としつき(26年後)
2007年11月7日に、神楽坂のとある店で、
瀬川先生の二十七回忌の集まりをやった。
その時のことは別項「瀬川冬樹氏のこと(その17)」で書いている。
菅野先生も来てくださった。
会の終りに、菅野先生がいわれた。
「オレの27回忌もやってくれよ」と。
その時、私は81歳になっている。
生きているかどうかはわからない。
生きていたとしても、もう呼ぶ人がいなくなっているんじゃないか……、
そのことに気づいた。
2007年11月7日に、神楽坂のとある店で、
瀬川先生の二十七回忌の集まりをやった。
その時のことは別項「瀬川冬樹氏のこと(その17)」で書いている。
菅野先生も来てくださった。
会の終りに、菅野先生がいわれた。
「オレの27回忌もやってくれよ」と。
その時、私は81歳になっている。
生きているかどうかはわからない。
生きていたとしても、もう呼ぶ人がいなくなっているんじゃないか……、
そのことに気づいた。
十数年前からなんとなく感じていることがある。
親しくなり打ち解けて話すようになる。
そのときの話しぶり、声の印象は、その人が出している音に、どこかつながっていく。
今回のインターナショナルオーディオショウでも、
何人かのオーディオ評論家と呼ばれている人たちの話をきいた。
今年になって、さらに気づいたことがある。
鳴らしているスピーカーの能率の高低と、使っている人の話しぶり、声の印象も、
また共通しているといえるところがある、と。
ホーン型で、高能率のスピーカーを鳴らしている柳沢功力氏と黛健司氏、
対照的に低能率のスピーカーを鳴らしている傅信幸氏と三浦孝仁氏。
柳沢氏と黛氏を比較すれば、もちろん違う。
けれど大きく眺めてみると、
後者の二人と比較してみると、柳沢氏と黛氏の話しぶりには共通しているところがある。
それは昔よくいわれたブリティッシュサウンド、アメリカンサウンドのようなものだ。
イギリスのスピーカーを一機種ずつ聴いていけば、もちろんそれぞれ違う音がする。
それでも、他国のスピーカーをそこに持ってきて比較試聴してみると、
確かにイギリスの音といえるなにかを感じとることができるのと同じだ。
19日にステレオ、20日にレコード芸術、
今日(21日)、オーディオアクセサリーの最新号が発売になっている。
それぞれに菅野先生の追悼記事が載っている。
オーディオアクセサリー 171号の追悼記事は、多くの人に読んでほしい、とおもう。
1987年ごろだったか、試聴のあいまに、
菅野先生がチャーハンの話をされたことがある。
昔、有楽町のガード下に、ミルクワンタンという店があって……、から話は始まった。
菅野先生によると、そこで食べたチャーハンが、
これまで食べたなかでいちばんおいしかった、ということだった。
けれど、その店もなくなって、
なかなかおいしいチャーハンに出合わない、と。
最近食べたなかでは、荻窪にある徳大のチャーハンがよかった。
それでもミルクワンタンのチャーハンと較べてしまうと……、ともいわれた。
ちょうどそのころ吉祥寺にある中華屋で、おいしいチャーハンに出合っていた。
汚い店である。
雑居ビルの上の階にあった。
店の名前とビルの名前が同じだったから、店主はビルのオーナーでもあったのか。
そのへんはわからないし、いまその店はない。
チャーハンといっても、高級中華料理店に行けば、
豪華な食材を使った、高価なチャーハンはある。
それはそれでおいしいけれど、ここでのチャーハンは、そういう類のチャーハンではない。
それこそ具材はチャーシュー、卵……といった、ごくシンプルなチャーハンのことだ。
なので、その吉祥寺の中華屋のことを話した。
かなり興味をもたれたようで、次の試聴のときに、その中華屋のことが話題になった。
開口一番「ひどいめにあったよ、なんだ、あの店(店主)は」といわれながらも、
「あのチャーハンは絶品だよ、でも、あの店主はひどいね」と続けられた。
個人的に気になっていることは、クラシックがかけらえてくなりつつあることよりも、
こういったオーディオショウにおけるスタッフ(関係者をふくめて)のしゃべり方である。
なんといったらいいのだろうか、
共通するしゃべり方には、ある種の臭いを感じとってしまう。
テレビやラジオでの通信販売のしゃべり方と同じ臭いがあると感じてしまう。
すべてのブースのスタッフがそうだとは、もちろんいわない。
それでも年々少しずつ増えてきているような気もしている。
ファインオーディオの説明をされていたアクシスのスタッフにも、
