Date: 11月 2nd, 2012
Cate: 平面バッフル

「言葉」にとらわれて(その11)

クリプッシュホーンの、こういう構造はデメリットとして考えていた。
クリプシュホーンを採用するかぎり、ウーファーはどんなユニットをもってこようと、
それほど高い周波数までの再生は無理である。

ウーファーに再生能力があっても、折り曲げられたホーン内を通ってくるあいだに、
高い周波数は減衰してしまう。
だからエレクトロボイスのパトリシアンではウーファーとミッドバスのクロスオーバー周波数は200Hzと、
あの時代のスピーカーシステムとしては、異例といえるほど低い。

ヴァイタヴォックスのCN191は2ウェイということもあって、
クロスオーバー周波数は500Hzと少し高い値になっている。
そのため、CN191は340Hz付近で10dB程度のディップを生じている。

これはクリプシュホーンを採用している以上避けられないこと。
誰が考えても明白なことで、
クリプシュホーン採用のスピーカーシステムをつくっていたメーカーの人間は、
当然、このデメリットはわかった上でなお採用しているのはなぜだろう? と考えたことがあった。

もうずっと前のことだ。
オーディオに興味を持ちはじめたころ、
クリプシュホーンがどういうものかを知ったときのことで、
まだ10代半ばだった私は、低音までのオールホーンシステムをつくるために、
ある意味、止むを得ずの選択だったのだろう、と結論づけてしまった。

それを、いまは訂正しなければならないかも、と思っている。
そう思わせたのは、この項の(その9)に書いたBALMUDAの扇風機である。

Date: 11月 2nd, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×十五・チャートウェルのLS3/5A)

真空管アンプ時代のマランツとマッキントッシュの音の違いとは、いったいどういうものだったのか。
それを、「世界のオーディオ」のMcINTOSH号の、この記事はうまく伝えている。

瀬川先生の、こんな発言がある。
     *
マランツで聴くと、マッキントッシュで意識しなかった音、このスピーカーはホーントゥイーターなんだぞみたいな、ホーンホーンした音がカンカン出てくる。プライベートな話なんですが、今日は少し歯がはれてまして、その歯のはれているところをマランツは刺激するんですよ。(笑)マッキントッシュはちっともそこのところを刺激しないで、大変いたわって鳴ってくれるわけです。
     *
同じレコードをかけて、同じアナログプレーヤーとスピーカーシステムで聴いても、
マランツは歯の痛みを意識させ、マッキントッシュは歯の痛みを忘れさせる。

この違いは、どちらが音がいいとか、アンプとして優秀といったことではなく、
音楽への接し方・聴き方に関わってくる性質のものであり、
さらに聴き手の肉体の状態までも、関係してくる。

菅野先生は、別の表現で、マランツとマッキントッシュの違いを語られている。
     *
マランツだと、これはほかの機器の歪みだぞといった感じで、毒を毒のまま出しちゃうところがあったんですね。マッキントッシュの場合、例えばピックアップのあらとか、ソースのあらなどの、そうした毒をうまく薬のようにして、聴きやすく鳴らしてくれるところがありますね。
     *
菅野先生は、さらに的確な喩えをされている。
これも引用しておこう。
     *
この二つは全く違うアンプって感じですな。コルトーのミスタッチは気にならないけど、ワイセンベルグのミスタッチは気になるみたいなところがある。(大爆笑)これ(マッキントッシュ)はまさに愛すべきアンプだね。
     *
マランツの音には、ワイセンベルグのように、ミスタッチが気になってしまうところがある。
だから、私はModel 7のメンテナンスすることになったら、
コンデンサーをもともとついているBlack Beautyにはせず、ASCにする理由が、ここにある。

Date: 11月 2nd, 2012
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その36)

井上先生が、目の前にあるアンプ、
この場合はコントロールアンプかプリメインアンプのことが多いのだが、
それらのツマミを必ず触られるのには、もちろん理由がある。

ひとつは例えばクロストークを確かめられるためでもある。
一般にクロストークといえば、左右チャンネル間での信号のもれとなるが、
井上先生がツマミをいじって確認されているのは、各インプット間のクロストークである。

つまりアナログディスクに入力セレクターを合せている状態で、CDを再生する。
CDプレーヤーとコントロールアンプもしくはプリメインアンプ間はケーブルでつながっていて、
アナログディスクは何もしていない。音楽は鳴らしていない。

そのままボリュウムをあげていくとフォノイコライザーのノイズが徐々に大きくなっていくとともに、
クロストークの多いアンプでは、本来ノイズ以外は聴こえてこないはずなのに、
CDの音がもれ聴こえてくる。反対の場合もありうるし、ほかの入力端子間でも起きることだ。
そのクロストークの音の量と質をチェックされていた。

