Archive for category 音楽家

Date: 2月 4th, 2014
Cate: Claudio Abbado

アバドのこと(その8)

アバドが、フルトヴェングラー/スカラ座の「ニーベルングの指環」のことを話したのか、
その前後に関してはまったく忘れてしまっている。

私にとって、このときのアバドのインタヴュー記事で、
このことがとても意外であり、だからこそいまも憶えている。

アバドもいつかはワーグナーを録音するだろうな、
どういうワーグナーになるんだろうか、
そんなことをぼんやりと想像していたところに、
フルトヴェングラーの「ニーベルングの指環」に熱狂している、という、
いわばアバドの告白のように感じられた、この発言は、だから意外だったのだ。

フルトヴェングラーの「ニーベルングの指環」に熱狂しているからといって、
アバドが「指環」を録音することになっても、同じような演奏をするとは思えない。

アバドが亡くなったのを知った時に、
アバドとアルゲリッチがピアノをはさんで坐っている写真を見つけた。
Googleで画像検索すれば、すぐに見つかる。

1970年代に撮られたであろう、この写真のふたりは若い。
そして、この写真は青を基調としている。
そのことが、この時代の、若いふたりの雰囲気にぴったりとあっている。

アバドは、そういう演奏をしてきた人である。
それにフルトヴェングラーの「指環」について語っていた記事を読んだのは、1980年代だったはず。

そういうアバドと、フルトヴェングラーのスカラ座との「指環」がうまく結びつかなかった。

Date: 1月 28th, 2014
Cate: Claudio Abbado

アバドのこと(その7)

1989年に、オーチャードホールが開館した。
こけら落しは「バイロイト音楽祭日本公演」だった。

この「バイロイト音楽祭」でブーイングがあった、ときいている。
なぜブーイングをしたのか、その理由を何かで読んだ。

「フルトヴェングラーの演奏と違うから」ブーイングをした、ということだった。
この人は、フルトヴェングラーの「ニーベルングの指環」をかなりの回数聴いていて、
それは記憶してしまうほどで、フルトヴェングラーの「指環」こそが「指環」であるから、
それと違うのは認められない──、
そうとうに極端な聴き方であり、意見(主張)でもあった。

記事には、確かフルトヴェングラーの「指環」を聴いた回数も書いてあった、と記憶している。
その回数を見て、この人はどれだけの時間を音楽を聴くことに費やしているのかと、
そして、その費やした時間のうち、フルトヴェングラーの「指環」以外を聴く時間はどのくらいなのか、
そんなことを考えてしまうほどの回数だったことは、はっきりと憶えている。

世の中にはいろんな人がいる──、
これで片付けられるといえばそうなのかもしれないけれど、
この記事を読みながら、この人は、フルトヴェングラーの「指環」は、
RAIローマ交響楽団の方ではなく、
きっとミラノ・スカラ座の方を何度も何度もくり返し聴いたのだろうな、と思っていた。

フルトヴェングラー/ミラノ・スカラ座による「ニーベルングの指環」は、そういうレコードである。
アバドが熱狂したのも、このミラノ・スカラ座との「ニーベルングの指環」である。

Date: 1月 28th, 2014
Cate: Claudio Abbado

アバドのこと(その6)

フルトヴェングラーとミラノ・スカラ座による「ニーベルングの指環」は、
イタリア・チェトラから、ステレオ録音で発売される、ということで、話題になった。

発売(輸入)されてみると、モノーラル録音だった。
なぜチェトラはステレオ録音だと発表したのだろうか。
もしかすると、ほんとうはステレオ録音だったのかもしれない。
けれど、なんらかの事情によりモノーラルでの発売になったのかもしれない……。

このフルトヴェングラーの「指環」は私も買った。
立派なボックスにおさめられていた。かなり無理して買ったものだった。

ステレオ録音ということがアナウンスされていたくらいだから、
モノーラルとはいえ、かなりいい録音なのではないか、とも期待していた。

演奏はすごい、けれど、音は……だった。

フルトヴェングラーの「ニーベルングの指環」全曲盤は、
RAIローマ交響楽団を指揮しての、コンサート型式のライヴ録音がある。

レコードとしてみれば、RAIローマ交響楽団のほうが、いわゆるレコードとしてのキズが少ない、といえる。
ミラノ・スカラ座のほうは、レコードとしてのキズが多い、といえる。
けれど、どちらをとるかといえば、私はミラノ・スカラ座のほうである。

