Date: 4月 9th, 2015
Cate: 正しいもの
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「正しい音とはなにか?」(録音のこと・その1)

その1)で、スタインウェイのピアノでの演奏ならば、
そのレコード(録音物)の再生において鳴ってくるピアノの音色は、
スタインウェイの音色であってほしいし、ベーゼンドルファーやヤマハになってもらっては困る、と書いた。

それはわかるけれど、レコード(録音物)はどうなのか、と考えられる。
考えられる、というよりも、疑える、と書いた方がいいかもしれない。
ほんとうにそのレコード(録音物)は、スタインウェイの音色を捉えているのであろうか。

疑いが出せばきりがない。
マイクロフォンはスタインウェイの音色を捉えているのか。
マイクロフォンの性能は充分であっても、マイクロフォンのセッティングがどうなのか。
仮にマイクロフォンがきちんととらえていたとしても、
テープレコーダーにたどりつくまでにいくつもの器材を信号は通過する。
それは器材はいったいどうなのか。

そして肝心の録音機は……、ということになるし、
録音がうまくいきマスターテープにスタインウェイの音色がおさめられていたとしても、
アナログディスクならばカッティングを、さらにはプレスの工程も疑える。

疑いたければすべてを疑える。
そういう過程をへてレコードはつくられ、聴き手の元に届く。

そういうレコード(録音物)を信じなければ、
再生というオーディオは成立しない世界である。

少なくともそのレコード(録音物)におさめられている音楽を聴いて感動したのであれば、
良いと感じたのであれば、そのレコードを疑うことをしてはいけない。

疑いたくなる気持はわかる。
でも疑いはじめたら、それはオーディオといえるのだろうか。

井上先生はよくいわれていた。
「レコード(録音物)は神様だから、神様を疑ってはいけない」と。

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