BRITTEN THE PERFORMER(その1)
五味先生の「わがタンノイの歴史」にこうある。
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この応接間で聴いた Decola の、カーゾンの弾く『皇帝』のピアノの音の美しさを忘れないだろう。カーゾンごときはピアニストとしてしょせんは二流とわたくしは思っていたが、この音色できけるなら演奏なぞどうでもいいと思ったくらいである。
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この一節の影響が強くあって、カーゾンのピアノによるモーツァルトのピアノ協奏曲が、
名盤の誉れ高いことは知ってはいても、手を出すことはなかった。
このピア協奏曲でオーケストラを指揮しているのが、あのブリテンだということも知ってはいた。
作曲家であって、指揮者でもあるのか、その程度の認識だった。
CDが登場し、数年後、廉価盤も登場するようになった。
アナログ録音の名盤も、いきなり廉価盤として初CD化されていった。
オイゲン・ヨッフムのマタイ受難曲も廉価盤扱いだった。
ブリテン指揮によるモーツァルトの交響曲が、そうやって廉価盤でレコード店の棚に並んだ。
ブリテンのモーツァルトか、という軽い気持で、廉価盤ということもあいまって、手を伸ばした。
ジャケットのデザインも、いかにも廉価盤的だった。
期待もせずに聴こうとしていた。
こういうときに限って、素晴らしい音楽がスピーカーから鳴り響くことがある。
ブリテンのモーツァルトは素晴らしかった。
ブリテンという作曲家については、一通りの知識と、代表的な曲を少し聴いていただけで、
さほど高い関心を抱いていなかった。
けれど指揮者ブリテンに対しては、違った。
カーゾンとのピアノ協奏曲を聴いておけば良かった、
そうすれば、もっと早くブリテンの指揮者としての素晴らしさに気がついたのに……、とも思ったし、
でも、いまだからブリテンの良さに気づいたのかもしれない、とも思っていた。