background…(ポール・モーリアとDitton 66・その5)
CDが登場したばかりのころ、CDにはものたりなさを感じるという声が少なからずあった。
アナログディスクでは、ジャケットからディスクを取り出し、さらに内袋からもていねいに、
ディスクの両面に指紋をつけないように縁とレーベルに指をあてながら取り出す。
ターンテーブルにセットするさいにも、スピンドルでレーベルにヒゲを描かないように、
すっと一発で決める。
それからディスクのクリーニング、人によってはカートリッジの針先のクリーニング、
スタビライザーをディスクにのせる人もいるだろう。
ここまでやって、やっとディスクにカートリッジを降ろすわけだ。
こういった一連の儀式が、CDにはない。
ケースからディスクを取り出すにしても、アナログディスクほど神経を使うわけでもないし、
片手でディスクをもてる。
アナログディスクのクリーニングに神経質であった人もCDに対してはそうではない。
トレイにディスクをセットして、プレイボタンを押せば、音は出てくる。
しかもCDはアナログディスク特有のノイズがないため、
いきなり音が鳴ってくる感じも、とっつきにくいという意見もあった。
DEDHAMで音楽を聴くためには、他のスピーカーにはない儀式がある。
DEDHAMのところまで行き、扉を開けなければならない。
あたりまえすぎることだが、左右二本のDEDHAMの扉を開けなければならない。
ただ開けておけばいいものではない。
扉は開いた状態でサブバッフルとなっているわけだから、
いいかげんな開き方ではいいかげんな音になってしまう。
きちんと開き、音を聴く──、
これはアナログディスクにおける儀式と同じ、もしくは近いものである。
CDを聴くにしてもDEDHAMであれば、扉を開ける(それも二本分)という儀式をやらなければならない。
ましてDEDHAMが登場したころはCDはなかった。
つまりDEDHAMで音楽を聴くことは、アナログディスクを再生することである。
アナログディスクの儀式も加わるわけだ。
そういえばアナログプレーヤーにはダストカバーがついている。
これを開けなければディスクはかけられない。
普及型アナログプレーヤーではアクリル製の軽いダストカバーも、
例えばパイオニアのExclusive P3のダストカバーとなると、重くしっかりした造りで、
これもある種の扉をあける感覚に近い。
そうやって聴く音楽が、イージーリスニングであるのだろうか、BGMであるのだろうか。