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Date: 5月 28th, 2011
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その63)

従来の同心円状のフェイズプラグの802-8Dと
タンジェリン状のフェイズプラグの802-8Gの周波数特性のグラフを見較べると、
7、8kHzあたりからなだらかに高域のレスポンスが下降する802-8G、
15kHzをこえたあたりで小さなディップがあるものの、ほぼ20kHz近くまで延びている802-8Gと、
はっきりと、その差(改善の度合)が表われている。

802-8Dと8Gの違いはフェイズプラグだけでなく、磁気回路も若干変更されている、とのこと

さらにModel 19では、2ウェイながら、高域と中域を独立して調整できるレベルコントロールがついたこともあり、
それまでナローな印象、それゆえの音の特徴をつくってきたアルテックのスピーカーシステムのイメージから、
Model 19はすこしばかり離れたところにいる。

このタンジェリン状のフェイズプラグが604シリーズに採用されたのは、
マルチセルラホーンからマンタレーホーンに変更した604-8Hからだと、実のところ、つい先日まで思っていた。
でも調べてみると、604-8Gの後期モデルには、すでにタンジェリン状のフェイズプラグが採用されている。
この後期の604-8Gはいちど聴いてみたいが、タンジェリン状のフェイズプラグは、いいところばかりではない。
形状からくるものとして、同心円状のものとくらべてダイアフラムに空気負荷がかかりにくくなる。
そのためA7では、802-8Dでは800Hzだったクロスオーバー周波数を、802-8Gでは1.2kHzにあげている。

604-8Gは、もともと1.5kHzとクロスオーバー周波数は高いところにあるためか、特に変更はされていない。

Date: 5月 27th, 2011
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その62)

アルテックを代表するスピーカーシステムは、基本的に2ウェイだった。
プログラムソースがワイドレンジになっていっても、その姿勢はくずすことなく、
それは2ウェイに固執している、ともいいたくなる一面もあった。

そのアルテックが、コンプレッションドライバーの802-8Dのフェイズプラグを、従来の同心円状の形状から、
オレンジを輪切りにしたように、スリットが放射状に並ぶタンジェリン状のものに変更した802-8Gを出してきた。
これが1977年ごろのことだ。

タンジェリン状のフェイズプラグはアルテックによる新開発の技術のように思えたが、
実のところ、1936、37年ごろにランシング・マニュファクチュアリングによって発表されている。
と書くとランシングが考えだした、と受けとられがちだし、実際にそう記述された記事もあるが、
実際にはランシング・マニュファクチュアリングのシャインだったジョン・ブラックバーンによるもの。
1939年に特許を取得している原案では、放射状にはいるスリットの数は20本、
しかも周縁部ではスリットの隙間が広くなっている。

この時期、ランシング・マニュファクチュアリングから登場したドライバーの285に採用されたものの、
同心円状のフェイズプラグのみが採用されていった。

長い間眠り続けていた技術にアルテックが光をあて採用した、ということだ。
アルテックのタンジェリン状のフェイズプラグのスリットの数は11本で、スリット幅は周縁部も中心部は同じ。

285のフェイズプラグは写真で見るかぎり金属製のようだが、
アルテックは樹脂製にし、タンジェリンの名前を強調するかのようにオレンジ色としている。

Date: 5月 27th, 2011
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その61)

スピーカーユニットに関しては、アルテックとタンノイは異る考え方でシステムを構築しているが、
エンクロージュアに関しては共通していることがある。

この項で以前書いているように、タンノイのバッキンガムのエンクロージュアは、
同時期にでていたアーデンやバークレイなどのシリーズと比較するとひじょうに堅固に作られていた。
どちらかといえば、あまりがっしりした作りではなかったアーデン、バークレイとの比較においてだけでなく、
他社のエンクロージュアと較べて(実物をみていないので断言はできないが)、しっかり作られたものだといえよう。

