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Date: 1月 23rd, 2015
Cate: EXAKT, LINN

LINN EXAKTの登場の意味するところ(余談)

昨年、LINNのEXAKTについてきかれたことがある。

振動がアンプの音に影響を与える、といわれている。
なのにLINNはEXAKTでは、スピーカーのエンクロージュア内という、
もっとも振動の影響を受けやすいであろう場所にアンプを置いている。

このことについて、どう思うか、ときかれた。
そのとき、以下のようなことを話した。

井上先生は、アンプはエレクトロニクスの産物ではなく、
メカトロニクスの産物といわれていた。
電子工学だけでは、いい音のアンプは生れない。
そういう意味を含めての、メカトロニクスである。

アンプの脚とラックの天板(棚板)とのあいだに、フェルトを一枚挟む。
しっかりと調整されているシステムであれば、
たったこれだけ、と思うことになのに、音ははっきりと変化する。
さらに脚部を金属製のスパイクに交換すれば、
音が良くなるとは必ずしもいえないが、音の変化量はもっと大きくなる。

アンプは振動の影響を受けないと思っている人は、そう思いつづけていればいい。
現実にアンプに限らず、電子機器は振動の影響を受けてしまう。逃れることは、いまのところ不可能である。

そういうアンプ、しかも性能の優れたアンプほど影響は確実に音として出すのに、
LINNはEXAKTで、スピーカーの中にアンプをおいているのだから、
独立した状態よりも、大きな影響を受けているはずだし、そのことによる音質的デメリットを、
LINNはどう考えているのか──、ときかれた。

私はLINNの広報マンでもないし、EXAKTの技術資料を読んでもいない。
そのことについて書いてあるのかどうか知らない。

そんな私がいえるは、スピーカーのエンクロージュア内というのは、
開発者であるLINNにとっては、すべてとまではいわなくとも、かなりのところまで把握できている環境であること。

スピーカーとアンプを別筐体とすれば、一見音質上望ましい形態のように思える。
必ずしもそうだとはいえない。

製品はユーザーの手にわたると、どういう使い方をされるのか、正直メーカーにはわらかない。
メーカーが望む使い方をしてくれる人ばかりではない。
メーカーがまったく予想もしていない使い方をするユーザーもいる。

それがいい場合であれば特に問題とすることはないが、
何もこんな状態で使わなくとも……、という使い方をするユーザーだっている。

そうなるとLINNがEXAKTで目指したことは、うまくいかなくなることだって充分考えられる。
LINN・がEXAKTで目指したところを考えると、スピーカーとアンプの一体化は同然の帰結である。

EXAKTのエンクロージュア内の環境は、LINNにとってはわかっている環境である。
いわば限定された空間であるからこそ、LINNはそこにアンプを置いている。

つまりユーザーがEXAKTをしっかりと設置さえしてくれれば、
自動的にアンプの設置もLINNの想定した範囲内に常にある、ということになる。

Date: 1月 23rd, 2015
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その21)

私は早い時期からスピーカーを擬人化してとらえていた。
ステレオサウンドで働くようになってからのある一時期、あえて擬人化しない捉え方を意識的にするようにしていた。
そして、いまは、というと擬人化して捉えるようになっている。

とはいえ、その擬人化に変化がある。
役者として捉えるようになってきた。

役者には主役もいれば、いわば脇役とよばれる人もいる。
主役ばかりでは映画もドラマも成りたたない。
アカデミー賞には、主演男優賞、主演女優賞もあれば、助演男優賞、助演女優賞もある。

主役だけが映画・ドラマの中で光っているわけではない。
光っていても、主役の力だけではない。

スピーカーも同じだと最近思うようになってきた。
部屋にひとつのスピーカーシステム。
それが理想的な鳴らし方のように、昔は思っていた。
かなり長いこと、そう思ってきた。

けれど菅野先生のリスニングルームに行き、その音をきいたことのある人ならば、
あの空間に、都合三つのシステムがある。
どれも見事に鳴っている。

菅野先生の音を聴いていて、あのスピーカーがあそこになければ……、といったことは一度も思ったことがない。
私がスピーカーを擬人化の延長として役者として捉えるようになったのは、
菅野先生の音を聴いたからである。

