「正しい音とはなにか?」(録音のこと・その1)
(その1)で、スタインウェイのピアノでの演奏ならば、
そのレコード(録音物)の再生において鳴ってくるピアノの音色は、
スタインウェイの音色であってほしいし、ベーゼンドルファーやヤマハになってもらっては困る、と書いた。
それはわかるけれど、レコード(録音物)はどうなのか、と考えられる。
考えられる、というよりも、疑える、と書いた方がいいかもしれない。
ほんとうにそのレコード(録音物)は、スタインウェイの音色を捉えているのであろうか。
疑いが出せばきりがない。
マイクロフォンはスタインウェイの音色を捉えているのか。
マイクロフォンの性能は充分であっても、マイクロフォンのセッティングがどうなのか。
仮にマイクロフォンがきちんととらえていたとしても、
テープレコーダーにたどりつくまでにいくつもの器材を信号は通過する。
それは器材はいったいどうなのか。
そして肝心の録音機は……、ということになるし、
録音がうまくいきマスターテープにスタインウェイの音色がおさめられていたとしても、
アナログディスクならばカッティングを、さらにはプレスの工程も疑える。
疑いたければすべてを疑える。
そういう過程をへてレコードはつくられ、聴き手の元に届く。
そういうレコード(録音物)を信じなければ、
再生というオーディオは成立しない世界である。
少なくともそのレコード(録音物)におさめられている音楽を聴いて感動したのであれば、
良いと感じたのであれば、そのレコードを疑うことをしてはいけない。
疑いたくなる気持はわかる。
でも疑いはじめたら、それはオーディオといえるのだろうか。
井上先生はよくいわれていた。
「レコード(録音物)は神様だから、神様を疑ってはいけない」と。