ミラノ・スカラ座との「ニーベルングの指環」は、ほんとうにすごい。

Date: 1月 23rd, 2014
Cate: Claudio Abbado

アバドのこと(その5)

何で読んだのかは忘れてしまっているが、
たしか黒田先生が、アバドの「幻想」には、
「幻想」が作曲された時代におけるベルリオーズの前衛性がはっきりと浮び上っている──、
そんなことを書かれていたことを、いま思い出している。

アバドの「幻想」のそういう面は、ミュンシュの「幻想」と比較することで、よりはっきりとしてくる。
そうなるとふたつのディスクのジャケットの違い、
アバドの「幻想」にベルリオーズが大きく描かれていることにも、
あのジャケットのデザインが優れているかどうかは別として、納得できることになる。

その意味では、アバドは、作品(曲)に対して、いくぶん距離をとる指揮者といえるところはある。

こんなことを考えていたら、そういえばアバドのディスコグラフィにワーグナーがあまりないことに気づく。

アバドは積極的にレコーディングを行なった指揮者であろうに、
またオペラも数多く振っているにも関わらず、ワーグナーはローエングリンの全曲盤の他に、
ベルリンフィルハーモニーの芸術監督の退任直前に録音したディスクがあるくらいか。

アバドにとって、ワーグナーはどうだったんだろう、と思う。

これも何で読んだのかは忘れてしまっているし、
ずいぶん以前に読んだもので、
フルトヴェングラーがミラノ・スカラ座を振った「ニーベルングの指環」を、
アバドが絶賛していたことを思い出しているところだ。

Date: 1月 22nd, 2014
Cate: Claudio Abbado

アバドのこと(その4)

広島の「平和の鐘」の音色について、岡先生は、
「明るく澄んでいて、いかにもアバド好みでもある」と書かれている。

この一節があらわしているようにアバドの「幻想」には、
日本でも評価の高いミュンシュ/パリ管弦楽団の演奏に感じられる激情さ、熱気といったものは、
感じられない。
それだけにアバドの「幻想」は精緻であるともいえよう。

そのことはジャケットのイラストにもあらわれている。
ミュンシュ/パリ管弦楽団のイラストは、どう説明したらいいのか迷ってしまう。
「ミュンシュ 幻想」で検索すれば、ジャケットはすぐに見られるので、そちらをご覧いただきたい。

アバド/シカゴ交響楽団に使われているイラストは、ベルリオーズの胸像であり、
はっきりいえばあまりいいジャケット・デザインとは思えない。

「幻想」の名演ディスクということになれば、ミュンシュ盤を支持する人が多いかもしれない。
たしかにミュンシュ盤には凄味があり、
その凄味はアバド盤には稀薄でもあるが、録音の進歩もあいまって新鮮さがあるともいえる。

もしミュンシュ盤が、アバド盤と同程度の録音クォリティだったとしても、
試聴用ディスクとしてはアバド盤が選ばれると思う。

試聴用ディスクは同じ箇所を何度も何度もくり返し聴く。
10回、20回ではない。アバドの「幻想」に関しては、ほんとうに多かった。

これがミュンシュ盤だったら、そうとうにヘヴィーな試聴になったであろうからだ。

Date: 1月 22nd, 2014
Cate: Claudio Abbado

アバドのこと(その3)

アバド/シカゴ交響楽団とによるマーラーの第一交響曲は、ステレオサウンドの試聴室でよく聴いた。
といっても、それはあくまでもステレオサウンド別冊Sound Connoisseurでの試聴において、であった。

他の試聴の時にアバドのマーラーの第一交響曲を使ったことはなかった。

ステレオサウンドの試聴室でもっとも多く聴いたアバドのディスクといえば、
ベルリオーズの幻想交響曲である。
1984年にドイツ・グラモフォンから出ている。

ステレオサウンド 71号の巻頭対談(菅野沖彦・山中敬三)でも、
「アバドの『幻想』をきっかけにコンサートフィデリティについて考える」と題して、
このアバドの「幻想」がとりあげられている。

