Date: 2月 22nd, 2012
Cate: ジャーナリズム, 測定

測定についての雑感(続々続・ある記事を読んで)

8Ω/1Ωの負荷インピーダンス瞬時切替え時の波形の理想は、きれいなサインウェーヴである。
だが実際には1/4波ごとに8Ω/1Ωと切り替わるためサインウェーヴのプラス側のピーク、マイナス側のピークで、
波形のズレ(落込み)が生じるものが大半である。

といっても出力が低い(8Ω負荷6.125W時)場合には、ほとんどでアンプで波形のズレはあまり目立たない。
優秀なアンプでは10%以内ですんでいる。それ以上の落込みのあるアンプもある。
出力を増した状態での波形となると、6.125W時とほとんど変らないアンプもあれば、
ズレが大きくなるアンプも出てくる。
ここで問題となったのは国産アンプいくつかは保護回路が働いてしまう、ということだった。

8Ω負荷6.125Wでは問題なく測定できても、
8Ω負荷の最大出力と同じ値を1Ω負荷で出そうとして測定すると保護回路が働くと測定できない。
出力に波形が出てこないからだ。
それで保護回路が働かないぎりぎりのところまで出力を下げて測定している機種がいくつかある。
これは、記憶に間違いがなければすべて国産アンプで生じた現象である。

このことが、国内家電メーカーがルンバを作れない(作らない)理由とかぶさってくる。

パワーアンプには、とくにトランジスターアンプにはほぼどんなアンプにも保護回路がついている。
この保護回路は、何を保護するものだろうか。
パッと浮ぶのは、スピーカーの保護である。
アンプになんらかの異常が起った時、スピーカーの破損を防ぐためのものが保護回路という印象が強いが、
保護回路はアンプそのものも保護している場合(そういう設計)もある。

64号の測定で出力が落とさなければ保護回路で働いてしまうアンプは、
どうもアンプを保護する意味あいの強い保護回路のような気がしてしまう。

Date: 2月 22nd, 2012
Cate: ジャーナリズム, 測定

測定についての雑感(続々・ある記事を読んで)

負荷インピーダンスを1/4波ごとに8Ω/4Ωを瞬時に切り替える状態での高調波歪率は、
そのグラフを見ると、こうも違うものかと驚く。

ステレオサウンド 52号、53号での測定結果はすでに知っているわけだから、
ある程度の予測はしていたものの、実際に測定器に示される値をグラフにしていくと、
差の大きなアンプでは二桁近い歪率の悪化が見られる。

高調波歪率のグラフには3本の線が描かれている。
1本目は8Ω負荷、2本目は4Ω負荷、3本目が8Ω/4Ω切替え負荷である。
念のためいっておくが、すべて抵抗負荷である。52号、53号で使われたダミースピーカーではない。
アンプにとって、もっともいい数値を出しやすい抵抗負荷の8Ωと4Ωに瞬時に切替えるだけで、
アンプによっては驚くほど歪率が悪化(そのカーヴも大きく異る)するのがある一方で、
ここでも52号、53号でのダミースピーカーでの歪率が抵抗負荷とほぼ同じ歪率を示すモノがあったように、
ほぼ変化しないアンプがあるのも、また事実である。

64号では高調波歪率はあくまでも参考データ扱いで、掲載されているのは9モデル分で、
国産アンプと海外アンプの区別はつけてあるものの、どれがどのアンプかは明記していない。
もっとも丹念に見ていけば、どのアンプなのかはおおよその見当はつく。

64号の測定のメインは、瞬時電力供給能力のほうである。
こちらもやはり1/4波ごとに抵抗負荷の8Ωと1Ωにトライアックで自動的に瞬時に切替えて、
そのときの電流波形を写真で捉えている。
掲載されている写真は2枚で、1枚は8Ω負荷時での出力が6.125W時(つまり1Ω負荷時で50Wになる)のもの。
もう1枚は1Ω負荷時に8Ω負荷時の最大出力となるもの(8Ωで100Wのアンプであれば、8Ω負荷12.5Wとなる)。
さらに棒グラフでどの程度供給能力が低下するのかをパーセンテージで示したものも掲載している。

