Date: 1月 28th, 2014
Cate: Claudio Abbado
Tags:

アバドのこと(その7)

1989年に、オーチャードホールが開館した。
こけら落しは「バイロイト音楽祭日本公演」だった。

この「バイロイト音楽祭」でブーイングがあった、ときいている。
なぜブーイングをしたのか、その理由を何かで読んだ。

「フルトヴェングラーの演奏と違うから」ブーイングをした、ということだった。
この人は、フルトヴェングラーの「ニーベルングの指環」をかなりの回数聴いていて、
それは記憶してしまうほどで、フルトヴェングラーの「指環」こそが「指環」であるから、
それと違うのは認められない──、
そうとうに極端な聴き方であり、意見(主張)でもあった。

記事には、確かフルトヴェングラーの「指環」を聴いた回数も書いてあった、と記憶している。
その回数を見て、この人はどれだけの時間を音楽を聴くことに費やしているのかと、
そして、その費やした時間のうち、フルトヴェングラーの「指環」以外を聴く時間はどのくらいなのか、
そんなことを考えてしまうほどの回数だったことは、はっきりと憶えている。

世の中にはいろんな人がいる──、
これで片付けられるといえばそうなのかもしれないけれど、
この記事を読みながら、この人は、フルトヴェングラーの「指環」は、
RAIローマ交響楽団の方ではなく、
きっとミラノ・スカラ座の方を何度も何度もくり返し聴いたのだろうな、と思っていた。

フルトヴェングラー/ミラノ・スカラ座による「ニーベルングの指環」は、そういうレコードである。
アバドが熱狂したのも、このミラノ・スカラ座との「ニーベルングの指環」である。

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]