Archive for category 使いこなし

Date: 7月 8th, 2017
Cate: 使いこなし

他者のためのセッティング・チューニング(その3)

Hさんが、audio wednesdayに来られたのは二回。
前回はほとんど話すことがなかった。
どういう音楽を聴かれるのかも、先月のaudio wednesdayでは何もわからなかった。

今月のaudio wednesdayで、CDを持参されたけれど、それだけですぐにわかるわけでもない。
CDが、私のよく聴くものと同じであれば、まだなんとなく想像できても、
私がほとんど聴かないブラジル音楽ともなると、
まずは音を変化させて、Hさんがどういわれるかから、
どういう音を求めてられるのかを探るしかない。

まずマリーザ・モンチの声のイメージが違う、ということで、
トーンコントロールをいじった音を聴いてもらった。
5バンド、すべての帯域を少しずつ調整した。

イメージに近くなった、といわれたので、もう少し調整した。
さらにイメージは近づいた、とのこと。
それでも、自身のシステムで聴かれているマリーザ・モンチのイメージには、
まだまだの感じのようだった。

Hさんのもうひとつ不満は、リズムが流れる──、だった。
マリーザ・モンチの声のイメージが違うというのは、
なんとなくであっても、つかめるところがあったが、
この「リズムが流れる」は、どういうことなのか、つかみかねていた。

何度も会うことがあって、音楽、オーディオの話をよくしている相手であれば、
あれこれ聴いていくことで、イメージをはっきりとさせることもできようが、
ほぼ初対面といえる相手であっては、言葉よりもまず音を聴いてもらうほうがいい。

といっても、トーンコントロールの次に、どこをいじるかは、少し悩んだ。
こまかなところをわずかずつ変化させていっても……、と思い、
音の変化量として、わりと大きくなるところ、
スピーカーのセッティングを四点支持から三点支持に変更した。

Date: 7月 6th, 2017
Cate: 使いこなし

他者のためのセッティング・チューニング(その2)

マッキントッシュのプリメインアンプで、MA7900とMA2275との違いのひとつは、
トーンコントロールにある、といえる。

マッキントッシュのアンプだからMA2275にもトーンコントロールはついていた。
低音・高音の2バンド。
MA7900はソリッドステートアンプということもあって、
5バンド(30、125、500、2k、10kHz)がついてる。

2バンドと5バンドの違いよりも、
トーンコントロールをオン・オフした際の音の差の大きさが、
MA2275とMA7900とでははっきりと違う。

回路的には5バンドよりも2バンドのトーンコントロールのシンプルに思う人もいるだろう。
そうなるとトーンコントロールをバイパスした音と通した音の差は、
MA2275の方が少ないのでは……、となるのかもしれないが、
実際にはMA7900の方が、トーンコントロールのバイパスした音の差は小さい。

まったくないとはいわないが、
このくらいの差ならば、積極的に5バンドのトーンコントロールを使う手もある、
というよりも使わないほうがもったいない。

MA7900トーンコントロールの五つのツマミはすへて動かした。
それほど動かしたわけではない。

とにかくまず、こんな感じかな、とあたりをつけてトーンコントロールをいじった音を、
Hさんに聴いてもらう。
その反応によって、感触を探っていこうと考えた。

Date: 7月 6th, 2017
Cate: 使いこなし

他者のためのセッティング・チューニング(その1)

毎月第一水曜日の夜、
四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記でaudio wednesdayをやっている。

ここでも書いているように昨年からできるだけ音を鳴らしていくようにしている。
昨晩のaudio wednesdayもそうだった。

昨晩は、いつも少し違っていた。
そのことで、喫茶茶会記で鳴らしている音は、
そのために行っているセッティングは、誰のためなのか、と思った。

6月のaudio wednesdayに来られたHさんが、二回目となる昨晩はCD持参で来られた。
ブラジル音楽のディスクだった。

グラシェラ・スサーナをよく聴く私は、
スサーナがアルゼンチン出身ということで、
タンゴ、フォルクローレは、よく聴くとはいえないまでも、聴いてはいるが、
ブラジル音楽は、自ら進んで聴くことはほとんどない。

