「正しい音とはなにか?」(その3)
しつこいぐらいに書いているように、私のオーディオは五味先生の「五味オーディオ教室」から始まった。
このことがもつ影響は、どれだけ言葉を尽くしても理解されないくらいに、私にとっては大きい。
そして「五味オーディオ教室」をくり返し何度も何度も読んだあとに、
「西方の音」、「天の聲」、「オーディオ巡礼」、「いい音いい音楽」、「人間の死にざま」を読んできた。
これから先、どんなことが待ち受けているのかはわからない。
それでも五味先生の書かれたものからの影響を私の中からなくすこと、なくなっていくことはないであろう。
つまりは、私は、そういうオーディオマニアである。
だから、私の中では、「正しい音」「より正しい音」は、倫理ということになる。
このことは納得してもらおうとはまったく思っていない。
理解されようとも思っていない。
これは、私というオーディオマニアにとっての大事な宝であり、
そんな個人的な宝の価値は、どこまでいっても私だけのものであるのだから。
音の倫理性、オーディオにおける倫理観念、
こういったものを持たずとも、オーディオという趣味は楽しめるだろうし、
音楽も聴ける、といっていい。
むしろ、倫理なんてものを考えないほうが、オーディオを難しく捉えずに楽しめるのかもしれない。
「正しい音」「より正しい音」なぞ考えずに、好きな音と求めていくのが、オーディオの楽しみ方かもしれない。
けれど「五味オーディオ教室」から私のオーディオは始まっているから、
私のオーディオの終りも「五味オーディオ教室」ということになる。
いわば閉じたサーキット(回路)、
それも複雑なコースを永い時間をかけて、一周しているだけなのかもしれない。
それでも向っている先(視ている先)は、同じような気もする。