この測定結果は全アンプ掲載されている。

Date: 2月 22nd, 2012
Cate: ジャーナリズム, 測定

測定についての雑感(続・ある記事を読んで)

ステレオサウンド 64号には、特別寄稿として、
「現代にはびこる特性至上主義アンプの盲点をつく──これでもアンプはよくなったといえるのだろうか」という、
長島先生による7ページの、今回の測定に関する記事がある。

ステレオサウンドは52号、53号で抵抗負荷での歪率測定だけでなく、
アンプ測定用のダミースピーカー(三菱電機によるもの)を負荷としたものも測定している。
たいていのアンプ(特に国産アンプ)は、抵抗負荷時の歪率のほうが低い。
アンプによってはかなり差が出ているものがあった。
抵抗負荷時には逆レの字型の歪率のカーヴを描くのに、
ダミースピーカーが負荷となると歪率が違うだけでなくカーヴそのものも変化するものも多い。

海外アンプはというと、おもしろいことに抵抗負荷時よりもダミースピーカー負荷時の歪率ほぼ同じというモノ、
さらにダミースピーカー負荷時の歪率のほうが低い、というモノも数は少ないながらも存在していた。

サインウェーヴを入力してアンプの負荷に抵抗を接続した状態の物理特性を、一般に静特性というが、
実際にアンプがシステムに組み込まれると、入力信号はサインウェーヴではなく音楽信号に、
負荷も抵抗からスピーカーシステムへ、となる。
この状態での物理特性を動特性とすれば、
聴感とより密接に結びつくのは静特性よりも動特性であることは容易に想像できるものの、
それでは動特性をどう測定するかは難しい問題でもある。

ステレオサウンドがダミースピーカーを使ったのは、
少しでも動特性を測定するための工夫であり、
64号での負荷インピーダンスを瞬時に切り替えるというのも、そういうことである。

実際の測定はサインウェーヴの山が一番高くなった時点で負荷インピーダンスを8Ωから1Ω(もしくは4Ω)に、
トライアック(双方向性スイッチング素子)を使い瞬時に切り替える。
サインウェーヴが0Vにきたところでまた切り替え8Ωにし、今度はマイナス側の山のところでまた1Ω(4Ω)にする。
つまり半波の半分、1/4波ごとに負荷インピーダンスを自動的に瞬時に切り替えて、
パワーアンプの瞬時電力供給能力の実態を視覚化するとともに、
いくつかのアンプでは高調波歪率も測定している。

Date: 2月 21st, 2012
Cate: ジャーナリズム, 正しいもの, 測定

測定についての雑感(ある記事を読んで)

10日ほど前の産経新聞のサイトに、
日本の家電メーカー各社がルンバ(掃除ロボットと呼ばれている製品)を作れない理由、
といった記事が公開されていた。

記事には、パナソニックの担当者の発言として「(ルンバを作る)技術はある」としながらも、
商品化しない理由として、「100%の安全性を確保できない」ことをあげている。

たしかにアイロボット社のルンバも、使っている人にきくと完璧なモノではないらしい。
それでも便利なモノで、結局は使っている、とのこと。
けれど、日本のメーカーは、産経新聞のサイトによると、
掃除ロボットが仏壇にぶつかりロウソクが倒れると火事になる、とか、
階段から落下して人にあたる、とか、
よちよち歩きの赤ちゃんの歩行の邪魔して転倒させる、とか、
こういったことがクリアーされないと、日本の家電メーカーは商品化に及び腰になる、と読める。

この記事を読んでいて思い出したのは、ステレオサウンドで行ったアンプの測定のことだった。
64号の特集は「スピーカー相性テストで探る最新アンプ55機種の実力」で、
プリメインアンプとセパレートアンプを、
ヤマハのNS1000M、タンノイのArden MKII、JBLの4343B、
この3種のスピーカーシステムで試聴する内容。
測定も長島先生によって行われている。

