Date: 3月 4th, 2012
Cate: audio wednesday

第14回 audio sharing 例会のお知らせ

今月のaudio sharing例会は、7日(水曜日)です。

3月24日が岩崎先生の命日であり、今年で没後35年。
なので今回のテーマは「岩崎千明」です。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 3月 3rd, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その4)

ラジカセを使っていたとき、それからカセットデッキを数年後買ったときは、
カセットテープをあれこれ買ってきて、録音・再生してみて、それなりに楽しんでいた。
といっても学生にはカセットテープも決して安い買い物ではなかった。
買いたいものは他にもいろいろあるから、お気に入りのテープ(TDKのSAだったかな)ばかり買えるわけではなく、
値段でカセットテープを選んでいたこともある。

まだラジカセを使っていたいたときだったはずだが、
近所の電気店に100円のC60のカセットテープが並んでいた。
いわゆるノーブランド品なのだが、当時はノーブランドという言葉も知らなかったし、
100円ショップなど、もちろんどこにもなかった時代のことだから、
友人とふたりで「100円だよ」と軽い興奮状態になって、ふたりとも試しに1本買って帰った。
結局、100円カセットテープは、その後買うことはなかった。

そんなふうなカセットとのつきあいは4年ほどだった。
東京に住むようになってからはカセットデッキ、ラジカセを所有したことはない。
いいカセットデッキは欲しいなぁ、と思っても、実際に買うことはなかった。
ウーヘルのCR210は、そのサイズの小ささから欲しい、とかなり欲しいと思っていたけど、手を出すことはなかった。

そんな感じだから、ナカミチの1000ZXLを見ても、カセットテープでここまで、というふうに関心はしても、
1000ZXLを買えるだけの余裕があっても、欲しい、と思ったことは一度もなかった。

ふりかえってみても、カセットデッキ、カセットテープとのつきあいは薄い。
それに、すこしカセットに対してつめたいのかもしれない。

それならばほどほどの性能でほどほどの価格のモノならば、
なんでもいいのではないか、ということになりそうだが、
惚れ込めないジャンルのモノだけに、逆に本当に気に入ったものが欲しい、と思う。

それに、いまは使用目的が決っているし、その幅も狭い。
「音楽談義」を聴くためだけであるから。

となると、カセットデッキではなく、ラジカセが欲しくなる。

Date: 3月 2nd, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その3)

10年ほど前から、2年周期ぐらいで無性にラジカセが欲しい、と思うようになった。
そうなると量販店のラジカセの置いてあるコーナーをぶらぶらまわる。
「欲しい!」と見た瞬間、そう思えるラジカセはいまのところ出合っていない。

もっとも半年おきに定期的に量販店に行き、こまめにラジカセをチェックしているわけではないから、
私が見逃しているラジカセのほうが多いはずであって、
たまたま出かけたときに見かけたラジカセについては、欲しいモノがないだけのことにしかすぎない。

ラジカセが欲しい、と思うようになったのは、
ステレオサウンドが創刊20周年記念として発売したカセットブックを、もう一度聴きたいと思っているからだ。
私と同じか、私よりも年配の読者の方は、このカセットブックがどういうものかはすぐに思い出されるはず。
このカセットブックは、ステレオサウンド 2号に掲載された、小林秀雄氏による「音楽談義」をおさめたものだ。
聴き手は五味先生。

「音楽談義」カセットブックは、C90とC60のカセットテープで、
収録時間は43分36秒、42分46秒、28分29秒、27分21秒となっている。
「音楽談義」には次のようなタイトルが、それぞれつけられている。

 蝋管
 赤盤
 ルビー針
 クレデンザ
 聴覚空間
 生の音をめぐって
 ワーグナーの人と音楽
 ビトーとモリーニ
 ロストロポーヴィッチとアマーティ
 本居宣長、ブラームス
 青年時代のモーツァルト経験
 シューベルトの器楽曲
 チャイコフスキー雑感
 録音
 雨の日のシュタルケル
 ライン河畔のシューマン
 スターンのグヮルネリウス
 シベリウスの魂
 ドビッシーの天使とラヴェルの悪魔
 現代音楽
 原音
 聴こえる音と内に鳴る音楽
 温泉場のショパン
 意味としての音楽
 再び、ワーグナー
 いまブラームスのごとく……

