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Date: 11月 5th, 2012
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その37)

ボリュウムのツマミや入力セレクターのツマミを廻したときの感触なんて、どうでもいい。
大事なのは音であって、音がよければ感触がざらざらしていようと、ガタついていようと関係ない。

こんなことをいう人もいる。
音さえ良ければ、それでいい、という考えであれば、そうなるのかもしれない。
けれど、私のこれまでの経験からいえば、ボリュウムのツマミを廻したときの感触に、
いやなものを感じたとき、そういうものは必ず音となって現れてくる。

もっといえば、コントロールアンプ、プリメインアンプのボリュウムの感触はひじょうに重要な要素であって、
おおまかにはボリュウムの感触と音の感触は、ほぼ一致する。
井上先生も、このことは指摘されていた。

滑らかな感触がツマミを通して感じられるアンプの音は、滑らかである。
ざらついた感触があるアンプの音は、どこかにそういうところが感じられる。
滑らかな感触のものでもツマミによって、その感触、質感は変化していくように、
ツマミの存在も、この感触には大きな要素となっている。

試しにツマミを外して音を聴いてみると、いい。

こんなことを書いていくと、ここでも、そんなことで音は変らない、
そんなことで音が変ると感じるのはプラシーボだとか、オカルトだとか、いいだす人がいる。

そういう人たちに、私はききたい。
水を飲むとき、同じ蛇口から汲んできた水であるならば、
紙カップで飲もうと、プラスチックのコップで飲もうと、
陶器のグラスで飲もうと、ガラスの素敵なコップで飲もうと、
どれも同じ味だと感じるのか、ということだ。

それぞれのコップ、グラスにはいっている水は同じ水、水温もまったく同じ。
異るのは容器だけである。

私は容器によって、水の味は変って感じられる、そういう人間である。

どんな容器で飲もうと、中にはいっている水が同じならば、水の味は同じである。
そういう人には、音の微妙な違いは、一生わからない。
わからない人にとって、わかる人が聴き取っている世界は理解できないものだ。

自分に理解できない世界のことを、プラシーボとかオカルトとか、と否定していてなんになろう。
なぜ、より精進して、自分の聴く能力を鍛えようとしないのか、と思う。

結局、どうでもいい理屈をひっぱり出して、そんなことでは音は変らない、というのは、
精進することを拒否している、あきらめている自分を認めたくないからではないだろうか。

Date: 11月 5th, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×十七・チャートウェルのLS3/5A)

私がマッキントッシュのC22、MC275のことを知ったのは、
「五味オーディオ教室」によってであり、
私にとってC22とMC275の愛用者の代表的存在が五味先生である。

その五味先生が、こんなことを書かれている。
ステレオサウンド 52号「続・オーディオ巡礼」で岩竹義人氏を訪問されている。
     *
拙宅のマッキントッシュMC275の調子がおかしくなったとき、岩竹さんがアンプ内の配線もすべて銀線に替えられたアンプを所持されると聞き、試みに拝借した。それをつなぎ替えて鳴らしていたら娘が自分の部屋からやって来て、「どうしたの?……どうしてこんなに音がいいの?」オーディオに無関心な娘にもわかったのである。それほど、既製品のままの私のMC275より格段、高低域とも音が伸び、冴え冴えと美しかった。私は岩竹さんをふしぎな人だと思った。これほどうまくアンプを改良できる人がどうしてあんな悪い音を平気で聴いていられるのか、と。その後、こんどはプリのC22も、経年にともなうコンデンサーの劣化を考慮し新しいのに取替えたという岩竹氏のをかりて聴いてみたら、拙宅のよりいい。私ならこんなアンプは大恩人に頼まれても手離さないだろうに、いよいよ不思議な人だとおもい、もう一ぺん、岩竹家の音を聴きなおしてみる気になった。
     *
C22のコンデンサーを○○に交換したら音がよくなった、とか、
配線材を○○にしたら、音の抜けが良くなった、とか、
そんなことを誰かがいったところで、私はまったく信用していない。

でも五味先生が、こう書かれていると、素直に信じる。
五味先生の文章からはC22のコンデンサーを、新品のBlack Beautyに交換されたのか、
それともほかの銘柄のコンデンサーに交換されたのかまではわからない。