64号では1機種当りのページ数は2ページ。
ページのゆとりはあまりないけれど、ここでの測定は、それまでとは違い、
負荷インピーダンスを測定中に瞬時に切り替えるというものだった。
パワーアンプの瞬時電力供給能力を測定する、というものだ。

Date: 2月 21st, 2012
Cate: 4343, JBL

4343と2405(その5)

JBLのトゥイーター、2405を最初に写真で見た時、
ホーン型といわれてもすぐにはどういう構造なのか理解できなかった。
JBLのホーン型トゥイーターの075は写真を見れば、すぐにわかる。
それに較べると2405は、不思議な形をしているものだ、と感じた。

仮に075が2405と同じ周波数特性をもっていたとして、
4343のトゥイーターとして075(そのプロ仕様の2402)がついていたら、
4343の印象とずいぶんと違ったものになっていたことは間違いないし、
そうだとしたらステレオサウンド 41号の表紙を見た時に、これほど強くは魅かれなかった可能性もある。

2405は、075とは違う系統のトゥイーターのようにも思えていた。
だとしたら、2405はどうやって生れてきたのか。

10年ほど前か、2405は最初オーディオ用のトゥイーターとして開発されたものではなくて、
警察がスピード違反を取り締まるため、その測定用のモノとしてつくられ、
聴感上も特性上も好ましいモノだったので、のちにオーディオ用として使われていった、という話を聞いた。

この話をしてくれた人も細部の記憶があやふやで、それが事実なのかはっきりとはしなかった。
075の形、2405の形を見れば、それも頷けるものの、もっとはっきりとしたことが知りたかった。

スイングジャーナル 1978年6月号にJBLproのゲイリー・マルゴリスのインタヴュー記事が載っている。
そこに24045のことが語られている。
     *
最初このツイーターは、ある鉄道会社の依頼で列車の連結台数を数える超音波の発信器として作ったのですが、これが特性的にも聴感的にも優れたもので、現在2405と呼ばれるものです。
     *
2405についての話は細部は違っていたものの、
もともと測定用の超音波発生器として開発されたものであることは事実だった。

Date: 2月 21st, 2012
Cate: ベートーヴェン, 正しいもの

正しいもの(その6)

断わるまでもなく私はオーディオ・マニアである。気ちがい沙汰で好い再生音を希求してきた人間である。大出力アンプが大型エンクロージュアを駆動したときの、たっぷり、余裕を有って重低音を鳴らしてくれる快感はこれはもう、我が家でそういう音を聴いた者にしかわかるまい。こたえられんものである。75ワット×2の真空管アンプで〝オートグラフ〟を鳴らしてきこえる第四楽章アレグロは、8ワットのテレフンケンが風速三〇メートルの台風なら五〇メートル級の大暴風雨だ。物量的にはそうだ。だがベートーヴェンが苦悩した嵐にはならない。物量的に単にffを論じるならフルトヴェングラーの名言を聴くがいい。「ベートーヴェンが交響曲に意図したところのフォルテッシモは、現在、大編成のオーケストラ全員が渾身の力で吹奏して、はるかに及ばぬものでしょう。」さすがにフルトヴェングラーは知っていたのである。
     *
上に引用した文章は五味先生の書かれたものだ。
「人間の死にざま」に収められている「ベートーヴェンと雷」の中に出てくる。
だから第四楽章アレグロとは、交響曲第六番のそれである。
75ワット×2の真空管アンプは、説明する必要はないだろうが、マッキントッシュのMC275のこと。
テレフンケンとは、テレフンケン製のS8のスピーカーシステム部のことで、
8ワットは、300Bシングルのカンノ・アンプのことだ。

この項の(その4)で引用した中野英男氏の文章の中に、
「シャルランはあのレコードの存在価値を全く認めていなかったのである」と。
あのレコードとは、若林駿介氏の録音による、
岩城宏之氏指揮のベートーヴェンの交響曲第五番とシューベルトの未完成のカップリングのレコードのこと。
中野氏は、「日本のオーケストラの到達したひとつの水準を見事に録音した素晴らしいレコード」と書かれている。
そのレコードを、シャルランは全く認めなかったのは、
結局のところ、引用した五味先生の文章が語っていることと根っこは同じではなかろうか。

