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Date: 12月 7th, 2015
Cate: background...

background…(ポール・モーリアとDitton 66・その5)

CDが登場したばかりのころ、CDにはものたりなさを感じるという声が少なからずあった。
アナログディスクでは、ジャケットからディスクを取り出し、さらに内袋からもていねいに、
ディスクの両面に指紋をつけないように縁とレーベルに指をあてながら取り出す。

ターンテーブルにセットするさいにも、スピンドルでレーベルにヒゲを描かないように、
すっと一発で決める。

それからディスクのクリーニング、人によってはカートリッジの針先のクリーニング、
スタビライザーをディスクにのせる人もいるだろう。

ここまでやって、やっとディスクにカートリッジを降ろすわけだ。

こういった一連の儀式が、CDにはない。
ケースからディスクを取り出すにしても、アナログディスクほど神経を使うわけでもないし、
片手でディスクをもてる。

アナログディスクのクリーニングに神経質であった人もCDに対してはそうではない。
トレイにディスクをセットして、プレイボタンを押せば、音は出てくる。

しかもCDはアナログディスク特有のノイズがないため、
いきなり音が鳴ってくる感じも、とっつきにくいという意見もあった。

DEDHAMで音楽を聴くためには、他のスピーカーにはない儀式がある。
DEDHAMのところまで行き、扉を開けなければならない。
あたりまえすぎることだが、左右二本のDEDHAMの扉を開けなければならない。

ただ開けておけばいいものではない。
扉は開いた状態でサブバッフルとなっているわけだから、
いいかげんな開き方ではいいかげんな音になってしまう。
きちんと開き、音を聴く──、
これはアナログディスクにおける儀式と同じ、もしくは近いものである。

CDを聴くにしてもDEDHAMであれば、扉を開ける(それも二本分)という儀式をやらなければならない。
ましてDEDHAMが登場したころはCDはなかった。

つまりDEDHAMで音楽を聴くことは、アナログディスクを再生することである。
アナログディスクの儀式も加わるわけだ。

そういえばアナログプレーヤーにはダストカバーがついている。
これを開けなければディスクはかけられない。

普及型アナログプレーヤーではアクリル製の軽いダストカバーも、
例えばパイオニアのExclusive P3のダストカバーとなると、重くしっかりした造りで、
これもある種の扉をあける感覚に近い。

そうやって聴く音楽が、イージーリスニングであるのだろうか、BGMであるのだろうか。

Date: 12月 6th, 2015
Cate: デザイン

TDK MA-Rというデザイン(その8)

TDKのメタルテープMA-Rのデザインをじっくり見ていると、
オープンリールテープを反転したようにも思えてくる。

オープンリールテープは、アルミ製のリールに巻かれている。
リールには、テープの残量が視覚的に捉えられるようにスリットがいくつか開けられている。
カセットテープにも中央に小窓があって、テープの残量がある程度は視覚的につかめるようになっている。

けれどMA-Rはテープ全体が見えている。
小窓やスリットはない、透明なプラスチックがハーフになっているからだ。

テープを囲うように亜鉛ダイキャストのフレームはデザインされている。
ちょうどオープンリールのハーフを反転させたようなデザインの中で、
精巧なオープンリールテープのミニチュアがまわっているような印象がある。

ミニチュアなのに、
というよりも、ミニチュアだからこそオープンリールテープよりも精巧につくられているような気がする。
だからこそ、MA-Rを手にすると、どこかナグラSNNを思わせる。
少なくとも私は、MA-Rを当時手にしたときにそう感じていた。

SNNは外形寸法W14.7×H2.6×D10.0cm、重量0.574kg(テープ、電池込みの重量である)の、
手のひらにのる超小型のオープンリールデッキである。
1970年代後半SNNは69万円していた。

録音時間は9.5cm/secで27分、4.75cm/secで1時間48分である。
4.75cmといえば、カセットテープのテープ速度(4.8cm/secもしくは4.76cm/sec)と同じである。

当時SNNに憧れていたオーディオマニアは少なからずいたはずだ。
私もそのひとりだった。

69万円も出して、何を録音するのか。
そんなことを冷静に考えると、バカらしい買物ということになるのはわかっていても、
憧れとはそんな冷静に考えることとは無関係のところにあるものだ。

