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Date: 10月 3rd, 2019
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアと取り扱い説明書(その7)

昨晩はaudio wednesdayだった。
メリディアンの218をテーマにした音出しだった。

喫茶茶会記のCDプレーヤー、マッキントッシュのMCD350と218を接続する。
なのにロックしない。
ケーブルを替えてみてもダメ。

MCD350のデジタル出力がOFFになっているような感じだった。
MCD350のフロントパネル、リモコンを見ても、
デジタル出力をON/OFFできるボタンは見当たらない。

英文のマニュアルを取り出してもらう。
それらしい記述はどこにもない。

私はセッティングをやらなければならなかったから、
常連のHさんにマニュアルに目を通してもらった。

するとリセットの仕方が書いてある、とのこと。
特定のボタンを二つ同時に長押しすることでリセットできる、らしい。

とにかくリセットしてもらう。
今度はロックできた。

やはりリセットする前のMCD350のデジタル出力は、
なぜだかOFFになっていたようだ。

ソフトウェア的に機能を制御しようとした結果が、これだ、と思う。
プリメインアンプのMA7900でも、同じように感じた。

これが、どこか新しいメーカーの製品のことであれば、
そんなものだよなぁ、と終る。

けれど、目の前にあるのはマッキントッシュの製品である。
信頼性は高かったはずのマッキントッシュである。

しかも以前のマッキントッシュの製品ならば、
こんなトラブルは発生しなかっただろうし、
発生したとしても、マニュアルを取り出してくる必要は、ほぼなかったはずだ。

Date: 10月 3rd, 2019
Cate: audio wednesday

第106回audio wednesdayのお知らせ

11月のaudio wednesdayは、6日。
テーマはなんとなく考えているものの、いまのところ未定。
音出しです。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 10月 2nd, 2019
Cate: イコライザー

トーンコントロール(その9)

トーンコントロールは、以前は多くの人が使っていた、と思う。
トーンコントロールがジャマモノ扱いされるようになったのは、
マークレビンソンのJC2の登場の影響は無視できないだろう。

薄型アンプの流行をつくったともいえるJC2だが、
それ以上にトーンコントロールの省略の兆しをつくったアンプでもある。

国産のアンプでもトーンコントロールを省いた製品が登場しはじめたし、
トーンコントロールはついていても、
トーンディフィート(バイパス)スイッチがついていて、
トーンコントロールの回路自体を信号が経由しないようにする機能がつくようにもなった。

プリメインアンプも同じだった。
トーンディフィートスイッチが当り前になってきたし、
トーンディフィートをONにすれば、
回路を一つ経由しないわけだから、いわゆる音の鮮度は向上する。

トーンディフィートスイッチをON/OFFしても、
音の違いが少ないアンプがいいアンプでもある──、
そういうこともいわれたが、トーンコントロールはジャマモノ扱いされていった。

トーンコントロール回路を最初から省いてしまえば、
その分コストが浮くし、
浮いたコストの分だけ価格を安くもできるし、
浮いたコストを、他のところにかければ、性能向上もはかれる。

ある世代から下は、CDが当り前のメディアであって、
LP(アナログディスク)を見たことも聴いたこともないのが普通になった。

いまアナログディスクブームだから、そうでもないだろうが、
とにかく、トーンコントロールがジャマモノ扱いされることで、
トーンコントロールなんて、一度も使ったことがない──、
というオーディオマニアがいても不思議ではないのかもしれないし、
いまはそういう時代なのだろうか。

そこに、DSPを使ったメリディアンのトーンコントロール機能が、
ひっそりと登場した(あえて、ひっそりをつけ加えた)。

Date: 10月 1st, 2019
Cate: audio wednesday

第105回audio wednesdayのお知らせ(メリディアン 218を再度聴く)

audio wednesdayでは、一枚のディスクを何度もかけることが度々ある。
9月もそうだった。

ちょっとした実験をした。
その音の変化をきちんと聴いてもらうために、
他の箇所は変更したくないから、一枚のディスクを、
トラックをいくつか使ったものの、くり返し鳴らした(聴いてもらった)。

