境界線(その5)
音に、低音・中音・高音(もっとこまかく区分けしてもいいけれど)、その境界線は存在しない。
存在しないからこそ、スピーカーシステムにスーパートゥイーターを加えれば、
高域の再生音域が広がり、高域の印象だけが変化するわけでなく、低音の印象まで変ってしまうのは、
ずっと以前から指摘されていることだ。
なにもスーパートゥイーターに限らない、ウーファーを変えれば高音にも影響するし、もちろん中音にも影響する。
中音のスピーカーユニットを変えれば、低音、高音も変っていく。
どこかに境界線があれば、その境界線より下の帯域のスピーカーユニットを他のユニットに交換しても、
それより上の帯域にはいっさい影響をあたえず、その境界線から下の帯域のみが変化しなくてはならないはずだが、
そんな例について、いままで聞いたことも何かで読んだことも、私自身の体験でも、まったくない。
音の変化は、どこか部分的・局所的であるはずがない。
かならず、どんな場合にも、全体が変化している。
ただ変化の目立つところと、そこに隠れて、そうでない変化があるだけだ。
くりかえす、音に境界線はないからだ。
だが、オーディオの再生系に関しては、どうだろうか。
その境界線を、あえてあいまいにしてきてないだろうか。