マリーザ・モンチのディスク”UNIVERSO AO MEU REDOR”をかけたときに、
自宅で聴かれている音と、イメージがずいぶん違う、ということだった。

なので、このディスクに絞って、
Hさんのマリーザ・モンチのイメージ添うようにセッティングを変更することにした。

まずいわれたのは、マリーザ・モンチの音のイメージの違いだった。
喫茶茶会記は、オーディオ店でもオーディオ雑誌の試聴室でもない。
CDプレーヤーやアンプ、スピーカーを他のモノに交換できるわけではない。

ケーブルもあれこれ替えたり、さまざまなアクセサリーを試せるわけではない。
CDプレーヤーもアンプも、スピーカーも、ケーブルもいっさい替えずに、
セッティングだけを変えてチューニングとなる。

だからそこにある機能は使う。
まず使ったのはマッキントッシュMA7900についているトーンコントロールだった。

Date: 7月 2nd, 2017
Cate: 使いこなし

丁寧な使いこなし(その1)

ある時期から、JR東日本は電車を発車させる際に
「ドアを閉めさせていただきます」とアナウンスするようになっていた。

それまでの「ドア、閉まります」「ドア、閉めます」から、
「ドアを閉めさせていただきます」への変更である。

気持悪いな、とまず感じた。
しばらくして気づいたのは、
「ドアを閉めさせていただきます」になってから、
朝夕のラッシュ時に、駅員が何度もくり返していうことが増えていった。

ドアが閉まりかけようとしているのに、無理に乗ろうとする人が続くからのようだった。

駅のアナウンスは、ある種BGMのようなものかもしれないが、
駅の利用者は、意外に聞いている、というか、意識下になんらかの影響を与えているのか、
少なくとも以前のアナウンスのころは、
これほどくり返しいわれることは、ほとんどなかった。

正確に何回くり返されたのかをカウントしたわけではないが、
あきらかに「ドアを閉めさせていただきます」は、何度も何度も耳にするようななった。

それが昨年、もとの「ドアを閉めます」「ドアが閉まります」に戻った。
朝夕のラッシュ時にも、このアナウンスがくり返されることは、はっきりと減っている。

もちろんそれでも強引に乗り込もうとする人はいるけれど、
「ドアを閉めさせていただきます」のころは、そうでない人までが、
ドアを閉めさせまいとして乗っていたのではないだろうか。

「ドアを閉めさていただきます」はへりくだった言い方だ。
そのことを乗客は感じとっている。

決して丁寧な言い方ではない。
JR東日本は、ある時期、勘違いしていた、といえる。
でも、勘違いしていたことに気づいた。

Date: 2月 26th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その19)

ある人が思い切ってスピーカーを買い換えた。
かなり大型で高価なスピーカーシステムである。

買ってすぐに、彼は海外赴任が決った。
彼は、新品のそのスピーカーシステムを、友人に預けた。

ふたりともオーディオマニアで、
スピーカーを買った彼は、友人のオーディオへの取り組みに一目置いていた。
その友人のことを信頼していた。

だから新品のスピーカーの「鳴らし込み」を友人にまかせることにした。
その友人は私の知人であり、
この話を知人からも、スピーカーを買った本人からも何度か聞いている。

ふたりは友情の証しとして、ふたりの信頼関係のひとつの例として話してくれるわけだ。
それでも、私はこの話を、どこか気持悪さを感じながら聞いていた。

他の人はどうかは知らない。
いい話だな、と思いながら聞くのだろうか。

私は、この話を聞く数年前に、(その17)で引用した瀬川先生の文章を読んでいる。
もう一度、このことに関係するところを引用しておく。
     *
 スピーカーの「鳴らしこみ」というのが強調されている。このことについても、改めてくわしく書かなくては意が尽くせないが、簡単にいえば、前述のように毎日ふつうに自分の好きなレコードをふつうに鳴らして、二年も経てば、結果として「鳴らし込まれて」いるものなので、わざわざ「鳴らし込み」しようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ。
 下世話な例え話のほうが理解しやすいかもしれない。
 ある男、今どき珍しい正真正銘の処女(おぼこ)をめとった。さる人ねたんでいわく、
「おぼこもよいが、ほんとうの女の味が出るまでには、ずいぶんと男に馴染まさねば」
 男、これを聞き早速、わが妻を吉原(トルコ)に住み込ませ、女の味とやらの出るのをひとりじっと待っていた……とサ。
 教訓、封を切ったスピーカーは、最初から自分の流儀で無理なく自然に鳴らすべし。同様の理由から、スピーカーばかりは中古品(セコハン)買うべからず。
     *
スピーカーを買った本人であっても、
わざわざ「鳴らし込み」をしようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ、
と書かれている。