同じ号の岡先生のクラシック・ベスト・レコードも、最初に取り上げられているのは、
このアバドの「幻想」である。

岡先生の原稿に詳しいが、
このアバドの「幻想」はシカゴ交響楽団の本拠地のオーケストラホールで録音されている。

シカゴ交響楽団といえば、この当時デッカでのショルティによる録音が多かったけれど、
こちらはオーケストラホールがデッドすぎるということで、
メデナテンプルやイリノイ大学のクレナートセンターを使っている。

ドイツ・グラモフォンの録音スタッフは、オーケストラホールの客席全面に板を敷きつめ、
音の反響をよくするとともに、PZM(Pressure Zone Microphone)を、
メインマイクの他にバルコニーの先端におくことで、全体のバランス、パースペクティヴを、
できるだけ自然な感じにするとともに、細部の明瞭度も保つための工夫がなされている。

そして、終楽章での鐘に、広島の「平和の鐘」が使われていることも話題になっていた。

とにかくアバドの「幻想」は、よく聴いた。いったい何度聴いたのだろうか。

Date: 1月 21st, 2014
Cate: Claudio Abbado

アバドのこと(その2)

KAJIMOTOのサイトに「マエストロ・クラウディオ・アバドの訃報に寄せて」に、
これまでのアバドの来日公演の記録がある。

1987年にウィーンフィルハーモニーと来たアバドは、
翌88年にヨーロッパ室内管弦楽団と来ている。

このときの話を黒田先生から聞いている。
ウィーンフィルハーモニーとの公演はチケットもすぐに売切れで、当日の会場も満員だった、とのこと。
ヨーロッパ室内管弦楽団との公演においては、空席のほうが多かった、そうだ。

この話をされているとき、黒田先生の表情には怒りがあったように感じていた。

私はどちらの公演にも行っていないけれど、
黒田先生によればヨーロッパ室内管弦楽団との公演も素晴らしかったらしい。

素晴らしい、と同じ言葉で表現しても、
ウィーンフィルハーモニーとの素晴らしいとヨーロッパ室内管弦楽団との素晴らしい、とには、
共通する素晴らしさもあればそうでない素晴らしさもある。
比較するようなことではない。

その素晴らしいヨーロッパ室内管弦楽団の公演に空席が目立っていたことに、
コンサートのチケットを購入する人たちが、何を目安にしているのか。
そのことに怒りを持たれていたようだった。

いまではどうなんだろう、アバドの知名度はクラシックに関心のない人でも知っているのだろうか。
カラヤンの名前は、いわば誰でも知っている。
聴いたことがなくても、カラヤンの名前だけは知っている人はいても、
アバドとなると、当時はどうだったのか。

ウィーンフィルハーモニーの名前も、
クラシックに関心のない人にとっては、カラヤンの名前と同じなのだろう。

1980年代、そういう人たちにとってカラヤンとアバドの知名度、
ウィーンフィルハーモニーとヨーロッパ室内管弦楽団の知名度の差だけで、
チケットの売行きに差が大きく出ただけのことで、
そこでの演奏が劣っているわけではなかった。

だが現実にはヨーロッパ室内管弦楽団とアバドの公演では空席が多かった。

このことを思い出していた。
そして黒田先生なら、アバドのことをどう書かれるんだろう……、とおもっていた。

Date: 1月 21st, 2014
Cate: Claudio Abbado

アバドのこと(その1)

昨日の午後から、facebookとtwitterに表示されていたのは、アバドが亡くなったことだった。

バーンスタインが亡くなったことをテレビのニュースで知った時、
それは膝の骨折のリハビリで通っていた病院のテレビだったのだが、ほんとうにショックだった。
バーンスタインで聴きたい(録音してほしい)曲がいくつもあった。

ジュリーニが亡くなったこともショックだった。
すでに引退していたとはいえ、喪失感は大きかった。

アバドが亡くなったことをfacebookやtwitterといったSNSで知ると、
亡くなったという事実に、フォローしている人がどう感じているのかも、一緒に知ることになる。

