うつ・し、うつ・す(BLUE:Tokyo 1968-1972・その4)
今日、といっても、すでに日付が変っているが、
野上さんの写真展、「DISCOVER AMERICA; Summer Of 1965」に行ってきた。
今週末(28日)まで、新井薬師駅近くのスタジオ35分でやっている。
野上さんの写真を見て、そうだ、と思い出したように、続きを書いている。
(その3)はほぼ一年前。
また間が飽き過ぎたなぁ、と思いながら、また書き始める。
(その3)の最後に、
野上さんの写真とは対照的に、
ある人の写真に、つよい作為を、
いいかえればナルシシズムを感じた、と書いている。
その時感じたナルシシズムは、被写体となった人たちも、不思議と強く感じられた。
それらの写真に写っている人たちは、プロのモデルではないし、
芸能人や有名人というわけではない。
写真を撮影した人の友人、知人といった人たちである。
もちろん、それらの人たちのことを私はまったく知らない。
それでも、普段、この人たちはナルシシズムを感じさせるような人たちなのか、と思った。
撮影者(写真家と書くべきかと思うが……)がナルシシストであるならば、
結果としての写真からは、撮影者のナルシシズムだけでなく、
被写体もナルシシストとして、ナルシシズムを表に出してしまうのか。
そんなことを思ってしまうほどに、
それらの写真は見ていて、こういって失礼なのはわかっているが、
気持悪さを感じてしまった。
写真がヘタだとか、そういうことではない。
ナルシシズムの相乗効果が、私には堪えられなかった。