でも、五味先生はこういう人である。
     *
もちろん、真空管にも泣き所はある。寿命の短いことなどその筆頭だろうと思う。さらに悪いことに、一度、真空管を挿し替えればかならず音は変わるものだ。出力管の場合、とくにこの憾みは深い。どんなに、真空管を替えることで私は泣いてきたか。いま聴いているMC二七五にしても、茄子と私たちが呼んでいるあの真空管——KT88を新品と挿し替えるたびに音は変わっている。したがって、より満足な音を取戻すため——あるいは新しい魅力を引出すために——スペアの茄子を十六本、つぎつぎ挿し替えたことがあった。ヒアリング・テストの場合と同じで、ペアで挿し替えては数枚のレコードをかけなおし、試聴するわけになる。大変な手間である。愚妻など、しまいには呆れ果てて笑っているが、音の美はこういう手間と夥しい時間を私たちから奪うのだ。ついでに無駄も要求する。
挿し替えてようやく気に入った四本を決定したとき、残る十二本の茄子は新品とはいえ、スペアとは名のみのもので二度と使う気にはならない。したがって納屋にほうり込んだままとなる。KT88、今一本、いくらするだろう。
思えば、馬鹿にならない無駄遣いで、恐らくトランジスターならこういうことはない。挿し替えても別に音は変わらないじゃありませんか、などと愚妻はホザいていたが、変わらないのを誰よりも願っているのは当の私だ。
だが違う。
倍音のふくらみが違う。どうかすれば低音がまるで違う。少々神経過敏とは自分でも思いながら、そういう茄子をつぎつぎ挿し替えて耳を澄まし、オーディオの醍醐味とは、ついにこうした倍音の微妙な差異を聴き分ける瞬間にあるのではなかろうかと想い到った。数年前のことである。
以来、そのとき替えた茄子はそのままで鳴っているが、真空管の寿命がおよそどれぐらいか、正確には知らないし、現在使用中のテープデッキやカートリッジが変わればまた、納屋でホコリをかぶっている真空管が必要になるかもしれない。これはわからない。だが、いずれにせよ真空管のよさを愛したことのない人にオーディオの何たるかを語ろうとは、私は思わぬだろう。
     *
こういう五味先生が、岩竹氏の手によって改良されたC22とMC275を、
「大恩人に頼まれても手離さないだろうに」と褒められている。
そのことを考えてしまう。

Date: 11月 4th, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×十六・チャートウェルのLS3/5A)

マランツのModel 7もマッキントッシュのC22も、
信号系のコンデンサーにはスプラーグのBlack Beauty、
固定抵抗はアーレン・ブラッドレーのもの、
真空管は12AX7、と使用部品に共通するところは多い。

けれどModel 7とC22は、回路が違い、コンストラクション、配線が違い、筐体構造も違う。
それに設計した人が違う。

これらの違いにより、Model 7とC22の音の世界はまったく異るわけだ。

そう考えると、コンデンサーの銘柄を変更したところで、
Model 7が別のアンプになるわけでもないし、C22がModel 7になるわけでもない。
Model 7の世界にしても、C22の世界にしても、使用部品だけがつくりあげているわけではない。

だからといって、もともと使われていた部品よりも劣悪な部品に取り換えてしまうのだけは、なしである。
同等の部品、それ以上の部品であるということが、部品交換の条件となる。

こんなふうに言葉に書いてしまうと、そう難しいことではないようなことであっても、
人によって、同等の部品、それ以上の部品の判断が異ることがあるから、
難しくもあり、誤解を生むのだと思う。

Model 7に関しては、くり返し述べているように私ならASC(旧TRW)のコンデンサーに交換する。
C22で、そうするのか、と問われれば、考えてしまう。

Model 7のBlack BeautyをASCのコンデンサーに換えるのであれば、
C22のBlack BeautyもASCでいいではないか、となるのだけれど、
ここでModel 7とC22の違いが、コンデンサーの選択に関係してくる。

C22の毒を薬にのようにして、聴きやすく鳴らしてくれるところがもしかすると、
薄れてしまうかもしれないと思ってしまうからである。

Date: 11月 4th, 2012
Cate: 平面バッフル

「言葉」にとらわれて(その14)

