってきている、と感じている。
時間とお金をかけて、醜いモノを世に出す。

なぜ、オーディオ評論家は、エソテリックのデザインを褒めるのか。
褒めないまでも、何もいわないのか。

本気で、エソテリックのデザインに美を感じているのか。

Date: 10月 20th, 2019
Cate: イコライザー, 平面バッフル

メリディアン 218のトーンコントロールと平面バッフル

audio wednesdayで、一度はやってみたいことがある。
平面バッフルを持ち込んでの音出しである。

といっても、2m×2mという大きな平面バッフルではなく、
1m×1m程度の平面バッフルに、15インチ口径の同軸型ユニットを取り付けて──、
それを、以前からやりたいと思っていた。

1m×1m程度の平面バッフルでは、どうしても低音は不足がちになる。
トーンコントロールである程度は補える。

マッキントッシュのMA7900には5バンドのトーンコントロールがついている。
ある程度の補整はできるだろう──、
と思ってはいたが、もうひとつ本気になって考えるほどにはなれなかった。

でもメリディアンの218のトーンコントロールの実力を聴いて、
これならば、と考え直している。

218のトーンコントロールは、低音域に関しては+5dBまでのブーストである(高音域は+10dB)。
それでどこまでやれるのか、やってみないとわからないところもあるが、
なんとかやりそうな感じがするからこそ、
ここにきて、やりたい気持が強まっている。

もうひとつ試してみたいのは、
セレッションがSL600用に開発したSystem 6000である。
このウーファー部を、218のトーンコントロールで補整する。

いい結果が得られそうな予感は、しっかりとある。