どんなに素晴らしい音で鳴ろうが、交響曲第六番の四楽章をかけたとき、
それが「ベートーヴェンが苦悩した嵐」にならなければ、それはベートーヴェンの音楽ではない。

シャルランが言いたかったことは、そういうことではないのだろうか。

Date: 2月 20th, 2012
Cate: ジャーナリズム, 測定

測定についての雑感(その4)

ページ数が以前のようにとれないのであれば、
製品の写真を小さくして、測定データも小さい扱いでもいいから、という意見はあるだろう。
けれどステレオサウンドが測定を始めたころと時代は大きく違っている。
測定データのグラフは、小さな扱いでは細かいところまで読み取りにくくなるから、
どうしてもある程度の大きさは必要となってくる。

ステレオサウンドは、なぜ測定を始めたのか。
それは、当時はメーカー発表の測定値(カタログに載っているデータ)にいいかげんなものが少なくなかった、から。
カタログに発表されている値がほんとうに出ているのかどうかを検証するために始めた、というふうに聞いている。

測定をはじめた当初は、ずいぶんメーカーの発表値とステレオサウンドでの実測値が違うモノがあったそうだ。
つまりカタログに載っている値を満たしているものは、わずかだったらしい。
そうなるとメーカーの信頼にも関わってくることなので、カタログに載っているデータは正しいものとなってきた。
そういう時代があったわけだ。

そうなってくるとステレオサウンドが測定をする意義も変化していくことになる。
それまでのようにただメーカーの発表値のチェックだけでは意味のないことであり、
そういうものを誌面を載せるのこそ、無駄であるから。

メーカーがやっていない(もしくはやっていたとしてもカタログに発表していない)測定を行なうのも、
ステレオサウンドが測定を行なう(続けていく)意義となる。

Date: 2月 20th, 2012
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その78)

リークもQUADも、
コントロールアンプも交流点火としているのは、パワーアンプの入力感度の高さが関係しているようにも思う。

真空管アンプの時代もそうだったし、
トランジスターアンプが主流になってもしばらくはイギリスのパワーアンプの入力感度は全般的に高かった。
アメリカのパワーアンプが入力1Vで最大出力が得られるのに、
イギリスのパワーアンプは50mV、100mVという値だった。10倍から20倍、感度が高い。
つまりアメリカのアンプでコントロールアンプでゲインを稼ぎ、
イギリスのアンプはパワーアンプでゲインを稼いでいた、ゲイン配分といえる。

ただ、なぜイギリスはこういうゲイン配分としたのか、その理由は正直よくわからない。
もしかするとBBCの規格がそうだったのかもしれない、とは思うのが確証はない。

リーク、QUADが交流点火だったのは、
スピーカーシステムの能率が低いせいではないか、と思われる人もいるかもしれない。
たしかにQUADのESLは低い。
けれどリークやQUADと同時代にはタンノイ、ヴァイタヴォックスの大型システムが存在していた。
これらのスピーカーシステムと組み合わせられることもイギリスでは多かったはず。

事実、五味先生がタンノイにオートグラフを発注された時、
タンノイに「いかなるパーツを使用すべきや」と問合せされたとき、
タンノイからの回答は、カートリッジはデッカ、トーンアームはSME、アンプはQUADであった、と
「オーディオ巡礼」(ステレオサウンド刊)所収の「わがタンノイ・オートグラフ」に書かれている。

オートグラフの能率であっても、QUADの22のS/N比で特に問題はない、ということだろう。
となると、イギリスのメーカーが交流点火でも実用的なS/N比を確保できていたのは、
アメリカ勢(マッキントッシュ、マランツ)に使われていた真空管の製造メーカー、
イギリス勢(リーク、QUAD)に使われていた真空管の製造メーカーの違いが、
理由としてはいちばん大きいのではなかろうか。

アメリカ勢とイギリス勢では、直流点火と交流点火という違いがあり、
アメリカ勢のマッキントッシュとマランツはどちらも直流点火ではあるものの、
まったく同じとはいえない違いがある。

