Archive for category テーマ

Date: 11月 15th, 2020
Cate: 映画

TENET(補足)

一ヵ月ほど前に、映画「テネット」の音について書いた。

こんな記事があるのを見つけた。
クリストファーノーラン、音がうるさすぎてセリフが聞こえないと文句を言われショックを受ける

ノーラン監督がショックをうけたのは、
《人々がサウンドに関してはこんなにも保守的なのかということに気付いて》である。

「テネット」のサウンドに関しては、《急進的なミックス》ともいっている。
この記事を公開しているシネマトゥデイのサイトで、
「テネット」の音に関しての記事が、もう一本あった。

『TENET テネット』音楽にノーラン監督の呼吸音を使用

「テネット」の音楽を手がけているのは、ルートヴィッヒ・ヨーランソン。
シネマトゥデイの記事では、
「今回のスコアの大部分は、何の音かいまいちわからないギター音や周囲音だったりする。人の呼吸音なども使っているんだ。これはクリストファー(・ノーラン監督)が考えついた案で、クリストファーが自らマイクに吹き込んでくれた呼吸音を細工して、不快な音に仕上げているよ」
とある。

結果として仕上がった音に、ノーラン監督は、
《音色そのものが映画のDNAに織り込まれているかのよう》と語っている。

音色とあるが、私が映画館で体験できたのは、音触といいたいものだった。

Date: 11月 15th, 2020
Cate: 1年の終りに……

2020年をふりかえって(その3)

大塚久美子氏の経営手腕については、
かなりの人がさまざまなことを書いている。

すべてを読んでいるわけではない。
検索してまで、すべてを読むようなことはしていない。

目に入ってきた記事だけを読んできたわけだが、
それらのなかには、大塚久美子氏が家具が好きではないことに触れていた記事は一本もなかった。

そういうことは、経営について記事を書く人にとってはどうでもいいことなのだろうか。

私は経営の専門家ではないから、大塚久美子氏が家具が好きではないことが気になっていた。
すべての会社のトップが、その会社が扱っているものを好きなわけではないはずだ。

経営手腕が優れていれば、会社のトップとしてやっていけるものだろう。
それでも業種によっては、扱っているものへの感情は無視できないのかもしれない。

五年前、近くにいた大塚家具の社員の数人は、みな家具好きのようだった。
当時の大塚家具の社員みなが家具好きなのかどうかまではわからない。

けれど現場に出向いて仕事をしている社員の人たちは、家具好きなようである。
彼らはその後、どうしたのかは知らない。

大塚勝久氏があらたに創業した会社に移ったのかもしれない。
それとも別の会社に転職したかもしれない。
少なくとも、あのまま大塚家具で仕事をしているとは考えにくい。

大塚久美子氏が家具好きな人であったら、大塚家具の現状は大きく違っていたのか。
経営手腕が同じならば、そうかもしれないと思うし、
それでもダメだったのかもしれないが、どうなっていたであろうか。

大塚家具をみていると、オーディオの会社はどうだろう、とやはり思ってしまう。
今年は、特にそう思っていた。

Date: 11月 14th, 2020
Cate: 1年の終りに……

2020年をふりかえって(その2)

すこし前に、大塚家具の大塚久美子社長が辞任する、というニュースがあった。

五年前の3月、大塚家具の株主総会があった日に、
たまたまなのだが、大塚家具の社員数人が近くにいた。

彼らは仕事中でも、携帯電話をしきりにみていた。
株主総会の行方が気になってのことだった。

結果が出て、彼らはみな驚いていた。
彼らは大塚勝久氏が勝つものだと信じていたようだった。

なので、これからどうなるんだろうか……、と不安顔でもあったし、
次の言葉が印象に残っている。

「久美ちゃん、家具、好きじゃないからなぁ……」
そう言っていた大塚家具の社員は、みた感じ30代ぐらいの女性だった。

大塚久美子氏は、五年前の時点では、社員から久美ちゃんと呼ばれていたようだ。
家具が好きじゃない人が、家具会社の社長になる。

このことを、ある人に話したところ、
その人は、
「大塚久美子氏は一橋大学を出て、MBAも持っている。これからの大塚家具は、だから伸びていく」、
自信満々で、私にそう言った。

