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Date: 10月 9th, 2010
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その27)

「確信していること」を書きながら、パラゴンの組合せのことも考えている。

瀬川先生のパラゴンの組合せは、「コンポーネントステレオのすすめ(改訂版)」のなかにある。
ひとつは、「コンポーネントステレオの価格をしらべる」という項目の中での、
豪華な組合せ例としてあげられている。
アンプはマッキントッシュのC28とMC2300のペア。
パラゴンにマッキントッシュという組合せでは、へたをすると図太い大柄なグラマーに音になりかねないのを、
適度におさえるために、カートリッジにはB&OのMMC4000を選択されている。
多少、この組合せは、話のネタ的なところがある。

もうひとつは、「特選コンポーネント28例」のなかにある。
こちらの組合せは、本気だ。
コントロールアンプはマークレビンソンのLNP2L、組み合わせるパワーアンプはSAEのMark2500。
このころの瀬川先生の常用(愛用)アンプだ。

アナログプレーヤーは、ラックスのPD121にSMEの3009/S2 Improved。
瀬川先生のこのころのメインのプレーヤーはEMTの930stだったが、
カートリッジを交換して楽しまれたりテストされたりするために、
もう一台、PD121にオーディオクラフトのトーンアームをとりつけたモノを使われていた。

スピーカーシステムが4341からパラゴンになっただけで、
ほかは愛用されていたシステムそのものをもってこられている。

この組合せについては、こう書かれている。
     *
その豪華で豊かな音質に加えて、パラゴンのもうひとつの面である、どんな細かな音にも鋭敏に反応するおそろしいほどのデリカシーを生かすには、ここにあげたようなマークレビンソンのコントロールアンプにSAEのパワーアンプ、という組合せが最上だ。現にこれは私の知人が愛用しているものとほとんど同じ実例といってよい。
     *
いま、瀬川先生だったら、どんな組合せをつくられるだろうか。

Date: 10月 8th, 2010
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

確信していること(その6)

むかしたった一度聴いただけで、もう再び聴けないかと思っていたJBLのハーツフィールドを、最近になって聴くことができた。このスピーカーは、永いあいだわたくしのイメージの中での終着駅であった。求める音の最高の理想を、鳴らしてくれる筈のスピーカーであった。そして、完全な形とは言えないながら、この〝理想〟のスピーカーの音を聴き、いまにして、残酷にもハーツフィールドは、わたくしの求める音でないことを教えてくれた。どういう状態で聴こうが、自分の求めるものかそうでないかは、直感が嗅ぎ分ける。いままで何度もそうしてわたくしは自分のスピーカーを選んできた。そういうスピーカーの一部には惚れ込みながら、どうしても満たされない何かを、ほとんど記憶に残っていない──それだけに理想を託しやすい──ハーツフィールドに望んだのは、まあ自然の成行きだったろう。いま、しょせんこのスピーカーの音は自分とは無縁のものだったと悟らされたわたくしの心中は複雑である。ここまで来てみて、ようやく、自分の体質がイギリスの音、しかし古いそれではなく、BBCのモニター・スピーカー以降の新しいゼネレイションの方向に合っていることが確認できた。
     *
瀬川先生のハーツフィールドへの想いは、
もうひとつペンネーム「芳津翻人(よしづはると)」にもあらわれている。
芳津翻人は、ハーツフィールドの当て字だ。

そのハーツフィールドのユニット構成は、初期のパラゴンとほぼ同じだ。
ウーファーは150-4C、中音域のドライバーは375。基本は2ウェイだが、
のちに075を加えて3ウェイ仕様になっている。
エンクロージュアのホーン構造も途中から変更され、すこしばかり簡略化されている。

パラゴンも、初期のものはウーファーには150-4Cが使われていた。
ドライバーは、もちろん375で、パラゴンは初期モデルから3ウェイで、075を搭載。

比較的はやい時期からパラゴンのウーファーはLE15Aに換えられている。
じつはハーツフィールドもウーファーには多少の変更がある。
型番こそ150-4Cと同じだが、コーンアッセンブリーの変更により、
コーン紙の材質の変更、それにともなうf0が低くなり、振幅もオリジナルの150-4Cよりも確保できている、
と山中先生からきいたことがある。

つまりパラゴンのウーファーの変更と、同じ方向の変更がハーツフィールドにも行なわれていたわけだ。

搭載されているユニットの違いは、ハーツフィールドとパラゴンのあいだにはない、といってもいい。
にもかかわらず、瀬川先生にとって、ハーツフィールドとパラゴンへの想いには、相違がある。

