オーディオがオーディオでなくなるとき(その13)
一通のメールが、日付が変ったころに届いていた。
私より一世代若い方(Fさん)からのメールだった。
Fさんのメールには《取り留めもない話ばかり》とあった。
それでも、Fさんは、いまのオーディオの在り方に何かを感じていて、
そのもやもやとした気持が、メールになって届いたような感じを受けた。
Fさんと同じような気持のオーディオマニアの方は、少なからずおられると思っている。
Fさんのメールの最後には、
《楽がすべてなのかと悶々としています》とある。
メールにもあったが、
自動車は自動運転を目指している。
自動運転に向っているのは、私はけっこうなことだと考えている。
クルマの運転を趣味としない人にとっては楽で、
さらに、どこまでなのかははっきりとはいえないが安全も確保されるであろう。
悲惨な交通事故は大きく減ってくれるはずだ、と期待している。
クルマの運転を趣味としている人にとっては、自動運転はどうだろうか。
余計なことをしやがって、と捉える人もいよう。
でも、自動運転が支配的ではなく補助的に働くことで、
自動運転の機能なしでは避けられない事故を防ぐことは可能になるはずだし、
事故を避けられなかったとしても、被害をできるだけ小さくできる可能性もある。
なかには、そういう人もいるのかもしれないが、
クルマの運転の楽しみは、スリルを味わうことではない。
クルマの運転の楽しみ、趣味性を高めることのできる自動運転の補助的利用方法は、
十分考えられることのはずだし、
自動運転機能の利用の仕方は、二つに分れていくように思っている。