Date: 1月 23rd, 2015
Cate: 単純(simple)

シンプルであるために(ミニマルなシステム・その11)

その9)で、Wadia 5とWadia 390 + Wadia 790のトランスの数を書いている。
気づかれている方もおいでであろうが、Wadia 5の二基、Wadia 790の五基は片チャンネルの数でしかない。
両チャンネルとなるとWadia 5は四基、Wadia 390 + Wadia 790は十一基となる。

単体のD/Aコンバーターとパワーアンプ、あいだにフェーダーをいれて使うとしよう。
このときのトランスの数はいくつになるか。
パワーアンプがモノーラルであれば、最低で三基である。

D/Aコンバーターが、デジタル部とアナログ部の電源回路を電源トランスからわけたとして、計四基。
Wadia 390 + Wadia 790の十一基という数は、
オーディオマニアとしては、そこまで徹底して分離してくれた、と嬉しくもなるが、一方で疑問も生じてくる。

そこまで電源トランスをわけるくらいなら、筐体を分けた方がずっとスマートに思える。
ワディアのPower DACはD/Aコンバーター内蔵のパワーアンプなのか。
ワディアはD/Aコンバーターをつくりたかったのか。

Power DACというコンセプトはWadia 5もWadia 390 + Wadia 790も同じである。
けれど何かが決定的に違っているようにも感じる。
そのことが、Wadia 5にミニマルな印象を受け、
Wadia 390 + Wadia 790にはミニマルという印象はほとんど受けないことにつながっているのではないか。

ステレオサウンド 133号の三浦孝仁氏の記事を読むと、
ワディアの創設者であるドン・ワディア・モーゼスが数年前に健康上の理由からワディアデジタルを去った、とある。
古参のエンジニアもほとんどいない、ともある。

この数年前がいつなのかは書いてない。
なのでてっきりWadia 5の開発は創設者が関わっていて、
Wadia 390 + Wadia 790には関わっていないのではないか、とさえ思った。

けれど三浦孝仁氏によるステレオサウンド 99号のワディア訪問記を読むと、すでに引退したとある。
そうなると開発者が入れ替わったから、Wadia 5からWadia 390 + Wadia 790への変化があった、といえない。

Date: 1月 22nd, 2015
Cate: オーディオ評論, ジャーナリズム

オーディオ評論家は読者の代表なのか(その7)

編集方針が変っていくのが悪いとはいわない。
ステレオサウンドが創刊された1966年と2015年の現在とでは、大きく変化しているところがあるのだから、
オーディオ雑誌の編集方針も変えてゆくべきところは変えてしかるべきではある。

私がいいたいのは、変っているにもかかわらず、創刊以来変らぬ、とあるからだ。
そのことがたいしたことでなければ、あえて書かない。

だが編集方針は、少なくとも活字となって読者に示されたところにおいては、変ってきている。
その変化によって、オーディオ評論家の役目も変ってきている。

《「聴」の世界をひらく眼による水先案内》としてのオーディオ評論家と、
《素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、
演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい》ためのオーディオ評論家、
私には、このふたつは同じとはどうしても受けとられない、やはり違うと判断する。

現ステレオサウンド編集長の2013年の新年の挨拶をそのまま受けとめれば、
どちらもオーディオ評論家も同じということになる。

オーディオ評論家は読者の代表なのか、について考えるときに、
同じとするか違うとするかはささいなことではない、むしろ重要なことである。

Date: 1月 22nd, 2015
Cate: オーディオ評論, ジャーナリズム

オーディオ評論家は読者の代表なのか(その6)

ステレオサウンド 2号の表2の文章は原田勲氏が書かれたものだとしよう。
ほかの人による可能性は低い。

この文章の最後に、
《本誌が「聴」の世界をひらく
眼による水先案内となれば幸いです》
とある。

本誌とはいうまでもなくステレオサウンドのことである。
つまりステレオサウンドが眼による水先案内となることを、
ステレオサウンドを創刊した原田勲氏は、このとき考えていた(目指していた)ことになる。