ステレオサウンド 51号に載っている「続・五味オーディオ巡礼」に登場されているのは、
東京のH氏である。
他の号の「続・オーディオ巡礼」に登場している人の名前は出ていたし、顔写真も載っていた。
でも、51号のH氏だけは匿名で顔写真もない。

このH氏は、原田勲氏である。
ヴァイタヴォックスのCN191に、マランツのModel 7とModel 9のペア、
プレーヤーはEMTの927DstにカートリッジはフィデリティリサーチのFR7というシステム。

五味先生は
〝諸君、脱帽だ〟
 ショパンを聴いてシューマンが叫んだという言葉を思いだした、
と書かれ、
さらに47号の登場された奈良の南口氏の装置で、
「サン・サーンスの交響曲第三番の重低音を聴いて以来の興奮をおぼえたことを告白する」とまで書かれている。

原田編集長はその後、スピーカーをCN191からアクースタットのコンデンサー型に、
アクースタットからタンノイのRHR Limitedにされていて、
ヤマハのAST1の試聴時はRHR Limitedだったはず。

AST1を試聴した1988年の秋、
私はそのことに気がついていなかった。

クリプシュホーンのCN191を鳴らしてきた男が、ヤマハのAST1の低音に驚き、喜んでいる、ということに。

そして、もうひとつ気がついてなかったことがある。
クリプシュホーン、バックロードホーンは「音軸」をもつスピーカーである、ということを。

Date: 11月 4th, 2012
Cate: 平面バッフル

「言葉」にとらわれて(その13)

AST1の音は、トータルでいえば、それほど優れているわけではない。
けれど、低音の素晴らしさは、見事だった。
その見事さは、ウーファーの口径が16cmなのに、
エンクロージュアのサイズがW18.8×H29.7×D23.3cmという小型にも関わらず、
といったエクスキューズなしのものだった。

スピーカーシステム2本と専用アンプで135000円ということは、
それぞれが40000円ちょっと価格と考えられなくもない。

1本40000円から50000円のスピーカーシステムと、同価格帯のプリメインアンプの組合せのほうが、
トータルで得られる音は、もうすこし品のあるものが得られるだろうけど、
AST1で味わった興奮は、得られない。

私も少なからず興奮していた。
でも私以上に、私の何倍も興奮していたのは長島先生と原田編集長だった。
このふたりが興奮していたのも、もちろん低音に関して、である。

長島先生、原田編集長の興奮には、喜びがあったように、私は感じていた。
私の興奮には、ふたりが感じていた喜びはなかった。

ふたりの喜びとは、それまでの長いオーディオ遍歴において求めつづけてきていた「低音」が、
AST1で実現できた、聴くことができた、そんな感じをうける喜び方だった。

「こういう低音が欲しかったんだ」という言葉も、そのとき聞いた。

AST1の低音は見事ではあった。
それでもクォリティ的にはまだまだ上があるのは感じさせるレベルであったし、
そんなことは長島先生、原田編集長は私よりもずっとわかったうえで、
低音の出方そのものに対しての「こういう低音が欲しかったんだ」だと思う。

Date: 11月 3rd, 2012
Cate: audio wednesday

第22回audio sharing例会のお知らせ

今月のaudio sharing例会は、11月7日(水曜日)です。

11月7日は、瀬川先生の命日ですので、
今回のテーマは「瀬川冬樹を語る」です。
昨年の11月も同じテーマで行っていますので、
また同じことを話すのか、と思われるかもしれませんが、
1年間、ブログを書いていると、気づくことがいくつかあって、
それにたった1回だけでは語り尽くせないテーマでもありますから、
またか、と思われても、1年前と同じテーマでやります。

来年の11月も、同じテーマでやります。
語り尽くせた、と私が実感できるまで、11月は同じテーマでやる予定です。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 11月 3rd, 2012
Cate: 平面バッフル

「言葉」にとらわれて(その12)

1988年秋に、ヤマハからAST1が登場した。
AST1は、16cm口径のコーン型ウーファー、3cm口径のドーム型トゥイーターの2ウェイの小型スピーカーと、
専用アンプを組み合わせたシステム全体の総称である。

ASTは、他のオーディオメーカーが商標登録していたため、すぐにYSTという名称に変更されている。
AST1は、このYST方式を最初に採用したモデルだ。

AST1は、この年のステレオサウンドのCOMPONENTS OF THE YEAR賞の特別賞に選ばれている。
正確にはAST1が選ばれたのではなく、AST方式に対しての特別賞なのだ。