さらにリヒャルト・シュトラウス指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団によるモーツァルトのト短調の第一楽章の一部、
エルマンによるフンメルのワルツ、
フルトヴェングラー指揮ベルリンフィルハーモニーのワーグナーのジークフリートの葬送行進曲(1933年)など、
6曲のSP盤からの音楽も収められている。

このカセットブックを聴いたのは、これが出た1987年の一度きりで、じつはそれ以降一度も聴いていない。
やはり、いまもう一度聴いておこう、と思いながらも、カセットデッキはないし、ラジカセもない。
カセットブックを聴く手段がない、というなさけない状況なので、ラジカセで気に入ったものがあったら、
買ってきて「音楽談義」を聴こう、そう思ってずるずる10年が経っている……。

Date: 3月 2nd, 2012
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その79)

管球式コントロールアンプに使われることが圧倒的に多いECC82(12AU7)とECC83(12AX7)、
1970年代後半からよく使われるようになってきた6Dj8などは、すべて双三極管である。

双三極管は一本のガラス管の中に真空管を2ユニット収めている。
なのでヒーターも2ユニット分ある。
1本あたりのヒーター電圧は6.3V。これが直列に接続され、
中間からももピンが出ていてヒーター用は3ピンとなっている。
だからそれぞれのユニットのヒーターに6.3Vずつ加えることもできるし、
2ユニット分のヒーターを直列のまま使えば12.6Vをヒーター電圧としてかけることになる。

ECC82もECC83もヒーターの定格は6.3V、150mAだから、
直列では12.6V、150mAとなり、並列では6.3V、300mAとなる。
あたりまえのことだが6.3Vで使おうと12.6Vで使おうと、ヒーターが消費する電力は変らない。

コントロールアンプで真空管が1本だけということはまずない。
必ず複数の真空管が使われる。
マッキントッシュのC22もマランツのModel 7もECC83を両チャンネルあわせて6本使用している。

真空管をが複数本の場合、ヒーター関係の配線をどう処理するのか。
12.6V、6.3Vどちらで使うにしても、すべての真空管のヒーターを並列接続して、というのが、
だれもがまず最初に考えることだろう。

直流点火にするのか交流点火にするか、
どちらにしても良質のヒーター用の電源を確保できれば、そこから先に関しては、
つまりヒーターへの配線方法に関してはそれほど注意を払う必要はないようにも思われる。
私も10代のころは、そんなふうに考えてしまっていた。
とにかくノイズが少なくて、低インピーダンスのヒーター用の電源回路が大事であって、
そこから先、真空管のヒーターへの配線(どこをどう引き回すか、ではなく、どう供給するか)には、
気が回らなかった。せいぜいが贅沢をすれば、真空管1本1本に専用の電源回路を用意するぐらいだった。

Date: 3月 1st, 2012
Cate: background...

background…(その1)

BGMがある。
あらためていうまでもなくBGMは、バックグラウンドミュージック(Background Music)の略であり、
バックグラウンドミュージックは直訳すれば、環境音楽、背景音楽ということになっている。

これからさき、ぽつぽつとBGMについて書いていこうと思っている。
オーディオとBGMは、──なんといったらいいだろうか、
真剣にオーディオに取り組んでいる人からは、
「BGMのためにオーディオをやっているわけではない」といわれるそうだ。

BGMという言葉には、音楽を軽く扱ってしまっている、そんな印象があるためなのだろうが、
BGMと似た印象を持っている言葉としてイージーリスニング(easy listening)がある。
イージーリスニングは、日本では、軽音楽を指している。

軽音楽という言葉自体、いまではあまりお目にかからなくなってしまったが、
1970年代にはポール・モーリアが流行っていた。
軽音楽といえば、私にとってはポール・モーリアが、まず頭に浮ぶ。

日本フォノグラムが、ポール・モーリアのレコードを出していた。
数年前、友人を通じて届いたレコードの中に、ポール・モーリアのLPが数枚含まれていて、
日本盤ではあるものの、中のディスクはフランスからの直輸入盤だった。

このポール・モーリアの音楽は、BGMとなり得るのだろうか……、という疑問がわいてくる。

Date: 2月 29th, 2012
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その6)

1949年9月29日にランシングは去っていった。
LPの登場が1948年のことだから、ランシングがD130を発表した1947年はまだSPの時代だった。
ランシングがどんな音を鳴らしていたのかは、いま知る術はない。
勝手に想像するしかない。

