9月25日(その1)
9月25日は、グレン・グールドの誕生日である。
グレン・グールドが生きていれば81歳になるわけだが、
グールドの81歳の姿は想像できない。
70歳の姿も想像できない。
60歳の姿も想像し難い。
それは黒田先生が「音楽への礼状」で書かれていることと同じ理由である。
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これは彼の悪戯にちがいない。
あなたの急逝を知らせる新聞の記事を目にしたときに、まず、そう思いました。困ったもんだ、新聞までかつがれてしまって。あまりに急なことだったので、まさかという思いがありましたし、それに、いかになんでも、あなたは、亡くなるには、若すぎた。それだけではありません。そのとき、ぼくの頭を「グレン・グールド・ファンタジー」のことがかすめました。
あの「グレン・グールド・ファンタジー」のような悪戯をぬけぬけとやってのけたあなたのことですから、周囲のひとたちすべてをだまして自分が死んだことにするぐらい、朝飯前でしょう。彼は、きっと、十年ほど姿を消していて、その間に、ベートーヴェンの録音しのこしたソナタとか、ぼくらがまさかと思っているショパンやシューマンの作品とか、あるいは新作のピアノ曲とか、あれこれレコーディングしておいて、突如、「グレン・グールドの冥土からの土産」などとタイトルのつけられたアルバムを発表するにちがいない。ぼくは、ひとりひそかに、そう確信していました。
あなたが亡くなったのは一九八二年ですから、ぼくはまだあなたのよみがえりに対して希望を捨ててはいませんが、しかし、あなたの二度目の「ゴルトベルク変奏曲」のディスクにのっていた写真をみて、ぼくの確信は、ぐらっとよろけました。もし、あの椅子に腰かけているあなたの写真をみてから、あなたの訃報にふれたのであったら、ぼくは、あなたが悪戯で姿を消したなどとは考えなかったにちがいありません。あの写真は暗い予感を感じさせる、ぼくにとってはつらい写真でした。
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ゴールドベルグ変奏曲のジャケットのグールドの顔、なによりもその目は、そう思わせる。
ジャケットの撮影が行われたのは50歳の誕生日を迎える前だろうから、
まだグールド49歳のときのものであるはず。
にも関わらず、こういう目をグールドはしていた。
こういう目をしている者が、70、80歳まで生きていられるとは思えない。