そういうものだろうか、と思いながらきいていたけれど、
反論する気はなかった。
その人は、自分が正しい、といわんばかりだった。

その人の予想が外れたことはどうでもいいことであって、
家具が好きでない人が会社のトップに就く。

このことがあったから、五年前から、大塚家具のゆくえが気になっていた。

Date: 11月 14th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(「三島由紀夫の死」から50年)

昨晩『「三島由紀夫の死」から50年』を公開したあとで、
気づいたことがある。

いまごろなのか、と自分でも呆れ気味ではあったが、
それでも気づいたことがある。

マンガもそうだった。
私がマンガに夢中になっていたころ第一線で活躍していたマンガ家たち、
手塚治虫を筆頭に、石森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄、水島新司、
ここで名を挙げた人たちはみな戦争を体験している。

戦後生れのマンガ家ももちろん大勢いて、活躍していた。
戦前生れのマンガ家も第一線にいた、というより、
この人たちがまさしく第一線だった。

オーディオ評論家も、私にとってはそうである。
私がオーディオ評論に夢中になっていたころ第一線で活躍していたオーディオ評論家たち、
みな戦争を体験している。

いまのオーディオ評論家はどうだろう。
柳沢功力氏は戦前の生れなのだが、ほかの人たちとなると、
みな戦後の生れである。

読み手側はどうだろうか。
ステレオサウンドの読者は高齢化していることは、
ステレオサウンドが発表している資料からもわかる。

今年(2020年)は、戦後75年。
75歳以上の読者となると、高齢化しているとはいえそう多くはないはず。
ステレオサウンドの読者ですら、戦後生れが大半となっている。

こういうことを書いている私も戦後生れだ。
ただ戦後生れでも、親が戦後生れなのかどうかは、どこかで関係しているのではないだろうか。

私の父と母は戦前生れだから、戦争を体験している。
私の場合、戦前生れの両親をもち、戦争を体験してきた人たちの書いてきたものを、
熱心に読んでいたわけだ。

戦後生れの両親のもとで、
戦後生れの人たちの書いてきているものをリアルタイムに読んできた世代も、
いまではけっこういるであろう。

世代の分断とは、こういうところが意外なところで関係しているような気がしてきている。

Date: 11月 13th, 2020
Cate: ディスク/ブック

Elgar: Cello Concerto, Op. 85 & Sea Pictures, Op. 37(その1)

2019年夏、
ジャクリーヌ・デュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲がMQA-CDで出た。
もちろん購入した。

このディスクは、
2011年に行われた96kHz、24ビットのマスターを、
176.4kHZ、24ビットに変換されたものが収録されている。

今年は、バルビローリ没後50年にあたり、
夏に“SIR JOHN BARBIROLLI THE COMPLETE WANER RECORDINGD”が出た。
109枚組である。

いうまでもなくデュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲の指揮者は、バルビローリである。
この全集は、MQA Studioの192kHz、24ビットで、一枚ずつ配信が始まっている。

デュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲の、その一枚としての配信である。
なので当然MQA Studioのはずである。

ワーナーミュージックのサイトには,
11月27日に配信されるのは、96kHz、24ビットでの、2020年のマスターとある。

全集CDは、192kHz、24ビットでリマスターされている。
ということは、192kHzで配信されるのか。

96kHzでも192kHzでも、どちらであっても買う。
2011年と2020年のリマスター、大きな差はないように思っているが、
こればかりは聴いてみないことにはわからない。

Date: 11月 12th, 2020
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その14)

2016年のaudio wednesdayから音を鳴らすようになった。
2017年10月のaudio wednesdayで、アルテックの2ウェイ+グッドマンのDLM2という構成から、
アルテックの2ウェイ+JBLの075という構成へと変った。

高音域が、そのことによって拡がった(ワイドレンジになった)とはいえないが、
「いろ(ジャズ)」のワイドレンジに向った。

2020年7月のaudio wednesdayから、タンノイのコーネッタを鳴らしている。
ユニットはHPD295Aだから、ワイドレンジとはいえないが、
かといってナロウレンジのユニットでもない。