D130をどんなエンクロージュアにいれていたのか、どんなふうに鳴らしていたのか。
アンプはどういうものだったのか。
当然真空管アンプだが、出力管は何だったのか。それも既製品であった可能性よりも自作であった可能性もある。
音量はどの程度だったのかも知りたい。

でも手掛かりは、いまのところまったくといっていいほどない。

だから想うだけ無駄といえば無駄な時間なのだが、
これだけは確信をもっていえるのは、ランシングはクラシックがよく鳴るスピーカーとか、
ジャズがうまく鳴ってくれるスピーカーとか、
そういうことを目標としてD130をつくったわけではない、ということだ。

1940年代後半という時代で、最高のスピーカーユニットを目指した結果がD130なのである、
というごく当り前のことを、D130の音が強烈なイメージとともに日本では語られることが多いために、
つい忘れてしまいがちになってはいないだろうか。

D130はスピーカーユニットだから、いわば音を出す道具である。
楽器も音を出す道具である。
この意味では、私もスピーカー=楽器という受けとめ方には異論はない。
(ただ、よく語られる意味でのスピーカー楽器論には、いくつか言いたいことがある)

ここで、思い出してほしいことがある。
楽器には、基本的にクラシック用とかジャズ用とかはない、ということだ。
例えばピアノ。
スタインウェイにしてもベーゼンドルファーにしても、クラシック用、ジャズ用とかで売り出したりはしていない。

同じピアノを、クラシックの演奏家が弾けばクラシックを奏でるし、
ジャズのミュージシャンが弾くことでジャズがそこに存在することになる。

Date: 2月 29th, 2012
Cate: ディスク/ブック

「鬼に訊け 宮大工 西岡常一の遺言」

1989年に小学館からサライが創刊された。
巻頭記事は安岡章太郎氏のインタヴュー記事で、これが読みたくて手にとりそれ以降数年間は毎号購入していた。
初期のサライではオーディオが取り上げられたこともあった。
世界の著名人のオーディオマニアとその愛用のオーディオを紹介する、というものだった。
内容的に物足りなさを感じたものの、大手出版社だからこそできる内容でもあった。
ゴルバチョフもオーディオマニアで(たしか)SMEを使っている、とあったのを憶えている。
ロードバイク(自転車)が取り上げられている号もあった。

特集記事も面白いものがあったけれど、やはり毎号楽しみにしていたのは巻頭のインタヴュー記事だった。
安岡章太郎氏もそうたったし、そのあとにつづいて登場した人たち皆、
「50すぎてからが面白くなった」といったことを言っていたのが、
当時20代半ばという、50までの中間点にちょうどいた私には印象深かった。
「50からなのかぁ……」とおもっていた。

西岡常一氏のことを知ることができたのは、サライの、そのインタヴュー記事だった。
ちょうど西岡氏の「木に学べ 法隆寺・薬師寺の美」が
小学館から出る直前ということもあっての登場だったのだろうが、面白かった。
だから「木に学べ 法隆寺・薬師寺の美」も発売日にすぐさま購入した。

オーディオとはもちろん直接関係のない本ではあるものの、学ぶところは多い。
いま読み返しても、多い。

「木に学べ 法隆寺・薬師寺の美」を、あの時、読んでいておもっていたことがある。
「木に学べ」は「音に学べ」にできる。
法隆寺、薬師寺は、読み手が愛聴する音楽作品をあてはめればいい、ということだ。

来年、私も50になる。
50になる前に中間点でおもったことを思い出したのは、
鬼に訊け 宮大工 西岡常一の遺言」という映画が、ちょうどいま公開されていることを知ってからだ。

Date: 2月 28th, 2012
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その5)

JBLでクラシックを聴くやつは、どこかおかしい、もしくはめずらしい、
というふうに受けとめられていた時代があったことを知る者にとっては、
「いまのJBLはジャズが鳴らない」「ジャズが鳴らないJBLなんて、JBLじゃない」、
こんなことを目にしたり耳にしたりすると、時代が変ったのか、それとも変っていないのか、とふと考えてしまう。

JBLは、いうまでもなくランシングがつくった会社である。
そしてJBL=ジャズという図式が出来上った(浸透した)のは、
実質的な最初のスピーカーユニットと呼べるD130の音が、
日本ではそう受けとめられたことから始まっている、といってもいいはず。

