「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(わかりやすさの弊害・その8)
雑誌の売行きを安定にする。
特集の企画によって、売れたり売れなかったりをできるだけなくしたい、とするのは、
経営者の判断であり、それを編集部が忠実に実行していくのは、どういうことを自ら招くのか。
気に入られようとする。
そのための幕の内弁当であり、さらに進んだマス目弁当。
弁当は食べてしまうと、目の前に残るのは弁当箱だけである。
オーディオ雑誌は読み終ったからといって、ページが消失してしまうわけではない。
すべてのページを読んでしまったら、表紙だけが残ってしまうわけではなく、
一冊まるごと残っている。
最新号も残っていれば、捨てないかぎり、それ以前に読み終えた号も残っている。
それらが本棚に並んでいく。
一年で四冊、二年で八冊……、
増えていけば、一冊読んだだけでは気づきにくいことにも気づく。
気づかないまでも、なんとなく感じてくるようになる。
己の裡にある毒を転換してのオーディオの美だと、別項で以前書いた。
オーディオ機器、特にスピーカーは毒をもつ。
毒と毒。
だからこそ美へと転換できるとさえ、私は思っている。
私が熱心に読んできたオーディオ評論は、そのことを暗に語っていた。
いまは、それがなくなっていることに気づく。
だからなのか、毒に対しての拒絶反応が、
一部のオーディオマニアのあいだに出てきているようにも感じる。