TDKのMA-Rを開発・デザインした東芝のスタッフの人の中に、
ナグラのSNNに憧れていた人がいたのではないのか──、そんなことも思ったりする。

Date: 12月 5th, 2015
Cate: 「スピーカー」論

トーキー用スピーカーとは(その15)

ステレオサウンド 1977年の別冊「世界のオーディオ」のALTEC号に、
アルテック昔話という、池田圭、伊藤喜多男、住吉舛一の三氏による座談会が載っている。
その中に、当時のウェスターン・エレクトリックがどういうレンタルをやっていたのかが話題になっている。

昭和四年頃の話のようだ。
     *
池田 その頃のウェスタンとの契約が15万円ですよ。貸してやるから15万円出せというわけで、いまのお金にしたら幾らになるんただろう。
伊藤 しかも映画館のサービスが毎月4千円から1万円ですよ。
住吉 だから、ちょっとした所では使えなかった……。
池田 その頃、「フロリダ」というダンスホールがあって、そこでは15Aホーンと555のユニット、それにアーム、プレーヤー、アンプ一式をウェスタンから借りて、毎月3千円はらっていた。あの「フロリダ」はわれわれの情熱をかきたてたね、3千円の電気蓄音機代というものをはらってね。
住吉 3千円あると、ちゃんとした家が建ちましたからね。最初にうんと取られて、その上3千円でしょう。それを15銭で躍らせて経営が成り立ったんだから……。
伊藤 とにかく、555をはじめとするウェスタンのシステムに、みんなおどろき、ほしがった時代ですよ。
     *
現代とは貨幣価値が大きく違った時代のことだからすぐにはピンとこないが、
毎月のサービスにかかる金額でちゃんとした家が建つということは、そうとうな金額である。

いまダンスホールの入場料がいくらなのか知らないが、15銭の時代の毎月三千円のサービスにかかる金額、
レンタル時に必要な十五万円は、とほうもない金額ということになる。

それでも、それだけの金額を払っても経営が成り立つということは、
音の価値が、いまとは違っていたということでもある。

それも貨幣価値のように物価が推移してきたから……、というようなものではなく、
なにか根本的に音の価値が、当時とそれ以降とでは違っているように感じる。

Date: 12月 4th, 2015
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(わがまま、になること)

オーディオマニアとしての「純度」(わがまま、ということ)」、
オーディオマニアとしての「純度」(わがまま、でいること)」を三年前に書いた。

オーディオマニアとしての資質で大事なのは、大切にしなければならないことは、「わがまま」だと思っている。
この二本を書いた三年前よりも、強くそう思っている。

もっともっとわがままになろう、と思っている。

オーディオマニアとしてわがままでいること、貫き通すということは、
好き勝手なことをやることではない。
苦手なこと、嫌いなことを避けて通ることでもない。

オーディオを趣味としている人の中に、
「私は文系だから……」、「機械オンチですから……」、こういった言い訳をする人がいる。

文系だからオーディオマニアに向いていない、とか、
機械オンチの人はオーディオを趣味としないほうがいい──、
そんな低次元のことではない。

理系だからオーディオが得意なわけではない(そう思い込んでいる人もいるけれど)。

オーディオマニアとして「純度」をわがままとする私は、
わがままでいるということは、そんな言い訳をしないことだと考えている。

わがままでいるよりも、わがままをやめたほうが楽なはずだ。

Date: 12月 3rd, 2015
Cate: 使いこなし

喫茶茶会記のスピーカーのこと(その8)

取り扱い説明書やカタログに載っていることでいえば、
JBLのホーンに関することもある。

スラントプレートの音響レンズ付きのホーンの場合、バッフルに取りつけることがで前提である。
JBLの4343や4350などのスタジオモニターの音響レンズ付きホーン+ドライバーを、
取り外してエンクロージュアの上に置く人がいる。
そういう人の多くはバッフル板に取りつけていなかったりする。

なぜJBLはスラントプレートの音響レンズ付きのホーンに限り、
バッフルへの取りつけを指示しているのかといえば、
音響レンズの後方が無負荷になるのをさけるためである。