Date: 2月 19th, 2012
Cate: 五味康祐

続・長生きする才能(その3・思い出したこととある映画のこと)

ジャクリーヌ・デュ=プレは1987年10月19日に亡くなっている。
このころは、まだ新聞を購読していた。デュ=プレが亡くなったことは新聞記事で知った。
大きなショックはなかった。けれど、デュ=プレが多発性硬化症だと知った時に、
治療法を見つけ出してやろうと思っていたことを、ずっと忘れていたことをデュ=プレの訃報記事は思い出せた。

もしもオーディオにのめり込まず違う道を選択していたとしても、
1987年の時点では私はまだ24歳だった。多発性硬化症の治療法なんて見つけ出せるはずがない。
土台無理なこと……。

デュ=プレが亡くなってから10年数年経ったころ、ある映画を観た。
「ロレンツォのオイル/命の詩」(原題:Lorenzo’s Oil)を観た。
この映画が日本で公開されたのは1993年、私はDVDになってから、この映画のことを知り観た。

実話に基づく映画である。
多発性硬化症ではないけれど、ここでも副腎白質ジストロフィーという難病が出てくる。
映画のタイトルのロレンツォは、主人公のひとり息子の名前。副腎白質ジストロフィーの患者だ。

ロレンツォの両親は医者ではない。医学知識を持った人たちではない。
だから最初は治療法(というより医者)をとにかく探し求める。けれど見つからない。
そして自力で治療法を見つけようとする。ロレンツォを助けるためにあきらめない。

結論を書いてしまうと、治療法を見つけ出す。
タイトルからもわかるように、ある特定のオイルがそれである。
映画のエンディングには、
ロレンツォのオイルで副腎白質ジストロフィーから回復した子供たちの写真が映し出されていた。

ロレンツォの両親の、治療法を見つけ出すまでの行動こそ、死に物狂いというのだろう。
ロレンツォの両親の、そういう姿を見ていて、また昔のことを思い出していた。

デュ=プレが多発性硬化症だと知った時に思っていたことだ。

ようするに私は死に物狂いになれなかった。
つまりは他人事でしかなかったわけだ。
どれほどジャクリーヌ・デュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲に感動した、と言ったり書いたりしていても、
遠いイギリスに住む人の、他人事だったから、死に物狂いになる、そのずっと手前のところにしかいなかった。

「続・長生きする才能」を書き始めて、そのことを思い出していた。

Date: 2月 18th, 2012
Cate: 五味康祐

続・長生きする才能(その3)

いまの時代、剣豪はいない。
だからいまの時代、自殺できない人がいるとすれば、それはまわりが死なせてくれない人だろうと考えた。
どういう人がそうなのか。

ジャクリーヌ・デュ=プレは1971年(26歳のとき)から指先の感覚が鈍くなる症状が出始めていて、
1973年には多発性硬化症と診断され演奏家としてピリオドが打たれている。

私がデュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲を聴いたとき、すでに彼女は現役の演奏家ではなかった。
デュ=プレが多発性硬化症だったことを知ったのが先だったのか、エルガーの協奏曲を聴いたのが先だったのか、
なぜか記憶が曖昧になってしまっているが、
とにかくデュ=プレのエルガーをはじめて聴いたときの衝撃は、いまでもはっきりと憶えているほどに強烈だった。
胸がしめつけられる、とはこういうことなのか、とも感じていた。

EMIはいちどもデュ=プレのエルガーの協奏曲を廃盤にはしていない、ともきいている。
イギリスのクラシック音楽を愛好する人たちにとって、デュ=プレはほんとうに特別な存在なのだろう。

バレンボイム指揮によるプロコフィエフの「ピーターと狼」のナレーションを
デュ=プレがやっているニュースを知ったとき、もうチェリストとしてのデュ=プレのレコードは聴けないのか。
誰か多発性硬化症の治療法を見つけ出さないのか、とも思ったこともある。
ほんの一時期の気の迷いであったのかもしれないが、医学の道に進んで治療法を……と考えていたことすらある。