テレビ、ラジオ、新聞などで人の死を知ることと、ここが微妙なところで違っていると感じる。

アバド、亡くなったんだ……。
大きなショックはなかった。

アバドは多くの録音を残している。
すべてを聴いてきたわけではないし、これから先すべてを聴いていこうとは思っていないけれど、
以前書いたようにベートーヴェンの第三交響曲でのこともあるし、
ステレオサウンドの試聴室で何度も聴いたマーラーの第一交響曲が、頭に浮ぶ。

これだけではない。シカゴ交響楽団とのマーラーは、いま聴いても輝きを失っていない。
シューベルトのミサ曲は、CDを買ったばかりの菅野先生のリスニングルームで聴いている。

ポリーニとのバルトークのピアノ協奏曲の再生にある時期夢中になったこともある。
ベルクの「ヴォツェック」は、それまでベームの、世評の高い演奏を聴いてもピンと来なかったけれど、
アバドの演奏(CD)で聴いて、この曲のおもしろさと美しさを感じることができた。

まだまだあるけれど、すべてを書こうとは思っていない。
これからもアバドのディスクは聴きつづけていくのが、ある。

バーンスタインの時と私にとって違うのは、
アバドに、これを録音してほしい、という個人的な思い入れがなかった、というだけである。
なぜなんだろう、とぼんやり思っていた。

それに黒田先生はなんと書かれるんだろう、ともおもっていた。

Date: 9月 25th, 2013
Cate: Glenn Gould

9月25日(その1)

9月25日は、グレン・グールドの誕生日である。

グレン・グールドが生きていれば81歳になるわけだが、
グールドの81歳の姿は想像できない。
70歳の姿も想像できない。

60歳の姿も想像し難い。

それは黒田先生が「音楽への礼状」で書かれていることと同じ理由である。
     *
 これは彼の悪戯にちがいない。
 あなたの急逝を知らせる新聞の記事を目にしたときに、まず、そう思いました。困ったもんだ、新聞までかつがれてしまって。あまりに急なことだったので、まさかという思いがありましたし、それに、いかになんでも、あなたは、亡くなるには、若すぎた。それだけではありません。そのとき、ぼくの頭を「グレン・グールド・ファンタジー」のことがかすめました。
 あの「グレン・グールド・ファンタジー」のような悪戯をぬけぬけとやってのけたあなたのことですから、周囲のひとたちすべてをだまして自分が死んだことにするぐらい、朝飯前でしょう。彼は、きっと、十年ほど姿を消していて、その間に、ベートーヴェンの録音しのこしたソナタとか、ぼくらがまさかと思っているショパンやシューマンの作品とか、あるいは新作のピアノ曲とか、あれこれレコーディングしておいて、突如、「グレン・グールドの冥土からの土産」などとタイトルのつけられたアルバムを発表するにちがいない。ぼくは、ひとりひそかに、そう確信していました。
 あなたが亡くなったのは一九八二年ですから、ぼくはまだあなたのよみがえりに対して希望を捨ててはいませんが、しかし、あなたの二度目の「ゴルトベルク変奏曲」のディスクにのっていた写真をみて、ぼくの確信は、ぐらっとよろけました。もし、あの椅子に腰かけているあなたの写真をみてから、あなたの訃報にふれたのであったら、ぼくは、あなたが悪戯で姿を消したなどとは考えなかったにちがいありません。あの写真は暗い予感を感じさせる、ぼくにとってはつらい写真でした。
     *
ゴールドベルグ変奏曲のジャケットのグールドの顔、なによりもその目は、そう思わせる。
ジャケットの撮影が行われたのは50歳の誕生日を迎える前だろうから、
まだグールド49歳のときのものであるはず。

にも関わらず、こういう目をグールドはしていた。
こういう目をしている者が、70、80歳まで生きていられるとは思えない。

Date: 8月 2nd, 2013
Cate: Edward Benjamin Britten

BRITTEN THE PERFORMER(その4)