つまりスラントプレートの音響レンズの場合、
音響レンズよりも大きなバッフル板に取りつけ、空気負荷を与える必要がある。

バッフル板に取りつけると、バッフルの材質によって音が変る、表面の処理によっても、
取りつけ方法によっても、ネジを締めるトルクによっても音が変る……、
ならばいっそのことバッフル板がなければ、バッフルのそういった影響から逃れられる──、
そう考えるのもいいし、それでいい音が得られればそれもいい、とは思う。

だが、その前に一度はアルテックやJBLの指定する方法で聴いてみるべきである。
その音を基本として、あれこれ試してみるのは、いい。

アルテックにしてもJBLにしても、無意味なことを取り扱い説明書やカタログに表記しているわけではない。
大事なことだから、守ってほしいことだから、書いているのではないだろうか。

使いこなしとは、人と違うことをやることではないはずだ。
と同時に、使いこなしはどこから始まるのかを、いまいちど考えてほしい。

Date: 12月 3rd, 2015
Cate: 使いこなし

喫茶茶会記のスピーカーのこと(その7)

スピーカーの教科書的な本には、12dB/octのネットワークの場合、
ウーファーは正相接続、トゥイーターは逆相接続(2ウェイの場合)にするように書いてある。

ただこれが、常に正しいとは限らない。
アルテックのネットワークの取り扱い説明書をみると、
ウーファーとホーン+ドライバーの極性に関する指示が書いてある。

ウーファーのボイスコイルの位置とドライバーのボイスコイルの位置が揃っている場合、
つまりアルテックのA7、A5のような構成のときには、
ウーファーは正相、ドライバーは逆相にするように書かれてある。

セクトラルホーンの先端部とウーファーのフレーム面が同一線上の場合も同じく逆相接続。
ただしホーンの縁とウーファーのフレームが同一線上の場合はドライバーも正相接続と指示されている。

ネットワークの取り扱い説明書には図つきでわかりやすく説明されている。
少なくとも、この接続がアルテックが考える基本的な接続といえる。

けれど、このこともいつの間にか忘れられつつあるような……、そんな気がしている。

Date: 12月 3rd, 2015
Cate: 使いこなし

喫茶茶会記のスピーカーのこと(その6)

喫茶茶会記のアルテックのホーン811Bは、セクトラルホーンである。
いわゆる古い世代のホーンである。

ダイキャスト製のふたつの型を上下に配置して真ん中を溶接してつなぎわあせている。
最新のホーン理論によってつくられたホーンをみなれた目からすると、
古くさいだけでなく荒っぽいイメージの残るホーンでもある。

しかもホーンの厚みは厚いとはいえない。薄い方だ。
叩けばホーン鳴きが、カンカンとする。
ある音量をこえると、いかにもなホーン鳴きが誰の耳にもはっきりと聴きとれる。

だから、このホーン鳴きをどうにかしたいと、多くの人が考える。
ホーンにデッドニング材を貼りつけたり、重しを載せたり、などが、
古いオーディオ雑誌の読者訪問記事の写真で見ることができた。

そういった対策を行う前にやってほしいのは、
811B(511Bもそうだが)を、バッフルに取りつけてみることだ。

811Bを正面からみると、開口部の縁はバッフルに取りつけられるように穴がある。
バッフルに取りつけると見た目が……、という人は、
バッフル板のかわりにホーンの縁に隠れるようなサイズの角材を、この縁の部分に取りつけてみてほしい。

ホーンの縁が木によって適度にダンプされることで、カンカンと鳴っていた音はけっこう抑えられる。
もちろんどんな木にするかでも音は変るけれど、まず試してみることが大事だ。
その効果を耳で確認できたら、それからいろんな木材を試してみればいいし、
ホーンの縁と角材との間に、たとえば和紙などをはさんでみる、という手もある。

このことは、ずっと昔はいわば常識ともいえた。
けれど、いまでは忘れ去られているような気もする。

Date: 12月 3rd, 2015
Cate: audio wednesday

audio sharing例会(今後の予定)