それほど強くはなかったけれど、ところどころにそんな臭いを感じていた。
別のオーディオショウでは、もっと強かった例もある。
ただ、それはわかりやすく説明しようという勢いから、そうなってしまうのかもしれない──、
そう思ってはいても、気になるものは気になる。
一度気になると、ひどく耳障りでもある。
私が気にしすぎなのかもしれないが、
他の方たちは、まったく気にならないのだろうか。
ファインオーディオの輸入元アクシスのサイトには、
《その主要スタッフは、元Tannoy社エンジニアリング・ディレクターとして辣腕を揮ってきたDr.ポール・ミルズを始め、全員が、長年ハイエンドオーディオ業界に深く携わってきた豊富な創造的スキルと技術実績を誇ります。》
とある。
現状のトップモデルF1の外観は、
タンノイ以外のオーディオメーカーからのスタッフの一人は、おそらくB&Wからも来ているのだろう、
と思わせる。
私か聴けたのは、F500とF1である。
ここで、細かな音の印象を書くつもりはない。
オーディオショウという環境で聴けた音は、
こまかなことをあれこれいうものではない、という考えからだ。
大まかな感触がつかめれば、それでいい、と私は思っている。
その感触でいえば、
自分の手でセッティングして鳴らしてみたい、と思った。
タンノイの音のイメージとは随分違うけれど、
芯を感じさせる音は、どちらにも共通していえることだし、
アンプやCDプレーヤー、それに鳴らし手の違いもあるから、
確信をもっていえるわけではないが、芯の強さはファインオーディオの方が、
よりしっかりしているかもしれない。
ただ残念だったのは、F1でクラシックを聴けなかったことだ。
アクシスだけに限らない。
ここ数年、多くのブースでクラシックが一曲もかからないことがある。
昨年のハイエンドのブースにあったKiiオーディオもそうだった。
クラシックを鳴らす気配すらなかった。
いろいな音楽が鳴らされるのは、たいへんけっこうなことだ。
けれど、クラシック好きにとっては、クラシックが虐げられてつつあるような気すらする。
満足のいく音が出せなくとも、オーディオショウだから音を出さないわけにはいかない。
では、スタッフはどんな表情だったかというと、
決して不満げではなかった。
むしろ自信ありげだったように、私にはみえた。
少なくともスタッフの人は、そこで鳴っている音に、特に大きな不満は感じていなかった──、
そう思っていいだろう。
そこでスタッフが首を傾げていたり、神経質そうな顔をしていたら、
ここで、こんなことは書いていない。
そういえばオーディオショウで、神経質そうに耳をかしげているスタッフは見た記憶はない。
みな、自信あっての音なのだろう。
もっともそういう状態の音出しであっても、
それはやはり、音を出している人のオーディオ観がうかがえる、ともいえる。
今回、とあるブースで鳴っていた音は、空々しい、といえる音だった。
冷たい音というわけではなく、空々しい音だった。
耳を傾けようとするほどに、音楽が遠くに感じられる音(鳴り方)だった。
きっと五味先生が聴かれたら、肉体のない音といわれるだろう、とさえ思っていた。
確かに、そんな鳴り方だった。
オーケストラのそれぞれの楽器の自分のパートのところだけで、
ポッと浮んでは、鳴り終るとすっと、その存在までもなくなってしまう感じとでもいおうか。
それぞれの楽器の音はクリアーだ。
悪くはない。
この人は、こういう音で聴いているのか。
こういう音で聴いていて、この音楽を楽しめるのか。
音楽の楽しみ方は、人によって違うものだ。
この日、このブースでかかっていた曲を、こんなふうに聴いても楽しめる人もいよう。
私が、まったく楽しめない、というだけの話かもしれない。
2018年のインターナショナルオーディオショウで、とあるブースに入った。
ある曲がかかっていた。
クラシックをあまり聴かない人でも、一度は耳にしたことのある曲が鳴っていた。
聴きながら、誰の指揮なんだろう、と考えていた。
少なくとも初めて聴く録音だった。
曲が終って、拍手の音がしてきた。
ライヴ録音だったのか、と気づく。
それにしても……、と同時におもっていた。
拍手は、熱狂的な演奏を聴いて拍手のようにおもえたからだ。
出展社のスタッフが、指揮者とオーケストラを伝えてくれた。
誰の指揮なのか書いてしまうと、そのブースが特定されるので書かないが、
その指揮者の別の演奏(録音)は聴いている。
その印象からすると、今回聴いた、その曲の演奏はあまりにも淡々としすぎていた。
もっと熱狂的な演奏だったのではないのか。