Date: 10月 7th, 2010
Cate: D44000 Paragon, 瀬川冬樹

確信していること(その5)

1957年11月に登場したD44000 Paragonは、JBLにとって、ステレオ時代をむかえて最初に発表した、
文字通り、ステレオスピーカーシステムである。
そして60年をこえるJBLの歴史のなかで、もっとも寿命のながかったスピーカーシステムでもある。

パラゴンの前には、D30085 Hartsfield がある。
ステレオ時代のJBLを代表するのがパラゴンならば、このハーツフィールドはモノーラル時代のJBLを代表する。
1955年、Life誌にてハーツフィールドは「究極の夢のスピーカー」として取りあげられている。

ハーツフィールドとパラゴンは、デザインにおいても大きな違いがある。
どちらが優れたデザインかということよりも、
はじめて見たとき(といってもステレオサウンドの記事でだが)の衝撃は、
私にとってはハーツフィールドが大きかった。

はじめて買ったステレオサウンド 41号に掲載されていた「クラフツマンシップの粋」、
そのカラー扉のハーツフィールドは、美しかった。たしか、ハーツフィールドがおかれてある部屋は、
RFエンタープライゼスの中西社長のリスニングルームのはずだ。

こんなにも見事に部屋におさまっている例は、
しばらくあとにステレオサウンドで紹介された田中一光氏のハークネス(これもまたJBLだ)だけである。

ハーツフィールド(もしくはハークネス)が欲しい、と思うよりも、
この部屋まるごとをいつの日か実現できたら……、そんな想いを抱かせてくれた。

若造の私も魅了された。
ハーツフィールドと同じ時代をすごしてこられた世代の人たちにとっては、
私なんかの想いよりも、ずっとずっとハーツフィールドへの憧れは強く、熱いものだったろう。

瀬川先生にとってハーツフィールドは、
「永いあいだわたくしのイメージの中での終着駅であった」と書かれている。
(「いわば偏執狂的なステレオ・コンポーネント論」より)

Date: 10月 6th, 2010
Cate: 境界線

境界線(その5)

音に、低音・中音・高音(もっとこまかく区分けしてもいいけれど)、その境界線は存在しない。
存在しないからこそ、スピーカーシステムにスーパートゥイーターを加えれば、
高域の再生音域が広がり、高域の印象だけが変化するわけでなく、低音の印象まで変ってしまうのは、
ずっと以前から指摘されていることだ。
なにもスーパートゥイーターに限らない、ウーファーを変えれば高音にも影響するし、もちろん中音にも影響する。
中音のスピーカーユニットを変えれば、低音、高音も変っていく。

どこかに境界線があれば、その境界線より下の帯域のスピーカーユニットを他のユニットに交換しても、
それより上の帯域にはいっさい影響をあたえず、その境界線から下の帯域のみが変化しなくてはならないはずだが、
そんな例について、いままで聞いたことも何かで読んだことも、私自身の体験でも、まったくない。

音の変化は、どこか部分的・局所的であるはずがない。
かならず、どんな場合にも、全体が変化している。
ただ変化の目立つところと、そこに隠れて、そうでない変化があるだけだ。

くりかえす、音に境界線はないからだ。
だが、オーディオの再生系に関しては、どうだろうか。
その境界線を、あえてあいまいにしてきてないだろうか。

Date: 10月 6th, 2010
Cate: 境界線

境界線(その4)

音楽における低音・中音・高音と、
オーディオにおける低音・中音・高音の定義はまったく同じではなくて、違いがある。

オーディオにおける定義についても、どこからどこまで(何Hzから何Hzまで)が低音で、
高音は何Hz以上からとはっきた決っているわけでもない。
低音・中音・高音の境界線は存在するようでいて、はっきりとしているわけではない。
それに聴いた感じの低音・中音・高音もあれば(しかもこれは個人によって、その区分け方は異ってくるから)、
スピーカーシステムでは、システム構成によって、その区分け方に微妙な違いが生じてくる。