ステレオサウンド 2号の表2にこう書いてあるのだから、
これがステレオサウンド創刊時の編集方針といっていい。

水先案内とは、目的地に導くことである。

2013年の、ステレオサウンド編集長の新年の挨拶にあった
《素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい》
という編集方針と、
《「聴」の世界をひらく眼による水先案内となれば幸い》という編集方針は、果して同じことなのだろうか。

何も大きくズレているわけではないが、同じとは私には思えない。

けれど現ステレオサウンド編集長は、創刊以来変らぬ編集方針として、
《素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい》
と書いている。

微妙に変ってきているとしか思えない。

Date: 1月 22nd, 2015
Cate: 新製品

新製品(Nutube・その1)

今年も数多くの新製品が登場することであろう。
驚くような新製品もあってほしい、と期待している。

でも今年の新製品で、これほど昂奮するモノは出ないかもしれない。
Nutube(ニューチューブ)という真空管、
それも音響機器用真空管の新製品が登場する。

ノリタケとコルグの共同開発で、
ノリタケの子会社であるノリタケ伊勢電子が製造する蛍光表示管の技術を応用したもので、
小型化、それにともなう省電力化を実現したもの、とのこと。

どういう特性なのか、詳しい技術資料はまだ発表されていない。
アンペックスのオープンリールデッキMR70に採用されたニュービスタに近いモノなのだろうか。
ニュービスタはRCAがミサイル用に開発した真空管である。

今年中にはコルグからNutube搭載の機器が出るとのこと。
となると他メーカーからも出てくるのであろうか。
今年は無理でも来年あたりには、Nutube採用のアンプが登場してきても不思議ではない。

Nutubeそのものの市販も期待している。

Date: 1月 22nd, 2015
Cate: 単純(simple)

シンプルであるために(ミニマルなシステム・その10)

ノイズ対策を徹底化することは、現代オーディオ機器の必須条件ともいえる。
内部、外部両方からのノイズに対して、どう対処するのか。

完全にノイズを遮断することは、オーディオ機器だけでは不可能である。
ゆえにノイズを遮断しながらも、それでも混入してくるノイズを除去するとともに、
あるレベルではノイズとうまく共存していく方法をさぐっていく必要もある。

Wadia 790の筐体内にある五基のトランスは、
ステレオサウンド 133号の三浦孝仁氏の解説が正しければ、
コントロール系、D/Aコンバーターのデジタル部、D/Aコンバーターのアナログ部、
ドライバー段、出力段で電源トランスは独立していて、八基のチョークコイルも採用されている。

三浦孝仁氏の解説では、チョークインプットコイルとなっている。
これは技術的にはおかしな表現である。
チョークコイルを採用した電源方式には、
コンデンサーインプットとチョークインプットのふたつがある。

チョークインプットコイルと書いてしまうと、
部品の名称と平滑方式の名称をいっしょくたにしてしまっている。

それから三浦孝仁氏は「PA85というAPHEX社製のディバイス」と書かれているが、
APHEXではなくAPEXである。

おそらくワディアの当時の輸入元であったアクシスからの資料をそのまま引用されたためであろう。
話がそれてしまうが、ステレオサウンド 133号の奥付をみると、
編集長、編集デスクをふくめて、編集者は五人いる。
誰も、この間違いに気がつかなかったのだろうか。
輸入元の資料だから、と鵜呑みにしてしまったいたのだろうか。

APHEXかAPEXかは、調べればすぐにわかることである。
133号は1999年12月発行で、いまほどインターネットが普及していないとはいえ、
技術に多少なりとも詳しい人が編集部にひとりいれば、わかったことである。

ステレオサウンドは100号で、Wadia 5の見出しに、
ワディアが放つエポックメイキングな新カテゴリー、
と書いている。

ステレオサウンドのワディアのPower DACへの監視の高さは、133号の記事でもうかがえる。
だから十分なページ数を確保しての記事となっているにも関わらず、細部の詰めがあまさがどうしても気になる。

Date: 1月 21st, 2015
Cate: オーディオの「美」

オーディオの「美」(美の淵)

絶望の淵とか死の淵などという。
絶望の淵に追いやられる、死の淵に立たされる、ともいう。

幸いなことに、私はまだ死の淵、絶望の淵に立たされたり追いつめられてはいない。

オーディオは美の淵なのだろうか、とふと思った。

よくオーディオは泥沼だ、といわれる。
いまもそうなのかはよく知らないが、昔はよくいわれていたし書かれてもいた。
その泥沼に喜んで身を沈めていくのがオーディオマニアである、とも。

