Frans Brüggen(その1)
フランス・ブリュッヘンの名前を知ったのは、「コンポーネントステレオの世界 ’77」だった。
読者からの手紙にオーディオ評論家が組合せをつくるという企画で、
15人の読者のなかでただひとり女性がよく聴くレコードとして挙げられていた中の一枚が、
ブリュッヘンの「涙のパヴァーヌ」だった。
このレコードのジャケットをみると、リコーダーがうつっている。
リコーダーのレコードなんだ、とだけ思った。
13歳の私は、ブリュッヘンの名前も知らなかったし、
リコーダーという楽器は小学校の音楽の授業で習うものという認識しか持っていなかった。
だからそれほど注目していたわけではなかった。
それでも記事中で黒田先生が「センスのよいレコード」と話されていたから、
なんとなくではあったが、気にはしていた。
ブリュッヘンのリコーダーのレコードを聴いたのは、その数年後、東京に出てからだった。
そのころにはブリュッヘンのリコーダーはすごい、ということは文字によって知ってはいた。
でもすぐには手が伸びなかった。他にも聴きたい(買いたい)レコードがたまっていたからだ。
ずるずると後回しにしていたブリュッヘンのレコード。
いまでは何がきっかけで手にして聴いたのかも曖昧だが、
はじめて聴いた衝撃だけははっきりと憶えている。
聴き終って思ったのは、小学校でリコーダーを習う前に、
ブリュッヘンのレコードを聴かせられていたら、
リコーダーという楽器をなめてかかることはなかった、ということだ。
小学生の私は、リコーダーで出せる音なんてたかが知れている、と思い込んでしまった。
こんなにも豊かな音(表情)を生み出せる楽器とは露ほども思っていなかった。
ブリュッヘンのリコーダーを聴いた後にリコーダーを渡されていたら──。
私はそれでもリコーダー奏者の道を選ぶことはなかったと思うが、
進む道が変ったかもしれない者はいたのではないか。