これらのチェックの時、各種ツマミの感触も同時に確認されている。
特にボリュウムの感触は、じっくりと。

ボリュウムの感触は、レベルコントロールに使われている部品によっても異ってくるし、
同じ部品を使っていてもツマミの形状、重さ、材質によっても変化してくる。
そして、おもしろいことにボリュウムの感触は音の印象と一致することが多い。

たとえばマークレビンソンのアンプでいえばLNP2とML7では、
ボリュウムのメーカーが前者はスペクトロール、後者はP&Gであり、
廻したときの感触は正反対である。

LNP2ではツマミの後に、ほんとうにレベルコントロールがついているのか、と思うほど、
軽く、キュッキュッという感じがある。
ML7ではツマミの径がやや大きくなっているものの、基本的な形状はほぼ同じ材質も同じだが、
感触は重く、粘るような感じが、指先に伝わってくる。

どちらのボリュウムの感触を、さわっていて心地よいと感じるのかは人それぞれだろうし、
とちらのマークレビンソンのコントロールアンプの音が気に入っているかによっても違うだろう。

私が好きなのはキュッキュッとした感触のスペクトロールであり、
この感触こそがLNP2の音(個性)と一致しているように、私は受けとめているから、
もしLNP2にP&Gの部品がついていたら、LNP2への印象も変化していたのではなかろうか。

Date: 11月 1st, 2012
Cate: よもやま

五感があって……

今日、五能線という言葉を、ひさしぶりに目にした。
鉄道にそれほど関心がないから、前回目にしたのは、
いったいいつだったのか、記憶にないぐらい、そのくらいひさしぶりだったのだが、
五能線、という文字を眺めていて、いい言葉だな、と思っていた。

五感がある、ならば、五能があってもいいな、と
五能線から「線」をとり外して、鉄道とは全く関係ない言葉として受けとめていた。

五感は、いうまでもなく視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚、
五能は、五感のもつ可能とすること、とでも定義できよう。
そこから発展した定義もできそうな気がする。

五感があって、五能がある。
ならば、もうひとつ五のつく言葉はなんだろう、と考える。

五覚かもしれない、と思う。
覚める、という意味の五覚である。

Date: 10月 31st, 2012
Cate: 表現する

夜の質感(その3)

まだステレオサウンドで働く前のこと、
五味先生の「いい音いい音楽」に、こう書いてあった。
     *
 マーラーがかつてオーストリアのある山荘にこもって作曲していたとき、そこを訪問したブルーノ・ワルターが、辺りの景色を立ち止まって眺めていたら、マーラーはいったそうだ、「そんなものを見たって無意味さ。その景色はみな私の音楽の中に入っているよ」——と。マーラーのこの顰に倣うなら、ぼくたちは日本にいて、いまやあらゆる国の音楽を聴けるばかりか、その風景をさえ居ながらにして感知することができる。
     *
このとき、まだマーラーのレコードはそんなに聴いていたわけではなかった。
ほかに聴きたいレコードを優先していたから、まだマーラーは先でいいや、という気持もあったし、
まだ学生で自分で稼いでいたわけではないから、数えるほどしかもっていなかった。
FMで放送されたものをカセットテープに録音したものが、他にすこしあったくらいだった。

そんなころに、五味先生のこの文章を読んだわけで、
素直にそうなんだ、という気持もあったし、
マーラーさん、少し誇張がはいっているでしょう、という気持がなかったわけでもない。

そうはいっても、まだまだマーラーの聴き手として未熟どころか、
交響曲においてもすべてを聴いていたわけではなかったから、自分なりの結論を出すようなことはしなかった。

そんな聴き手が、ステレオサウンドで働くようになってから一変、
こんなにも集中して、部分的ではあってもマーラーをこれほど聴くようになるとは思ってなかった。

記憶違いでなければ、ステレオサウンドの試聴室ではじめて聴いたマーラーは、
何度か書いているアバド/シカゴ交響楽団による第一番である。

このマーラーを聴いて、マーラーの言葉、
「そんなものを見たって無意味さ。その景色はみな私の音楽の中に入っているよ」が嘘でないことを実感した。

若書きの作品といわれる第一番なのに、
第一楽章の冒頭を聴けば、景色が浮ぶ。

すべての指揮者によるマーラーの演奏でそうなるわけではないし、
オーディオ機器によっても、浮ばない音もあるし、その景色に違いが生じる。

とはいえ、優れたマーラーの演奏を、音楽を極力歪めずに鳴らすのであれば、
マーラーの音楽の中にマーラーが見てきた景色は、たしかにはいっている。
そのことを実感できる。