この項へのコメントを、川崎先生からfacebookにいただいた。
「オーディオの美ではなく、オーディオはすでに美であるべき!」とあった。

オーディオは美であるべきなのに、それを泥沼とも表現する。
泥沼は泥沼である。もがけばもがくなど深みにはまっていく。そして抜け出せなくなる。

けれど、この泥沼はオーディオマニアと自認する人、まわりからそう呼ばれる人にとっては、
案外と居心地のよいところもあるのかもしれない。

でも、それでも泥沼は泥沼である……。

こんなことを考えていた。
そして、この泥沼の淵は美の淵なのだろうか、とも考えた。

いまのところは、美の淵という言葉を思いついただけである。
この美の淵に、オーディオは聴き手を導いてくれるのか。

なにもはっきりとしたことは、まだ書けずにいる。
それでも、美の淵について考えていこう、と思っている。

Date: 1月 21st, 2015
Cate: 公理

オーディオの公理(その4)

ラックスのLX38はプリメインアンプということもあって、外側から真空管は見えない。
よく真空管のヒーターの灯っているのがあたたかみを感じさせてくれる、というが、
SQ38FD/II、LX38にはそのことはあてはまらない。

何も知らない人にとっては、SQ38FD/IIもLX38も真空管アンプとは見えないといえる。
同じように、このころのラックスのコントロールアンプCL32は、
当時としては真空管アンプとは思えない薄さ(7.7cm)だった。

CL32はその外観からもわかるように、懐古趣味的な真空管アンプとしてではなく、
新しい時代のラックスの真空管アンプとして開発されたものであった。

そのCL32の音については、どう評価されていたのか。
私のもうひとつのブログ、the re:View (in the past)をお読みいただきたい。

井上先生、菅野先生、岩崎先生、瀬川先生の評価が読めるわけだが、
みなCL32の音に真空管アンプならではの音の特徴を認められているのがわかる。

CL32はLX38よりも、もっと真空管アンプであることを視覚的な印象からは感じさせないにも関わらず、
しかもLX38はSQ38シリーズの最新モデルという、ある種のしがらみのようなものは、CL32にはなく、
まったくの新製品であるにも関わらず、よくいわれる真空管アンプの良さを持っている(残している)。

LX38の次に私が聴いた真空管アンプは、マイケルソン&オースチンのパワーアンプTVA1である。

Date: 1月 21st, 2015
Cate: 公理

オーディオの公理(その3)

私が初めて聴いた真空管アンプも、ラックスのアンプだった。
SQ38FD/IIの次期モデルであったLX38で、
瀬川先生が定期的に来られていた熊本のオーディオ店でのイベントにおいてである。

他にはトランジスターアンプがあった。
何機種あったのかはもうおぼえていないけれど、LX38だけが真空管アンプだった。

トランジスターか真空管という違いよりも、
アンプメーカーによる音の違いが大きいといえばそうなるし、
真空管アンプすべてに共通する音の特質はあるようでいてないような、
そんなはっきりとしないことがあるのはわかっていても、
LX38の音はSQ38FD/IIの後継機であることもあってか、
やはりあたたかい、とか、やわらかい、といわれる類の音ではあった。

この時、瀬川先生が聴きたいモノのリクエストはありませんか、といわれたので、
スペンドールのBCIIとLX38、それにカートリッジはピカリングのXUV/4500Qの組合せで鳴らしてもらった。

この時の音については以前書いているけれど、
われながら、いい組合せだったと思う。
瀬川先生からも「これは玄人の組合せだ」といわれて、嬉しくなったことははっりきと憶えている。

私がお願いしたレコードをかけ終って、「これはいいなぁ」といわれて、
自分で聴きたいレコードをかけられたほどだった。

スペンドールのBCIIの音にもどこかピントの甘いところがある。
LX38の音にもそういうところがある。
だからBCIIの良さをLX38は、うまく抽き出してくれたのだが、
カートリッジにまで同じようにピントの甘い音のものをもってきたら、
おそらく聴くにたえなかった、と思う。