それなのに、いくら仲がよくて信頼できる友人であっても、
「鳴らし込み」をまかせてしまうというのは、下世話な例え話では、そういうことになる。

彼は海外赴任から戻ってきた。
友人による「鳴らし込み」に満足していた、と聞いている。
その友人も、自分の「鳴らし込み」に満足していた。

私には、どうしても気持悪いこととして感じられる行為に、
当人たちはうっとりしていた。

Date: 2月 8th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その18)

ステレオサウンド 60号の特集で、JBLの4345についての座談会。
ここで使いこなしについて語られている。
     
菅野 瀬川さんがかなり満足される音で4345を鳴らしておられる現状というのは、おそらくJBLの連中が数年かかってやることをやっているのじゃないかと思うんです。使いこなしなどというたいしたことじゃないと思う。もしかすると、何もやってないでしょう。
 だからこそ、それを技術的に解決して、実現しようとしたら、確実に数年かかる。ユーザーの使いこなしって、そういうものだと思うんです。
 とにかく瀬川さんは、はたから見ると何だかわからないし、活字にも書けないという、きめの細かいことをやっているわけです。
瀬川 いえいえ、ただ接いだだけですよ。レベルコントロールはちょっといじってますけれどね。
菅野 本人は特に何かしているという意識はなくて、はたから見てもその通りでも、無意識のうちにやっていることって、すごくありますよ。
──そこを多少披露していただけませんか。
瀬川 それは無理なんですよ。荻昌弘さんだったかな、うまい店があって、そこのコックに、「こういうことを聞いちゃいけないんだけど、オムレツのつくり方のコツ教えてくれ」って言ったら、「いやぁ、コツなんてものは口で教えられるものじゃねぇ。無意識に身につくものなんだから、だんな、その気があったら一年間ここへ通ってごらんなさい」と言われたっていうんだ。
 ぼくも4345の使いこなしということで、具体的に言葉ではっきり言えることは、いまのところまだ新しくてミドルハイがこなれていないから、ミドルハイのところだけ-1から1・5ぐらい下げて、スーパートゥイーターは-1にしてみたり、ゼロにしてみたり迷っているというくらいで、あとは、置き方だって半ば無意識に、いまのぼくの部屋で最善のところに置いているんでしょうね。
 しかし少なくとも、さっきも言ったように、背面を硬い壁にしているということは多少影響していると思う。いろいろな場所で──たいてい後ろにいっぱいスピーカーが置かれていたり、後ろががらんどうの状態で──ブロックで持ち上げたりするでしょう。そうすると、うちで鳴っているような音は全然出てこないですね。低音がおかしな音になってしまう。
 一般的には販売店の評価でも、4345はまだよくわからないとか、低音がズンドコズンドコいうだけだとかいわれているようです。ぼくの場合には、床にぺったり置いて、背中も壁にぴったりつけて、ただそうやって置いているだけですけど、非常にローエンドのよく伸びた音がします。
菅野 瀬川さんが初めからぺたっと置いたというのは、あなたがほかのケースで──なにしろスピーカーの置き方に関しては、ぼくの十倍くらい凝るんだから──しつこく実験した挙げ句に、ぺったり起きのよさを聴きとり、このケースはぺったりだというのが無意識に思い浮かぶんですよ。同じぺったり置きにしていても、ちょっと意味が違うんですよ。
     *
レコード芸術の「MyAngle 良い音とは何か?」の最後のところとともに、
ここをじっくり読んでほしい。
ずっと以前に読んだ、という人も、もう一度じっくり読み返してほしい。

Date: 2月 7th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その17)

