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Date: 1月 28th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その4)

Aさんの友人をBさんとしよう。
Bさんの奥さんはなぜヤマハだったのか。

アキュフェーズは、(その3)で書いているように、
アキュフェーズ(?)状態である。

アキュフェーズ以外にテクニクスがある。
テクニクスは候補にならなかったのか。

Bさんを直接知っているわけでないから、憶測にすぎないけれど、
おそらくデザイン面で、奥さんの選択肢から外れたのではないのか。

テクニクスの修理に関しては、いくつかウワサを耳にしているけれど、
一応国産メーカーだし、それほどひどくはないであろう(と思う)。

テクニクスもSACDプレーヤーが発表されたし、
アナログプレーヤーもある。
チューナーは、これから先も出ない(と思う)。

チューナーがないからテクニクスではなく、ヤマハなのか。
たぶん違うはずだ。

テクニクスのデザインは、Bさんの奥さんの気に入るものではなかったのだろう。
でも、だからといってヤマハの5000番シリーズの、
特にコントロールアンプのデザインが優れている、とは私はまったく思っていない。

別項で指摘しているように、あれはコントロールアンプのデザインではなく、
プリメインアンプのデザインである。

ヤマハのC5000のデザインを褒める書き手がいたら、
その人はオーディオ評論家(職能家)ではなく、
はっきりとオーディオ評論家(商売屋)といえる。

とはいえBさんの奥さんには、そんなことはどうでもいいことだろう。
イヤミのないデザイン、丁寧な仕上げ、
リビングルームに置いて、変に自己主張しない──、
そういったことでいえば、ヤマハのC5000、M5000は、納得のいく選択だろう。

Bさんの奥さんは、オーディオを音が出る家具、
好きな音楽を聴ける家具という認識なのかもしれない。

そう勝手に思って、これを書いているわけだが、
だとするとBさんの奥さんは、どういうラックを選択するのだろうか。

Date: 1月 28th, 2019
Cate: High Fidelity

原音に……(その4)

別項でメリディアンのULTRA DACのことを書いている。
まだまだ書きたいことがある。
そのくらい惚れ込んでいる。

ULTRA DACと同じくらいに惚れ込んだオーディオ機器は、
ジャーマン・フィジックスのUnicornがある。
2002年のインターナショナルオーディオショウで聴いてからだ。

だから16年後にULTRA DACに出逢って、惚れ込めるオーディオ機器が一つ増えたことになるし、
その16年のあいだに、いいなぁと思うオーディオ機器はいくつかあったけれど、
惚れ込んだ、と心からいえるオーディオ機器となると、残念なことになかった。

なかっただけにULTRA DACを熱をあげている、ともいえる。

惚れ込んだオーディオ機器は、音がいいだけにとどまらない。
こちらにさまざまなことを考えさせてくれるところがある。

ULTRA DACの音もまさしくそうである。
ULTRA DACの音を聴いて、こうやって書きながら、その音を思い出すと、
この項のはじめに書いたように、
原音を目指すのではなく、原音に還ることが、
私にとってのハイ・フィデリティであることを、つよく実感できる。

とはいえ、その理由については、いまだはっきりしない。
はっきりしないからこそ、書いている。

Date: 1月 27th, 2019
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(ルールブレイカーか・その4)

二時間ほど前に「「新しいオーディオ評論」(バランサーであること)」を書いた。
ルールブレイカーとバランサーであることは、私のなかでは矛盾しない。

むしろルールブレイカーでなければバランサーたりえない。

Date: 1月 27th, 2019
Cate: 世代

世代とオーディオ(その表現・その5)

家族にとっては、新しい生命の誕生は、確かにOnly oneである。
けれど「世界の一つだけの花」の歌詞は、《もともと特別なOnly one》である。

Only oneの前に「特別な」がつく。
「特別な」がつく以上、
マーク・トウェインがいうように《なぜ生れてきたかを見出し》てこそのである。

マーク・トウェインの
“The two most important days in your life are the day you are born and the day you find out why.”
あなたの人生で最も重要な二つの日は、あなたが誕生した日と、なぜ生れてきたかを見出した日である。
このことばを知らない人であっても、
《もともと特別なOnly one》という歌詞に、素直に首肯けない人は少なからずいたのではないのか。

《もともと特別なOnly one》、
そんなことあるわけないじゃないか──、
そんな声ならぬおもいが、
「フツーにおいしい」とか「フツーにかわいい」というところに滲んできているように感じる。