以前も書いているが、
とあるオーディオ店で、何かを変える度にかけるディスクを変えていた。
同じディスクでなければ、変えたことによる音の変化を聴き取ることは無理といえるのに、
なぜ? と思っていたら、
同じディスクを何度もかけると帰ってしまう人が多いからだそうだ。

世の中、変ったなぁ……、と思った。

2日のaudio wednesdayでは、ジャクリーヌ・デュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲を鳴らす。
このディスクは、一度きりである。

会の終りにかける。
なので22時45分くらいから、になる。

ジャクリーヌ・デュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲で、
10月2日のaudio wednesdayはしめたい。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 9月 30th, 2019
Cate: Jacqueline du Pré

1965年夏(その1)

今日、写真家の野上眞宏さんのところに行っていた。
野上さんは、先週金曜日に、メリディアンの218を導入された。

野上さんとは先週の月曜日(23日)、水曜日(25日)、金曜日(27日)にも会っていたのに、
218を聴きたくて、また出掛けていった。

野上さんのところに行くのは、ちょうど二週間ぶり。
玄関を開けると、奥にある仕事場兼リスニングルームからの音が聴こえてくる。

今日の音は、二週間前とはかなり違うことが、玄関を入っただけでわかる。
218の音に、どのくらい満足されているかは、野上さんの顔をみればわかることだ。

野上さんは先週土曜日まで、
写真展「DISCOVER AMERICA; Summer Of 1965」を開催されていた。
展示されていた写真の点数は、スペースの関係もあって十数点だった。

野上さんが1965年のアメリカ旅行で撮られた写真は250枚ほどだ、と聞いている。

開催期間中の土曜日には、展示できなかった写真のスライドショーが行われていた。
野上さんの解説つきである。

私は都合がつかなくて、土曜日には行けなかった。

野上さんのところで、MQAの音を、いくつかの録音で聴いた。
ジャクリーヌ・デュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲も聴いた。

曲が鳴りはじめて少しして、野上さんがパソコンを操作して、
スピーカーのあいだにあるディスプレイに、
「DISCOVER AMERICA; Summer Of 1965」の写真を映し出された。

1965年8月のアメリカが、そこに次々と映し出されていた。
耳にはデュ=プレのエルガーが入ってくる。

この録音も、1965年8月だったことをふと思い出した。

Date: 9月 29th, 2019
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(ブームなのだろうか・その3)

「オーディオって、結局、部屋でしょ」
「オーディオは、いい部屋がなきゃダメなんでしょ」
「オーディオって、部屋込みの趣味でしょ」

言い方は他にもいくつかあるけれど、こういうことをいわれる(訊かれる)ことがある。

こちらがオーディオマニアだとわかると、
音楽は好きだけれども、オーディオには特に関心がないという人から、そういわれる。
今年も、数人の方から、そういわれた。

部屋の重要性は、確かに大きい。
けれど部屋がすべてではない。

私に、そう訊いてきた人たちは、
いい部屋がなければ、いいオーディオ(高価なオーディオ)を揃えても意味がない──、
そんなふうに捉えているようだ。

そういうふうに思い込ませたのは、誰なのか、
と、いつも思う。

一部のオーディオマニアなんだ、と、これまたいつも思うことだ。

音楽好きな人は多い。
できれば、いい音で聴きたい、と思っている人もけっこう多いように感じている。

いい音で聴きたい(聴いてみたい)と少しでも思っている人たちを、
オーディオの世界に引き込むにはどうすればいいかについて、
SNSやブログで書いている人たちがいる。

そういう人のなかには、現在考えられる最高のオーディオ機器を揃えて、
価格は無視しての意味も含まれているわけだが、
とにかく最高の音で、好きな音楽を聴いてもらえば、
何割かの人たちは、オーディオに関心を持つようになるのでは──、
そんなことを見かけたこともある。

私は、これには懐疑的である。

Date: 9月 28th, 2019
Cate: audio wednesday

第105回audio wednesdayのお知らせ(メリディアン 218を再度聴く)