レコード芸術に、瀬川先生の連載が始まったのは1981年の夏だった。
「MyAngle 良い音とは何か?」というタイトルだった。
一回だけの連載だった。
     *
 二年、などというと、いや、三ヶ月だって、人びとは絶望的な顔をする。しかし、オーディオに限らない。車でもカメラでも楽器でも、ある水準以上の能力を秘めた機械であれば、毎日可愛がって使いこなして、本調子が出るまでに一年ないし二年かかることぐらい、体験した人なら誰だって知っている。その点では、いま、日本人ぐらいせっかちで、せっぱつまったように追いかけられた気分で過ごしている人種はほかにないのじゃなかろうか。
 ついさっき、山本直純の「ピアノふぉる亭」に女優の吉田日出子さんが出るのを知って、TVのスウィッチを入れた。彼女が「上海バンスキング」の中で唱うブルースに私はいましびれているのだ。番組の中で彼女は、最近、上海に行ってきた話をして、「上海では、日本の一年が十年ぐらいの時間でゆっくり流れているんですよ」と言っていた。なぜあの国に生れなかったんだろう、とも言った。私は正直のところ、あの国は小さい頃から何故か生理的に好きではないが、しかし文学などに表れた悠久の時間の流れは、何となく理解できるし、共感できる部分もある。
 いや、なにも悠久といったテンポでやろうなどという話ではないのだ。オーディオ機器を、せめて、日本の四季に馴染ませる時間が最低限度、必要じゃないか、と言っているのだ。それをもういちどくりかえす、つまり二年を過ぎたころ、あなたの機器たちは日本の気候、風土にようやく馴染む。それと共に、あなたの好むレパートリーも、二年かかればひととおり鳴らせる。機器たちはあなたの好きな音楽を充分に理解する。それを、あなた好みの音で鳴らそうと努力する。
……こういう擬人法的な言い方を、ひどく嫌う人もあるらしいが、別に冗談を言おうとしているのではない。あなたの好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間……そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれるためには、少なくみても一年以上の年月がどうしても必要なのだ。だいいち、あなた自身、四季おりおりに、聴きたい曲や鳴らしかたの好みが少しずつ変化するだろう。だとすれば、そうした四季の変化に対する聴き手の変化は四季を二度以上くりかえさなくては、機械に伝わらない。
 けれど二年のあいだ、どういう調整をし、鳴らし込みをするのか? 何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい。そして、ときたま——たとえば二週間から一ヶ月に一度、スピーカーの位置を直してみたりする。レヴェルコントロールを合わせ直してみたりする。どこまでも悠長に、のんびりと、あせらずに……。
 あきれた話をしよう。ある販売店の特別室に、JBLのパラゴンがあった。大きなメモが乗っていて、これは当店のお客様がすでに購入された品ですが、ご依頼によってただいま鳴らし込み中、と書いてある。
 スピーカーの「鳴らしこみ」というのが強調されている。このことについても、改めてくわしく書かなくては意が尽くせないが、簡単にいえば、前述のように毎日ふつうに自分の好きなレコードをふつうに鳴らして、二年も経てば、結果として「鳴らし込まれて」いるものなので、わざわざ「鳴らし込み」しようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ。
 下世話な例え話のほうが理解しやすいかもしれない。
 ある男、今どき珍しい正真正銘の処女(おぼこ)をめとった。さる人ねたんでいわく、
「おぼこもよいが、ほんとうの女の味が出るまでには、ずいぶんと男に馴染まさねば」
男、これを聞き早速、わが妻を吉原(トルコ)に住み込ませ、女の味とやらの出るのをひとりじっと待っていた……とサ。
 教訓、封を切ったスピーカーは、最初から自分の流儀で無理なく自然に鳴らすべし。同様の理由から、スピーカーばかりは中古品(セコハン)買うべからず。
 今月はこれでおしまい。
     *
最後のところを引用した。
ソフトウェアの達人といわれていた瀬川先生が、これを書かれている。

《何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい。そして、ときたま——たとえば二週間から一ヶ月に一度、スピーカーの位置を直してみたりする。レヴェルコントロールを合わせ直してみたりする。どこまでも悠長に、のんびりと、あせらずに……。》