私ですらそんなことを考えていたのだから、デュ=プレのまわりにはそういう人がいたことだろう。
実際に、いろんな人がいろんなことを言ってきた、ということも本で読んだことがある。
多発性硬化症は体の自由が奪われるから、デュ=プレの傍にはつねに彼女の世話をする人もいる。

もしデュ=プレが自殺を考えていたとしたら……、そんなことを「喪神」と絡めて思ったわけだ。
デュ=プレが自殺を考えたことがあるのかどうかはわからない。
あくまでも考えた、もしくはデュ=プレのような境遇の人が自殺を考えた、としよう。

多発性硬化症の進行によって体の自由がきかなくなっていくわけだから、
試みることすら困難なこととであろうし、もしなんらかの方法で実行したとしても、
ひとりでいることのできない身体だから、すぐに見つかり死ぬことはできない。

五味先生は「喪神」で、「自分を殺せるだけの人間を、もう一人造りあげて、その男に斬らせる」ことにされた。
デュ=プレの場合はどうすればよいのか。そのことを考えていたことがある。

Date: 2月 17th, 2012
Cate: 五味康祐

続・長生きする才能(その2)

「私の好きな演奏家たち」は遺稿集となった「人間の死にざま」(新潮社刊・絶版)に収められている。
「私の好きな演奏家たち」の、このくだりを読んだあとしばらくして頭に浮んできたのは、
「喪神」について書かれた五味先生の文章のことだった。

これは「オーディオ巡礼」(ステレオサウンド刊)の「オーディオと人生」のなかで書かれている。
五味先生が世に出る機縁となった、そして芥川賞受賞作でもある「喪神」のモチーフとなったのは、
西田幾太郎氏の哲学用語を借りれば、純粋経験とある。
     *
ピアニストが楽譜を見た瞬間にキイを叩く、この間の速度というのは非常に早いはずである。習練すればするほどこの速度は増してゆき、ついには楽譜を見るのとキイを叩くのが同時になってしまう。経験が積み重なってゆくと、こういう状態になる。それを純粋経験という。
ルビンスティンもグールドも純粋経験でピアノを叩いている。それでいて、あんなに演奏がちがうのはなぜか。そこに前々から疑問を抱いていた。純粋経験とは、意志が働く以前のことで処理されているはずなのに、と。そのときふと思ったのは、これは線上で考え続けていたことだが、人を斬ったらどういう感じがするだろうか、ということだった。
一方、私はキリスト教神学を学んだときのことを思いあわせた。キリスト教が、我々人間に禁じている唯一のものは、自殺である。なぜそれがいけないか。誰にでもできるからにちがいない。私は、かつて貧乏のどん底にいて、俺にいますぐできることはなんだろうか、と考えたことがある。そのとき即座に頭に浮んだのが、自殺だった。名古屋へ行きたいと思っても旅費がない。徒歩で行くとしても、その間の食料を考えなくてはならない。パチンコをはじいてみても、玉はこちらの思うとおりにはころがってはくれない。つまり世の中で、貧乏のどん底にいる人の自由になるものは何もない。しかし死のうと思えば、いつでも、誰でも人は自殺することだけはできる。それでキリスト教は自殺を禁じたのだろうと考えていた。そこで、自殺のできない男というものを想いえがいた。
わが身を護るために、人を斬ってきた男が、やがて純粋経験で人を斬るようになる。これはもう、己の意志で斬るのではないから寝ているときに背後から襲われても、顔にとまった蝿を無意識に払いのける調子で、迫った刃を防禦本能でかわし、反射的に相手を仆してしまう。しかも本人は仆したことさえ気がつかない。ここに私は目をつけた。どんな強敵が襲いかかってきても、相手を倒すことのできる男、そこまで習練を積んだ男が、もし、おのれに愛想をつかして、自殺を思い立ったら、どうしたらよいか。自分の腹に短刀を当てようとした瞬間、純粋経験が働いて、夢遊病者のように短刀を抛り出してしまうだろう。そのことを自分で気がつかずにいるだろう。そんな男が死ぬには、どうすればよいか。自分を殺せるだけの人間を、もう一人造りあげて、その男に斬らせるよりほかない。
     *
この文章を何度目かに読んだときに、五味先生は自殺できない人間として、一人の剣豪に托して書かれたわけだが、
いまの時代、自殺できない人間は、どういう人だろうか、と思ったことがある。