10月2日のaudio wednesdayは、
「40年前のシステムの鳴らす音」を聴く予定だった。

けれどアナログプレーヤーのテクニクスSL01の回転が、安定としているとはいえない。
45回転は問題ないが、33 1/3回転だと、不安定になることがある。

鳴らせないことはない、とは思うが、微妙だなぁ……、と思っている。
ほかのテーマも考え準備する時間もないから、そのままやろうかな、とも思ったが、
幸なことにメリディアンの218を、再度鳴らすことができるようになった。

別項「トーンコントロール」の(その7)と(その8)で書いているように、
メリディアンの218のトーンコントロール機能に、いま昂奮している。

この昂奮を誰かに伝えたい。
なので、今回は直前になってテーマを変更する。

“Zone controller – Digital Pre Amplifier”としての218の音を聴く。
具体的には喫茶茶会記のアンプ、マッキントッシュのMA7900を、
プリメインアンプとしてではなく、
パワーアンプ入力端子を使ってパワーアンプとして使う。

コントロールアンプとして218を使う。
8月にはワーナーミュージックからもMQA-CDが発売になった。
ジャクリーヌ・デュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲も鳴らしてみたい。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 9月 28th, 2019
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(を考えていて思い出したこと・その6)

(その5)へのfacebookでのコメントがあった。
audio wednesdayの常連Hさんからだった。

哲学者セオドア・グレイシックの「音楽の哲学入門」には、
鳥の鳴き声は音楽か? に対して、
グレイシックは、文化の背景を持たない鳥の鳴き声は音楽ではない、
と答えている、と書いてあった。

「音楽の哲学入門」は読んでいないが、
文化の背景を持たない鳥の鳴き声が音楽ではないとすれば、
放尿の音も、とうぜんそうなる。

ではヨッフムのレクィエムの冒頭の鐘の音は、
教会の鐘であるし、演奏の始まりをつげているのだから、
文化の背景をもっている──、そういえることになる。

グレイシックが間違っている、とはいわないが、
私がここで書いているのは、放尿の音にしても、鐘の音にしても、
録音された音である、ということが前提である。

しかも録音された放尿の音にしても、鐘の音にしても、
オーディオというシステムを介して鳴らすわけである。

窓の外から聞こえてくる鳥の鳴き声は、
グレイシックのいうように音楽ではないとしても、
一度録音され、再生された鳥の鳴き声は、文化の背景を持たないから、といえるのか、である。

録音というプロセスとシステム、再生というプロセスとシステムに、
文化の背景がまったくないと捉える、いや違う、というのか。
それによって音楽とはいえない、音楽といえるというふうになっていくのか。

Date: 9月 27th, 2019
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(を考えていて思い出したこと・その5)

極端なことをいえば、
その1)で書いている放尿の音と、
ヨッフムのレクィエムでの始まりをつげる鐘とは、
いったいどれだけ違う、というのだろうか。

音楽とは関係のない音ということでは、同じではないのか。
こんなバカなことも考えている。

放尿の音と鐘の音の、どこが同じなのか。
そういわれそうだが、ヨッフムのレクィエムでは鐘の音だったが、
これが、教会ではなくコンサートホールで行われた演奏であるならば、
始まりをつげるのは鐘ではなく、ブザーの音であろう。

ヨッフムのレクィエムで、冒頭に、ブザーの音が入っていたら──、
どう感じるだろうか。
ブザーの音と放尿の音とでは、どれだけ違うのか。

こんな屁理屈みたいなことを考えてしまう。
屁理屈は、どんなに言葉を連ねたところで、しょせんは屁理屈でしかない。
それはわかっていても、音楽性という、ひじょうに曖昧なことについて考えるには、
こんな屁理屈、捻くれたものの見方も必要になってくるのかもしれない──、
と屁理屈の屋上屋を重ねる的なことを試みる。

放尿の音を録音した本人は、
数年後には忘れてしまっている。

聴きに来い、としつこく誘われた五味先生は、
そのことをしっかりと憶えているのに──、である。

だから、ここを読まれている人のなかには、
そんなことどうでもいいよ、という人の方が多いだろうなぁ、と思いつつも、
そんなどうでもいいことこそ音楽性という曖昧なことばを理解するうえで、
意外にも重要になってくるのではないか、とすら思っている。