アルテックの604-8G(もしくは8H)をおさめたエンクロージュアは、
いわゆる銀箱と呼ばれている612、大型化したバスレフ型の620があった。
これらが、タンノイほどではないものの、それほどがっしりとしたつくりではなかったのに対し、
6041のエンクロージュアは、かなりしっかりしたつくりになっている。

同軸型ユニットを1本だけおさめたシステムは、タンノイもアルテックもエンクロージュアを、
どちらかといえば積極的に鳴らして利用していくという方向に対し、
同軸型ユニットをつかいながらも、スピーカーユニットを追加し、ワイドレンジ化をはかったシステムは、
反対にエンクロージュアの鳴きをおさえる方向でまとめている。

これはタンノイのキングダムにも、いえることだ。

Date: 5月 26th, 2011
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その60)

15インチ口径の604-8Gを中心にして、
ウーファーとトゥイーターをつけ加えて4ウェイにする、という考えは浮ばなかった。

せめて30cmの同軸型ユニットが当時もラインナップされていたら、
アルテックのユニットを使った4ウェイ・スピーカーについてあれこれ想像しただろうが、
15インチ(38cm)の同軸型ユニットを、もし使うとすれば、
ウーファーは38cm口径のウーファーをダブルにするとか、18インチ(46cm)をもってくるとか、になるが、
当時アルテックには46cm口径はなかったし、
604-8Gがあって、その他に38cmウーファーが2発あるというシステムは、
JBLの4350よりも規模が大きくなりすぎて、はたしてそこまでして4ウェイにする必要はあるのだろうか、
という疑問も湧いてきて、アルテックの604を中心とした4ウェイ構想は、私のなかでは消えていった。

たとえそれが想像だけのものとしても、604を中心ユニットとする4ウェイは、
システムとしてまとめるのが難しいのでは? というのは、オーディオに関心を持ちはじめたばかりの私でも思う。

ところが1980年にアルテックから6041が登場した。
604-8Hを中心とした4ウェイのスピーカーシステムである。
正直、驚いた。

タンノイはバッキンガムの開発にあたって、従来のスピーカーユニットを使って、ではなく、
同軸型ユニットもウーファーも新たに設計し作っているのに対し、
アルテックは既存のスピーカーユニットを組み合わせて、それも力づくで組み合わせたという印象がのこる、
そんなまとめ方で、6041を出してきた。

6041のトゥイーターは新開発のものだと当時はアナウンスされていたが、実のところ日本製だった。
当時アルテックには3000Hというトゥイーターはあったが、604-8Hと組み合わせて、
いい結果が得られそうな設計のものではなかった。

Date: 5月 26th, 2011
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その59)

瀬川先生の4ウェイ構想の記事をよんだときに、
タンノイ同軸型ユニットから発展させていく、という案を私なりに考えたことがある。

10cmから20cmくらいのフルレンジユニットから発展させていく4ウェイ構想の最初を、
タンノイの同軸型ユニット、それも38cmや30cm口径ではなく、
いちばん口径の小さな25cmのHPD295でいくというものだった。

25cm口径ならば、JBlの4343のミッドバス2121の口径は同じ。
すでに、4343のミッドハイに相当する高域ユニットも、同軸型ユニットだからすでにあるわけで、
HPD295を中心ユニットとして、ウーファーとトゥイーターをつけ加えて、4ウェイに仕上げる。

タンノイからはウーファー単体は発売されていなかった(ずっと以前は発売されていたが)ので、
ウーファーには同じイギリスということで、ヴァイタヴォックスかな、
トゥイーターは、これまたタンノイからは単体のユニットは出ていないから、
テクニクスの10TH1000(リーフ型)かパイオニアのPT-R7、
もしくはトゥイーターをネットワークではなく、専用アンプを用意して鳴らすのであれば、
能率が多少低くても使えるので、デッカのDK30を、
マークレビンソンのHQDシステムのアイディア拝借してホーンを外して使う、とか、
そんなことを考えていた時期がある。