2016年1月のaudio sharing例会ではアンプの試聴会を行う。
この試聴会とは別に、モノーラルCDを聴く会、というものも予定している。

私のところにはJBLのホーン2397がある。
コンプレッションドライバー2441もある。
スロートアダプターの2329もある。

2329は、コンプレッションドライバー二発を一本のホーンに取りつけるためのアダプターである。
2441が四発あればステレオで、ということもできるのだが、二本しかないから、
2397に2441をダブルで取りつけられるのは一本だけ、つまりモノーラルになってしまう。

喫茶茶会記のウーファーはアルテックの416-8C、15インチのコーン型である。
上の帯域がダブルなら、とうぜん下の帯域もダブルである。

左右ふたつのエンクロージュアを近接配置して、そのうえに2397+2441×2をのせる。
アルテックとJBLの混合部隊になってしまうが、
ウーファーもドライバーもダブルというシステムを構成できる。

これをネットワークで鳴らすのもいいければ、せっかくだからマルチアンプ(バイアンプ)で鳴らす。
喫茶茶会記のアンプはマッキントッシュの管球式プリメインアンプMC2275。
このMC2275の左右チャンネルを低域と高域にふりわける。

具体的にはCDプレーヤーとMC2275のあいだに、
コンデンサーと抵抗によるパッシヴのハイカットフィルターとローカットフィルターを挿入する。
ハイカットフィルターをMC2275の左チャンネルに、ローカットフィルターを右チャンネルに接続すれば、
左チャンネルは低域用、右チャンネルは高域用アンプとなり、
モノーラルCDしか聴けないが、プリメインアンプ一台でバイアンプが実現できる。

低域・高域のレベルコントロールはバランスコントロールで行える。
やや特殊なシステム構成となるが、おもしろいサウンドが期待できそうな予感もある。

モノーラルCDしか聴けない特殊な試聴会になるが、来年ぜひやってみたいと考えている。
ただ2397と2441(二発)、2329を私の部屋から運ぶ手段をどうするかが、
ちょっと面倒に感じているけれど……。

Date: 12月 3rd, 2015
Cate: audio wednesday

第60回audio sharing例会のお知らせ

2016年1月のaudio sharing例会は、6日(水曜日)です。

次回の例会でちょうど60回。まる五年になる。
だからというわけでもないが、アンプをいくつか集めての試聴会を予定している。

スピーカーは喫茶茶会記のアルテックの2ウェイをメインに、グッドマンのトゥイーターを足したシステム。
今日も例会の終りの一時間は、このスピーカーを鳴らしていた。
前回、少し不備があったネットワークが別のモノに置き換えられていた。
良くなった点もあるし、気になる点もいくつかあるように感じた。

アルテック本来の明るさと、やや異質の明るさを感じたのはネットワークのせいなのかもしれない。
市販品のネットワークなのだが、コイルとコンデンサーの配置を見ると、
ネットワークのパーツ配置の基本は、すでに忘れ去られているのか、と思ってしまう。
同じパーツでも、配置を変えれば、とも思う。
このへんはもう少し詰めていく必要があるけれど、
ホーンの鳴きの処理を含めて、今後、少しずつ音が整えられていくと思う。

どんなアンプが集まるかは、もう少し先になって報告する。
最新のアンプではなく、私と同世代、もしくは上の世代の方にとって懐しいアンプがいくつか集まる予定。

かけるソースはジャズが多くなると思うし、
アンプの入れ替えがスムーズに進んで時間に余裕があれば、
ディスクをお持ちいただければリクエストにも応じられると思う。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 12月 2nd, 2015
Cate: Reference

リファレンス考(その7)

セパレート型のCDプレーヤーがある。
当時、音質が素晴らしいと話題になった機種である。

ステレオサウンドの試聴室でもリファレンスCDプレーヤーのひとつとして使っていた。
私が働いていたころは、ステレオサウンドは10時が出社時間だった。
試聴のある日は、朝一で試聴の準備を始める。
器材のセッティングが終ったら、きちんと鳴るかどうか音を出す。
その確認が終ったら、電源は入れっぱなしにしておく。

試聴はふつうは後一から始まる。
たいてはそれほど遅くならずに終る。

17時くらいに終ったとして、試聴器材に電源が入っている時間は八時間ほど。
このくらいだと問題は生じなかったのだが、
それ以上の試聴で、しかもアンプやスピーカーの試聴であれば、
CDプレーヤーは固定でずっと動作させることになる。

