月刊ステレオサウンドという妄想(というか提案・その4)
黒田先生が、「レコード・トライアングル」のあとがきに書かれている。
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最近はあちこちに書きちらしたものをまとめただけの本ばかりが多くて——と、さる出版社に勤める友人が、あるとき、なにかのはずみにぼそっといった。もうかなり前のことである。その言葉が頭にこびりついていた。
その頃はまだぼくの書いたものをまとめて出してくれる出版社があろうとは思ってもいなかった。なるほど、そういうこともいえなくはないななどと、その友人の言葉を他人ごとのようにきいた。
三浦淳史さんが強く推薦してくださったために、この本が東京創元社から出してもらえることになった。むろん、うれしかった。
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音楽評論家、オーディオ評論家にしても、
評論家とつく書き手で、書き下しがある人はどのくらいいるのだろうか。
多くの音楽評論家、オーディオ評論家が、
《最近はあちこちに書きちらしたもの》をまとめて一冊の本として出す。
でも、それすらいまや難しいのではないのか。
特にオーディオ評論家と名乗って現在仕事をしている人たちは、どうだろうか。
《あちこちに書きちらしたもの》が、試聴記や新製品紹介、ベストバイのコメントが主で、
あとはブランド訪問ぐらいだとしたら、
いくら文量は足りていても、一冊の本としてまとめられるだろうか。
そんな本を買う奇特な人はどのくらいいるだろうか。
本を出すことが、評論家ほんらいの仕事ではないことぐらいわかっている。
それでもオーディオ雑誌にあれこれ書いてきても、
一冊の本としてまとめられる内容のものを書いてこなかった、と、
書き手自身がふり返って気づくことこそ残酷なことではないだろうか。
一冊の本としてまとめられなくてもそれでいい、という人もいよう。
オーディオ評論家の仕事なんて、そんなものさ、と割り切れる人ならば、それでいい。
その人が亡くなったら、あっという間に忘れ去られていく。
死んだあとの評価なんて、どうでもいい──、といえば、確かにそうだ。
生きているうちにしっかり稼いでいければそれでいい。
評論家は、ほんとうにそういう考えでいいのだろうか。
書いたものが掲載誌でしか残らない。
オーディオ評論(決してそう呼べないけれども便宜的にそう言う)は、
その程度のことと認識しているのか。