“BRITTEN THE PERFORMER”のCD BOXを購入し聴いた人のすべてが、
「美しい演奏」と感じるかどうかは、なんともいえない。

どこが美しいのか、どこがいいのか、さっぱりわからない、と感じてしまう人もいよう。

反感をもたれることはわかっているけれど、
ベンジャミン・ブリテンのモーツァルトを「美しい演奏」と感じさせない音は、
どこかが間違っている。

音楽として正しい音で鳴っていれば、
オーディオ機器のグレードにはさほど関係なく(まったく関係ない、とはいえないけれど)、
「美しい演奏」と感じることができる。

どんなに高価で、世評の高いオーディオ機器を揃え、
セッティング、チューニングに手抜きすることなく、
オーディオ仲間に聴いてもらっても、皆が素晴らしい音だといってくれる音であっても、
ブリテンのモーツァルトを「美しい演奏」ではなく、美演にしてしまったり、
「美しい演奏」とは感じさせないのであれば、
そのシステムから鳴っている音は、「美しい音」ではない。

川崎先生が数日前、facebookに書かれていた。
《「正しいかどうかは、美しいかどうか」の自問自答で判断が可能だと、プラトンは言っていた。》

「正しいかどうかは、美しいかどうか」の自問自答で判断が可能であっても、
美しいかどうかは、どうやって判断するのか、と問う人はいる。

結局「美しいかどうかは、正しいかどうか」の自問自答で判断するしかない、
と私はおもっている。

答になっていないじゃないか──、
そういわれようが、「正しいかどうかは、美しいかどうか」の自問自答で、
「美しいかどうかは、正しいかどうか」の自問自答で判断していくものだ。

ベンジャミン・ブリテンの演奏は、だから正しい。

Date: 8月 2nd, 2013
Cate: Edward Benjamin Britten

BRITTEN THE PERFORMER(その3)

ベンジャミン・ブリテンによるバッハもシューベルトも美しい。
とりわけモーツァルトは美しい演奏だ。

美音という表現がある。
音の前に「美」がついているわけだから、美しい音の略語ということになるのかもしれないが、
私にとっては美しい音と美音は、べつものである。

美音派といわれている人の音が、これまで美しかったためしがない。
こういう音は、美音と表現されるよな、といった印象の音が鳴っていた。

美しい音と美音がどう違うのか、というよりもどう異るのかについて、
うまく説明できないもどかしさがずっと私の中にあるのだが、
あえて書けば、美音は、ただそれだけ、とでもいおうか、
そしてどこかに澱のようなものがあるような気もしている。

美音と同じ意味で、美演というのがあるとしよう。
ブリテンの演奏は、美演では決してない、はっきりと美しい演奏である。
美しい演奏とは、美しい音と同じ意味での「美しい演奏」である。

今年はベンジャミン・ブリテンの生誕100周年にあたる。
昨年末には、ブリテンのCD BOCの発売がアナウンスされていた。

作曲家ブリテンのCD BOXばかりだった。
演奏家(指揮者とピアニスト)としてのベンジャミン・ブリテンのCD BOXがいつ発売になるのか、
それをずっと楽しみにしていた。

年が明けて2013年になっても、DECCAからのアナウンスはない。
2月、3月とすぎ、半年がすぎてもなんのアナウンスもなかった。

もしかすると、出ないのか、とあきらめ始めていた。
7月も最後の一日になったところで、HMVのサイトを見ていた。
そこに”BRITTEN THE PERFORMER“の文字があった。

よかった、やっぱり出るんだ、と安堵した。

27枚組で出ることで、しかも他のCD BOX同様、”BRITTEN THE PERFORMER”も安い。
まとめ買いをすれば7000円を切る。

これならば、いままでブリテンに関心のあまりなかった人も、手を出しやすい。
もちろんモーツァルトの交響曲もはいっている。
カーゾンとのピアノ協奏曲もはいっている。
その他にピアニストとしてのブリテンも聴くことができる。

とにかく聴いてみてほしい、とおもっている。

Date: 8月 1st, 2013
Cate: Edward Benjamin Britten

BRITTEN THE PERFORMER(その2)