思いあたったのは、ジャクリーヌ・デュ=プレだった。

Date: 2月 16th, 2012
Cate: 五味康祐

続・長生きする才能(その1)

「長生きしなければ成し遂げられぬ仕事が此の世にはあることを、この歳になって私は覚っている。」
と五味先生が、「私の好きな演奏家たち」のなかで書かれている。

「長生きしなければ成し遂げられぬ仕事」を「持つ」者は、
死ねない人生を歩むことになるのだろうか。

Date: 2月 15th, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(RIAAカーヴについて・その4)

「プレーヤー・システムとその活きた使い方」には、DSS731の周波数特性は、もうひとつ載っている。
それはMFB量による周波数特性の違い、である。
MFB量が0dB、0.5dB、5dB、10dB、15dBのカーヴが載っていて、
0.5dBのMFB量では3kHzあたりにゆるやかな山ができていて、高域はほぼ0dBのときの特性と重なる。
低域はMFB量0dB時よりは伸びているが20Hzまでフラットとはいかない。
MFB量5dBで、3kHzの山はほとんど平坦に近くなり、10dB時全帯域にわたりほぼフラットな特性となる。
高域の伸びも低域の伸びもあきからに改善されている。
15dBでさらにフラットな特性にはなるものの、かわりに20kHz以上にピークが発生するようになる。

MFB量による周波数特性の変化の実測データがあるということは、
カッターヘッドのドライブアンプ側にMFB量を可変できる機能がついている、ということだろう。

「プレーヤー・システムとその活きた使い方」には、カッターヘッドのドライブアンプについての表もある。
この表は詳細は書いてないものの、ビクターで使われているもののはず。
表をみていくと、ビクターでは純正のアンプの他にビクター製のアンプも使われていることがわかる。

ノイマンSX68にはノイマン純正のSAL74、
このアンプはトランジスターの準コンプリメンタリーのOCL型で出力トランジスターは3パラレル。
最大出力は600W、ピーク出力は230V p-p, 8Aとなっている。
この他にビクター製の、
出力管にテレフンケンのEL156を使用したパラレルプッシュプルで出力は200Wの真空管式のものも使われている。
SX74には純正のSAL74のほかに、
ビクター製のトランジスターアンプ、これは純コンプリメンタリーの出力トランス採用のもので、出力は300W。

ウェストレックス3Dには、純正の真空管式。
これは出力管に807をパラレルプッシュプルで使い、100Wの出力をもつ。
3DIIAにはビクター製の真空管式。ただしSX68用のものとは多少異るEL156のパラレルプッシュプルだ。
出力は200Wと同じだが、SX68用のモノはトランスに専用の巻線をもうけたカソードNFをかけているのに対し、
3DIIA用のアンプは無帰還となっている。
そのためSX68用のアンプは、高調波歪率:1%以下(200W時)、混変調歪率:0.3%以下(100W)だが、
3DIIA用のアンプは、歪率:2%以下(200W)となっている。

オルトフォンDSS731には、
純正のトランジスターの準コンプリメンタリーのブリッジ構成のもので出力は500Wが使われている。
このアンプはオルトフォン・ブランドとなっているが、
おそらくオルトフォンと同じデンマークのB&Kによる設計・製作である。

Date: 2月 15th, 2012
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その57)

