続・長生きする才能(その3)
いまの時代、剣豪はいない。
だからいまの時代、自殺できない人がいるとすれば、それはまわりが死なせてくれない人だろうと考えた。
どういう人がそうなのか。
ジャクリーヌ・デュ=プレは1971年(26歳のとき)から指先の感覚が鈍くなる症状が出始めていて、
1973年には多発性硬化症と診断され演奏家としてピリオドが打たれている。
私がデュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲を聴いたとき、すでに彼女は現役の演奏家ではなかった。
デュ=プレが多発性硬化症だったことを知ったのが先だったのか、エルガーの協奏曲を聴いたのが先だったのか、
なぜか記憶が曖昧になってしまっているが、
とにかくデュ=プレのエルガーをはじめて聴いたときの衝撃は、いまでもはっきりと憶えているほどに強烈だった。
胸がしめつけられる、とはこういうことなのか、とも感じていた。
EMIはいちどもデュ=プレのエルガーの協奏曲を廃盤にはしていない、ともきいている。
イギリスのクラシック音楽を愛好する人たちにとって、デュ=プレはほんとうに特別な存在なのだろう。
バレンボイム指揮によるプロコフィエフの「ピーターと狼」のナレーションを
デュ=プレがやっているニュースを知ったとき、もうチェリストとしてのデュ=プレのレコードは聴けないのか。
誰か多発性硬化症の治療法を見つけ出さないのか、とも思ったこともある。
ほんの一時期の気の迷いであったのかもしれないが、医学の道に進んで治療法を……と考えていたことすらある。
私ですらそんなことを考えていたのだから、デュ=プレのまわりにはそういう人がいたことだろう。
実際に、いろんな人がいろんなことを言ってきた、ということも本で読んだことがある。
多発性硬化症は体の自由が奪われるから、デュ=プレの傍にはつねに彼女の世話をする人もいる。
もしデュ=プレが自殺を考えていたとしたら……、そんなことを「喪神」と絡めて思ったわけだ。
デュ=プレが自殺を考えたことがあるのかどうかはわからない。
あくまでも考えた、もしくはデュ=プレのような境遇の人が自殺を考えた、としよう。
多発性硬化症の進行によって体の自由がきかなくなっていくわけだから、
試みることすら困難なこととであろうし、もしなんらかの方法で実行したとしても、
ひとりでいることのできない身体だから、すぐに見つかり死ぬことはできない。
五味先生は「喪神」で、「自分を殺せるだけの人間を、もう一人造りあげて、その男に斬らせる」ことにされた。
デュ=プレの場合はどうすればよいのか。そのことを考えていたことがある。