フツーと特別は、いわゆる対語の関係である。

《もともと特別なOnly one》、
この歌詞で一時は慰められたとしても、
一歩社会に出れば、そうじゃない……、とは肌で感じられるものだ。

《なぜ生れてきたか》を見出せていないことを自覚している人もいれば、
見出せていると錯覚している人もいよう。

私だって、錯覚しているだけなのかもしれない。
それゆえ《もともと特別なOnly one》のところに反撥しているのかもしれない。

それに見出せている人よりも、
「世界の一つだけの花」をきいてなぐさめられたり、元気をもらった、といえる人のほうが、
ずっとシアワセかもしれない。

そういえばいま書店に並んでいる文藝春秋に、
「SMAPと平成に最も愛された歌『世界に一つだけの花』が教えてくれた」というタイトルの、
槇原敬之、水野良樹の対談が載っている。

電車の吊り広告で知った。
読む気はない。

文藝春秋の読者層は、かなり高いと思っている。
たぶん高いはずだ。
そんな文藝春秋が、2002年にリリースされた「世界の一つだけの花」を取り上げている。

「世界の一つだけの花」は、広い年齢層に受け入れられているということなのか。

Date: 1月 27th, 2019
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(バランサーであること)

「ピュアオーディオという表現(バラストなのか)」で、
アキュフェーズの創業者、春日二郎氏の「オーディオ 匠のこころを求めて」から、
ピュアオーディオについて書かれているところを引用した。

もう一度引用しておく。
     *
 船舶は、転覆をしないように重心を低くするため、船底に重いバラスト(底荷)を積んでいる。これは直接的な利潤を生まない「お荷物」ではあるが、極めて重要なものである。
 歌人の上田三四一(みよじ)氏は、「短歌は高い磨かれた言葉で的確に物をとらえ、思いを述べる、日本語のバラスト(底荷)だと思い、そういう覚悟でいる。活気はあるが猥雑な現代の日本語を転覆から救う、見えない力となっているのではないか」、このように書かれている。

 純粋オーディオも、人類にとって大切なオーディオ文化を守る重要なバラストの役目をしているのではないだろうか。
     *
その時、オーディオはバラストといえる、と書いた。
いまもそう思っている。

そして、オーディオ評論家はバランサーである、とも思うようになった。

Date: 1月 26th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その3)

昨晩は、友人のAさんから食事の誘いがあって、神楽坂に出かけていた。
食事をしながらあれこれ話していた。

Aさんの友人のことが話題になった。
Aさんと私は1963年生れ、友人の方もそう、とのこと。

Aさんはオーディオマニアだが、Aさんの友人はそうではない。
でも、オーディオシステムを一式揃えることになったそうだ。
奥さんの許可も得てのことである。

予算は制約がないわけではないが、そこそこあるようだ。
それでも別の制約がある。

故障したときに修理体制がしっかりしている、ということがある。
これにより海外製のアンプはすべて候補から外された、らしい。

奥さんの意見として、修理を優先して国産アンプということになる。
そうなると絞られてくる。
結局、ヤマハの新製品5000シリーズのペアに決った。

スピーカーはまだ選択中だが、こちらはそうそう故障するものでもないだろうから、
海外製でもいいらしい。
いまのところB&Wが第一候補とのこと。

アンプをヤマハにすれば、CDプレーヤーもチューナーもヤマハで揃えられる。
5000シリーズのCDプレーヤーもチューナーも、いまのところないが、
CDプレーヤーの5000番は近々登場してくるであろう。

アナログプレーヤーも揃う。
アキュフェーズではなくヤマハが選ばれたのは、こういうところも関係してようだ。

アキュフェーズもチューナー、CDプレーヤーが揃えられる。
けれどオーディオにまったく関心のない奥さんにとって、
アキュフェーズ? といったところだろう。

話を聞いていておもしろいな、と感じたのは、
スピーカーがヤマハのNS5000ではなかったところがひとつ。

それからラックをどうするのかが、もうひとつである。

Date: 1月 25th, 2019
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(その18)

オーディオではいくつかのモノを並列接続して使う。

アンプは出力素子を、大出力確保のために並列接続する。
トランジスターにしても真空管にしても、一組よりも二組使用の方がパワーは倍にとれる。
さらに出力を増したければ、素子数を三組、四組……と増やしていく。

トランジスターにしても真空管にしても、
素子としての物理的な大きさをもつため、
並列接続の数が増えれば、その物理的大きさがもたらす制約も大きくなってくる。

1990年代、トランジスターアンプの出力段のトランジスターを並列接続しない、
そのことを謳った製品がいくつか登場した。

音の反応が早い、とか、音のにじみが少ない、とか、そんな評価を受けていた。

頭で考えても一組よりも二組、二組よりも三組……、と並列接続の数が増えていけば、
この世には完全な素子など存在しないのだから、弊害として音のにじみが生じてくるのは、
想像しやすいことである。