なぜAST1そのものに賞が与えられなかったかというと、
トゥイーターのクォリティがそれほど高くないこと、
専用アンプのクォリティもそれほど高くないこと、
つまりAST方式の可能性を高く評価してのものであって、
AST1という、135000円のシステムについては、注文も多かった。

それでも、AST1の低音再生能力の高さは、驚くべきものであったし、
だからこそ特別賞に選ばれているのだ。

いまはステレオサウンド・グランプリと名称は変っているけれど、
この賞の選考は毎年11月1日に行われる。
なので10月は、各社、各輸入商社が推すオーディオ機器の、賞に向けての試聴が行われる。
選考委員の方々の自宅で行われることもあるし、
メーカー、輸入商社の試聴室ということもあるし、ときにはステレオサウンドの試聴室で、ということもある。

AST1の、そういう試聴がステレオサウンドの試聴室であった。
長島先生と、当時の編集長で選考委員でもあった原田勲氏が聴かれた。

この日のことは、よく憶えている。

Date: 11月 3rd, 2012
Cate: 現代スピーカー

現代スピーカー考(その29)

筒とピストンの例をだして話を進めてきているけれど、
この場合でも筒の内部が完全吸音体でなければ、
ピストン(振動板)の動きそのままの空気の動き(つまりピストニックモーション)にはならないはず。

どんなに低い周波数から高い周波数の音まで100%吸音してくれるような夢の素材があれば、
筒の中でのピストニックモーションは成立するのかもしれない。

でも現実にはそんな環境はどこにもない。
これから先も登場しないだろうし、もしそんな環境が実現できるようになったとしても、
そんな環境下で音楽を聴きたいとは思わない。

音楽を聴きたいのは、いま住んでいる部屋において、である。
その部屋はスピーカーの振動板の面積からずっと大きい。
狭い狭い、といわれる6畳間であっても、スピーカー(おもにウーファー)の振動板の面積からすれば、
そのスピーカーユニットが1振幅で動かせる空気の容量からすれば、ずっとずっと広い空間である。
そして壁、床、天井に音は当って、その反射音を含めての音をわれわれは聴いている。

そんなことを考えていると、振動板のピストニックモーションだけでいいんだろうか、という疑問が出てくる。

コンデンサー型やリボン型のように、振動板のほぼ全面に駆動力が加わるタイプ以外では、
ピストニックモーションによるスピーカーであれば、振動板に要求されるのは高い剛性が、まずある。

それに振動板には剛性以外にも適度な内部損失という、剛性と矛盾するような性質も要求される。
そして内部音速の速さ、である。

理想のピストニックモーションのスピーカーユニットための振動板に要求されるのは、
主に、この3つの項目である。

その実現のために、これまでさまざまな材質が採用されてきたし、
これからもそうであろう。
ピストニックモーションを追求する限り、剛性の高さ、内部音速の速さは重要なのだから。

このふたつの要素は、つまりは剛、である。
この剛の要素が振動板に求められるピストニックモーションも、また剛の動作原理ではないだろうか。

剛があれば柔がある。
剛か柔か──、
それはピストニックモーションか非ピストニックモーションか、ということにもなろう。

Date: 11月 2nd, 2012
Cate: 平面バッフル

「言葉」にとらわれて(その11)

クリプッシュホーンの、こういう構造はデメリットとして考えていた。
クリプシュホーンを採用するかぎり、ウーファーはどんなユニットをもってこようと、
それほど高い周波数までの再生は無理である。

ウーファーに再生能力があっても、折り曲げられたホーン内を通ってくるあいだに、
高い周波数は減衰してしまう。
だからエレクトロボイスのパトリシアンではウーファーとミッドバスのクロスオーバー周波数は200Hzと、
あの時代のスピーカーシステムとしては、異例といえるほど低い。

ヴァイタヴォックスのCN191は2ウェイということもあって、
クロスオーバー周波数は500Hzと少し高い値になっている。
そのため、CN191は340Hz付近で10dB程度のディップを生じている。

