Date: 2月 19th, 2012
Cate: 五味康祐
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続・長生きする才能(その3・思い出したこととある映画のこと)

ジャクリーヌ・デュ=プレは1987年10月19日に亡くなっている。
このころは、まだ新聞を購読していた。デュ=プレが亡くなったことは新聞記事で知った。
大きなショックはなかった。けれど、デュ=プレが多発性硬化症だと知った時に、
治療法を見つけ出してやろうと思っていたことを、ずっと忘れていたことをデュ=プレの訃報記事は思い出せた。

もしもオーディオにのめり込まず違う道を選択していたとしても、
1987年の時点では私はまだ24歳だった。多発性硬化症の治療法なんて見つけ出せるはずがない。
土台無理なこと……。

デュ=プレが亡くなってから10年数年経ったころ、ある映画を観た。
「ロレンツォのオイル/命の詩」(原題:Lorenzo’s Oil)を観た。
この映画が日本で公開されたのは1993年、私はDVDになってから、この映画のことを知り観た。

実話に基づく映画である。
多発性硬化症ではないけれど、ここでも副腎白質ジストロフィーという難病が出てくる。
映画のタイトルのロレンツォは、主人公のひとり息子の名前。副腎白質ジストロフィーの患者だ。

ロレンツォの両親は医者ではない。医学知識を持った人たちではない。
だから最初は治療法(というより医者)をとにかく探し求める。けれど見つからない。
そして自力で治療法を見つけようとする。ロレンツォを助けるためにあきらめない。

結論を書いてしまうと、治療法を見つけ出す。
タイトルからもわかるように、ある特定のオイルがそれである。
映画のエンディングには、
ロレンツォのオイルで副腎白質ジストロフィーから回復した子供たちの写真が映し出されていた。

ロレンツォの両親の、治療法を見つけ出すまでの行動こそ、死に物狂いというのだろう。
ロレンツォの両親の、そういう姿を見ていて、また昔のことを思い出していた。

デュ=プレが多発性硬化症だと知った時に思っていたことだ。

ようするに私は死に物狂いになれなかった。
つまりは他人事でしかなかったわけだ。
どれほどジャクリーヌ・デュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲に感動した、と言ったり書いたりしていても、
遠いイギリスに住む人の、他人事だったから、死に物狂いになる、そのずっと手前のところにしかいなかった。

「続・長生きする才能」を書き始めて、そのことを思い出していた。

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