だがランシングは熱心なジャズの聴き手だったのだろうか。

以前、このブログでも取り上げたことのある「Why? JBL」(著者:左京純子、実業之日本社)には、
次のように書いてある。
     *
ランシングの趣味といえば、ゴルフをたしなむ程度で、そのほかのほとんどは、家の中で、書物を読みふけることを楽しみとしていた。好きなミュージックはクラシックで、ときにはダンスミュージックでダンスを楽しむこともあったという。
     *
この短い文章がランシングのすべてを語っているわけではないにしても、
ジャズという単語はここにはなく、好きな音楽としての、クラシックという単語がある。
クラシックだけを聴いていたのではないだろう、ジャズや他の音楽も聴いていたとは思う。
それでも、「Why? JBL」によれば、ジャズや他の音楽よりもクラシックを聴いていたことになる。

ということは、ランシングはD130でクラシックを鳴らし聴いていたわけだ。
そのD130を、日本のジャズ好きな人たちは、ジャズにぴったりのスピーカーユニットとして認識されていった。
なにもこのことをおかしい、とか間違っているとか、そんなことをいいたいのではない。
むしろ、ここのところにスピーカーの面白みがあって、
あえてスピーカー=楽器としてとらえるときの面白みでもある、とそう考えている。

Date: 2月 27th, 2012
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その4)

昔、といってもそんなに大昔のことではない。
JBLのスピーカーはジャズ向きであって、
クラシックの、とくに弦の音なんか聴けたものじゃない、といわれたこともあった。
そういう時代の中でも、JBLのスピーカーでクラシックを聴いている人(鳴らしている人)は少なからずいた。
瀬川先生がそうであったし、黒田先生もアポジーの前のアクースタットのその前はJBLの4343を鳴らされていた。

アルテックの昔のロゴには指揮者のシルエットが描かれていた。
トスカニーニがモデルだと言われていた。
そんなアルテックのスピーカーは、JBLのスピーカー同様、
日本ではジャズのためのスピーカーとして受けとめられることが多かった。

スピーカーとはいったいなんだろうか。
スピーカーは電気信号を振動に変換するモノである。
入力された信号をあますとこななく、つまり100%振動に変換できるのが理想なのだが、
実際には現在のスピーカーに関しては、どの方式であっても変換効率はかなり低い。
オーディオ用として使われているスピーカーの多くは10%前後の変換効率しかもたない。

そういうスピーカーで、われわれは音楽を聴いたり、
ときには細かな音の差に耳をそばだてたりしては、一喜一憂する。
もし変換効率が50%を超えるようになったら、どんな音が聴けるようになるのか、
そしてそのとき、音の違いは、いままでより明瞭に出てくるようになるであろう。
そんな期待はしているのだが、私がオーディオに興味を持ちはじめて30年以上が経っているが、
スピーカーの能率は高くなる傾向よりも、むしろやや下り気味の傾向が強いままである。

そんな低い変換効率であっても、スピーカーはほんのわずかな音の違いを鳴らしてくれる。
不思議な存在だとも思う。

だとしても10%程度の変換効率は、変換器としては低い、つまりは未熟なレベルということもできる。
しかも低い変換効率(入力信号の大半を熱にしている)の一方で、
どんなスピーカーにも固有音がつきまとう。
入力された電気信号の10%程度しか音にしないのに、入力信号とは別の音を出している。
振動板の分割振動によるものだったり、エンクロージュアの箱鳴り、フレームやエンクロージュア等からの不要輻射、
振動板がピストニックモーションして出てくる音が入力された電気信号が音に変換されたものとすれば、
それ以外の、スピーカーから放射しされる音はすべて、そのスピーカーの固有音である。

スピーカーにはずっとそういうことがついてまわっている。
だからなのか、スピーカーは楽器だ、ということが以前からいわれ続けている。

Date: 2月 26th, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その2)

私が自分のモノとしたラジカセはモノーラルだっただけでなく、スピーカーもフルレンジだけだった。
そのころ2ウェイのラジカセは存在していたのだろうか。
もしあったとしても高価なラジカセだったろう。まだこのころはフルレンジが主流だった。口径も大きくなかった。

モノーラルでフルレンジのラジカセは、
私の世代にとって学生時代のパーソナルなオーディオ機器といえなくもなかった。
そういう世代はどのへんからどのへんまでなんだろうか。
ラジカセもしばらくするとステレオが当り前になっていったし、
スピーカーもフルレンジ1発からトゥイーターを加えた2ウェイが登場し、
量販店の店頭に並んでいるラジカセをパッと見た感じでは、2ウェイの方が多いように感じた時代もあった。
そして大型化していったようも感じている。