確かに一組よりは二組のほうが、そうであろう。
ただ、そこから先はどうなのだろうか、という疑問もある。

なんとなくなのだが、二組よりも三組の並列接続が音がいいような気もする。

検証したわけではない。
直観として、並列接続の数は素数がいいような気がするだけだ。

2も素数である。
けれど2は偶数である。
素数で奇数。そして小さな数となると3である。

これも検証したわけではないが、
スピーカーユニットの複数使用にもあてはまるのかもしれない。

そんな考えからの、ユニットの三角形配置(三発配置)でもある。

Date: 1月 24th, 2019
Cate: ステレオサウンド

月刊ステレオサウンドという妄想(というか提案・その4)

黒田先生が、「レコード・トライアングル」のあとがきに書かれている。
     *
 最近はあちこちに書きちらしたものをまとめただけの本ばかりが多くて——と、さる出版社に勤める友人が、あるとき、なにかのはずみにぼそっといった。もうかなり前のことである。その言葉が頭にこびりついていた。
 その頃はまだぼくの書いたものをまとめて出してくれる出版社があろうとは思ってもいなかった。なるほど、そういうこともいえなくはないななどと、その友人の言葉を他人ごとのようにきいた。
 三浦淳史さんが強く推薦してくださったために、この本が東京創元社から出してもらえることになった。むろん、うれしかった。
     *
音楽評論家、オーディオ評論家にしても、
評論家とつく書き手で、書き下しがある人はどのくらいいるのだろうか。

多くの音楽評論家、オーディオ評論家が、
《最近はあちこちに書きちらしたもの》をまとめて一冊の本として出す。

でも、それすらいまや難しいのではないのか。
特にオーディオ評論家と名乗って現在仕事をしている人たちは、どうだろうか。

《あちこちに書きちらしたもの》が、試聴記や新製品紹介、ベストバイのコメントが主で、
あとはブランド訪問ぐらいだとしたら、
いくら文量は足りていても、一冊の本としてまとめられるだろうか。

そんな本を買う奇特な人はどのくらいいるだろうか。

本を出すことが、評論家ほんらいの仕事ではないことぐらいわかっている。
それでもオーディオ雑誌にあれこれ書いてきても、
一冊の本としてまとめられる内容のものを書いてこなかった、と、
書き手自身がふり返って気づくことこそ残酷なことではないだろうか。

一冊の本としてまとめられなくてもそれでいい、という人もいよう。
オーディオ評論家の仕事なんて、そんなものさ、と割り切れる人ならば、それでいい。

その人が亡くなったら、あっという間に忘れ去られていく。
死んだあとの評価なんて、どうでもいい──、といえば、確かにそうだ。

生きているうちにしっかり稼いでいければそれでいい。
評論家は、ほんとうにそういう考えでいいのだろうか。

書いたものが掲載誌でしか残らない。
オーディオ評論(決してそう呼べないけれども便宜的にそう言う)は、
その程度のことと認識しているのか。

Date: 1月 24th, 2019
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドと幕の内弁当の関係(その1)

『「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(わかりやすさの弊害)』の(その7)、(その8)で、
ステレオサウンドの幕の内弁当化(これは他の項でも書いている)と、
マス目弁当への進化について書いた。

進化としているが、ほんとうの意味での進化とは、もちろんまったく考えていない。
商業誌として売行きを重視しての進化という意味で使っている。

幕の内弁当化の理由が、特集の内容によって売行きが左右されることをなくすためのものであること、
これもすでに何度か書いている通りである。

けれど、理由はほんとうにこれだけだろうか、とずっと思っていた。

さきほどGoogleで、定食について検索していた。
検索結果で、おもしろいページがあった。
楠木建の偏愛「それだけ定食」――スパゲティ「バジリコだけ定食」を愛する理由』である。

これを読んで、そうか、と納得した。
ステレオサウンドの幕の内弁当化への、もうひとつの理由はここにある、
そう確信できたからだ。
     *
「美味しいものを少しずつ」の不思議
 あくまでも個人的な好き嫌いの話として聞いていただきたい。

 ド中年ともなると「いろいろな美味しいものを少しずつ食べるのがイイですな……」とか言う人が多くなる。ま、わかるような気がしないでもないのだが、本当のところはよくわからない。