これはクリプシュホーンを採用している以上避けられないこと。
誰が考えても明白なことで、
クリプシュホーン採用のスピーカーシステムをつくっていたメーカーの人間は、
当然、このデメリットはわかった上でなお採用しているのはなぜだろう? と考えたことがあった。

もうずっと前のことだ。
オーディオに興味を持ちはじめたころ、
クリプシュホーンがどういうものかを知ったときのことで、
まだ10代半ばだった私は、低音までのオールホーンシステムをつくるために、
ある意味、止むを得ずの選択だったのだろう、と結論づけてしまった。

それを、いまは訂正しなければならないかも、と思っている。
そう思わせたのは、この項の(その9)に書いたBALMUDAの扇風機である。

Date: 11月 2nd, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×十五・チャートウェルのLS3/5A)

真空管アンプ時代のマランツとマッキントッシュの音の違いとは、いったいどういうものだったのか。
それを、「世界のオーディオ」のMcINTOSH号の、この記事はうまく伝えている。

瀬川先生の、こんな発言がある。
     *
マランツで聴くと、マッキントッシュで意識しなかった音、このスピーカーはホーントゥイーターなんだぞみたいな、ホーンホーンした音がカンカン出てくる。プライベートな話なんですが、今日は少し歯がはれてまして、その歯のはれているところをマランツは刺激するんですよ。(笑)マッキントッシュはちっともそこのところを刺激しないで、大変いたわって鳴ってくれるわけです。
     *
同じレコードをかけて、同じアナログプレーヤーとスピーカーシステムで聴いても、
マランツは歯の痛みを意識させ、マッキントッシュは歯の痛みを忘れさせる。

この違いは、どちらが音がいいとか、アンプとして優秀といったことではなく、
音楽への接し方・聴き方に関わってくる性質のものであり、
さらに聴き手の肉体の状態までも、関係してくる。

菅野先生は、別の表現で、マランツとマッキントッシュの違いを語られている。
     *
マランツだと、これはほかの機器の歪みだぞといった感じで、毒を毒のまま出しちゃうところがあったんですね。マッキントッシュの場合、例えばピックアップのあらとか、ソースのあらなどの、そうした毒をうまく薬のようにして、聴きやすく鳴らしてくれるところがありますね。
     *
菅野先生は、さらに的確な喩えをされている。
これも引用しておこう。
     *
この二つは全く違うアンプって感じですな。コルトーのミスタッチは気にならないけど、ワイセンベルグのミスタッチは気になるみたいなところがある。(大爆笑)これ(マッキントッシュ)はまさに愛すべきアンプだね。
     *
マランツの音には、ワイセンベルグのように、ミスタッチが気になってしまうところがある。
だから、私はModel 7のメンテナンスすることになったら、
コンデンサーをもともとついているBlack Beautyにはせず、ASCにする理由が、ここにある。

Date: 11月 2nd, 2012
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その36)

井上先生が、目の前にあるアンプ、
この場合はコントロールアンプかプリメインアンプのことが多いのだが、
それらのツマミを必ず触られるのには、もちろん理由がある。

ひとつは例えばクロストークを確かめられるためでもある。
一般にクロストークといえば、左右チャンネル間での信号のもれとなるが、
井上先生がツマミをいじって確認されているのは、各インプット間のクロストークである。

つまりアナログディスクに入力セレクターを合せている状態で、CDを再生する。
CDプレーヤーとコントロールアンプもしくはプリメインアンプ間はケーブルでつながっていて、
アナログディスクは何もしていない。音楽は鳴らしていない。

そのままボリュウムをあげていくとフォノイコライザーのノイズが徐々に大きくなっていくとともに、
クロストークの多いアンプでは、本来ノイズ以外は聴こえてこないはずなのに、
CDの音がもれ聴こえてくる。反対の場合もありうるし、ほかの入力端子間でも起きることだ。
そのクロストークの音の量と質をチェックされていた。

これらのチェックの時、各種ツマミの感触も同時に確認されている。
特にボリュウムの感触は、じっくりと。

ボリュウムの感触は、レベルコントロールに使われている部品によっても異ってくるし、
同じ部品を使っていてもツマミの形状、重さ、材質によっても変化してくる。
そして、おもしろいことにボリュウムの感触は音の印象と一致することが多い。