だからバッキンガムがタンノイから登場したときには、全体の構成にやや物足りなさは感じながらも、
構想には惹かれるものがあった。

同軸型ユニットには、アルテックもある。
でもアルテックには、604-8Gしかなかった。
タンノイのように口径のヴァリエーションはなかった。

Date: 5月 25th, 2011
Cate: 欲する

何を欲しているのか(その12)

いまはもう、以前のような楽しみ方で、カートリッジの音の違いを楽しむ時代ではなくなっているのかもしれない。
それは仕方のないこととはいえ、それにもともとカートリッジを交換することをやっていなかった私だけれども、
そういう状況は、寂しい、というよりも、息苦しさ、窮屈さ、そういったもののようを強く感じたりもする。

ひたすらいい音を追い求める──、のは結構なことだけれども、
あまりにストイックすぎるのも、どうかとも思う。

もっとオーディオは、楽しんでいいはずだ。
というと、いい音を追求することこそ、楽しみだ、といわれそうだが、
楽しみ方も、ひとつではないことを思い出してほしい、といいたい。

オーディオは「求道」的姿勢に価値がおかれすぎている、と反省を込めて、思うことがある。
そういうとき思い出すのが、井上先生のことだ。

Date: 5月 25th, 2011
Cate: 欲する

何を欲しているのか(その11)

ステレオサウンドはすでに購入していないから、なんとなくの発言になってしまうが、
いまステレオサウンドで取り上げられるカートリッジは、おそらくほとんどがMC型だと思う。

以前のように、MC型とMM型があって、そのほかにMI型、VM型、コンデンサー型などがあった時代とは、
すっかり違ってしまっている。

普及クラスのMM型カートリッジも、実際には発売されているのだろうが、
ステレオサウンドで取り上げられるクラスのものからは外れてしまっている。

以前のように、メインのカートリッジを決めておいて、音のヴァリエーションを楽しみたいとき、
ふだんあまり聴かないジャンルの音楽をきくときなどに、
メインで使っているカートリッジとは大きく音色的にも異るカートリッジにつけ替える、ということは、
その音楽にふさわしいカートリッジを選ぶ、という意味では、音を良くすることになるけれど、
どちらかといえば、そういうときは、音のヴァリエーションを楽しむ、という面が強かった。
少なくとも、私はそうだった。

EMTのTSD15が必然的にメインのカートリッジになっていたわけだが、
TSD15がニガテとする音の表現を得意とするカートリッジの音は、聴きたくなることがある。
それはどんなにTSD15の調整を追い込んでいっても、決して得られる世界ではない。
TSD15は万能のカートリッジでもなかった。

だからTSD15の音の世界からまったく離れてしまいたいときには、
そういう音の世界のカートリッジに替えてしまうしかない。
そのカートリッジに、ほんのひととき浮気している、ということになるのだろうか。
そういうときは、そのカートリッジの音を、とにかく楽しむ。

いま市場に、どれだけのカートリッジが出廻っているのかすら、きちんと把握するのはたいへんである。
以前だったら、ステレオサウンドが出していたYEAR BOOKがあったから、把握できていた。
そんな具合だから、実際には、昔ほどではないにしても、
音のヴァリエーションはまだまだ広い、といえるかもしれない。
と書きながらも、やはり、いまはカートリッジよりも、ヘッドフォン、イヤフォンのほうが、
音のヴァリエーションを、積極的に楽しめる気がしてしまう。

Date: 5月 25th, 2011
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その58)

GRFメモリーの登場・成功によって健在ぶりを示しはじめたタンノイは、
翌年ウェストミンスターとエジンバラを発表。
1983年にはスターリング、’86年には創立60周年を記念したモデル、RHRを出す。

名声を回復していくタンノイのラインナップから、バッキンガム、ウィンザーはいつのまにか消えていた。
オートグラフの思想を受けついだモデルであるはずなのに、短い寿命だった。
バッキンガムの後継機種は発表されなかった。