クラシックのレコードを語る際に、
誰々のモーツァルトのピアノ協奏曲という言い方をする。

ここでも誰々とは、多くの場合、ピアニストの名前がはいる。
ピアノ協奏曲だから、ピアニストと指揮者、それにオーケストラがいるわけだが、
それでも語られるのはピアニストであることがほとんどといっていい。

モーツァルトのピアノ協奏曲であれば、古くはハスキル盤がよく知られていた。
マルケヴィチ指揮によるコンセール・ラムルー管弦楽団とによる協演の録音であるわけだが、
ハスキルとマルケヴィチのモーツァルトの協奏曲ということはあまりなく、
あくまでもハスキルのピアノ協奏曲であり、
暗黙のうちに「ハスキルのピアノ協奏曲」の中に、マルケヴィチとコンセール・ラムルー管弦楽団も含まれている。

カーゾンとブリテン指揮によるイギリス室内管弦楽団によるモーツァルトのピアノ協奏曲のレコードも、
カーゾンのモーツァルトのピアノ協奏曲として語られていることがほとんどであろう。

そうであっても、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番二短調と第27番変ロ長調がカップリングされたレコードは、
あくまでも私にとっては、ブリテンのモーツァルトのピアノ協奏曲という言い方になる。

話の流れで、モーツァルトを省いてしまいブリテンのピアノ協奏曲といってしまうと、
ブリテンには作曲家としての顔もあるために、ブリテン作曲のピアノ協奏曲と混同されてしまうため、
カーゾンの名前も口にしなければならなくなる。
それでもカーゾンのモーツァルトのピアノ協奏曲とはいわない、
あくまでもブリテンとカーゾンのモーツァルトのピアノ協奏曲であり、
カーゾンとブリテンのモーツァルトのピアノ協奏曲ともいわない。

このレコードがこれだけ高い評価を得ているのは、カーゾンが優れているというよりも、
ブリテンが素晴らしいからにほかならない。

五味先生のように「カーゾンごときはピアニストとしてしょせんは二流」とまではいわないけれど、
カーゾンがほかの指揮者とだったら、はたして、ここまで高い評価は得ていたとは思えない。

Date: 7月 31st, 2013
Cate: Edward Benjamin Britten

BRITTEN THE PERFORMER(その1)

五味先生の「わがタンノイの歴史」にこうある。
     *
この応接間で聴いた Decola の、カーゾンの弾く『皇帝』のピアノの音の美しさを忘れないだろう。カーゾンごときはピアニストとしてしょせんは二流とわたくしは思っていたが、この音色できけるなら演奏なぞどうでもいいと思ったくらいである。
     *
この一節の影響が強くあって、カーゾンのピアノによるモーツァルトのピアノ協奏曲が、
名盤の誉れ高いことは知ってはいても、手を出すことはなかった。

このピア協奏曲でオーケストラを指揮しているのが、あのブリテンだということも知ってはいた。
作曲家であって、指揮者でもあるのか、その程度の認識だった。

CDが登場し、数年後、廉価盤も登場するようになった。
アナログ録音の名盤も、いきなり廉価盤として初CD化されていった。

オイゲン・ヨッフムのマタイ受難曲も廉価盤扱いだった。

ブリテン指揮によるモーツァルトの交響曲が、そうやって廉価盤でレコード店の棚に並んだ。
ブリテンのモーツァルトか、という軽い気持で、廉価盤ということもあいまって、手を伸ばした。
ジャケットのデザインも、いかにも廉価盤的だった。

期待もせずに聴こうとしていた。
こういうときに限って、素晴らしい音楽がスピーカーから鳴り響くことがある。
ブリテンのモーツァルトは素晴らしかった。

ブリテンという作曲家については、一通りの知識と、代表的な曲を少し聴いていただけで、
さほど高い関心を抱いていなかった。
けれど指揮者ブリテンに対しては、違った。

カーゾンとのピアノ協奏曲を聴いておけば良かった、
そうすれば、もっと早くブリテンの指揮者としての素晴らしさに気がついたのに……、とも思ったし、
でも、いまだからブリテンの良さに気づいたのかもしれない、とも思っていた。