 温泉宿に泊まってちょっとずついろいろな料理が出てくるのをゆっくりと食べる。上等上質な料理店でフルコースを食べる。こういうのはたまに経験する分には確かによろしいが、あくまでも非日常。そういう経験の総体というか文脈が楽しかったり嬉しかったりするわけで、僕の場合、「美味しいものを少しずつ」は食そのものに対する欲求にはなり得ない。

 美味しいものであればそれだけを大量に食べたい。ほとんど小学生のようではあるが、これが僕の日常生活の食に対する基本姿勢である。

 食通の人ほど「美味しいものを少しずつ」路線に走る。これが僕には不思議である。本当に美味しくてスキな食べ物であれば、それだけでお腹一杯になるまで、スキなだけ、心ゆくまで、気が済むまで食べたい、と思うのがむしろ普通というか人情なのではないか。

 例外は吉田健一。この人の本を読んでいると、美味しいパンとバターがあれば、他のものには目もくれず、それだけをお腹一杯になるまで食べる、というようなことが書いてあって嬉しくなる。これだけでイイ人であるような気がする。
     *
冒頭を引用した。
楠木建氏のプロフィールには、1964年生れとある。
私より一つ若い方だ。

私も食べることに関しては、まったく楠木建氏と同じである。
《本当に美味しくてスキな食べ物であれば、それだけでお腹一杯になるまで、スキなだけ、心ゆくまで、気が済むまで食べたい》

私もそうである。
そんな私には「いろいろな美味しいものを少しずつ食べるのがイイですな……」と言う人の気持の、
本当のところは理解できてない。
ここも楠木建氏といっしょだ。

中年以降になると、食に関して、そうなる人の方が多いのか。
だとすると、ステレオサウンドの幕の内弁当、マス目弁当への道は、
そういう読者層を相手にしているのであれば、正しい選択ということになるのか。

Date: 1月 23rd, 2019
Cate: 夢物語

20代のころの夢もしくは妄想(その1)

20代のころ、こんなことをおもっていた。
70過ぎになったら、小さい名画座を経営したい、と。

スクリーン裏のスピーカーは、トーキー時代の高能率スピーカーシステムにしたい。
シーメンスのオイロダイン、ウェスターン・エレクトリックのシステム。

アンプはもちろん真空管。
往年の名画を、その時代の音で上映する。
100名程度の映画館をもてたらなぁ〜、と、かなり無理なことを夢見ていた。

それで入場券のもぎりをやって一日を過ごす。
たまにレコードコンサートをやる。

そのころとは映画館の経営もずいぶん変ってきてしまった。
デジタル上映が一般的になってきて、名画座の経営も大変だと聞いている。

私が30年ほど前に夢見ていたことは資金があるだけでは実現困難になりつつあるのかもしれない。

それでも、今日ヤフオク!に,JBL/AMPEXのmodel 6000が出ているのを、
友人が教えてくれた。

巨大なシステムだ。
ウーファーはJBLの150-4Cが片側四発、ドライバーは375で、ホーンは業務用の蜂の巣。
ドライバーとホーンは片チャンネルあたり二組。

これがフロントホーン、バッフル付きのエンクロージュアに収められている。
Model 6000の存在は知っていたけれど、この時代に入手できるとはまったく思ってなかった。
価格はかなりの金額である。

程度は良さそうだし、問題はなさそうである。
その価格が、このシステムの適正価格といえるののかどうかは判断が難しい。
それにアメリカからの出品だから、輸送費もかなりかかるはず。

私には到底無理だが、こういうシステムをポンと買える人はいる。
そういう人の中に、このシステムで映画を上映してみようという人がいてほしい──、
と勝手なことをおもっている。

Model 6000がヤフオク!に出ているのを知って、
30年前の夢(妄想)をおもいだしていた。

Date: 1月 22nd, 2019
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(韓国、中国は……・その5)

AliExpressはブラウザーでも見られるけれど、
スマートフォンからだと専用アプリの方が見やすいし使いやすい。

電車に乗っているときなど、ちょっとした空き時間のときに、
AliExpressのアプリを開いている。

いまのところ週に一回ほどはAliExpressで、様々なオーディオ機器を検索している。
とにかく、ある。

ある、としか書きようがないくらいに、いろいろなオーディオ機器が、
AliExpressで売られている。

管球式でしかもバリコン式のチューナーの基板まであるのは、
ちょっと驚いている。
ステレオデコーダーは半導体が試用されているが、
いま日本で、例えキットとはいえ存在しているだろうか。

もう20年くらい前だったか、
秋葉原のオーディオ店にいたら、ある客(50代くらい)が店員に食い下がっていた。
バリコン式のチューナー、それも新品が欲しい、ということだった。