ラジカセがそんなふうに変っていったのには、いくつかの理由があるのだろうが、
ひとつにはソニーのウォークマンの登場も大きく関係しているように思える。
カセットを聴くためだけで、それもヘッドフォンのみ。そのかわり小型・軽量で手軽に持ち運べる。
外で音楽を聴くための道具としてのラジカセの役割は、ある程度ウォークマンにとって代られたのではないのか。
だからあれほど大型になっていった……。

これは、あくまでもラジカセへの興味をほとんど失っていた者が横目でちらちら見ていての感想にすぎないのだが、
モノーラル・フルレンジのラジカセを使っていた私などには、
ある時期のステレオ・マルチウェイの大型ラジカセは、大きすぎる物体であって、
中学生だった頃、目の前にラジカセをおいて、しんみりグラシェラ・スサーナの日本語の歌を聴いていた、
あの頃の心境には、なれそうにもないと感じてしまう。

たしかにステレオのラジカセが欲しい、と思っていた。
それはあくまでも、
そのとき使っていたラジカセより少し大きい程度でステレオになったモノが欲しかったのであって、
大きすぎるラジカセが欲しかったわけではない。

音量にしてもそうだった、ことを思い出す。
バカでかい音を出せていたわけではない。
だからラジカセを野外に持ち出してガンガン鳴らそうという発想はまったくなかった。

そんなふうにラジカセと接してきた。

Date: 2月 26th, 2012
Cate: 川崎和男

一度だけの……

オーディオのことで、たった一度だけ神頼みしたことがある。

「音は人なり」だから、神頼みしたところでどうにかなるものではないことは重々承知している。
けれど、あのときだけは「どうか、いい音で鳴ってください」と心の中でお願いしていた。
音が鳴りはじめるまで、何度も何度もそう神頼みしていた。

かけてもらったCDの前奏が流れてきた。
それまでの2曲とは、鳴り方が違う、と感じていた。
私だけが感じていたのか、そのとき、あの場所にいた人たちみながそう感じていたのかは確認していない。
とにかく安堵した。これならば、絶対に絶対にうまく鳴ってくれる、そう確信できた。

カレーラスの歌がきこえてきた。
「川の流れのように」をホセ・カレーラスがうたう。
このCDから、この曲を選んでよかった、と、やっと思えた。

後にも先にも、神頼みしたことは、この一回きりである。
これから先のことはわからない。
けれど、このとき、神はいるのかも……と想っていた。

いまから10年前の7月4日のこと。

Date: 2月 25th, 2012
Cate: 4343, JBL

4343と2405(その6)

ステレオサウンド 47号には、前号(46号)の特集、モニタースピーカーの測定結果が掲載されている。
この測定結果も実に興味深いものだが、ここではその一部、つまり2405に関することだけを書く。

47号には10機種(アルテック602A、キャバス・ブリガンタン、ダイヤトーンMonitor1、JBL・4333A、4343、
K+H・O92、OL10、スペンドールBCIII、UREI・813、ヤマハNS1000M)の実測データが載っている。
これらのデータで首を傾げてしまったのが、4333Aと4343の超高域周波数特性だった。
いうまでもなく4333Aと4343のトゥイーターは2405。
なのに実測データをみると、同じトゥイーターが付いているとも思い難い違いがあった。
4333Aと4343ではLCネットワークに違いはあるというものの、2405に関してはローカットだけであり、
47号に掲載されている超高域周波数特性の、
それも20kHz以上に関してはLCネットワークの違いによる影響はないもの、といってよい。
なのに、47号のデータはずいぶん違うカーヴを描いている。

もしかすると2405のバラツキなのかも……、と思ったりしたが、確信はなかった。
ステレオサウンドで働くようになって、2405はバラツキが意外と多い、という話も耳にした。
このときはそうかもしれないぁ、ぐらいに受けとめていた。

ステレオサウンドを離れてけっこう経って、ある方からある話を聞いた。
実はNHKはJBLのスタジオモニターの導入を検討していたことがあった、という話だった。
最終的にはJBLは採用されなかったのだが、その大きな理由が2405の、予想以上のバラツキの大きさだった。
導入台数が1ペアとか2ペアといったものではなく、
ひじょうに大きな台数であっただけにバラツキの大きさは無視できない問題となった、ときいた。