Date: 9月 26th, 2019
Cate: 電源

LiB-AID E500 for Musicという電源

ホンダのLiB-AID E500 for Musicという、
いわゆる蓄電器がコンセプトモデルとして発表された。

オーディオ関係のサイトでも、それにSNSでも取り上げている人がけっこういる。
私も、LiB-AID E500 for Musicは試してみたい。

この種の製品は以前からあった。
安いモノだと出力が正弦波ではなかったりするが、
二万円ほどの価格のモノだと正弦波出力になっている。

消費電力の小さなオーディオ機器であれば、
この種の蓄電器でも十分使用できるだけの容量を備えている製品も少なくない。

SNSでも、既発売の同種の製品を導入している人を見かける。
なかなかいい結果になっているようだ。

amazonで検索してみると、意外にも製品数は多い。
どれを試してみようか、と迷っているうちに時間だけが経っていく。

迷っていても仕方ないから、そろそろ、どれか一つに決めて……、と思い始めていた。
なので、LiB-AID E500 for Musicの発表は、タイミング的に文句なしだ。

個人的には、AC出力は100Vだけでなく、200V出力が欲しい。
たとえばメリディアンの218はスイッチング電源を採用している。

そのおかげで100Vから240Vまで、仕様変更なく対応できるわけだが、
理屈からいっても、100Vよりも電圧は高い方が有利でる。

200V出力がついていればなぁ、と思うけれど、
一般的な使用状況を考えれば、100Vだけのほうが安心といえば、そういえる。

いくつか注文をつけたいところはあるけれど、期待している製品である。

ACと違い、DCは電圧が高くなり、電流も多ければ、
電源スイッチにひじょうに苦労するようになるから、実用化はけっこう大変だろうが、
オーディオ機器も、消費電力の小さなモノは、
AC入力だけでなくDC入力の規格化の検討も始まってよさそうなのに……、と思う。

Date: 9月 26th, 2019
Cate: 「オーディオ」考

オーディオがオーディオでなくなるとき(その13)

一通のメールが、日付が変ったころに届いていた。
私より一世代若い方(Fさん)からのメールだった。

Fさんのメールには《取り留めもない話ばかり》とあった。
それでも、Fさんは、いまのオーディオの在り方に何かを感じていて、
そのもやもやとした気持が、メールになって届いたような感じを受けた。

Fさんと同じような気持のオーディオマニアの方は、少なからずおられると思っている。

Fさんのメールの最後には、
《楽がすべてなのかと悶々としています》とある。

メールにもあったが、
自動車は自動運転を目指している。

自動運転に向っているのは、私はけっこうなことだと考えている。
クルマの運転を趣味としない人にとっては楽で、
さらに、どこまでなのかははっきりとはいえないが安全も確保されるであろう。

悲惨な交通事故は大きく減ってくれるはずだ、と期待している。

クルマの運転を趣味としている人にとっては、自動運転はどうだろうか。
余計なことをしやがって、と捉える人もいよう。

でも、自動運転が支配的ではなく補助的に働くことで、
自動運転の機能なしでは避けられない事故を防ぐことは可能になるはずだし、
事故を避けられなかったとしても、被害をできるだけ小さくできる可能性もある。

なかには、そういう人もいるのかもしれないが、
クルマの運転の楽しみは、スリルを味わうことではない。

クルマの運転の楽しみ、趣味性を高めることのできる自動運転の補助的利用方法は、
十分考えられることのはずだし、
自動運転機能の利用の仕方は、二つに分れていくように思っている。

Date: 9月 26th, 2019
Cate: 「うつ・」

偏在と遍在(その2)

録音されたプログラムソースを再生するのをオーディオ機器とすれば、
四十年前のウォークマンの登場以前、さらにはオーディオブーム以前、
日本の各家庭にどれだけオーディオ機器(当時はステレオの方が一般的だった)があったのか。

それは遍在とはいえなかった。
テレビにしてもそうだった時代がある。

テレビが各家庭に一台、
ほぼ必ずあるといえるようになったのは、私が幼かったころより少し前ぐらいか。
それがいつのころからか、各家庭に一台から各個人に一台、という時代になった。

