何を欲しているのか(その12)
いまはもう、以前のような楽しみ方で、カートリッジの音の違いを楽しむ時代ではなくなっているのかもしれない。
それは仕方のないこととはいえ、それにもともとカートリッジを交換することをやっていなかった私だけれども、
そういう状況は、寂しい、というよりも、息苦しさ、窮屈さ、そういったもののようを強く感じたりもする。
ひたすらいい音を追い求める──、のは結構なことだけれども、
あまりにストイックすぎるのも、どうかとも思う。
もっとオーディオは、楽しんでいいはずだ。
というと、いい音を追求することこそ、楽しみだ、といわれそうだが、
楽しみ方も、ひとつではないことを思い出してほしい、といいたい。
オーディオは「求道」的姿勢に価値がおかれすぎている、と反省を込めて、思うことがある。
そういうとき思い出すのが、井上先生のことだ。