セッティングとチューニングの境界(その15)
鍛えられていなくとも、オーディオはできるし、楽しめる。
ただ(その6)で書いた、どこをいじるか。
その個所を直感で決め、わずかな時間と手間で、そこでの不満を解消できるかどうかは、
鍛えられているからこそ、と断言できる。
鍛えられていなくとも、偶然でも、私と同じ個所をいじることはあろう。
それでも、そこをどうするかは違ってくるだろうし、
同じことをやれたとしても、別の場合には、偶然はそうそう重ならない。
偶然に頼って、というのは、鍛えられていない人のやり方である。
オーディオの再生系にはいじるところが、それこそ無数にある。
しかもそのいじり方もひとつではない。
どこをいじるのか、どういじるのか。組合せの数はさらに増える。
そこにぽんと放り出されたら……。
オーディオはどこをいじってもは音が変る。
だからこそやっかいでもある。
そのため見当違いであっても、そこに固執しがちになることがある。
とはいえ、それもまた楽しいといえる面があるのがオーディオなのだから、ややこしい。
オーディオは趣味で、本人が楽しんでいるのであれば、
第三者がとやかくいうことではない──のかもしれないが、
それでもいいたいのが、それがチューニングといえるのだろうか、である。
ここでは、オーディオは趣味だから……、は通用しなくなる。
本人がチューニングと思っていじっていれば、それはチューニングではないか。
そう考える人はいるけれど、私は違う。