音の良さとは(好みの音、嫌いな音・その3)
音の好みがまったくない、という人はいるのだろうか。
好みとは、好きな音もあれば嫌いな音もある、ということで、
つまりは音の好みがまったくないということは、
嫌いな音・苦手な音もなければ、好きな音もないということになる。
音の好みが激しい・極端な人もいれば、さほどでもない人もいるけれど、
まったくないという人には、いまのところお目にかかったことがない。
すくなくともオーディオマニアを自認する人は、必ず好みの音というものがあるし、
音の好みをわかっているからこそオーディオマニアなのではないだろうか。
味覚も聴覚も、その領域を拡げていくことが大事である。
子供のころ苦手だった味も、大人になるにつれて苦手ではなくなり、おいしい、と感じるようになるように、
音に関しても、同じことはきっとある。
それがオーディオマニアとしての成長である、といえる。
私にしても、中学生のころからすれば、受け入れられる音の範囲は確実に拡がっている。
拡げてきたともいえる。
それであっても、どうしても受けつけられない音はある。
以前書いているように、ダメな音はやっぱりあって、これはもう死ぬまで受けつけないであろう。
ただ、この手の音は、音の輪郭線を強調しすぎるため、
エッジがたつ、とか、鮮明になった、とう表現する人がいるようだが、
冷静に聴けば、支配的な音色がかなり強く存在していて、
どう聴いても音の良さにつながるものではない、と思っている。