「正しい音とはなにか?」(その5)
読みはじめのころは、「美しいデザイン」「優れたデザイン」のことを考えていたけれど、
いつのころからか、「正しいデザイン」はあるのか、
あるとすればそれはどういうモノなのか、ということを考えはじめるようになってきた。
この項のカテゴリーは「正しいもの」であり、
「正しいもの」というタイトルで書いているところでもある。
この「正しい音とはなにか?」も、
そこで書いていこうと最初は考えていたけれど、
そうなると「正しい音」について書いていくのはずいぶん先のことになりそうなので、
新たにタイトルをつけて書いている。
「正しいもの」の(その1)の書き出しも、
正しいデザイン、である。
(その1)では、フルトヴェングラーの言葉を引用した。
引用したフルトヴェングラーの言葉の真意を完全に理解しているとはいわない。
理解しているのであれば、「正しいもの」はとっくに書き終っているはずである。
まだ書いている途中であるということは、まだまだということでもある。
それでも、「正しいデザイン」について考えることによって、
私にとって「正しい音」は次の段階にうつったといえる。
そして「正しいデザイン」、「正しい音」、
このふたつについて考えることで、
なぜ川崎先生の文章を、五味先生の文章を読むのと同じように熱心に読んだのかの理由もはっきりしてきた。