結局、2405の、それもアルニコ時代のものは、
クサビ状イコライザーとダイアフラム間の精度(工作精度、取付け精度)にやや問題があり、
周波数特性でのバラツキが出ていた、らしい。
(おそらく、この問題はシリアルナンバーが近いから、連番だから発生しない、ということではないはずだ。)
この点は後期のものでは改良されたようで、
それがいつごろからなのかははっきりしないものの、
少なくともフェライト仕様の2405Hでは解消されている、ときいている。

もちろん2405のアルニコ・モデルすべてに大きなバラツキがあるわけではないけれど、
バラツキのまったくないスピーカーユニットというのも、少し極端な言い方をすれば、ひとつもない、といえる。
スピーカーユニットは、大なり小なりバラついているモノである。

この事実を、どう受けとめるかは、結局はその人次第のはずだ。

Date: 2月 24th, 2012
Cate: ジャーナリズム, 測定

測定についての雑感(続×五・ある記事を読んで)

1981年の週刊FMだっと記憶しているが、瀬川先生の連載が始まった。
カラー見開き2ページの記事で、瀬川先生が惚れ込んでいるオーディオ機器について書かれたもので、
マークレビンソンのML2が取り上げられていたのは、いまでもはっきりと憶えている。

そこにはML2の保護回路についてふれられていた。
なんでもML2の保護回路はアンプ本体にけっこうな量の水をかけても、
瞬時に保護回路が働きスピーカーを保護する、と。
実際に試したことのある人はいないだろうが、
当時 ML2の内部写真を見るたびに、この基板はなんだろう、と思っていたことがある。

ML2の内部はフロントパネルのすぐ裏に電源トランスがあり続いて平滑用の電解コンデンサー、
そしてプリント基板が2枚、垂直にメイン基板に挿さっている。
このうち1枚は電圧増幅用のものだとすぐにわかる。
でものこる1枚はいったいなんなのだろうか、とML2が登場したときから考えていた。
それが瀬川先生の記事を読んで、やっとわかった。2枚目のプリント基板は定電圧回路と保護回路である。
ML2はそれだけ、音だけではなく安全面でも完璧を目指したモノであった。

ML2の出力は8Ω負荷で25W。Aクラス動作で、消費電力は常時400W(片チャンネル)。
たいへんな無駄飯食いなアンプだが、4Ω負荷では50W、2Ω負荷で100Wと、理論通りに出力が倍々と増えていく。
ML2が登場したとき、4Ω負荷でも8Ω負荷時の出力の2倍になるもの、ごくごく一部のもので、
そういったアンプでも2Ω負荷では頭打ちになってしまっていた。
ML2はそれだけの電源の余裕とともに、それに見合ったアンプ回路の設計、
そしてアンプの動作を見守りスピーカーを保護する回路のバランスが見事にとれていたからこそ、
あれだけのパフォーマンスを実現していた、ともいえるだろう。

日本のアンプで、ステレオサウンド 64号の測定で保護回路が働いてしまうアンプは、そのへんはどうだったのか。
保護回路が働くアンプはどれだったのかは64号を読めばわかるようになっている。
ローコスト機ではなく、意外にもコストをかけたアンプで保護回路が働いている。
とうぜん、これらのアンプはそのブランドのトップモデルであったりして、
電源部も余裕のある設計を謳っているし、それに出力段もきちんとしたものであるにもかかわらず、
8Ω/1Ω瞬時切替えでは、出力を上げると保護回路が働くということは、
出力段のトランジスターに流れる電流を検出していて、
ある一定値以上になると保護回路が働くようになっているのだろう。

電源部には出力段が要求する電流を供給するだけの余裕がある、
出力段は負荷が要求する電流を供給できるだけの設計になっている、のは、
保護回路を外した状態での測定結果、その音質からも容易に想像できることだ。
なのに、その実力を保護回路で抑えつけてしまっている、と私は見ている。
だから、もったいないことだ、と思うし、
ML2のように3つのバランスがとれたアンプではない、ともいいたくなる。

Date: 2月 23rd, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その1)

青幻舎という京都の出版社から「ラジカセのデザイン!」という本が出ていることを、今日、Twitterで知った。
出先だったけれど、iPhoneからfacebookグループのaudio sharingに、
こういう本が出ています、とだけ投稿したら、興味をもってくださった方が私が思っていたよりも多かった。