たとえばマークレビンソンのアンプでいえばLNP2とML7では、
ボリュウムのメーカーが前者はスペクトロール、後者はP&Gであり、
廻したときの感触は正反対である。

LNP2ではツマミの後に、ほんとうにレベルコントロールがついているのか、と思うほど、
軽く、キュッキュッという感じがある。
ML7ではツマミの径がやや大きくなっているものの、基本的な形状はほぼ同じ材質も同じだが、
感触は重く、粘るような感じが、指先に伝わってくる。

どちらのボリュウムの感触を、さわっていて心地よいと感じるのかは人それぞれだろうし、
とちらのマークレビンソンのコントロールアンプの音が気に入っているかによっても違うだろう。

私が好きなのはキュッキュッとした感触のスペクトロールであり、
この感触こそがLNP2の音(個性)と一致しているように、私は受けとめているから、
もしLNP2にP&Gの部品がついていたら、LNP2への印象も変化していたのではなかろうか。

Date: 11月 1st, 2012
Cate: よもやま

五感があって……

今日、五能線という言葉を、ひさしぶりに目にした。
鉄道にそれほど関心がないから、前回目にしたのは、
いったいいつだったのか、記憶にないぐらい、そのくらいひさしぶりだったのだが、
五能線、という文字を眺めていて、いい言葉だな、と思っていた。

五感がある、ならば、五能があってもいいな、と
五能線から「線」をとり外して、鉄道とは全く関係ない言葉として受けとめていた。

五感は、いうまでもなく視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚、
五能は、五感のもつ可能とすること、とでも定義できよう。
そこから発展した定義もできそうな気がする。

五感があって、五能がある。
ならば、もうひとつ五のつく言葉はなんだろう、と考える。

五覚かもしれない、と思う。
覚める、という意味の五覚である。

Date: 10月 31st, 2012
Cate: 表現する

夜の質感(その3)

まだステレオサウンドで働く前のこと、
五味先生の「いい音いい音楽」に、こう書いてあった。
     *
 マーラーがかつてオーストリアのある山荘にこもって作曲していたとき、そこを訪問したブルーノ・ワルターが、辺りの景色を立ち止まって眺めていたら、マーラーはいったそうだ、「そんなものを見たって無意味さ。その景色はみな私の音楽の中に入っているよ」——と。マーラーのこの顰に倣うなら、ぼくたちは日本にいて、いまやあらゆる国の音楽を聴けるばかりか、その風景をさえ居ながらにして感知することができる。
     *
このとき、まだマーラーのレコードはそんなに聴いていたわけではなかった。
ほかに聴きたいレコードを優先していたから、まだマーラーは先でいいや、という気持もあったし、
まだ学生で自分で稼いでいたわけではないから、数えるほどしかもっていなかった。
FMで放送されたものをカセットテープに録音したものが、他にすこしあったくらいだった。

そんなころに、五味先生のこの文章を読んだわけで、
素直にそうなんだ、という気持もあったし、
マーラーさん、少し誇張がはいっているでしょう、という気持がなかったわけでもない。

そうはいっても、まだまだマーラーの聴き手として未熟どころか、
交響曲においてもすべてを聴いていたわけではなかったから、自分なりの結論を出すようなことはしなかった。

そんな聴き手が、ステレオサウンドで働くようになってから一変、
こんなにも集中して、部分的ではあってもマーラーをこれほど聴くようになるとは思ってなかった。

記憶違いでなければ、ステレオサウンドの試聴室ではじめて聴いたマーラーは、
何度か書いているアバド/シカゴ交響楽団による第一番である。

このマーラーを聴いて、マーラーの言葉、
「そんなものを見たって無意味さ。その景色はみな私の音楽の中に入っているよ」が嘘でないことを実感した。

若書きの作品といわれる第一番なのに、
第一楽章の冒頭を聴けば、景色が浮ぶ。

すべての指揮者によるマーラーの演奏でそうなるわけではないし、
オーディオ機器によっても、浮ばない音もあるし、その景色に違いが生じる。

とはいえ、優れたマーラーの演奏を、音楽を極力歪めずに鳴らすのであれば、
マーラーの音楽の中にマーラーが見てきた景色は、たしかにはいっている。
そのことを実感できる。

Date: 10月 31st, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×十四・チャートウェルのLS3/5A)