Date: 10月 31st, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×十四・チャートウェルのLS3/5A)

C8SはC22ではないし、Model 1もModel 7ではないけれど、
C8SとModel 1の違い、C22とModel 7の違いは同じといっていい。

だから、この記事はマランツとマッキントッシュの性格の違いを表しているだけに、
いま読んでも興味深いところがいくつもある。

たとえば、いまの感覚からすると、
マランツModel 7の方がマッキントッシュC8Sよりも優秀で勝負にならないのでは? と思えるだろう。
同じことはC22とModel 7にもいえる。

けれど試聴の結果は、必ずしもそうはなっていない。
瀬川先生はこう発言されている。
     *
この二つのプリアンプを見比べただけで、これは勝負にならないで、恐らくマランツが断然良いに決まっていると思ったんです。ところが、鳴り出した音は全く逆で、マッキントッシュの方がはるかにいいんですね。
     *
菅野先生もほぼ同じことを発言されている。
     *
結果からいいますと、トータルで出てきた音はマッキントッシュの方がよかったように思うんです。ところが、ぼくの知性は、マランツの方がいいアンプだなということを聴き分けたんですよ。これは現在の新しい製品をテストしているときにも、しょっちゅうぶつかる問題なんですけど、単体で見たらすごくいいんだけれども、一つの系の中にほうり込んだ時に、果してどうかということになると、ほかの使用機器に関係なくいい音が出てこなければ、これが幾らいいものだといっても、ちょっと承服できないようなことがあるわけなんです。そういう感じをぼくはとても受けたんです。
     *
この試聴における「一つの系」は、すでに書いているように、
Model 1、C8Sと同年代にオーディオ機器である。
そしてこの試聴でかけられたレコードもまた、同じ時代のものばかりである。

そういう「一つの系」で、
ミケランジェリ、グラシス指揮フィルハーモニアによるラヴェルのピアノ協奏曲を鳴らしたとき、
マランツよりもマッキントッシュの音に、試聴に参加された四人はショックを受けられたのだ。

Date: 10月 31st, 2012
Cate: ユニバーサルウーファー

スーパーウーファーについて(続×六・低音再生とは)

空気中の音速は、秒速約340m。
人間の感覚からすると秒速340mは非常に速いわけだが、
スピーカーシステムを構成する、いくつもの材質の内部音速からすると、
空気中の音速は遅い方に属してしまう。

たいていのスピーカーシステムはエンクロージュアをもつ。
フロントバッフルにウーファーがとりつけられている。
ウーファーはコーン型だから前面だけでなく背面からも音を出している。
つまりエンクロージュア内に向けて音を出しているわけだ。

コーン型ウーファーの背面から放射された音がエンクロージュアのリアバッフルに反射して、
フロントバッフルに戻ってくる。
エンクロージュアの奥行きの深いプロポーションと浅いプロポーションとでは、
リアバッフルに反射して戻ってくる時間に差があり、
内容積が同じエンクロージュアであっても音に違いが生れる。

深いエンクロージュアの音の傾向を好む人もいれば、
浅いエンクロージュアの音の傾向を好む人もいる。

──こんなふうなことが昔からいわれてきている。
リアバッフルからの音は、たしかにフロントバッフルに戻ってくる。
けれど、この音はウーファーの背面から放射された音が戻ってくるよりも早く、
別の音がリアバッフルで生じて戻ってきている。

この現象については、ダイヤトーンがDS1000を開発したときに見つけ、
DS10000の記事がステレオサウンド 77号に掲載されたときにダイヤトーンの技術者が語っている。
     *
これまでの理論だと、ユニットの後面から出た音が裏板にはねかえって、ユニットに戻ってくることになっていて、我々もその説を信じて、実証することもなくすませていたんです。それがDS1000の開発過程で測定してみますと、ウーファーから音が出てから、その音が反射して戻ってくる時間がエンクロージュアの片道分しかない。つまりユニットの音が反射して戻ってくるのではなくて、ユニットから音が出る瞬間に裏板からすでに音が出ていることがわかりました。フレームとサイドパネルを通じて、振動が伝播して裏板が鳴っていたんです。
     *
スピーカーユニットのフレームの金属やエンクロージュアの材質である木の内部音速よりも、
空気中の音速が遅いために、こういうことがスピーカーの内部では起っている。
ということは当然スピーカーの外側でも同じ現象が起っているわけである。

Date: 10月 31st, 2012
Cate: 平面バッフル

「言葉」にとらわれて(その10)