だからウェストミンスターが、現代版オートグラフとして認識されていったように思う。

’90年に、スタジオモニターとしてSystem 215が出る。
15インチの同軸型ユニットに同口径のウーファーを加えたものだが、これをバッキンガムの後継機種とは呼べない。
System 215は’93年にMKIIに改良されたが、地味な存在には変りはなかった。

’88年には、アルニコマグネットを復活させた同軸型ユニットを搭載したカンタベリー15と
カンタベリー12も出している。

’81年以降のタンノイの流れをみていると、バッキンガムの後継機種はもう現れないものと勝手に思っていた。
ところがキングダムが登場した。1996年のことだ。

キングダムこそ、バッキンガムに感じていた物足りなさを完全に払拭しただけではなく、
オートグラフの思想を受けついだ、しかもオートグラフと肩を並べることのできるスピーカーシステムが、
やっと登場してくれた、と思わせてくれた。
オートグラフの登場から43年かかって、キングダムは登場した。

Date: 5月 24th, 2011
Cate: Autograph, TANNOY, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その57)

オートグラフの設計思想は、バッキンガムに生きている、ということについては、
頭では理解できても、心情的には納得できない、ものたりなさを感じるところが、
オーディオマニアとしては、ある。

この時代のタンノイはハーマン傘下になっていた。
だから、とは断言できないものの、バッキンガムの同軸型ユニットの前面にとりつけられた音響レンズに、
時代におもねっているような印象を拭い去れないし、
エンクロージュアのつくりがすごいのはわかっていても、スピーカーシステムとしてとらえたときに、
ここがこうなっていたら、とか、あそこはこうしたら、とか(こういったことは素人の戯言であっても)、
そんなことをいいたくなってしまう。

バッキンガムのあとに、タンノイはスーパーレッドモニター(SRM)というモニタースピーカーを出す。
往時の同社のユニット、モニターレッドを思い浮ばせる名称のついた、このシステムは、
アーデンのエンクロージュアを、よりしっかりと作ったもの、といえる。

バッキンガムの音響レンズは、当時売れに売れていたJBLの4343の影響かしら、と勘ぐりたくなるし、
SRMは、タンノイのユニットを強固なエンクロージュアにおさめ、
タンノイ純正のシステムでは出しえない、味わえない、
そんなタンノイの同軸型ユニットの魅力を引き出したロックウッドの二番煎じ、というふうに受けとれなくもない。

どちらもすこし意地の悪い見方ではある、と自分でも思う。
けれど、オートグラフをつくっていた会社なのだから……、と心の奥底でタンノイには期待しているからこそ、
こんなこともいいたくなってしまう。

がんばってはいる、けれど……という印象がどこかに残っていたタンノイは、
1981年にハーマン傘下から独立し、GRFメモリーを発表する。

Date: 5月 24th, 2011
Cate: Autograph, TANNOY, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その56)

    ここで話は、この項の(その30)から(その36)にかけて書いているバッキンガムのことにもどる。

    ステレオサウンド別冊の「世界のオーディオ」のタンノイ号掲載のリビングストン氏のインタビューの中に、
    「オートグラフとGRFを開発した時と同じ思想をバッキンガム、ウィンザーにあてはめているわけで、
    オートグラフ、GRFの関係をそっくりバッキンガム、ウィンザーに置き換えられるようになっているんです。」
    と語っている。

    つまりオートグラフの思想を現代技術で受けつぎ、生きているスピーカーシステムがバッキンガム、ということだ。

    バッキンガムの構成については前に書いてるのでそちらをお読みいただきたいが、
    形態的にはオートグラフとバッキンガムは大きく異っていて、
    その思想も、短絡的に捉えてしまえば、同じとはいえない、といえそうである。

    1978年にオートグラフもバッキンガムも同時に開発されたスピーカーシステムだとしたら、
    このふたつのスピーカーシステムはまったく異るスピーカーシステムといえる。

