リモート試聴の可能性(その3)
(その1)へのfacebookでのコメントで、
自分のシステムの音を一度録音して、そのシステムで再生すると、
音の癖が二倍に強調される、というのがあった。
おもしろい、と思った。
やったことはなかった。
いわれてみて、たしかにそうかも、と思った。
もちろん録音した時点で失われている音があって、
それを再生する時点でも同じである。
とにかく何かが失われた音を聴いて、なにがわかるのか、判断できるのか。
けれど失われたものによって浮び上ってくるものもあるはずだ。
あるからこそ、自分のシステムの音の癖が二倍になって聴けるわけなのだろう。
さきほど公開した「夜の質感(バーンスタインのマーラー第五・続コメントを読んで)」で、
五味先生の文章を二本引用している。
テレビのスピーカー、テレビのアンプ程度であっても、わかる音の違いがある。
むしろピアノのブランドによる音の違いが、曖昧にしか出てこないオーディオの音も、
現実にはある。
ブランド不明のピアノの音というのは、意外に多かったりするどころか、
そのことに無頓着な人もいるから驚くこともある。
おもしろいことに、そういう人は、自分の音を日本一、といってたりする。
冗談でいっているのだろうと思ってきいていると、
本人はいたって本気でそういっているのだ。
そんな人のシステムの音を録音して、
そのシステムで再生することで、その人の音の癖は二倍になるのかもしれない。
けれど、その人は、そんなふうには受けとらない可能性のほうが高いように思う。
癖ではなく、よいところが二倍になったと受け止めるかもしれない。
ならば、その人のシステムの音を、別の人のシステムで、
何人かのシステムの音を録音したものと比較しながら聴かせたらどんな反応をするだろうか。