近ごろ、やっと瀬川先生の真意がわかってきたように思っている。
ひとり勝手に思っているだけにしても、
世の中、スピーカーをダメにする「鳴らし込み」は、むしろ増えているのではないだろうか。

瀬川先生のいわれる「鳴らし込み」の前提として求められるのは、セッティングである。

Date: 2月 7th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その16)

「オーディオの想像力の欠如が生むもの(その19)」で、
オーディオの想像力の欠如が、セッティング、チューニングの境界をさらに曖昧にしている、
と書いた。

もっといえば、オーディオの想像力の欠如のままでは、チューニングは無理である。

鍛えられているかどうかよりも、
オーディオの想像力があるかどうかのほうが、重要だとも思っている。

オーディオ業界にいる人たちすべてがオーディオの想像力をもっているとは思っていない。
むしろ持っている人の方が少ないのではないか──、そんな気さえすることがある。
オーディオ評論家と名乗っている人たちに関しても、そうである。

オーディオの仕事をしていない人たちに、オーディオの想像力がないのかといえば、
そうではない。
むしろ、オーディオを仕事としている人たちよりも、オーディオの想像力をもつ人は多いかもしれない。

オーディオ歴の長い人ほど、オーディオの想像力をもっているかといえば、
これもそうとはいえない。

オーディオの想像力について書いていくことは難しい。
だから、別項で「オーディオの想像力の欠如を生むもの」を書いた。
オーディオの想像力そのものについて、いまのところはうまく書けなくとも、
オーディオの想像力が欠如するということについては、書ける。

くり返そう、
オーディオの想像力が欠如していては、チューニングは無理である。
けれど強調したいのは、チューニングができなくとも、いい音を出すことはできる、ということだ。

Date: 2月 7th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その15)

鍛えられていなくとも、オーディオはできるし、楽しめる。
ただ(その6)で書いた、どこをいじるか。
その個所を直感で決め、わずかな時間と手間で、そこでの不満を解消できるかどうかは、
鍛えられているからこそ、と断言できる。

鍛えられていなくとも、偶然でも、私と同じ個所をいじることはあろう。
それでも、そこをどうするかは違ってくるだろうし、
同じことをやれたとしても、別の場合には、偶然はそうそう重ならない。

偶然に頼って、というのは、鍛えられていない人のやり方である。

オーディオの再生系にはいじるところが、それこそ無数にある。
しかもそのいじり方もひとつではない。
どこをいじるのか、どういじるのか。組合せの数はさらに増える。

そこにぽんと放り出されたら……。
オーディオはどこをいじってもは音が変る。
だからこそやっかいでもある。

そのため見当違いであっても、そこに固執しがちになることがある。
とはいえ、それもまた楽しいといえる面があるのがオーディオなのだから、ややこしい。

オーディオは趣味で、本人が楽しんでいるのであれば、
第三者がとやかくいうことではない──のかもしれないが、
それでもいいたいのが、それがチューニングといえるのだろうか、である。

ここでは、オーディオは趣味だから……、は通用しなくなる。
本人がチューニングと思っていじっていれば、それはチューニングではないか。
そう考える人はいるけれど、私は違う。

Date: 2月 6th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その14)

「オーディオは趣味なのだから……」
鍛えるとか、鍛えられるとか、そんなことは趣味であるオーディオには無縁のこと。

──こういう考えがあってもいい。
こういう考えの人にとってのオーディオの師とは、
オーディオの楽しみを教えてくれた人、ということになる。

二年前の春、映画「セッション」(原題:WHIPLASH)について書いた。
この映画についての否定的な意見を、そのころfacebookでよく見かけた。

しかも面白いことに映画を観た上で書いているのではなく、
予告編だけを見てのものだったり、
誰かがこの映画について書いたものを読んでの否定的な意見が大半だった。

音楽をやるのに、この映画で描かれているようなことは必要ない。
楽しく、音楽を学んでいければいいのに……、
そんな感じが根底にある意見をいくつも見た。

鍛え鍛えられる──、
そんなことからは無縁でいたいのだろうか、とそれらの意見を見ていて思った。

オーディオの楽しみ方、関わり方は、人それぞれであっていい。
けれど、それは音楽との関わり方にも深く関係することである。

(その11)と(その12)で、私は恵まれていた、と書いたのは、そういうことである。

Date: 2月 6th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その13)