    だがオートグラフは1953年に、バッキンガムは1978年に登場したスピーカーシステムだ。
    25年の隔たりが、オートグラフとバッキンガムのあいだには存在する。
    この間には技術は進化し、スピーカーシステムを置く聴き手側の環境も変化している。
    プログラムソースの変化も、いうまでもなく、大きいものとしてある。

    これらの変化が反映された結果が、
    オートグラフから25年目に登場したバッキンガムだ、と受けとることもできるはずだ。

    同じことがオートグラフとウェストミンスターにもいえる。
    オートグラフと1982年登場のウェストミンスターとのあいだには、29年の隔たりがある。
    オートグラフとウェストミンスターは同じ時期に開発されたスピーカーシステムではない、ということ。
    このことが、オートグラフとウェストミンスターの形態的には似ているけれど、
    設計思想においては、必ずしも同じものではない、ことにつながっていく。

Date: 5月 23rd, 2011
Cate: BBCモニター

BBCモニター考(余談・続×十四 K+Hのこと)

C-AX10の資料を眺めていると、C-AX10は、1999年のデジタル信号処理によって、思いつく信号処理のなかで、
できうるかぎり、やれることはやってみようというコンセプトから生れてきたように感じる。
そのために、どうしてもハードウェアが、ソフトウェアよりも前面にきている印象につながってしまう。

汎用のデジタル・コントロールアンプという形態を考えると理解できることというものの、
そのことがC-AX10の寿命に短さと関係している気もする。

K+HのO500Cはスタジオモニターとして開発されている。
O500Cに採用されたデジタル信号処理はそのために使われている。
ソフトウェアによって使用目的を特化することによるハードウェアの積極的活用例が、O500Cだと思う。

コントロールアンプとアクティヴスピーカーシステムという、異る形態ゆえに果してしかたのないことだろうか。
C-AX10のFIR型デジタルフィルターは、いわばパイオニアのスピーカーシステム専用といえるものだ。
なのに汎用性をどこかに残してしまっている印象が拭えないところがある。
O500Cのように踏み込んでパイオニアのスピーカーシステムの特性を積極的にコントロールすることで、
O500Cと同等の特性を得ることはけっして無理なことではなかった、と思ってしまう。

ハードウェアは文明で、ソフトウェアは文化である、という喩えをきく。
デジタルの技術が進歩し浸透すればするほど、オーディオ機器というハードウェアの寿命を左右するのは、
ソフトウェアなのではないだろうか。

Date: 5月 23rd, 2011
Cate: BBCモニター

BBCモニター考(余談・続×十三 K+Hのこと)

今日の時点では、まだO500Cの後継機種はでてくるのかどうかはわからない。
O500Cがなくなり、このまま後継機種がもし出てこなかったとしたら、
O500Cに投入されたデジタル信号処理技術は、そこでストップしてしまうことにつながる。
それはもったいないことである。

IIR型とFIR型デジタルフィルターを切替えられるパイオニアのC-AX10の登場は1999年、
IIR型フィルターとFIR型フィルター組み合わせたK+HのO500Cの登場は2000年、ほぼ同じ時期に出ている。

アンプとアクティヴスピーカーシステムというジャンルの違いはあるから、
C-AX10とO500Cの比較はしがたいところがあるけれど、このふたつのオーディオ機器の違いはなんだろうか、
どこにあるのだろうか、と考えてしまう。

C-AX10はコンシューマー用、O500Cはプロフェッショナル用、としてそれぞれ開発されている。
C-AX10の寿命はそれほど長くはなかったと記憶している。
製造中止になったのが、いつなのか正確には調べていないが、
ステレオサウンド誌でもその後あまり取り上げられることはなかったはずだ。

デジタル関係の技術の進歩は速い。
去年、最速の信号処理速度を誇っていたものが、今年はもうそうではなくなっていたりする。
同じ価格のものであれば、より速度は増していき、同じものであれば価格は安くなる。