XUV/4500Qには、そういうところはなかった。

これが私にとっての初めての真空管アンプのアンプということなのだから、ことさら印象に残っている。
たしかにLX38の音は、一般的にいわれているような真空管アンプらしい音であった。

Date: 1月 21st, 2015
Cate: 単純(simple)

シンプルであるために(ミニマルなシステム・その9)

アルパイン・ラックスマンのD/Aコンバーター内蔵のプリメインアンプLV109が登場した時、
D/Aコンバーターを内装することのメリットよりもデメリットを問題にする人が多かったように憶えている。

CDプレーヤーが世に現れて、わりとすぐにCDプレーヤーが発生源であるノイズが問題になってきた。
すこしでもその影響を取り除くために、CDプレーヤーの電源は、
アンプとは違うコンセントから取ることがオーディオ雑誌にも載るようになっていった。

アンプにD/Aコンバーターが内蔵されることは、ノイズ発生源をアンプの中につくることでもある。
当然、その影響は別筐体のCDプレーヤーよりも大きくなる、ともいえる。

メーカーもデメリットはわかっているから、
ノイズ対策を施していることをカタログに謳う。
それでも完璧なノイズ対策は不可能である。

結局はメリットとデメリットを測りにかけて……、ということになり、
その判断はメーカーによって違ってもくる。

ステレオサウンド 100号で紹介されたWadia 5の電源トランスは、
円筒型の筐体の底に大型のトロイダルトランスが一基、その上に平滑コンデンサー、
この上部にも小型のトロイダルトランスがある。

ステレオサウンド 133号紹介のWasia 390 + Wadia 790では、
コントローラー部のWadia 390に一基、本体のWadia 790に五基と驚くほど増えている。
すべてトロイダル型である。

おそらくWadia 5でも巻線はデジタル/アナログで独立していたと思われる。
それでもノイズ対策の徹底化を図るには電源トランスから分離した方がより確実で効果的である。

Wadia 5の開発で、ノイズの問題をどう処理するのか。
その答がWasia 390 + Wadia 790の六基の電源トランスといえる。

徹底するにはここまでやるしかないわけだが、
同時にPower DACという形態をとる必要性の希薄化を生じさせているのではないか。

Date: 1月 21st, 2015
Cate: 素材

素材考(ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニット)

昨年秋、ヨネックスがロードバイクのフレームを発表した。
もちろんカーボンを採用したフレームである。
発表された資料に、ゴムメタルという表記があった。

ゴムメタル
ゴムのような金属という意味なのか、と思い、検索してみると、
チタン合金の一種で、ゴムのような性質をもつものだとわかる。

柔らかく、しなやかで、高強度で腰が強い。
どんなに変形させても硬くならず、無限のプレス加工性を有している、ともある。

ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットはベンディング型であるため、
振動板は合成ではなくしなやかさが要求される。
チタンの薄膜を採用し、その後カーボン版も出ている。

カーボンは高剛性の高剛性の素材だと思っている人が多いようだが、
カーボン繊維はしなやかな素材である。
だからこそDDD型ユニットの振動板の素材としてカーボンもあり、といえる。

そのDDD型ユニットの振動板の素材として、ゴムメタルは最適の素材ではないだろうか。
現在採用されているチタンがどういうものなのか詳細はわからないが、
ゴムメタルの資料を読むかぎりは、より適しているように思える。

現在ジャーマン・フィジックスの輸入代理店は日本には正式にはない。
それが残念である。

ゴムメタルのDDD型ユニットの登場。
実現してほしい。

Date: 1月 21st, 2015
Cate: オーディオ評論

江川三郎氏のこと(その5)

岩崎先生が鳴らされるパラゴンの音は、聴きたかった。
いまでも聴きたい、とさえ思っている。

江川三郎氏のパラゴンの音は、私にとってどうか。
聴いてみたい、といえば好奇心から、そうだ、となる。
でも岩崎先生のパラゴンを聴きたかった、とは違う意味での聴いてみたいである。