だからこその、演奏直後のあの拍手だったのではないのか。
そこで鳴っていた音は、特に大きな欠点はない。
低音もかなり低いところまで再生されていたし、
悪い音、ひどい音だった、という人はまずいないだろう。
私だって、そういうつもりはない。
けれど、あの演奏は、ほんとうにあんなふうなのか、という疑問だけは残りつづける。
自分で買って聴いてみればいいのだが、
買ってまで聴きたい曲でもないので、おそらく買わないだろう。
こんなことを書いていると、
その音には、音楽性が欠けていたんだろう、と受け止める人が出てくるかもしれない。
そういうことではないようにもおもう。
音楽性に欠けていた──、
そのひとことで片づけられるなら、楽である。
ただ、この音で、この音楽(録音)を、鳴らしていた人は聴いているのか。
もちろんその人は自宅では違うシステムで聴いているのであろう。
けれど、鳴らし方そのものは、その人のオーディオ観の顕れだとおもうから、
大きくは違っていないはず──、そういえるとも思う。
今日もインターナショナルオーディオショウに行ってきた。
今年は聴きたいスピーカーが二機種あった。
一つは昨年からアブサートロンが取り扱いを開始したマンガーである。
昨年はアブサートロンのブースに時間の余裕がなくて寄らなかった。
マンガーが聴けることを知っていれば寄ったのに……、と後悔していた。
今年はマンガーが聴ける、と期待していた。
けれどアブサートロンのブースに近づいていくと、音が聴こえてくる。
その音からすると、マンガーが鳴っているとは思えない。
入ってみると、やはりウェストレイクが鳴っていた。
それどころかブース内にマンガーがない。
これが昨日のことだった。
今日も念のため行ってみた。
昨日なかったマンガーが、今日になって搬入されている可能性はとても低いことはわかっいても、
もしかする……、というわずかな期待をもっていたけれど、やはりなかった。
もう一つは、ファインオーディオである。
私にとってタンノイは特別なブランドといえる。
けれど、ここ数年のタンノイは、方向を見失っている、
もしくは間違えてしまっているようにも、私は感じていた。
デザインとはいえない、デコレーションの外観、
クラシカルなものに淫する方向に進むだけなのか、とおもえてならない。
Kingdom(現在のRoyalではなく、18インチ口径ウーファー搭載のモデル)が、
私にとってはタンノイのピークに感じられる。
そこからゆるやかな下り坂(もっといえば自死に向っている)としか感じられない。
期待したい憧れのブランドだったのに、いつのまにか行く末が心配なブランドになりつつある。
年々そのおもいはつよくなっている。
そこにファインオーディオが登場した。
喫茶茶会記のことが、ARBANというサイトで紹介されている。
ARBANは、ジャズを中心としたカルチャーメディア、とのこと。
ジャズ喫茶として紹介されている。
十日ほど前に話していた人がいった。
「インターナショナルオーディオショウは、今年は菅野先生追悼という感じになるんですかね?」と。
そんなふうにはならないよ、たぶん、と答えた。
二時間半だけしかいなかったけれど、そういう雰囲気は微塵もなかった。
そうだろう、と思う。
菅野先生はここ十年ほどインターナショナルオーディオショウに来られていない。
菅野先生はいつも、その日の最後はタイムロードのブースで講演されていた。
いつごろからそうだったのかは知らないが、
少なくとも私がインターナショナルオーディオショウに行きはじめたころはすでにそうだった。
今日の最後はタイムロードのブースにいた。
入ったとき、ベルリオーズの幻想交響曲が鳴っていた。
私には、どこか寂しげに鳴っているように感じられた。
ノアのブースでは、ちょうどソナス・ファベールのAida IIが鳴っていた。
私が入ったときは、ちょうど曲の終りだった。
スタッフが次にかけようとしたディスクは、なぜだがCDプレーヤーが読み込まない。
それでその次の予定のディスクになった。
デ・ワールトのペール・ギュントだった。
フィリップスから出ていた。
ずいぶん前に聴いている。
ペール・ギュントを聴くのも、ほんとうに久しぶりだ。
はっきりではないが、このデ・ワールトのペール・ギュントを聴いて以来かもしれない。
かけられたのはソルヴェイグの歌。アメリンクが歌っている。
やや控えめな音量だった。
歌詞の意味もおぼろけだった。
どんなことを歌っていたのか、ほとんど思い出せなく聴いていた。
こういう録音だっけ?
アメリンクって、こんなにいい歌手だっけ?