良質のトゥイーターを、ほんのちょっとだけ、かなり上の帯域でつけ足したい気持もあるが、
どのトゥイーターをもってきたとしても、
コーネッタのエンクロージュアの上において、しっくりおさまるかということになると、
まったく思えない。

音的にはうまくいくだろうが、見た目が……、となることだろう。

コーネッタは、いまの尺度からすれば、もうナロウレンジになるであろう。
それでも「かたち(クラシック)」のワイドレンジということでは、
ナロウレンジではない、とはっきりといえる。

Date: 11月 12th, 2020
Cate: audio wednesday

第118回audio wednesdayのお知らせ(Beethoven 250)

いまのところ12月のaudio wednesdayはやる予定ですが、
新型コロナの感染者数の増加次第では、中止するかもしれません。

いつも小人数で、ほぼ常連の方ばかりなので、
新しい方が来られる、大勢の方でいっぱいになることはないのでしょうが、
これまで来られた方だけに限らせていただくかもしれません。

11月29日に、どうするのか告知します。

Date: 11月 12th, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その13)

マークレビンソンのLNP2のインプットアンプのゲイン切り替えは、
NFB量を変えて行っているため、
単純にインプットレベルのポテンショメーターを絞った状態だから──、
といったことは言い難いところはある。

ゲインをあげれば、その分だけNFB量が減っているわけで、
そのことによる音の変化は当然ある。

ゲインを高くして、レベルコントロールを絞り気味にして使うのか、
ゲインを低めにして、レベルコントロールをできるだけ絞らずに使うのか。

ボリュウム(ポテンショメーター)の音の影響を考えれば、
できるだけ絞らずに使う方が好ましい、と考えられる。

それでも私がオーディオに興味を持ち始めたころには、
すでに余剰ゲインによる音のよさ、といったことがいわれていた。

システム・トータルのゲインを高くとったうえで、
ボリュウムを絞り気味にしたほうがいい、ということがいわれていた。

もちろん、一方で、そういった余剰ゲインは要らない。
余剰ゲインの分だけアンプを減らして、ボリュウムはできるだけ絞らずに使う、
そのほうが音がいい、という意見もあった。

LNP2では、インプットアンプのゲインを高くして、
つまり余剰ゲインを確保したうえで、ボリュウムは絞り気味にして使う。
そのほうが、なぜか好ましいように感じた。

20代のころは、LNP2に搭載されているポテンショメーターの質が高いからなのか、
とも考えたことがある。

LNP2のポテンショメーターはスペクトロール製で、かなり高価だった。
それに比べ、国産の普及クラスのプリメインアンプのそれは、ずっと安価だった。

スペクトロール製だから、絞り気味でも大丈夫なのか。
グリッドチョーク的ケーブルについて書いていて、
なんら関係のないLNP2のことを持ち出したのは、
ポテンショメーターを絞り気味にするという使い方は、
グリッドチョーク的ケーブルの直流域の抵抗の低さに通じるからである。

Date: 11月 11th, 2020
Cate: Pablo Casals, ディスク/ブック

カザルスのモーツァルト(その6)

一週間前のaudio wednesdayで、
カザルスのモーツァルトを鳴らしてからというもの、
頭のなかで、カザルスのモーツァルトが流れている。

剛毅な、といいたくなるカザルスのモーツァルトは、
耳に残るし、心に残る。
それを反芻している。

意識的に、というよりも、ほぼ無意識的に、といったほうがいい。
電車に乗っていると、ほぼずっとカザルスのモーツァルトが、
頭の中に響いている。

きいたことすら記憶に残らない音楽(演奏)もある。

どちらのモーツァルトを聴くのかは、聴き手の自由である。

Date: 11月 11th, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その12)

1970年代のプリメインアンプには、ミューティングスイッチがついている機種が割とあった。
たいていの機種では、このスイッチをONにすると、20dB減衰する。

私が使っていたアンプでは20dBだったけれど、
機種によっては10dBのものもあったと思う。

このスイッチはどういう時に使うかというと、
音楽を聴いている最中に電話がかかってきたりして、
急に音量を下げたい時に便利だし、
それだけでなく小音量で聴く場合に、
ミューティングスイッチをONにすれば、その分ボリュウムの位置は上になる。

