Date: 1月 21st, 2014
Cate: Claudio Abbado
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アバドのこと(その2)

KAJIMOTOのサイトに「マエストロ・クラウディオ・アバドの訃報に寄せて」に、
これまでのアバドの来日公演の記録がある。

1987年にウィーンフィルハーモニーと来たアバドは、
翌88年にヨーロッパ室内管弦楽団と来ている。

このときの話を黒田先生から聞いている。
ウィーンフィルハーモニーとの公演はチケットもすぐに売切れで、当日の会場も満員だった、とのこと。
ヨーロッパ室内管弦楽団との公演においては、空席のほうが多かった、そうだ。

この話をされているとき、黒田先生の表情には怒りがあったように感じていた。

私はどちらの公演にも行っていないけれど、
黒田先生によればヨーロッパ室内管弦楽団との公演も素晴らしかったらしい。

素晴らしい、と同じ言葉で表現しても、
ウィーンフィルハーモニーとの素晴らしいとヨーロッパ室内管弦楽団との素晴らしい、とには、
共通する素晴らしさもあればそうでない素晴らしさもある。
比較するようなことではない。

その素晴らしいヨーロッパ室内管弦楽団の公演に空席が目立っていたことに、
コンサートのチケットを購入する人たちが、何を目安にしているのか。
そのことに怒りを持たれていたようだった。

いまではどうなんだろう、アバドの知名度はクラシックに関心のない人でも知っているのだろうか。
カラヤンの名前は、いわば誰でも知っている。
聴いたことがなくても、カラヤンの名前だけは知っている人はいても、
アバドとなると、当時はどうだったのか。

ウィーンフィルハーモニーの名前も、
クラシックに関心のない人にとっては、カラヤンの名前と同じなのだろう。

1980年代、そういう人たちにとってカラヤンとアバドの知名度、
ウィーンフィルハーモニーとヨーロッパ室内管弦楽団の知名度の差だけで、
チケットの売行きに差が大きく出ただけのことで、
そこでの演奏が劣っているわけではなかった。

だが現実にはヨーロッパ室内管弦楽団とアバドの公演では空席が多かった。

このことを思い出していた。
そして黒田先生なら、アバドのことをどう書かれるんだろう……、とおもっていた。

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