そうすると、そのCDプレーヤーの稼働時間は十時間を超える。
試聴が夜遅くまでかかると、もっと稼働時間は長くなる。
試聴だから、CDプレーヤーはほとんど再生状態にある。

そうすると、音がダレてくることがあるのに気づく。
私だけがそう感じていたのではなく、他の人も感じていた。

そんなときCDプレーヤーの天板はけっこう熱くなっている。
しかたないので一旦電源を切り、温度が少し低くなるのを待って試聴を再開した。

ダレた感じはなくなっていた。
そうなると長時間の稼働にともなう温度上昇による音の変化だと考えられる。

こういう使い方は家庭ではあまりないのかもしれない。
だからそういう使い方では気づかないであろう。

だが試聴室のリファレンスとなると、そうではない。
こういう使い方をすることがあり、
そういう使い方をしても音の変化幅が小さく安定しているモノが望ましい、となる。

Date: 12月 2nd, 2015
Cate: 録音

ショルティの「指環」(その16)

カラヤンとグールドの違いについて、ここで書くよりも、
テーマを新たにした別項で書いていきたいと思っている。

この項で、シェルティ/シカゴ交響楽団によるマーラーの第二交響曲について書いてきた。
その15)との間隔がずいぶん開いてしまったけれど、
ショルティの録音物について書くと言うことは、
オーディオの機能性について書くことでもある──、
この四年間で、ますますそう思うようになってきている。

Date: 12月 2nd, 2015
Cate: ジャーナリズム

附録について(その4)

その1)で、
以前のステレオサウンドにはカレンダーが附録としてついていたことを書いた。
またやってほしい、とも書いた。

あと一週間ほどで発売になるステレオサウンドの最新号には、カレンダーが附録となっているそうだ。

アンプやスピーカー、D/Aコンバーターといった附録よりも、
それにCDの附録よりも、私はこういう附録のほうが好ましいと思っている。

Date: 12月 1st, 2015
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(終のリスニングルームなのだろうか・その5)

ステレオサウンド 97号での岡先生の発言からもうひとつわかることは、
AKGのK1000の装着艦はひじょうに優れている、ということである。

岡先生は普通のヘッドフォンだったらかけたまま眠れないのに、
K1000では装着の違和感がまったくないから、そのまま眠ってしまう、と。

その3)でK1000の装着感を、
ばっさり切り捨ててしまった知人の感想とは、まったく逆である。

どちらを信じるか。
私は岡先生である。

K1000を切り捨てて悦に入っていた知人は、
別項「菅野沖彦氏のスピーカーのこと(その14)」で書いた知人である。
XRT20をフリースタンディングで鳴らして、こちらがいい音と言った人である。

彼は、オーディオの仕事を当時やっていた。
何を、彼はわかっていたのだろうか。

彼はK1000だからこそもつ良さを感じとれない人なのだろう。
もっといえば想像できない人なのだろう。

私はK1000を聴いていない。
K1000はとっくの昔に製造中止になっている。
K1000の設計思想を受け継いだヘッドフォンはAKGからも、他のメーカーからも出ていない。

日本ではヘッドフォン・ブームといえる状況で、
K1000の時代よりも数多くの製品が市場にあふれているにも関わらず、だ。

中野で年二回行われるヘッドフォン祭に来る人の多くは若い人である。
彼らは、終のスピーカー、終のリスニングルームといったことは、
まだ考えもしないはずだ。
私も20代のころは、そんなこと考えていなかった。

けれど、いまは違う。
終のスピーカーということも考えているし、書いてもいる。
終のリスニングルームということも考えてしまう。

AKGのK1000は、終のリスニングルームになるかもしれない。
そんな予感が残っている……。

Date: 12月 1st, 2015
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のスピーカーのこと(その14)

NTXシステムの振動板の様子を捉えた写真を見て、
ゴードン・ガウがXRT20のトゥイーターコラムで実現しようとしていたことは、
こういうことなのか、と思った。

XRT20は日本では1981年から販売されている。
けれどアメリカでは1980年から市場に出ていたし、
実のところ日本にもそのころ輸入されていたにも関わらず、そのころの輸入元の判断で、
日本市場では売れない、ということでずっと保管されたままだった。

