Date: 1月 23rd, 2014
Cate: Claudio Abbado
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アバドのこと(その5)

何で読んだのかは忘れてしまっているが、
たしか黒田先生が、アバドの「幻想」には、
「幻想」が作曲された時代におけるベルリオーズの前衛性がはっきりと浮び上っている──、
そんなことを書かれていたことを、いま思い出している。

アバドの「幻想」のそういう面は、ミュンシュの「幻想」と比較することで、よりはっきりとしてくる。
そうなるとふたつのディスクのジャケットの違い、
アバドの「幻想」にベルリオーズが大きく描かれていることにも、
あのジャケットのデザインが優れているかどうかは別として、納得できることになる。

その意味では、アバドは、作品(曲)に対して、いくぶん距離をとる指揮者といえるところはある。

こんなことを考えていたら、そういえばアバドのディスコグラフィにワーグナーがあまりないことに気づく。

アバドは積極的にレコーディングを行なった指揮者であろうに、
またオペラも数多く振っているにも関わらず、ワーグナーはローエングリンの全曲盤の他に、
ベルリンフィルハーモニーの芸術監督の退任直前に録音したディスクがあるくらいか。

アバドにとって、ワーグナーはどうだったんだろう、と思う。

これも何で読んだのかは忘れてしまっているし、
ずいぶん以前に読んだもので、
フルトヴェングラーがミラノ・スカラ座を振った「ニーベルングの指環」を、
アバドが絶賛していたことを思い出しているところだ。

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