どんなオーディオの本を読んでも、おおまかな目安についてはかかれていても、
はっきりとした数値で表したものはない。
あったら教えていただきたい。

瀬川先生も「オーディオABC」の中で書かれているように、
低音と中音の分かれ目で、音がガラリと変ることはない。

「オーディオABC」の中にある「オーディオ周波数と再生音の効果」の図をみても、
それぞれの音域は、となりあった音域とすこしずつ重なりあっている。
その重なりあっている音域あたりから、なんとなく音の効果が変っていくわけで、
その重なっているところ、つまりクロスオーバー周波数がかりに4000Hzだったとして、
あたりまえすぎることだが、4000Hzと4001Hzの正弦波を聴いたとして、
そのふたつの音の印象・効果の違いなんてわからない。3900Hzと4100Hzでもおなじだ。

4000Hzの1オクターヴ上(8000Hz)、1オクターヴ下(2000Hz)の違いとなると、
これは誰の耳にでもはっきりとわかる。

こんどは2000Hzから8000Hzまでスイープさせながら音を聴いていく。
周波数が高くなっていくのがわかるとともに、音の印象・効果も変化していくのはわかっても、
その変化ははっきりと色分けできるものではなく、グラデーションであり、いつのまにか印象が変っている。
変っていくのはわかっても、はっきりとここで変るといえる性質のものではない。

長々書いているが、結局のところ、音に境界線はない、といえる。
すべてが連続しつながっている。

Date: 10月 5th, 2010
Cate: D44000 Paragon, 瀬川冬樹

確信していること(その4)

じつは、この項に関しては、つづきを書くつもりはなかった。
最初に書いた3行だけだったのだが、デッカのデコラのことが頭に浮かんできて、
その次に、JBLのパラゴンのことが、ふいに浮かんできた。

デコラは浮かんできたことについて、すんなり理解できるものの、
パラゴンに関しては、ほんの少しのあいだ「?」がついた。

でも、そうだ、パラゴン「!」に変った。

じつは以前から、瀬川先生のパラゴンについて書かれたものを読むとき、
どこかにすこしばかり「意外だなぁ」という気持があった。
同じJBLのスピーカーとはいえ、瀬川先生が愛用されていた4341、4343といったスタジオモニター・シリーズと、
D44000 Paragon ずいぶん違うスピーカーシステムである。
もっともパラゴンは、他のどんなスピーカーシステムと比較しても、特異な存在ではあるけれど、
どうしても瀬川先生が指向されている音の世界と、そのときは、まだパラゴンの音とが結びつかなかったから、
つねに「意外だなぁ」ということがあった。

工業デザイナーをやられていたことは、けっこう早くから知っていたので、
パラゴンに対する高い評価は、音に対すること以上に、
そのデザインの完成後、素晴らしさに対することへのものが大きかったからだろう……、
そんなふうに勝手な解釈をしていたこともあった。

けれど、いくつかの文章を読めばわかることだが、パラゴンに関しては、絶賛に近い書き方である。
デザインだけではないことが、はっきりとしてくる。

Date: 10月 4th, 2010
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その3)

デッカ・デコラについて語られている文章では、
ステレオサウンド別冊の「サウンドコニサー」に載っている五十嵐一郎氏の書かれたものが、いい。

デコラという電蓄がどういうものか、がはっきりと伝わってくる。

五十嵐氏は、デコラの音を、「風景」ということばを使いたい、とされている。
     *
「風景」が見えるような感じで、冬に聴いていますと、夜など雪がしんしんと降り積もっている様子が頭にうかびます。夏に聴けば、風がすーっと川面を渡っていくような感じ、春聴けば春うららっていうような感じ。自分の気持ちのもちようにとか四季のうつりかわりに、わりと反応するような気がする。
     *
そして「ホカホカの日だまり」という感じとも表現されている。

池田圭氏は「ハイもローも出ないけど諦観に徹している」、
大木恵嗣氏は「これは長生きできる音だなぁ」、
両氏の表現も、五十嵐氏の文章のなかに、そうある。

デコラをは、2回、これまで聴く機会があった。
時間は短かったけれど、五十嵐氏、池田氏、大木氏のことばのとおりである。

五十嵐氏の文章の題名は、
幻の名器研究 デコラにお辞儀する、だ。

レコードを鳴らす器械が蓄音器と呼ばれていた時代だからこそ、
そういう時代に意を尽くして作られたモノだからこそ、「お辞儀をする」ということばが似合う。

デコラを、瀬川先生は聴かれたことがあるのだろうか。
どこかに、デコラについて書かれている文章はあるのだろうか。

Date: 10月 3rd, 2010
Cate: 瀬川冬樹
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確信していること(その2)