C-AX10のようにデジタル技術を積極的にとりいれたハードウェアであればあるほど、
それこそコンピューターのように毎年ヴァージョンアップが必要になってくるのかもしれない。

O500Cのその点では同じのはずだ。なのにO500Cは2000年から2011年まで現役だった。
ほぼ同時期に世に出たC-AX10とO500Cのハードウェア的内容は、それほど大きくは違っていないと思う。
C-AX10とO500Cの大きな違いは、ソフトウェアにあるように思えてくる。

Date: 5月 23rd, 2011
Cate: BBCモニター

BBCモニター考(余談・続×十二 K+Hのこと)

O500Cのスペックで、ほかの機種との違いで目につくのは、インパルスレスポンスである。
このインパルスレスポンスは、ほかの機種で表示はない。
累積スペクトラムを表示しているほかの機種、O300、KH120、OL110のインパルスレスポンスはない。

O500Cのインパルスレスポンスが優れていることは、
累積スペクトラムの優秀性からもある程度推測できるとはいうものの、実際のそのグラフをみると、
やはり、これも累積スペクトラムのグラフ同様、驚く。

インパルスレスポンスは、ステレオサウンド 47号でも掲載されている。
理想のインパルスレスポンスは、パルスが1波すっと垂直に立っているだけで、
そのパルスの前後は完全に0dBでフラットというものだが、
スピーカーの発音原理が現状のままでは絶対に無理である。

コイルがあり、磁石があり、振動板があって、
フレミングの左手の法則にしたがいコイルに加えられた電気信号の強弱による前後運動で空気の疎密波をつくりだす。

コイルには質量があり、コイルをまいてあるボイスコイルボビンにも質量はある。
それに振動板にもとうぜん質量があり、空気にもある。
静止しているものはすぐには動かない。動いているものも急には静止できない。
だからパルスがボイスコイルに加わっても、ただちに振動板が前に動くわけではないし、
パルスがなくなったからといって、すぐに振動板が元の位置で静止するわけでもない。

O500Cのインパルスレスポンスは、そういうスピーカーとしては、理想的にもっとも近いといえるくらいに、
見事な特性を実現している。

この見事な特性をもつスピーカーシステムが、2000年には実現されていたこと、に正直驚いている。
ただ残念なことに、昨日まではK+Hのサイトでは現行製品のページに表示されていたO500Cは、
今日確認のためにK+Hのサイトをみたところ、現行製品ではなくなっている。
Historical Productsのページに移動している。つまり製造中止になっている。

それでも、O400、O100がそれぞれO410、O110となって現行製品にラインナップされているから、
O510Cというモデルが近いうちに登場してくるのかもしれない。

Date: 5月 22nd, 2011
Cate: BBCモニター

BBCモニター考(余談・続×十一 K+Hのこと)

新しい測定方法が開発されたときに市場に出ているオーディオ機器を測定した場合、
ステレオサウンド 47号の測定結果の累積スペクトラムの項目のように、決して良好な結果を示すものは少ない。
累積スペクトラムに関しては、ステレオサウンド誌上に載ることはなかったと記憶しているが、
スピーカーシステムの測定方法としては確実に浸透していっていたはずだ。

ときおり海外の雑誌でみかける累積スペクトラムのグラフは47号(1978年)とくらべ、
向上しているものが出てきていた。
測定方法が確立されれば、そこにメスが入り、確実に改良されていく。
オーディオ機器が工業製品である証しともいえよう。

ここ数年は不勉強で、最新のスピーカーシステムの累積スペクトラムがどのレベルなのかを知らないが、
それでもO500Cの結果は見事なレベルにあるといえるはずだ。

同じK+Hのスピーカーシステムをみてみると、
すぐ下のモデルのO410のスペックには、累積スペクトラムのグラフは残念なことにない。
さらに小型になるO300、KH120、O110はある。
これらのモデルは、いずれもエンクロージュア内部にディバイディングネットワークとパワーアンプをもつ。
構成上O500Cとの大きく異なるのは、デジタル信号処理をもつかもたないか、である。