ステレオの普及はテレビよりも遅かった。
各家庭に一台、といえるような時代が来る前に、
ウォークマンが登場したのではないだろうか。

東京や大阪などの大都市ではどうだったか知らないが、
ウォークマンが登場したころ、
私がまだ高校生だったころ、ステレオがない家庭は別に珍しくなかったし、
ある家庭の方が少なかった。

大都市ではそこそこステレオが普及していたのであれば、偏在といえよう。
ウォークマンは、まだそういう段階だった時代に登場した。

いまは、というと、一人一台、スマートフォンを持っている。
一台という人が多いのだろうが、電車に乗っていると、
複数台のスマートフォンをいじっている人を見かけることは、そんなに珍しいことではない。

いまでは、そのスマートフォンが、広義ではオーディオ機器となる。
その1)で、スマートフォンで撮った写真を、
すぐさま公開できるようになった、ということは、
偏在から遍在への、大きな変化だ、とした。

カメラとしてのスマートフォンは、確かにそうだ。
それではオーディオ機器としてのスマートフォンの場合は、どうだろうか。

Date: 9月 26th, 2019
Cate: 「うつ・」

うつ・し、うつ・す(BLUE:Tokyo 1968-1972・その4)

今日、といっても、すでに日付が変っているが、
野上さんの写真展、「DISCOVER AMERICA; Summer Of 1965」に行ってきた。
今週末(28日)まで、新井薬師駅近くのスタジオ35分でやっている。

野上さんの写真を見て、そうだ、と思い出したように、続きを書いている。
その3)はほぼ一年前。
また間が飽き過ぎたなぁ、と思いながら、また書き始める。

(その3)の最後に、
野上さんの写真とは対照的に、
ある人の写真に、つよい作為を、
いいかえればナルシシズムを感じた、と書いている。

その時感じたナルシシズムは、被写体となった人たちも、不思議と強く感じられた。
それらの写真に写っている人たちは、プロのモデルではないし、
芸能人や有名人というわけではない。

写真を撮影した人の友人、知人といった人たちである。
もちろん、それらの人たちのことを私はまったく知らない。

それでも、普段、この人たちはナルシシズムを感じさせるような人たちなのか、と思った。
撮影者(写真家と書くべきかと思うが……)がナルシシストであるならば、
結果としての写真からは、撮影者のナルシシズムだけでなく、
被写体もナルシシストとして、ナルシシズムを表に出してしまうのか。

そんなことを思ってしまうほどに、
それらの写真は見ていて、こういって失礼なのはわかっているが、
気持悪さを感じてしまった。

写真がヘタだとか、そういうことではない。
ナルシシズムの相乗効果が、私には堪えられなかった。

Date: 9月 25th, 2019
Cate: plain sounding high thinking

オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その9)

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
卒意の音が鳴らせての裸の音楽なのだろう、と思う。

Date: 9月 24th, 2019
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(ULTRA DACについて話してきた)

その24)で書いている5月4日の飲み会。
同じ場所で、同じ時間からの開始で、前回とほぼ同じメンツで、昨晩も行われた。

そこでメリディアンのULTRA DACについて話した。
来ていた人に、いわゆるオーディオマニアの人はいない。
でも、みな筋金入りといえる音楽好きの人たちばかりである。

ULTRA DACについて話した、といっても、
技術的なことはまったく話していない。

プレーヤー、アンプ、スピーカーがどういうものなのかわかっていても、
D/Aコンバーターって何? という人がほとんどだから、
技術的なこととかを話そうとは思っていなかったし、
そんなことを話されても……、であっただろう。

とにかくULTRA DACの音について話してきた。
16人ほど来ていた人のなかで、ULTRA DACの興味をもって話して聞いていた人は数人だけど、
うち一人は、とても関心をもって聞いてくれていた。

オーディオマニアでない、しかも女性の人が、
ULTRA DACに、ULTRA DACが聴かせてくれるであろう音に、強い関心をもってくれて、
こちらの話を熱心に聞いてくれる。

話していて、こちらも楽しい。

ほかの数人の方たちも、かなりの関心があり、
どこで聴けますか? と訊ねられて、
○○のオーディオ店で聴けます、と答えずに、
毎月第一水曜日に喫茶茶会記での試聴会で、
すでに三度鳴らしている、と伝えた。

話していると、いくつかの気づきがあった。