Date: 12月 15th, 2019
Cate: 境界線
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感動における境界線(その2)

コンサート会場に行き、そこで音楽を聴くのであれば、
それもクラシックのコンサートであれば、
演奏者と聴き手のあいだに、誰かが介在するということはない。

フルトヴェングラーの「感動とは人間の中にではなく、人と人の間にあるものだ」におるける
「人と人」とは演奏者と聴き手ということになる。

けれど同じコンサートでも、PAを使っているとなると、話は微妙に違ってこよう。
演奏者と聴き手のあいだには、何人かの人たちが介在することになる。

そこにはマイクロフォンがありミキシングコンソールがあるのだから、
それをコントロールするミキサーの存在があり、
スピーカーからの音を聴き手は聴くわけだから、
ミキサーという人がまず介在する。

となると「人と人」とは、この場合、どう変化するのか。
演奏者と聴き手のあいだに、うっすらとミキサーがいる。
演奏者とミキサーは、いわば送り手側、聴き手は受け手側なのははっきりしている。

それでもミキサーは、聴き手でもある。
聴き手という送り側でもある。

こう捉えると、レコード(録音物)で音楽を聴く場合と似ている、
というか、同じだということに気づく。

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