クレデンザでもいい、HMVの♯202(203)でもいい、どちらかの音、そのよさをそのままに、
周波数特性(振幅特性、位相特性ともに)だけでなく、ダイナミックレンジ、それに指向特性までふくめて、
ワイドレンジにすることは、ほんとうにできるのだろうか、
そういう音は、じつは聴き手の中にしか存在しない音なのかもしれない。
それでもけっして無理なことではないはず。

そう気づいたときに、「虚構世界の狩人」ということばの重みが変ってきた。

「虚構世界の狩人」という題名をつけられたのは、音楽之友社の佐賀氏だ、と同著のあとがきにある。
佐賀氏が、何故、この題名にされたのかはわからない。
ただ瀬川先生自身、この「虚構世界の狩人」を気に入っておられたことは、わかる。

いま、この「虚構世界」が、アクースティック蓄音機の音をワイドレンジにする、という、
およそなしえないことのようにおもえる「音」の世界に重なってきてしまう。

アクースティック蓄音機は、機械仕掛けの音である。
現在のオーディオは、電気仕掛け(むしろ電子仕掛けといいたいくらい)と機械仕掛け、
それも電気仕掛けのウェイトがあきらかに大きい。

アクースティック蓄音機に対して、電蓄と呼ばれていたころのモノとは大きく違ってきている。

電蓄という言葉がつかわれていたころの、代表的なモノが、デッカのデコラである。
「デッカの電蓄」といえるデコラの音は、アクースティック蓄音機の音を、
電気仕掛けのなかに、すこしだけワイドレンジ化することにうまくいった、そういう音だと感じている。

とはいっても、デコラはワイドレンジというよりも、むしろナロウレンジではある。
それほど高音も低音も伸びていないし、ダイナミックレンジもむしろ抑えぎみといった印象を受ける。

それでも、アクースティック蓄音機よりは、やはりワイドレンジになっている。

Date: 10月 2nd, 2010
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その65)

真空管アンプでS/N比を高くするためには、ヒーター、フィラメントの直流点火がもっとも手っとり早い方法である。

けれど、以前から、直流点火よりも交流点火のほうが、ノイズは多いけれど音は良い、という人が少なくなかった。
プッシュプルアンプではハムは打ち消されるものの、シングルアンプでは、交流点火はノイズの増加だけでなく、
ハム対策もめんどうになってくる。
それでも、交流点火にこだわる人たちはいなくならない。

この項の(その25)で使った「遅れてきたガレージメーカー」がつくる管球式コントロールアンプでは、
三端子レギュレーターを使って定電圧の直流点火している。

交流点火よりも非安定化(定電圧回路を使わない)の直流点火、それよりも定電圧電源による直流点火のほうが、
リップル除去率は高くなるし、一見、ノイズは減っているように受けとめられている。

だが昔からの真空管アンプのマニアになればなるほど、三端子レギュレーターによる直流点火は、最悪だという。
最悪なのは、もちろん音に関して、である。
それも直熱管におけるフィラメントの点火だけでなく、傍熱管のヒーターの点火に関しても、
三端子レギュレーターに対して、ひじょうに厳しい。

直熱管における点火方法の違いによる音の変化は実際に試聴したことはないが、
傍熱管(電圧増幅管)では、その機会があった。

たしかに三端子レギュレーターでの直流点火の音は、聴くとがっかりする。

Date: 10月 1st, 2010
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その1)

瀬川先生が追い求められていた音とは、
クレデンザ、HMVの♯202、203といったアクースティック蓄音器の名器の音を、
真の意味でワイドレンジ化したものだった、と確信している。

Date: 9月 30th, 2010
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その64)

真空管アンプは、ソリッドステート(半導体)アンプにくらべて、真空管そのものの構造から、
どうしても物理的なノイズに関しては不利な面がいくつかある。

その代表的なひとつが、ヒーターおよびフィラメントの存在であり、その点火方法であろう。

ときどき、こんな記述をみかける。
「EL34のフィラメントが赤く灯り……」
書いているご本人は、ヒーターと表記せずに、あえてフィラメントとすることで、
言葉の雰囲気に酔われているのかもしれないが、真空管においてヒーターとフィラメントは異る。

フィラメントとは熱電子源である。つまり直熱管においてのみ、フィラメントは存在する。
ヒーターは熱源ではあるが、熱電子源ではない。ヒーターで熱せられたカソードから熱電子が放出されるからだ。