そんなことを感じていた。
聴いていて、なぜだか、菅野先生は、もうおられないんだな、とおもっていた。
すくなくとも、私にはそういう音に鳴ってくれていた。
今日(11月16日)からインターナショナルオーディオショウ。
会場に着いたのは16時半過ぎ。
ショウは19時までだから、すべてのブースをまわることはもちろんできないし、
実際にまわった(入って音を聴いた)ブースは五つだけだった。
毎年来ていると、それぞれのブース(出展社)の音といえそうなものを感じる。
新製品が毎年登場して、一年前と同じシステムで鳴らしているブースはない、といっていい。
器材もセッティングも違ってくる。
それでもブース(出展社)の音といえそうなものはある。
けれど、毎年ほとんど変らないブースもあれば、
いい方向へと変っていくブースもある。
TADのブースには、今日は入るつもりはなかった。
インターナショナルオーディオショウに行ったことのある人ならおわかりのように、
TADのブースはいちばん奥まったところにある。
その隣がトイレである。
トイレに用があった。
けれどTADのブースのドアが開いて漏れきこえてくる音が、いい感じである。
つい入ってしまう。
昨年あたりから感じていたのだが、
TADのブースの音は変ってきている。
もちろんスピーカーも違うわけだから、音も違って当然なのだが、
そういう音の変化(違い)ではなく、
鳴らし方そのものが変化してきているような音の変化に感じる。
いい感じで鳴っている、そういいたくなる音(雰囲気)があった。
来年のTADの音がいまから楽しみである。
最初はドアの上の方だけだったのが、
いまでは、最新の山手線の車輌は、かなりの数の液晶ディスプレイがついている。
手にはスマートフォンという液晶ディスプレイ、
スマートフォンから視線を外すと、今度は車輌内の液晶ディスプレイ、という、
液晶ディスプレイに囲まれつつあるわけで、
電車に乗っていると、どうしても目に入ってくる。
数年前になるが、あるスーパーのコマーシャルが頻繁に液晶ディスプレイに映し出されていた。
中学生か、もしかすると小学高学年なのか、
そのくらいの年ごろの少年少女が踊っているコマーシャルだった。
このコマーシャルをみるたびに感じていたのは、
これは踊りなのだろうか、だった。
たしかに若くて体も柔らかくて軽いだろうから、よく動く。
ヘタなわけではない。
けれど、みているとうんざりしてくる。
踊りに、どうしても見えないからだ。
液晶ディスプレイに映し出されているのは、
振付師によって考え出された振り付けを、そのままトレースしているだけにしか見えないからだ。
振付師の考えた振り付けをみたわけではない。
それが踊りなのか、それとも振り付けでしかかないのかまでは、
コマーシャルだけを見ているのだからわからない。
けれど単なる振り付けであっても、それを踊りにするのがダンサーであり、
ダンサーである以上、年齢は関係ない。
どんなにテクニックがあっても、手本となる動きをただ単にトレースしているだけのレベルでは、
踊りに限らず、書であっても絵画であっても、オーディオであっても、
摸作ともならないし、まして贋作とはとうてい呼べない。
マイケルソン&オースチンのTVA1は、KT88のプッシュプルで出力は70W+70Wだった。
TVA1に続いて登場したEL34プッシュプルのTVA10は、50W+50Wだった。
TVA1の70Wの出力は理解できた。
けれどTVA10の50Wという出力は、EL34のプッシュプルにしては大きい。
EL34のプッシュプルで、AB1級ならば出力は35W程度である。
TVA10に続いて登場したM200は、EL34の4パラレルプッシュプルで200Wの出力。
出力管の本数がTVA10の四倍に増え、出力も四倍になっている。
TVA1は何度か聴いている。
TVA10も一度か二度聴いているけど、M200は聴く機会がなかった。
TVA1とTVA10は、出力管が違うとはいえ、ずいぶん音が違うな、と感じたものだった。
TVA1の音には魅力を感じたが、TVA10には、まったくといっていいほど魅力を感じなかった。
M200までになると、印象は変ってくるかもしれないが、
TVA1とTVA10は、同じ人が設計しているとは思えなかった。
そのことがはっきりしたのは聴いてから数年経ったころで、
TVA10とM200の設計者はティム・デ・パラヴィチーニであることがわかった。
パラヴィチーニはラックスに在籍していたこともある。
コントロールアンプのC1000とパワーアンプのM6000は、彼の設計といわれているし、
管球式モノーラルパワーアンプのMB3045もそうである。
ならば、パラヴィチーニは、ラックス時代に上原晋氏と一緒に仕事をしていた可能性もある。
上原晋氏は、ラジオ技術の1958年8月号で、EL34のプッシュプルアンプを発表されている。
このアンプの出力は60Wと、一般的なEL34のプッシュプルよりもかなり大きい。
だからといって、EL34の定格ぎりぎりまで使っての、やや無理のある設計ではない。
記事の冒頭に、こう書かれている。
*
このアンプでは、定格いっぱいの用法は敬遠し、できるだけ球に余裕を持たせ、とくにSgの損失を軽くすることによって寿命を延ばすようにしました。結果からいいますとSgの損失を定格の半分くらいに押えましたので、いちおうこの点での不安は解消しましたが、これでも球によってはグリッドのピッチの不揃いからか、2〜3本の線が焼けるものに当る時もありますが、この程度ならたいして実害はないようで、かなり長く使っていてなんともありませんから、まず大丈夫だと思っていいでしょう。
*
パラヴィチーニは、この上原晋氏のEL34のプッシュプルアンプの動作点を参考にしての、
TVA10とM200の出力の実現なのかもしれない。