オーディオの使いこなしに限らない、
何かを身につけるには、正しいやり方による修練でなければならない。

独学だということを誇らしげにいう人もいるが、
そういう人の多くは独学ゆえの未熟なやり方であり、
そんなことをくり返し長い期間を続けてきても、
あるレベル(そう高いレベルではない)までは行けても、
それ以上のレベルには、独学だけではどうにもならない。

独学そのものが、独学のすべてがそうだというわけではないが、
独学は往々にして苦手なところを避けがちであり、
本人にそういう気持はなくとも、楽な方へと流れてしまいがちでもある。

だからといって、誰かについて学べばいいのか、というと、そうでもない。
誰を師とするかが、ここでは重要である。

鍛えられていない人を師とすれば、そこまで、である。

師をもつオーディオマニアは、意外に多い。
○○さんがオーディオの師です、という人はけっこういる。

○○さんは、決して有名な人ではなかったりする。
何も有名な人が師だからいいというものでもないし、
無名の人にも、優れたオーディオマニアはおられる。

けれど、○○さんが師です、といっている人を見ていると、
○○さんがどのくらいのオーディオマニアであったのか、間接的に知ることになる。

○○さんが師です、といっている人のやり方が、とても偏っていることが多いからだ。
○○さんが師です、という人の理解が悪くて、そうなっているのかもしれない。
○○さんは、素晴らしいオーディオマニアの可能性だってある。

○○さんを知らないのだから、どちらなのかははっきりとわからない。
素晴らしいオーディオマニアであっても、○○さんはおそらく鍛えられていない人だとは思う。

鍛えられている人ならば、人を鍛えることができるはずだからだ。

Date: 1月 22nd, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その12)

ほとんどのオーディオマニアが、使いこなしが大事だ、という。
だが、この使いこなしとは、どういうことなのか。

私は、オーディオには三つのingがある、といっている。
セッティング(setting)、チューニング(tuning)、エージング(aging)の三つであり、
私は使いこなしという言葉には、この三つを含めての意味で使っている。

使いこなしをどう定義するのかは人それぞれであっていいわけだが、
ただぼんやりと使いこなしという言葉だけを使っている人もいる。

そういう人は、セッティングとチューニングを一緒くたに考えがちのようだし、
さらにはエージングに関しても、どこか的を外しているとしか思えないこともある。

それでも多くのオーディオマニアが、使いこなしが大事、という。
いまはこういうことを書いている私も、
もしステレオサウンドで働くことがなかったら、使いこなしをどう考えていただろうか、と思う。

私が前回、恵まれていた、と書いたのは、ここである。
私はステレオサウンドの試聴室で、使いこなしを学ぶことができた。

特に井上先生は、はっきりと言葉にされたわけではないが、
セッティングとチューニングについて、学ぶ機会を与えてくれた。
考えるきっかけを与えてくれた、ともいえる。

教えてくれた、とは書かない。
あくまでも学ぶ機会を与えてくれたのであって、
そこで学べるかどうかは、こちら側の問題である。

井上先生の使いこなしは、いくつもの亜流を生んだ。
その亜流に接した人はそこそこいよう。

でも、それはあくまでも亜流であって、井上先生の使いこなしではない。
にも関わらず、一時期、井上メソッドなる言葉まで一部では流行っていた。

どこが流行元というか発信元なのかは知っている。
それが亜流なのも知っている。

でも、井上先生の使いこなしを見て聴いている人であっても、
亜流を亜流とは思っていないのだから、
まして見たことも聴いたこともない人は、亜流を井上先生の使いこなしと信じてしまうようだ。

Date: 1月 19th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その11)

19時から開始して23時近くまでやっていた。
「能×現代音楽 Noh×Contemporary Music」の七曲目でのチューニングを経て、
最後に最初にかけたディスクをもう一度鳴らした。