EL34やKT88などは、傍熱管だからヒーターであって、フィラメントは持たない。
ECC82、ECC83といった電圧増幅管も傍熱管だから、フィラメントはない。

これもチョークコイルを、わざわざチョークトランスと呼ぶ人がいるのと同じことなのかもしれない。
トランスは “transformer” であり、”transformer” の意味を調べれば、
チョークはコイルであってトランスではないことはすぐにわかる。

ヒーターよりもフィラメントと、コイルよりもトランスと、とあえて誤記することが、
字面のうえでかっこいい、と思っているのだろうか。

意味さえ通じれば、そんなこまかなことはいいじゃないか、という反論もあろうが、
そういうこまかなことをきちんとせずに、おろそかに取り扱っていたら、それはその人の音に出てしまう。

Date: 9月 29th, 2010
Cate: 表現する

音を表現するということ(続・聴いてもらうということ)

よけいなお世話なんだということはわかっているけれど、それでもいいたいのは、
なにかいそすぎている人がふえている、
もうすこし腰をすえてゆっくりオーディオととり組んだらどうだろう、ということ。

いまのオーディオのことに関しても、情報の伝達がはやいし、信用できるできないかは措いとくとしても、
情報(情報まがいもふくめて)の量は、ネットにアクセスすれば、
いったいどれだけあるのか想像もつかないほど増えている。

オーディオブームだった頃にくらべるとオーディオ雑誌の数は少なくなってきているけど、
得ようと思えば、情報はピンからキリまである厖大なその量は、ブーム時よりも圧倒的に多い。

そして人と人との結びつきも変ってきて、いわゆる「オフ会」が開かれることも、
昔とは比較にならないほど増えているんだろうと思う。

情報が増え、人に聴かせる機会も増え、誰かの音を聴く機会も増えたことの弊害が、
自分のペースを見失い、いつしかまわりの、そんなペースに流されてしまっていることにすら気がついていない、
そんな人も出てきているような気がする。

オーディオはどこまでいっても、その人個人のもの。
個人のものに締切はない。いついつまでにいい音に仕上げなければならない、そういうものじゃない。
じっくり自分のペースで、ゆっくりいい音に仕上げていくだけなのに、と思う。

人に聴かせようと思ったら、その日までにいい音にしたい、と思うのは誰しも同じ。
でも、そのことの弊害(といってはすこし言いすぎか)がどこかしらに出てくる、そんな気は以前から感じていた。

新しいモノを買ったら、心情として、仲の良いオーディオの仲間には、つい言いたくなる。
言ってしまったら、聞いた相手は、とうぜん「聴かせてほしい」といってくるだろう。
自ら言った手前、ことわりにくかろう。そうやって誰かに聴いてもらうこともある。

まだダメだ、ときっぱりことわれる人はいい。
でもそうでない人は、自分の音を大切にするためにも、黙っておいた方がいいのかもしれない。

そして短くても半年、できれば1年、じっくり自分のペースでとり組んで、納得したときに聴いてもらう、
それが、いわば本来の在りかたではないだろうか。

どんなに世の中の流れがはやくなろうと、
1枚のディスクにおさめられた音楽を聴くために必要は時間は、変らない。短くなんてならない。
1時間の音楽を聴くためには、1時間の時間がいる。これからかも、ずっとそうだ、変らない。
急ぐ必要は、どこにもない。

Date: 9月 28th, 2010
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(使いこなしとは)

なにかオーディオ機器を購入する。届く。
すぐに結線をして電源をいれて音を聴きはじめる人もいれば、
電源をいれてもすぐには聴かずに、電解コンデンサーへのチャージが十分にすすみ、
ウォームアップが終るまで聴かないという人もいるだろう。

さらには、CDプレーヤーならディスクを入れて再生状態・リピート状態にして、
1日か2日そのままにして、から、という人もいる。
アンプでも、発熱の多いものでなければ数時間のウォームアップではなく、
1日とか2日とか電源を入れっぱなしにしておいてから、
とにかく本調子が出てからの音を聴く、という人がいる。

人それぞれだから、どれがよくどれがだめなわけではない。
それでも……、とひとついいたいことはある。

「使いこなし」で大事なことは、とにかく「知る」こと。
そして「知る」ためには、「聴く」こと。

買うまでには時間がかかったり苦労したりがあったら、そうやって手にいれたオーディオは、最初の音出しから、
万全の調子にして、できるだけいい音ができる状況をつくったうえで聴きたい、その気持はわかる。