いまでこそ、あまりいわれなくなったけれど、
当時は、ボリュウムは、絞り気味で使うと音が悪くなる──、
そんなことが、オーディオ雑誌によく書かれていた。

聴く音量、スピーカーの能率によっては、
ボリュウムをかなり絞った状態で使うことがある。

真夜中に音量を絞って聴きたい時に、
ボリュウムを絞りすぎると、音がやせることもあったし、
あまり質の高くないボリュウム(ポテンショメーター)だと、
左右チャンネルの減衰誤差が生じて、音量がアンバランスになることもある。

それらを回避するために、ミューティングスイッチを活用する、
ということがオーディオ雑誌に、これまたよく載っていた。

たしかにそうだったのだが、
たとえばマークレビンソンのLNP2を使ってみると、
ほんとうにそうなのか、と思うことがあった。

LNP2のインプットアンプのゲインは切り替えられる。
このゲイン設定によって、LNP2の音は変っていく。

以前書いているのが詳細は省くが、
インプットアンプのゲインは最大にして、
レベルコントロール(ポテンショメーター)を絞り気味で使ったほうが、
意外にも好ましかったりしたからだ。

Date: 11月 10th, 2020
Cate: High Fidelity

原音に……(コメントを読んで・その5)

約二年前の(その1)は、facebokkでのコメントに、
惚れ込めるオーディオ機器との出あいは、
過去に較べると減ってきていると感じていますか、というものがあったからだった。

ここ数年、ソーシャルメディアで目にすることが何度かあったのは、
スピーカーは○○を買ったら、あがりだ、という内容のものだ。

○○には、あるブランドが入る。
私が目にした範囲では、YGアコースティクスかマジコのどちらかだった。
どちらも世評の高いスピーカーである。

マジコのスピーカーは聴く機会がないのでなんともいえないのだが、
YGアコースティクスは聴けば、なるほど優秀なスピーカーだな、と感心する。

でも惚れ込めるスピーカーではない。
この感想は、あくまでも私個人のものであって、
優秀なスピーカーだからこそ惚れ込める、という人もいよう。

惚れ込んで、これらのスピーカーを買う人のことを書きたいのではなく、
YGアコースティクスを買ったら、スピーカーに関してはあがりだ、
マジコを買ったら、スピーカーに関してはあがりだ、という人について、
もやもやとしたものを感じている。

私が若いころ、JBLの4343に憧れていた。
4350の音は、4343よりも、もっとスゴい、と感じていた。
JBLのこれらのスピーカー以外にも、すごいと感じた音のスピーカーはあったし、
欲しい、とおもったモノはいくつかある。

けれど、それらを買ったからといって、
それでスピーカーに関して、あがりだ、と考えたことは一度もなかった。

少なくとも、あのころ、これを買ったらあがり、ということは、まず見かけなかった。
あのころはソーシャルメディアなんてなかったのだから、
もしあったら、いまと変らないのかもしれない。

そう思いながらも、私の周りのオーディオマニアに限ってなのだが、
あがり、という言葉を、スピーカーを手に入れた時に使っていた人はいない。

Date: 11月 9th, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その11)

11月4日のaudio wednesdayでも、グリッドチョーク的ケーブルを試用した。
その10)で書いているように、タムラのA8713の一次側巻線に、
1kΩの抵抗(DALEの無誘導巻線抵抗)と
1000pFのディップマイカコンデンサーを直列したものを並列にハンダ付けした音を聴いてもらった。

ここでも、確かに効果がある。
今回くらいの値だと、効果があるのはなんとなく説明がつくようなところがあるが、
スピーカーのユニットに、数Ωと数pFの抵抗とコンデンサーを接続したときの音の変化は、
どう説明できるのだろうか、といまも迷うところだ。