O300、KH120、O110の累積スペクトラムは、O500Cと較べると劣る。
特に低域において、それは顕著に現れている。
とはいうものの30年前の特性とくらべると、格段の向上である。

O500CとO300のユニットを見比べる(といってもネットで得られる情報だけだが)と、
ウーファーの口径が12インチと8インチという差はあるが、
スコーカーは3インチ、トゥイーターは1インチと同じだ。
ユニットの詳細については不明だが、スコーカーとトゥイーターは同じものが使われている、とみていいだろう。
ウーファーに関しても、口径は異るものの設計方針は、O500Cに使われているものも、
O300に使われているものも同じのはずだ。

これらのことを念頭において、もういちどO500CとO300の累積スペクトラムを見較べれば、
この差を生み出している大きな要因は、O500Cに搭載されているデジタル信号処理と言い切ってしまいたくなる。

Date: 5月 21st, 2011
Cate: Kate Bush

Director’s Cut(続ケイト・ブッシュのこと)

The Sensual Worldには11曲、The Red Shoesには12曲、それぞれおさめられているから、
Director’s Cutにはどの曲をおさめられているのか、まだ発表されていない時点で、
この曲とあの曲は確実だろう、と勝手に思っていた中には、This Woman’s Workがある。

しばらくして収録曲がはっきりして、This Woman’s Workがはいってくることがはっきりした。
それからまたしばらくして、BBCのラジオにて、ケイト・ブッシュのインタビューが放送されたとき、
バックにThis Woman’s Workが、短い時間ではあったが、
しかもケイト・ブッシュの話のバックだったりしていたけれど、流れていた。

はやく聴きたい、という気持がつのっていく。

Director’s Cutの6曲目にThis Woman’ Workはおさめられている。
6曲目から先に聴きたい、という気持をおさえて1曲目のFlower of The Mountainから聴きはじめる。
このFlower of The Mountainのもともとの曲名は、The Sensual Worldである。

このことが示すように、Director’ Cutにおさめられている11曲は、単なる再録音ではない。
聴いていけば、Director’s Cutというタイトルの意味が少しずつはっきりしてくる。

This Woman’s Workを、半分ほど聴いたところで、あれっ、と思った。
This Woman’s Workでもっとももりあがる、ケイト・ブッシュがThis Woman’s Workと歌う、
いわゆるサビがなくなっていることに気づくからだ。

This Woman’s Workは、Director’s Cutのなかでも、This Woman’s Workである。
The Sensual Worldのようにタイトルが変えられているわけではない。
なのに、タイトルにもなっていて、サビのところの歌詞、This Woman’s Workが、
Director’s CutのThis Woman’s Workからはなくなっている。

The Sensual WorldにおさめられていたDeeper Understandingを聴いていて、
頭の中にイメージされていたのは、パソコンの画面の前にいるのは、少年だった。
Deeper Understandingは、Director’s Cutの発売前に、映像つきで公開されていた。
そこにもパソコンの画面の前に、人が坐っている。
だが、その男は少年ではなく、中年をすぎた男性、それもかなり太った男性だ。

これをみたときから、Director’s Cutにおさめられている曲は、
それぞれに異った景色をみせてくれるという予感はあった。
あったけれども、まさかThis Woman’s Workから、
This Woman’s Workという歌詞を消し去ってしまうとは予測できなかった。
This Woman’s Workという歌詞がなくなったThis Woman’s Workへの想いは、
もとのThis Woman’s Workと同じであるし、ひろがっていく感じもある。

This Woman’s Workの歌詞をなくしてしまったのはなぜなんだろう、と思う気持は、
ほかの曲に対しても、ある。
そういう、なぜなんだろうと思う気持は、Director’s Cutをきいているときは先に立つことはない。
聴きおわり、しばらくして、なぜなんだろう、と思う。それが、またたのしい。

こういうたのしみかたができるのは、いわゆる新譜ではない「新譜」だからだ。