音を表現するということ(間違っている音・その11)
(その10)で、正確な音、精確な音について、ほんの少しだけふれた。
正確な音も精確な音、
どちらも(せいかく)な音である。
ここにもう一つ、(せいかく)な音を加えるとすれば、
誠確な音だと考えている。
もちろん当て字だ。
けれど「五味オーディオ教室」で、EMTの930stについての文章を読んでから、
誠実な音ということは、つねにあった。
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いわゆるレンジ(周波数特性)ののびている意味では、シュアーV15のニュータイプやエンパイアははるかに秀逸で、EMTの内蔵イクォライザーの場合は、RIAA、NABともフラットだそうだが、その高音域、低音とも周波数特性は劣化したように感じられ、セパレーションもシュアーに及ばない。そのシュアーで、たとえばコーラスのレコードをかけると三十人の合唱が、EMTでは五十人にきこえるのである。
私の家のスピーカー・エンクロージァやアンプのせいもあろうかとは思うが、とにかく同じアンプ、同じスピーカーで鳴らしても人数は増す。フラットというのは、ディスクの溝に刻まれたどんな音も斉しなみに再生するのを意味するのだろうが、レンジはのびていないのだ。近ごろオーディオ批評家の言う意味ではハイ・ファイ的でないし、ダイナミック・レンジもシュアーのニュータイプに及ばない。したがって最新録音の、オーディオ・マニア向けレコードをかけたおもしろさはシュアーに劣る。
そのかわり、どんな古い録音のレコードもそこに刻まれた音は、驚嘆すべき誠実さで鳴らす、「音楽として」「美しく」である。あまりそれがあざやかなのでチクオンキ的と私は言ったのだが、つまりは、「音楽として美しく」鳴らすのこそは、オーディオの唯一無二のあり方ではなかったか? そう反省して、あらためてEMTに私は感心した。
極言すれば、レンジなどくそくらえ!
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この文章を読んだ時から、アナログプレーヤーは930stしかない──、
中学二年のときに思ってしまったし、使ってもいた。
昨晩、audio wednesdayで、コーネッタを鳴らした。
メリディアンの218D/Aコンバーター兼プリアンプとして使っての音を聴いていると、
五味先生の、この文章を思い出す。
だから誠確な音なのだ。