「正しい音とはなにか?」(その1)
別項「私的イコライザー考(音の純度とピュアリストアプローチ・その8)」で、
グラフィックイコライザーのことを「正しい音とはなにか? を思考していくツール」だと書いた。
では「正しい音」とは、いったいどういうことなのか。
オーディオを趣味するならば、
「正しい音」を目指すのも目指さないのも、やる人の自由ともいえるし、
オーディオには好きな音はあっても、正しい音は存在しない、と考えることだってできるし、
その立場でオーディオを楽しまれている人の方が、
「正しい音とはなにか?」を思考する人よりも、多いのかもしれない。
ずっと以前、オーディオは家電なのか、ということについて書かれた文章を読んだ。
家電ならば、
炊飯器であればきちんと炊飯ができなければ、とうてい炊飯器とは呼べない。
米と水の文量は炊飯器を使う人にまかせられているけれど、
それさえ守られていれば、きちんとご飯が炊き上がる。
焦げ付くことも、芯が残ったり、反対にぐちゃぐちゃになったりすることはない。
洗濯機も掃除機も、その他の家電機器はみなそうである。
名のとおったメーカーの家電機器ならば、多少の性能の差はあっても、
本来の役目を果せない家電機器などない。
ところがオーディオは、そのあたりが微妙である。
コンポーネントということも、そのことをさらに微妙にしてさえする。
オーディオが家電ならば、レコードにスタインウェイのピアノの演奏が録音されていれば、
少なくともスピーカーから鳴ってくる音で、聴き手に、
そこで演奏されているピアノはスタインウェイであることを伝える(わからせる)ことが求められる。
ベーゼンドルファーで演奏されているのに、スタインウェイになっては困るし、
スタインウェイがヤマハになっても困る。
ヤマハはヤマハのピアノと聴き手に意識させるだけの音でなってこそ、
オーディオは家電のレベルに達するわけだが、
実際にはスタインウェイ、ベーゼンドルファー、ヤマハ、
それぞれのピアノの音色を確かに響き分けられるとはかぎらない。
もちろん、ここには聴き手の使いこなしの問題も関係してくるのだが、
オーディオが家電と呼べるレベルに達しているならば、
使い手の技倆に関係なく、ピアノの音色をきちんと再現できてしかるべき──、
そういう考え方も成り立つ。
そして一方で、すべてのピアノの音色を、スタインウェイの音色で聴きたい──、
さらには理想のピアノは現実には存在しないから、私にとっての理想のピアノの音色を、
オーディオから鳴らしたい──、
そういう聴き手の要求にも応えていけるのもまたオーディオというコンポーネントである。