①から⑧までの音で使ったディスクである。
⑧の音から「能×現代音楽 Noh×Contemporary Music」でのチューニングを経た音。
それを聴いてもらった。

①から⑧までの音では聴いてもらったのは時間の都合もあるし、
あまり長く聴いても、場合によっては違いがわからなくなることもあるため、
冒頭の数分だけを聴いてもらっていた。

最後は、通して聴いてもらった。

常連のHさんが、こういってくれた。
「AさんとKさんが来られた時に、もう一度やるべきです」と。
AさんとKさんも常連の方たちだ。
今回は先約があって来られなかった。

まだまだやりたいことはあるし、
こういう内容のことは一度やったから終り、というものでもない。

一度体験したからといって、すくに身につくものではない。
私がやったことをすべて記憶して帰ったとしても、
同じことを自分のリスニングルームで再現できるとは限らない。
うまくいくこともあれば、そうでないこともある。

それにたいてはすべて記憶して、というのはまず無理である。
記憶しているつもりでも、気づいていないところがあるものだ。

見て聴いているだけでは、そうなりがちだ。
やはり自分の手でやってみないと、すべてを記憶するところまではいけない。

私が恵まれていたと感じるのは、この点である。

Date: 1月 19th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その10)

あとやったことといえば、
セッティング、チューニングの過程でディスクを決めて、
一度もCDプレーヤーの中から取り出さない理由も、音で確かめてもらった。

特別なことではない。
トレイにディスクをセットして再生する。
再生をストップしてトレイを出す。
ディスクには手を触れずに、もう一度再生する。

CD登場後、しばらくして話題になったことである。
そんなことで音は変らない、と言い張る人もいた。
実際に音を聴かせても、変らないじゃないか、という人もいた。

インターネットでも、そんなことで音は変らない、という人はいる。
変らないのと聴き分けられないのとは、同じではない。

そしてセッティングが不備があれば、この違いは確かに出にくい性質ではある。
もちろんCDプレーヤーによっても、差の出方は違うし、
必ずしも二回目が音が良くなるとは限らない。

一回目と二回目で差が出るということは事実である。
だからといって常にそうやって聴いているわけではない。
慣れれば、うまく鳴っていないということはすぐにわかる。
そういう時だけトレイの出し入れをやるくらいだ。

とはいえ、この音の違いは、こまかなセッティング、チューニングにおいては無視できない。
ディスクを何枚も聴いてやるのもいいけれど、そうすることで、
変えているつもりはないところが変っている可能性があることを常に意識しておくべきである。

ラックスのD38uは、一回目と二回目の音の差はあるほうだといえよう。
参加された方が、こんなに違うんだ、と驚かれていた。

Date: 1月 16th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その9)

システム全体の音をどこまで振れるか。
これはもうオーディオの想像力がなくてはできないことだ。

しかも反対方向にも振るのだから。
その反対方向がどの方向なのかを見定めるのも含めて、オーディオの想像力なくしては無理である。

トーンコントロール変化量は、上限も下限も、アンプによって決っている。
その範囲内だけでツマミを動かすだけ、ともいえる。
スピーカーユニットの位置決めもそういえなくもない。

ただしこちらは位置を動かすことは、
ウーファーとの相対的な位置関係が変化するだけでなく、
エンクロージュア上部への加重の掛かり方も変化していく。
それにともないエンクロージュアの振動モードが変化していく。

そのため物理的な位置の中間が、中点とは限らない。
とはいえ振り幅はわかりやすい、といえる。

オーディオの再生系には、こうした振り幅が各所にある。
かなりの数あり、その振り幅の組合せが、システム全体の振り幅なのだから、
これを把握しようとして、
すべての振り幅をひとつひとつ確かめて、順列組合せの数だけ確かめることは、
まず無理といえる。

順列組合せの数といっても、たいした数ではないじゃないか、
という人はセッティングというものがわかっていない。
実際はものすごい数になる。

仮に時間をかけて、順列組合せの数すべての音を確かめたとして、
それでシステム全体の振り幅がどのくらいなのかを把握できるとは限らない。

結局、システム全体の振り幅を見極めるのは、オーディオの想像力であり、
チューニングにはオーディオの想像力が必要だという理由でもある。