ステレオサウンドにXRT20が登場したのは59号。
新製品紹介のページで菅野先生が書かれている。
     *
ここに御紹介するXRT20という製品は、同社の最新最高のシステムであるが、すでに昨1980年1月には商品として発売さていたものなのだ。したがって、いまさら新製品というには1年以上経た旧聞に属することになるのだが、不思議なことに日本には今まで紹介されていなかったのである。1年以上も日本の輸入元で寝かされていたというのだから驚き呆れる。
     *
この記事はカラーページだった。
59号を持っている方は、もう一度写真を見直してほしい。
XRT20のウーファーセクションのエンクロージュアの下部が、どうみても新品とは思えない状態になっている。

輸入元で保管といっても、あまりいい状態での保管ではなかったようだ。
空調のきいたところで保管されていたのであれば、エンクロージュアの下部はこんなにはならない。

XRT20はヴォイシングを必要とするスピーカーシステムだったし、
トゥイーターコラムもウーファーセクションのエンクロージュアも壁につけて使うことが前提となる。
いわば制約の多い製品といえる。

こういうモノは売りにくい、売れない、と当時の輸入元が判断したのは、
XRT20というスピーカーシステムを正しく理解していなかったともいえる。

でも、どれだけの人がXRT20を正しく理解していたといえるだろうか。
XRT20を購入した人だから、XRT20を正しく理解しているとはいえない。
それがいい音で鳴っていたとしても、XRT20の理解とは別のところで鳴っているわけである。

オーディオで仕事をしていない人ならば、私はそれでいいと思っている。
正しく理解したからといって、いい音で鳴らせるとは限らないからだ。

ただオーディオの仕事をしている人は、それでは困る。
私は、一度XRT20を一般的なスピーカーと同じようにフリースタンディングで鳴らして、
こう鳴らす方がいい音でしょう、と誇らしげに語った人を知っている。
ここにも、おさなオーディオがある。

この人のスピーカーの理解はこんなものか、と思ってしまった。
とはいうものの、そのころの私も、この人よりはXRT20を理解していたとはいえるが、
ほんとうに正しく理解していたとはいえない。

なぜゴードン・ガウは、トゥイーターコラムを試作品段階で試したコンデンサー型としなかったのか、
なぜハードドーム型ではなくソフトドーム型にしたのか、
24個のトゥイーターを、なぜ、あんなふうに配線しているのか……。

いくつかの疑問があって、その答を見出せずにいた。
1996年までそうだった。

Date: 12月 1st, 2015
Cate: アクセサリー

オーディオ・アクセサリーとデザイン(その4)

メガネをかけるかかけないかで、顔の印象は違ってくる。
どんなデザインのメガネかによっても、その人に似合っているのかどうかにもよって、
印象の変化も度合も違ってくる。

鼈甲のフレームのメガネを私はかけたことがないけれど、
鼈甲のフレームは装飾品としてのつくりと価格であるから、
かけた時の印象の変化は、そうでないフレームのメガネよりも大きい。

かけてもかけなくても顔の印象がほとんど変らない鼈甲のフレームが仮にあったとしたら、
それはあまり売れない商品になってしまうのかもしれない。

ここでマークボーランドのスピーカーケーブルの話に戻ると、
マークボーランドのケーブルを鼈甲のフレームのように見ているのか……、と思われるかもしれない。

そうともいえるし、そうでないともいえる。
何もマークボーランドのケーブルだけではない。
非常に高価で、そのケーブルに替えると音が大きく変化するという印象を与えるケーブル、
それらをすべてをふくめてのことなのだが、
私にとってマークボーランドがその手のケーブルで最初に聴いたモノだっただけに印象が強い。

スピーカーケーブルがなければ、どんなに高価なアンプであろうと、
どんなに優れたスピーカーシステムであろうと、それらはただの金属の箱、木製の箱でしかない。
スピーカーケーブルで両者が接がれて、
アンプはアンプとしての、スピーカーはスピーカーとしての仕事を果すことになる。

スピーカーケーブルは必需品であり、
その意味では私のように視力の悪い者にとってのメガネと同じともいえなくもない。

その必需品によって顔の印象が変り、音が変化する。
ここにデザインとデコレーションの違いが入りこむような気がする。