セッティングとチューニングの境界(その16)
「オーディオの想像力の欠如が生むもの(その19)」で、
オーディオの想像力の欠如が、セッティング、チューニングの境界をさらに曖昧にしている、
と書いた。
もっといえば、オーディオの想像力の欠如のままでは、チューニングは無理である。
鍛えられているかどうかよりも、
オーディオの想像力があるかどうかのほうが、重要だとも思っている。
オーディオ業界にいる人たちすべてがオーディオの想像力をもっているとは思っていない。
むしろ持っている人の方が少ないのではないか──、そんな気さえすることがある。
オーディオ評論家と名乗っている人たちに関しても、そうである。
オーディオの仕事をしていない人たちに、オーディオの想像力がないのかといえば、
そうではない。
むしろ、オーディオを仕事としている人たちよりも、オーディオの想像力をもつ人は多いかもしれない。
オーディオ歴の長い人ほど、オーディオの想像力をもっているかといえば、
これもそうとはいえない。
オーディオの想像力について書いていくことは難しい。
だから、別項で「オーディオの想像力の欠如を生むもの」を書いた。
オーディオの想像力そのものについて、いまのところはうまく書けなくとも、
オーディオの想像力が欠如するということについては、書ける。
くり返そう、
オーディオの想像力が欠如していては、チューニングは無理である。
けれど強調したいのは、チューニングができなくとも、いい音を出すことはできる、ということだ。