20年くらい前、つまり2000年前後のことだ。
すでにバリコン式のチューナーを、国産メーカーが製造しなくなってけっこう経っていた。
そのことも店員は説明していた。

そういう製品を新品で手に入れるのは無理だ、と。
それでも客は、欲しい、どうにかしてくれ、という。
無理なことをいっているという認識が客側にないように感じられた。

バリコン式のチューナーは、そのころすでに骨董品的でもあった。
管球式ともなれば、さらに遺物的とでもいおうか。

そういうチューナーが、中国のAliExpressでは、
電源トランス、シャーシーを用意しなければならないとはいえ、新品で入手できる。

中国のチューナーなので、そのまま日本のバンドに適合しているわけではない。

それでも、なんだかすごいなぁ〜、と思ってしまう。
こういうモノが見つかるから、AliExpressをたまに覗いてしまう。

Date: 1月 22nd, 2019
Cate: ディスク/ブック

CALLAS IN CONCERT THE HOLOGRAM TOUR(その2)

音楽の理解(オーディオマニアとして・その4)」を書いていて、ふと思った。

マリア・カラスのホログラムコンサートでの、
ステージ上のマリア・カラスは、どちらなのだろうか、と。

再現されたマリア・カラスなのか、
出現するマリア・カラスなのか。

そのステージを観て、どう感じるのだろうか。

Date: 1月 22nd, 2019
Cate: 中点

中心点と堂々巡り

別項「オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(その7)」で、
堂々巡りは悪い面ばかりではない──、と書いた。

同じところを何度も廻っているうちに、その「中心」がはっきりとしてくるからだ。

9年前に書いてる。
いまも基本的にはそう思っているが、
9年も経てば、少しは変ってくる。

堂々巡りには、大きな環と小さな環のふたつが同時に存在する場合がある。
そう考えるようになった。

地球の公転と自転のようなものだ。
もっとも私が描いている堂々巡りの大きな環は、公転といってもいいが、
小さい環は地球の自転というよりも、地球の周りを廻っている月の軌道のように考えている。

もしかすると環は一つではなく、二つでもなく、場合によってはもっと多いのかもしれない。
そこを見極めないと、ほんとうにいつまでも堂々巡りのままだ。

Date: 1月 21st, 2019
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(その30)

ホーン型スピーカーは、過渡特性に優れている、と昔からいわれている。
スピーカーの教科書的な書籍にもそう記述してあるし、
なるほど測定結果をみても、確かにそうだな、と頷けることも事実だ。

それでも私のなかでは、若干の疑問もつねにあった。
ほんとうにホーン型スピーカーは過渡特性に優れているのか、と思ってきた。

けれど、そんなことをいつしか考えないようになっていた。
この20年ほどはそんな感じだった。
そこにメリディアンのULTRA DACを聴いたわけだ。

ここでもくり返すが、ULTRA DACで鳴らすアルテックは、
ホーン臭さを微塵も感じさせない。

そのことについて昨秋から考えていた。
いまのところ仮説にすぎないけれど、結局、ホーン型は過渡特性に優れているからなのだ、と。
そういう直観が、いまはある。

もちろん、ここでいうホーン型とは、きちんと設計、そして製造されたモノのことであり、
なんとなくホーン型のようなスピーカーのことではない。

とにかくきちんとつくられたホーン型スピーカーならば、過渡特性は優秀であり、
その優秀さゆえに、CDプレーヤー全盛時代になり、評価が低くなっていった──、
これも仮説にすぎないのだが、ULTRA DACの音は、こんなことを考えさせてくれる。

CDプレーヤーも、初期の製品にはデジタルフィルターはあまり搭載されていなかった。
マランツ(フィリップス)のCD63には4倍オーバーサンプリングのデジタルフィルターが搭載されていた。

デジタルフィルターは、あっという間に広まった。
デジタルフィルターを搭載していない機種は1980年代後半には存在してなかったはずだ。

けれどこのデジタルフィルターの搭載が、
ホーン型の評価の凋落に関っているのではないのか。

ここでの仮説は、ULTRA DACが、
メリディアンの謳うところの時間軸の精度の高さが事実であるであることが前提である。

Date: 1月 20th, 2019
Cate: オーディオの「美」

音楽の理解(オーディオマニアとして・その4)

再生音、という。
だからなのだろう、再現する、ともいうことがある。

けれど、この再現には心象は必要としないのかもしれない──、
最近そうおもいつつある。

再生音の精度が高くなるにつれて、心象を求めなくなりつつあるのかもしれない。
そんなことも考えながら、心象を必要とするのは、再現ではなく出現なのだろう──、
そう思うようになってきている。