アンプの設計者には、どちらかといえばプリアンプに妙味を発揮するタイプの人と、パワーアンプの方が得意な人とに分けられるのではないかと思う。たとえばソウル・マランツは強いていえばプリアンプ志向のタイプだし、マッキントッシュはパワーアンプ型の人間といえるだろう。こんにちでいえば、GASの〝アンプジラ〟で名を上げたボンジョルノはパワーアンプ型だし、マーク・レビンソンはどちらかといえばプリアンプ作りのうまい青年だ。
     *
ステレオサウンド 52号の特集の巻頭言「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」のなかに、
瀬川先生はこう書かれていた。
このとき、私はまだGASのアンプ(ボンジョルノのアンプ)を聴く機会はなかった。
だから、この瀬川先生の言葉をそのまま信じていたし、
実際にGASのラインナップをみても、パワーアンプの方を得意とするメーカーのようにも自分でも感じていた。

GASを離れてSUMOをつくったボンジョルノは、The PowerとThe Goldを発表した。
しばらくしてThe Powerの弟分にあたるThe HalfとThe Goldの弟分のThe Nineも出した。
このことも、ボンジョルノはパワーアンプ型のアンプ・エンジニアだ、
と思い込むことに私のなかではつながっていた。

だからパンダThaedraが欲しかったのは、ボンジョルノにはたいへん失礼なことではあるけど、
フロントパネルのユニークさに惹かれて、が大きな理由だった。

マークレビンソンのLNP2やJC2とくらべると、
Thaedraは高さのあるシャーシーに、独特のレイアウトのコントロールアンプであり、
どちらが精緻な印象をあたえるフロントパネルかといえば、
LNP2と答える人はいても、Thaedraの方だ、と答える人はおそらくいない、と思う。

いかにも繊細な音を出してくれそうな、そして実際に出していたLNP2と、
ユニークで、しかもアメリカ的な(マッキントッシュの与えるアメリカ的なものとはまた違う)、
といいたくなるThaedraとでは、
私のなかでは正統派のコントロールアンプの最上級のところにLNP2がいて、
Thaedraはすこし外れたところにいるアンプ。
コントロールアンプとしてコントロールする、その操作に伴う精緻な感覚にただ憧れていた私には、
LNP2のマーク・レビンソンはコントロールアンプ型、
ユニークではあっても……のジェームズ・ボンジョルノは、どちらかといえばパワーアンプ型、
そんなふうに思っていたから、The Goldと接いだときの音は、意外だったのだ。

Date: 2月 14th, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(RIAAカーヴについて・その3)

ウェストレックスの3DIIA、ノイマンのSX74の周波数特性は、
誠文堂新光社から1976年に無線と実験、初歩のラジオ別冊として出された
「プレーヤー・システムとその活きた使い方」に載っている。

この本は日本ビクターの音響技術研究所所長の井上敏也氏による監修で、執筆者は34名。
おそらく大半の人が日本ビクターの方々だろう。

この「プレーヤー・システムとその活きた使い方」には、SX74、3DIIAのほかに、
オルトフォンのDSS731の周波数特性も載っている。
DDD731はCD4用に開発されたカッターヘッドで、
その構造もSX74、3DIIAとは大きく異る。

SX74、3DIIAは、左右チャンネルのドライブ用コイル、フィードバック用コイル(ムービング・エレメント)が、
それぞれ45度の角度を保つように配置されている構造なのに対して、
DSS731ではジャイロ方式と呼ばれる構造をとっている。
DSS731でもムービングエレメントそのものの構造はSX74、3DIIAと基本的には同じでも、その配置が異っている。

ロッキング・ブリッジと呼ばれるものの上に、垂直に左右チャンネルのムービングエレメントは取付けられていて、
ロッキング・ブリッジの下側中央にカッター針があり、
このカッター針とムービングエレメントと
ロッキング・ブリッジとの結合部(フレキシブル・ジョイント)の位置関係は直角二等辺三角形となっている。

この構造のためなのかどうかはわからないが、DSS731の裸の周波数特性は共振のピークは2.5kHzあたりにあり、
これより上の周波数は減衰していくだけだが、
これより下の周波数においては、500Hzから30Hzあたりまではフラットとなっている。
MFBを13dBかけた状態での周波数特性はグラフをみるかぎり、20Hz以下までフラットを維持している。
DSS731ならば、録音RIAAカーヴを電気的な処理だけですむことになる。