それでも聴いてみたいと思っているのは、
江川三郎氏とパラゴンとの関係について考える上で、がその理由である。

おそらく二月発売のオーディオアクセサリーにはなんらかの記事が載るであろうし、
インターネットでも、いろんな人が江川三郎氏について書いていくであろう。

私は先に書いているように、1990年代以降はあまり読まなくなっていた。
そういう者に書けることは、それほど多くはない。
もっと多くのことを書ける人が大勢いることだと思う。

その人たちに私が期待しているのは、
江川三郎氏とパラゴンとの関係についてである。
江川三郎氏のパラゴンの音を聴いている人も、その中にはいるはず。

私がなんとなく感じているのは、江川三郎氏はオーディオ評論家だったのか、である。
オーディオ評論家だった時期はたしかにある。
けれど、それはパラゴンを手放された以降、徐々に変っていったようにも思う。

といっても江川三郎氏の熱心な読み手ではなかった私は、
このへんの事実関係をしっかり調べているわけではない。なんとなくの記憶から書いているにすぎない。

オーディオ機器の紹介記事を書いたり、
試聴をしたりするのがオーディオ評論家ではないことはないことはことわったうえで、
江川三郎氏はオーディオ評論家でありつづけたのか。

あといくつか江川三郎氏について書けることはあるけれど、
このへんにしておこう、と思っている。

Date: 1月 20th, 2015
Cate: オーディオ評論

江川三郎氏のこと(その4)

江川三郎氏は、逆オルソンをどこから発想されたのだろうか。
ある日、ふと頭に浮んだのだろうか。記憶にはない。

逆オルソンのことが載っている当時のオーディオ雑誌には、
そのへんのことが載っていただろうか。

もしかすると……、とおもうことがひとつある。
前述したように、逆オルソンのころはパラゴンを鳴らされていた時期でもある。
ウーファーのバックチェンバーの裏板を外されていたことも前述した通り。

パラゴンの、この部分の写真をみたことのある人ならすぐにわかる。
見たことのない人は、パラゴンで画像検索すれば内部構造図がすぐにみつかる。
二本のウーファーがどういうふうに(どういう角度で)取り付けられているのかわかる。

これが逆オルソンの発想のきっかけではなかったのか、そんなふうに思える。

パラゴンの上から身を乗り出して、この部分を覗き込む。
音を鳴らしている状態でこれをやれば、頭は下を向いている状態だから、
右チャンネルのウーファーの音は右耳に、左チャンネルのウーファーの音は左耳にはいる。

このときの音が意外とよかったのかもしれない、
何かを江川三郎氏に感じさせるものがあったのかもしれない。

私の勝手な想像である。
実際のところはわからない。

パラゴンの存在と逆オルソンがまったく無関係とは、それでも思えないのだ。

Date: 1月 20th, 2015
Cate: オーディオのプロフェッショナル

モノづくりとオーディオのプロフェッショナル(その2)

「スピーカーづくりなんて、簡単!」という人がいた。

彼はスピーカーユニットを買ってきて、
木材のカットは専門業者にまかせて、自分でスピーカーをつくっていた。
既製品のスピーカーシステムもいくつも使ってきていた。

彼は「こんなに安くて、これだけの音がすぐに出せる」ともいっていた。
そしてメーカーがやっていることを小馬鹿にしていた。

こんなアホなことをいっているのが若い人であれば何かをいう。
けれど私よりも年上でオーディオのキャリアも長く、
私よりもオーディオに使ってきた金額の多い人には、もう黙ってしまうしかない。
何をいっても無駄なのだから。

彼がやっているのは、あくまでも自分の部屋において、自分の好みの音が簡単に出せたから、でしかなかった。
それ以上ではなかった。
でも彼は気付いていなかった。
だからメーカーがやっていることを否定していた。

彼は測定器の類はなにも持っていなかった。
そんなものは必要とない、とまでいっていた。

私はもう黙ってしまっていたから、
彼がそのとき何を考えていたのか確かめはしなかった。

彼はネットワークを作らずマルチアンプ駆動で鳴らしていた。
ディヴァイディングネットワークでクロスオーバー周波数を調整してレベル調整、
それぞれのユニットにパワーアンプは直結され、グラフィックイコライザーも併用していた。

これならば、限られた環境において自分の好みの音は出しやすい。
でも、そんなスピーカーは製品にはなりえない。
けれど、彼はわかっていなかった。