ヘッドフォン考(終のリスニングルームなのだろうか・その5)
ステレオサウンド 97号での岡先生の発言からもうひとつわかることは、
AKGのK1000の装着艦はひじょうに優れている、ということである。
岡先生は普通のヘッドフォンだったらかけたまま眠れないのに、
K1000では装着の違和感がまったくないから、そのまま眠ってしまう、と。
(その3)でK1000の装着感を、
ばっさり切り捨ててしまった知人の感想とは、まったく逆である。
どちらを信じるか。
私は岡先生である。
K1000を切り捨てて悦に入っていた知人は、
別項「菅野沖彦氏のスピーカーのこと(その14)」で書いた知人である。
XRT20をフリースタンディングで鳴らして、こちらがいい音と言った人である。
彼は、オーディオの仕事を当時やっていた。
何を、彼はわかっていたのだろうか。
彼はK1000だからこそもつ良さを感じとれない人なのだろう。
もっといえば想像できない人なのだろう。
私はK1000を聴いていない。
K1000はとっくの昔に製造中止になっている。
K1000の設計思想を受け継いだヘッドフォンはAKGからも、他のメーカーからも出ていない。
日本ではヘッドフォン・ブームといえる状況で、
K1000の時代よりも数多くの製品が市場にあふれているにも関わらず、だ。
中野で年二回行われるヘッドフォン祭に来る人の多くは若い人である。
彼らは、終のスピーカー、終のリスニングルームといったことは、
まだ考えもしないはずだ。
私も20代のころは、そんなこと考えていなかった。
けれど、いまは違う。
終のスピーカーということも考えているし、書いてもいる。
終のリスニングルームということも考えてしまう。
AKGのK1000は、終のリスニングルームになるかもしれない。
そんな予感が残っている……。