そうとうに高い周波数では作用しているだろうが、可聴帯域ではほとんど、というか、
まったく特性的には変化ない、といっていい。

電子回路のシミュレーターでも、変化は出なかったそうだ。
けれど音を聴く(聴いてもらう)と、抵抗、コンデンサーの有無による音の違いは、
そうとうにはっきりした もので、一度ありの音を聴いてしまうと、
なしの音は、どこか濁りを感じてしまうし、
人の声を聴けば顕著なのだが、ありの音を聴いた後では、
なしの音は、喉にえへん虫がいるような感じの発声にきこえてしまう。

今回のグリッドチョーク的ケーブルでの音の変化は、
録音の細工的なところが、はっきりと聴きとれる方向への変化だった。

その意味ではモニター的ということになるのかもしれないが、
一般的なモニタースピーカーのもつモニター的なイメージとは、ちょっと違う。
すんなり提示してくれる印象なのだ。

こうなると接続されず開放状態の二次側巻線にも、
このCR方法をやりたくなる。

この比較試聴は、12月のaudio wednesdayの最初のところで行う予定だ。

Date: 11月 8th, 2020
Cate: 1年の終りに……

2020年をふりかえって(その1)

2019年をふりかえって(その1)」で書いているが、
昨年以上に、今年は218のエヴァンジェリストでもあった。

audio wednesdayでは、218を使っていた。
2019年までの218と、いま鳴らしている218の音は、ずいぶん違っている。

昨年9月から自分のシステムで218を鳴らし始めた。
一年が経った。

別項で書いているように、何度か手を加えているからだ。
その218の音を聴いて、「私の218も」という人もいて、
その人たちの218にも手を加えてきた一年でもあった。

昨年の(その1)で、メリディアンの輸入元がオンキヨーに移ったことについて触れた。
どうなるんだろうか、と、おもった。

一年が経ち、どうなるんだろうか……、という心配は大きくなっていっている。
ほぼ一月に一回、オンキヨーのメリディアンのページにアクセスしていた。

たった一ページの告知があるだけで、ずっと変っていない。
今日(11月8日)現在、そのままである。
放ったらかしのまま、といえる。

Date: 11月 7th, 2020
Cate: 「オーディオ」考

「音は人なり」を、いまいちど考える(その20)

「五味オーディオ教室」に、
「聴き手の好みより、再生装置がレコードを選ぶ」という章がある。
     *
 わかりすぎている話で今さらめくが、さまざまな再生装置は、極言すればその数だけのベートーヴェンやモーツァルトの音楽をもつ。私の言いたいのは、だからこそ再生装置の吟味に慎重でありたいし、よりよいものを欲求するのである。いつも言うことだが、一人の男がレコードを集めるとき、彼の再生装置が、おのずからレコードを選択している。彼自身の好みより、この機械のなす選択のほうが、歳月を経るにつれて、強くなる。しょせん音楽を機械で楽しもうなどという文化人は、機械に復讐されるのかもわからない。
     *
これを読んでいたから、
「音は人なり」だけでなく、「人は音なり」ということを考えてしまうし、
「人は音なり」について、何度か書いてもいる。

再生装置がレコードを選ぶ──、
このことに納得するのがオーディオマニアで、
そんなことはない、と否定するのが音楽愛好家──、
という気はまったくない。

それでもなかには、
あくまでも聴きたい音楽(録音物)が主であり、
オーディオは従でしかない、
自分が、気に入ったレコード(録音物)を、
気に入った音で鳴らすオーディオを選んでいるし、
そうチューニングしている、という人がきっといることだろう。

ずっと以前から、そういう人はいた。
いまもいる、と思う。

だからといって、そういう人に問いかけたいことはない。
自問自答することであって、誰かがその人に向っていうことではない。

「人は音なり」ということを、そういう人はおもったことすらないのだろう。

Date: 11月 7th, 2020
Cate: audio wednesday

第118回audio wednesdayのお知らせ(Beethoven 250)

12月2日のaudio wednesdayが最後になるので、自由にやる。

テーマはBeethoven 250だから、ベートーヴェンのみ。
最後にかける曲だけ、誰の演奏にするか迷っているけれど、
何をかけるかは、すでに決めた。

来られた方のリクエストにも応じない。
CDプレーヤーも使わない。
11月のaudio wednesdayと同じで、iPhone 12 Proを使う。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

19時開始です。