ラジカセはラジオ・カセットレコーダーの略称だろうが、
いわゆるラジカセと呼べるモノがピークだった時代は、
青幻舎のページにもあるように1970年から80年にかけてである。
80年代半ば以降になると、ラジカセはCDラジカセと呼ばれるようになっていく。
そしてラジカセと呼ばれていたころの形と、CDラジカセと呼ばれるようになってからの形は、
けっこう変っていったように記憶している。

「ラジカセのデザイン!」は、こういう本が出ている、ということを知っているだけで本を手にしたわけではない。
それに80年代にはラジカセへの興味も薄れていたので、市場に出ているラジカセを丹念に見ていたわけではない。
それでも80年代終りから90年はじめにかけてのCDラジカセが、量販店の店頭にずらりと並んでいる様は、
私がラジカセが欲しくてたまらなかった時代とはすっかり変っていた、
のではなく変り果てていた、といいたくなる。
(私ひとりだけのことかもしれないけれど、見ていて気持ちのいいものではなかった。)

中学生のとき、ラジカセは自分専用の音楽を聴くための機器だった。
その意味ではオーディオ機器ともいえる。
私が住んでいた田舎では中学生のアルバイトできなかった。
だから月々の小遣いと親の手伝いをしてもらうお駄賃(といっても100円程度である)を、
それ小学生のときからこつこつ貯めてやっとラジカセを買った。モノーラルのラジカセである。
当時ステレオのラジカセもあったのかもしれないが、大半のラジカセはモノーラルだったし、
中学生がそうやって貯めた金額で購入できたのはモノーラルのラジカセしかなかった。
(そういえばマランツ・ブランドのラジカセもあった、と記憶している。)

ステレオ放送のFMを録音してもモノーラル、ミュージックテープを買ってきて聴いてもモノーラル。
これがステレオになったら、どんなふうに鳴るんだろうかと想像することもあったけれど、
自分専用のラジカセで聴くのは、それでも楽しいものだった。

Date: 2月 23rd, 2012
Cate: ジャーナリズム, 測定

測定についての雑感(続々続々・ある記事を読んで)

保護回路がアンプを保護するのは悪いことではないし、いいことではある。
けれど、その保護回路が音を悪くしていたとしたら、
それも軽微ではなく、かなり音に影響を与えていたとしたら、どうだろうか。

保護回路が入っていない、もしくはまともな働かないパワーアンプが異常を来したら、
最悪スピーカーの破損につながる。さらにひどい場合にはスピーカーのコーン紙を燃やしてしまうことすらある。
そんなことを未然に防ぐためにも、保護回路は必要なものではある。
けれど、アンプの回路設計が各社様々であるように、保護回路の設計も各社様々である。
そしてアンプの音質とは、アンプの回路設計と保護回路の設計、ともに優れていなければならない。
どんなに優れたアンプであっても、保護回路が、そのアンプの動作を抑圧するようなものであったら、どうなるか。

ステレオサウンド 64号の測定では、国産アンプの保護回路の在り方を、
間接的にではあったが知ることが出来たと思う。
あくまでも安全面を優先したアンプでは、1Ω負荷に対して、保護回路が働いてしまう。
1Ω負荷なんてものはあり得ない、という考え方からなのかもしれないし、
そういう非常に低いインピーダンスが負荷となることがおかしな状況と、設計者が判断してなのか、
それとも会社の方針としてなのか、そのへんは外部の人間にははっきりとしないが、
がちがちの安全面の保護回路の動作をみると、ついルンバを作れない(作らない)、
日本の家電メーカーと共通する因子がオーディオ専門メーカーにもあるように思えてしまってならない。

実は64号の測定のとき、あるメーカーの技術者に協力していただき、
そのメーカーのアンプの保護回路を外して測定している。
誌面に載せているデータは保護回路付きのものであるが、
保護回路を外したときのデータは、誌面に載っているデータよりもずっといい結果だった。
ひじょうに優れた結果でもあった。
つまり、そのアンプはそれだけの能力を持っている、にもかかわらず、その良さをそうとうにスポイルしている。

それは特性面のことだけではない。
実際に保護回路を取り外した状態の音は、そのアンプに感じていた個人的不満を見事に解消していた。
こんなに瑞々しい音を出してくれるのか、そして、なんともったいないことなのか、と、
おそらく保護回路付きの音、保護回路なしの音を聴くことができた人なら、全員がそう思うはずである。