C8SはC22ではないし、Model 1もModel 7ではないけれど、
C8SとModel 1の違い、C22とModel 7の違いは同じといっていい。

だから、この記事はマランツとマッキントッシュの性格の違いを表しているだけに、
いま読んでも興味深いところがいくつもある。

たとえば、いまの感覚からすると、
マランツModel 7の方がマッキントッシュC8Sよりも優秀で勝負にならないのでは? と思えるだろう。
同じことはC22とModel 7にもいえる。

けれど試聴の結果は、必ずしもそうはなっていない。
瀬川先生はこう発言されている。
     *
この二つのプリアンプを見比べただけで、これは勝負にならないで、恐らくマランツが断然良いに決まっていると思ったんです。ところが、鳴り出した音は全く逆で、マッキントッシュの方がはるかにいいんですね。
     *
菅野先生もほぼ同じことを発言されている。
     *
結果からいいますと、トータルで出てきた音はマッキントッシュの方がよかったように思うんです。ところが、ぼくの知性は、マランツの方がいいアンプだなということを聴き分けたんですよ。これは現在の新しい製品をテストしているときにも、しょっちゅうぶつかる問題なんですけど、単体で見たらすごくいいんだけれども、一つの系の中にほうり込んだ時に、果してどうかということになると、ほかの使用機器に関係なくいい音が出てこなければ、これが幾らいいものだといっても、ちょっと承服できないようなことがあるわけなんです。そういう感じをぼくはとても受けたんです。
     *
この試聴における「一つの系」は、すでに書いているように、
Model 1、C8Sと同年代にオーディオ機器である。
そしてこの試聴でかけられたレコードもまた、同じ時代のものばかりである。

そういう「一つの系」で、
ミケランジェリ、グラシス指揮フィルハーモニアによるラヴェルのピアノ協奏曲を鳴らしたとき、
マランツよりもマッキントッシュの音に、試聴に参加された四人はショックを受けられたのだ。

Date: 10月 31st, 2012
Cate: ユニバーサルウーファー

スーパーウーファーについて(続×六・低音再生とは)

空気中の音速は、秒速約340m。
人間の感覚からすると秒速340mは非常に速いわけだが、
スピーカーシステムを構成する、いくつもの材質の内部音速からすると、
空気中の音速は遅い方に属してしまう。

たいていのスピーカーシステムはエンクロージュアをもつ。
フロントバッフルにウーファーがとりつけられている。
ウーファーはコーン型だから前面だけでなく背面からも音を出している。
つまりエンクロージュア内に向けて音を出しているわけだ。

コーン型ウーファーの背面から放射された音がエンクロージュアのリアバッフルに反射して、
フロントバッフルに戻ってくる。
エンクロージュアの奥行きの深いプロポーションと浅いプロポーションとでは、
リアバッフルに反射して戻ってくる時間に差があり、
内容積が同じエンクロージュアであっても音に違いが生れる。

深いエンクロージュアの音の傾向を好む人もいれば、
浅いエンクロージュアの音の傾向を好む人もいる。

──こんなふうなことが昔からいわれてきている。
リアバッフルからの音は、たしかにフロントバッフルに戻ってくる。
けれど、この音はウーファーの背面から放射された音が戻ってくるよりも早く、
別の音がリアバッフルで生じて戻ってきている。

この現象については、ダイヤトーンがDS1000を開発したときに見つけ、
DS10000の記事がステレオサウンド 77号に掲載されたときにダイヤトーンの技術者が語っている。
     *
これまでの理論だと、ユニットの後面から出た音が裏板にはねかえって、ユニットに戻ってくることになっていて、我々もその説を信じて、実証することもなくすませていたんです。それがDS1000の開発過程で測定してみますと、ウーファーから音が出てから、その音が反射して戻ってくる時間がエンクロージュアの片道分しかない。つまりユニットの音が反射して戻ってくるのではなくて、ユニットから音が出る瞬間に裏板からすでに音が出ていることがわかりました。フレームとサイドパネルを通じて、振動が伝播して裏板が鳴っていたんです。
     *
スピーカーユニットのフレームの金属やエンクロージュアの材質である木の内部音速よりも、
空気中の音速が遅いために、こういうことがスピーカーの内部では起っている。
ということは当然スピーカーの外側でも同じ現象が起っているわけである。