けれど届いたばかりのまっさらの新品の、まだウォームアップもチャージも十分に行われていない、
そのときの音も聴いて、知っておいた方がいい。

まだ冷えた状態の音から聴きはじめる。
そして徐々に暖まってくるとともに、チャージも進んでいく。そのときの音の変化も聴いていく。
そして1日目の音、2日目の音、3日目の音、さらに1週間後の音、1カ月後の音……。
その変化も聴いていくことの積重ねが、そのオーディオ機器を「知る」ことになっていく。

オーディオ機器は、違う製品であれば、ウォームアップによる音の変化、チャージによる音の変化、
エージングによる音の変化───これらは似たところもあれば、製品によってすこしずつ違う。

長時間のウォームアップによって、逆に音がダレてくるものもある。
ウォームアップした音だけを聴いていては、その判断はつきにくい。

ひとつのオーディオ機器で、アクセサリーの類をいっさい変えなくても、
つまり何もいじらなくても音は変化していく。使っていくうちに、そして季節の変化によっても。
音の変化はいくつもあり、それらをきちんと聴いて把握していくことが、
そのオーディオ機器を知ることになっていく。

とにかくあらゆる音の変化を貪欲に聴いていくことが、使っているオーディオ機器を「知る」ことである。
知らなければ、使いこなしは、ただやみくもに音の変化に惑わされることに陥りやすくなる。

音(そのさまざまな変化)を聴いて「知る」こと。
インターネットや雑誌によってのそれと、自分の耳で聴いて「知る」こととは、意味が異る。

音を聴いて「知る」ことが、オーディオの「基本」であり、
「使いこなし」はそこからはじまる、ともいえる。

Date: 9月 27th, 2010
Cate: 「本」

オーディオの「本」(その8)

「展」という漢字には、おしのばす、平らにひろげる、という意味がある。
この「展」こそ、電子書籍を考えるうえでの重要な言葉となっていくように思う。

「展」のつくことばに、展開、展覧、展望がある。
そして開展、進展、発展がある。

いまiPadをプラットホームにした電子書籍(もちろんのオーディオの「本」)にとりかかっている。

Twitterで、さきごろ「展(ひら)く」と書かれている人がいた。
なるほど、と思った。

この「展く」によって、電子書籍の「かたち」がみえはじめてきている。

紙の本では、ページを開く、だった。
電子書籍では、ページを展く、になっていくはずだ。

そして、個人的には「展く」に、もうひとつの意味をこめたい。

Date: 9月 26th, 2010
Cate: コントロールアンプ像

私がコントロールアンプに求めるもの(その6)

回路設計ができるレベルまで到達していなかったからこそ、
ブロックダイアグラムづくりは制限を受けずに考えることができたようにも思う。

なにせアンプ部の記号は三角マークでいいのだから、
その三角マークの中味のことはとりあえず考えなくて、とにかく自由にあれこれ三角マークをつないでいく。

ヤマハのCIやテクニクスのSU-A2のブロックダイアグラムも見た。
SU-A2の技術的な内容については、当時の電波科学に詳細な記事が載っていた。
SU-A2のブロックダイアグラムを諳記しようとは思わなかった。
それでも描き写すことはやっていた。といっても、いまとなってはなにひとつ憶えていないけど。

そうやっていくうちに、ブロックダイアグラムに信号系だけでなく、電源関係も含めて描くようになっていった。
そしてツマミのレイアウトも並行して考えていく。
デザインとはいえないレベルの手前で、とにかくツマミをどう配置すれば、内部配線との絡みを考えて、
うまく(スマートに)つくりあげることができるか。
まだ当時は、いまのように信号系の切替えにリレーを使うことはあまりなかった。
LNP2にしてもロータリ・スイッチを採用している。だから内部配線はフロントパネルまで引き廻される。

たとえばトーンコントロールのBASSとTREBLEのツマミの配置にしても、
マランツのModel 7とマッキントッシュのC22とでは、まるっきり違う。

いまの信号処理に関する技術をつかえば、C22のようなレイアウトでも技術的な無理は生じないだろうが、
あの時代としては、そうとうに大胆なレイアウトである。

まあ、とにかく学生時代は、そういうことにずいぶん時間を費やしてきた。
だからといって、答えを見つけ出せたかというはそうでもない。
そうたやすく見つけ出せる(考え出せる)ものではなかった。
だから、瀬川先生も、あれこれコントロールアンプの記事を書かれていたわけだ。