Date: 9月 29th, 2010
Cate: 表現する
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音を表現するということ(続・聴いてもらうということ)

よけいなお世話なんだということはわかっているけれど、それでもいいたいのは、
なにかいそすぎている人がふえている、
もうすこし腰をすえてゆっくりオーディオととり組んだらどうだろう、ということ。

いまのオーディオのことに関しても、情報の伝達がはやいし、信用できるできないかは措いとくとしても、
情報(情報まがいもふくめて)の量は、ネットにアクセスすれば、
いったいどれだけあるのか想像もつかないほど増えている。

オーディオブームだった頃にくらべるとオーディオ雑誌の数は少なくなってきているけど、
得ようと思えば、情報はピンからキリまである厖大なその量は、ブーム時よりも圧倒的に多い。

そして人と人との結びつきも変ってきて、いわゆる「オフ会」が開かれることも、
昔とは比較にならないほど増えているんだろうと思う。

情報が増え、人に聴かせる機会も増え、誰かの音を聴く機会も増えたことの弊害が、
自分のペースを見失い、いつしかまわりの、そんなペースに流されてしまっていることにすら気がついていない、
そんな人も出てきているような気がする。

オーディオはどこまでいっても、その人個人のもの。
個人のものに締切はない。いついつまでにいい音に仕上げなければならない、そういうものじゃない。
じっくり自分のペースで、ゆっくりいい音に仕上げていくだけなのに、と思う。

人に聴かせようと思ったら、その日までにいい音にしたい、と思うのは誰しも同じ。
でも、そのことの弊害(といってはすこし言いすぎか)がどこかしらに出てくる、そんな気は以前から感じていた。

新しいモノを買ったら、心情として、仲の良いオーディオの仲間には、つい言いたくなる。
言ってしまったら、聞いた相手は、とうぜん「聴かせてほしい」といってくるだろう。
自ら言った手前、ことわりにくかろう。そうやって誰かに聴いてもらうこともある。

まだダメだ、ときっぱりことわれる人はいい。
でもそうでない人は、自分の音を大切にするためにも、黙っておいた方がいいのかもしれない。

そして短くても半年、できれば1年、じっくり自分のペースでとり組んで、納得したときに聴いてもらう、
それが、いわば本来の在りかたではないだろうか。

どんなに世の中の流れがはやくなろうと、
1枚のディスクにおさめられた音楽を聴くために必要は時間は、変らない。短くなんてならない。
1時間の音楽を聴くためには、1時間の時間がいる。これからかも、ずっとそうだ、変らない。
急ぐ必要は、どこにもない。

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