Date: 4月 23rd, 2013
Cate: Leonard Bernstein

ブルックナーのこと(その1)

クラシックを、これまでずっと聴いてきた。
クラシックばかり、とまではいえないものの聴いてきたもののほとんどはクラシックであっても、
クラシックの作曲家といわれている人すべての曲を聴いてきているわけではない。

ほとんど聴かない作曲家もいる。
そのひとりが、私にとってはブルックナーである。
どうも苦手なのである。

それでもある時期(24から25歳のころ)、ブルックナーを集中して聴いたことはある。
フルトヴェングラーのレコードも当然聴いたし、
ブルックナーの名盤といわれているモノはけっこう聴いた。

ブルックナー好きでも熱心なブルックナー聴きの人たちのあいだで評価が抜群に高いシューリヒトも聴いた。
ちょうど、そのころシノーポリが来日してブルックナーの四番を指揮するので、それも聴きに行った。

それでも、ブルックナー好きの人たちが熱く語ってくれるブルックナーの良さを感じとれなかった。
その後も、ブルックナーのディスクも買わなかったわけではない。
他の作曲家に較べて買う枚数はぐんと少ないものの、買っては聴いていた。

そうやって歳もとっていった。
それでブルックナーの良さがわかるようになったかといえば、
ほとんど25のときと変っていない。

50になって、もうこのままブルックナーに夢中になることはないまま終るのか、ともおもう。
ここ数年、ブルックナーの新盤への興味もほぼ失いかけていた。
それでもいいかと思いつつも、ふと気づいた。
そういえば、バーンスタインのブルックナーはまだ一度も聴いていないことに。

バーンスタインのブルックナーの録音はあるのか調べてみると、
1990年にウィーンフィルハーモニーとのライヴ録音がいまも入手できる。

1990年はバーンスタインの最後の年だ。
このときウィーンフィルハーモニーを振ってのブルックナーである。

もしかすると、この演奏によってブルックナーへの認識を新たにするかもしれない。
変らないかもしれない。
バーンスタインの、このブルックナーだけはこれからも聴いていくことになるかもしれない。

どうなるかなんて、まったくわからない。
とにかく、できるだけ早く聴いてみることにしよう。

Date: 1月 26th, 2013
Cate: Jacqueline du Pré

68th birthday

10代なかばのころ、ジャクリーヌ・デュ=プレのことを知ったとき、
ずっと年上の人のように感じた。
18違う。

デュ=プレとの年の差は、そのときの私の年齢よりも多い数字だった。

1月26日は、ジャクリーヌ・デュ=プレの68回目の誕生日である。
デュ=プレの誕生日は忘れることはない。
だからfacebookのデュ=プレのページに、
今日が誕生日、ということが表示されても、
そうだ、今日だったんだ、とは思いはしない。

“Today marks Jacqueline du Pré’s 68th birthday. Happy birthday to Jackie!”
ここに「68」という数字を見てしまうと、
あのころとは違って、まだ68なんだ、とおもってしまう。

18の年の差は変わらない。
けれど相対的に、その差は縮んでいくことは、よくいわれることでもあるが、
そのことをしみじみと実感していた。

デュ=プレが多発性硬化症にかからなければ、
あのまま健康でいたとしたら、もしかするとデュ=プレは指揮者として活動していたかもしれない──、
そんなことを10年ほど前から夢想している。

チェロを弾いている、とおもう。
でも、彼女の豊かな音楽性と表現力はチェロだけにはとどまらなかったようにも感じられる。
だとしたらオーケストラを指揮していたようにおもう。
指揮してほしかった、という気持が強いから、そうおもうだけなのかもしれないけれど、
カザルス、ロストロポーヴィチも指揮者でもあった。
デュ=プレが指揮者になっていても、私のなかではすこしの不思議もない。

1年後の今日も、2年後の今日も、これから先、同じことをおもいだしてしまうことだろう。
今日よりは1年後、1年後よりは2年後……、
デュ=プレの指揮がどういう音楽を生み出したのか、を、すこしでも描けるようになれれば、
それでいい。

デュ=プレの指揮を、すこしでも鮮明に描けるようになるための音を求めているのかもしれない。