モノーラル時代の大型スピーカーシステムは、そのほとんどが低音に関してもホーン型になっている。
しかも折曲げホーン、つまり縮小ホーンを採用している。

ホーン型は理論通り、計算式通りにつくると、大きくなりすぎる。
部屋ごと家ごとの製作となってしまう。
少なくとも運搬できる、製品として市場に流通できるものではなくなるから、縮小ホーンの採用となる。

縮小ホーンの代表格は、Kホーンとも呼ばれることの多い、
ポール・クリプシュによる考案のクリプッシュホーンである。

クリプシュホーンも、その原型はウェスターン・エレクトリックのW型フォールデッドホーンにまで遡るわけだが、
クリプシュホーンは、フルサイズの低音ホーンを1/16にまでできる、と謳っていた。

低音域までホーン型にでき、そのうえ通常のホーンよりも小型化できる。
いくつものスピーカーメーカーが採用するのもわかる。
クリプシュホーンそのまま、というものもあれば、
各社なりにオリジナルのクリプシュホーンをアレンジしているものもある。
そのどちらにしても、クリプシュホーンを採用する以上、ウーファーはかくれて見えない。

JBLのハーツフィールド、ヴァイタヴォックスのCN191、
これらをオーディオをまったく知らない人が見て、スピーカーだとわかる人はいないように思う。
一般の人がイメージするスピーカーはコーン型ユニットであり、
クリプシュホーンを採用したシステムでは、
通常のスピーカーのようにサランネットを外せばユニットが見える、ということはなく、
ホーンの開口部からのぞき込んでもウーファーの姿を見ることはできない。

クリプシュホーンとは、そういうホーンである。
通常ホーンを、最大1/16まで縮小できるかわりに、ウーファーからの直接音を聴くことはできない。
ウーファーからの音は、折り曲げられたホーンを通って開口部から放射される。

Date: 10月 30th, 2012
Cate: 表現する

夜の質感(その2)

ステレオサウンドの試聴室では、よくマーラーを聴いた。
作曲家別でいえば、やはりマーラーがいちばん多かったかもしれない。

私がステレオサウンドで働きはじめたのは1982年、
最初に試聴で聴いたマーラーはアバド/シカゴ交響楽団の第一番だった、と記憶している。
これはサウンドコニサーの試聴で、一楽章を何度も聴いた。
出だしの、あのはりつめた感じの温度感が、スピーカーが変ると、アンプが変ると、
きりっとした空気感が漂いはじめもするし、どこかぬるい澱んだ空気にもなったりして、
温度感もそれにともない上下する。
こんな朝の空気では目も覚めない、といいたくなるものもあれば、
しゃきっと目が覚めるような感じにもなる。

次はレーグナーの第六番だった。
インバルの第四番、第五番も何度聴いたことだろう。
小澤征爾の第二番は、井上先生がよく使われていた。

これら以外のマーラーも、単発で試聴に使われることがあった。

試聴はときどき夜にかかることもあったけれど、
ほとんどは昼間に行われる。場合によっては朝から、というときもあった。
明るい時間帯にマーラーの交響曲をくり返し聴く。

別にマーラーに限らないのだが、
マーラーを聴きたい気分だろうが、そんなことは関係なくくり返し聴くのが試聴であり、
それゆえに試聴レコードの選定の難しさがある、といえる。

自分のシステムで聴くマーラーとは違う接し方・聴き方のマーラーがあった。
そのおかげで気がつくことがあった。

Date: 10月 30th, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×十三・チャートウェルのLS3/5A)

マランツのModel 7とマッキントッシュのC22、
真空管コントロールアンプの名器として語られ続けている、このふたつ。
どちらが優秀なアンプなのか、ということになると、どこに価値を置くかによって違ってくる。

すでに書いているようにModel 7は欲しい、という気持がある。
けれどC22に対しては、そういう気持は、まったくとはいわなけれど、ほとんどないに近い。

こう書くと、お前はModel 7の方を優秀とみているんだな、と思われるだろう。
優秀という言葉のもつニュアンスからいえば、Model 7が優秀だと思う。
けれど、どちらもアンプにしても聴くのは音楽である。
そうなると、必ずしもModel 7がすべての面でC22よりも「優秀」とは限らない。

ステレオサウンドが1970年代に出していた「世界のオーディオ」シリーズがある。
McINTOSH号も出ている。
この本の巻末に特別記事として「マッキントッシュ対マランツ」が載っている。
サブタイトルは、〈タイムトンネル〉もし20年前に「ステレオサウンド」誌があったら……、である。

McINTOSH号は1977年秋に出ているから、20年前となると1957年となる。
ステレオサウンドはまだ創刊されていない。
ステレオLP登場直前のころである。
Model 7もC22もまだ世に出ていない。

だから、この記事に登場するのは、マッキントッシュはC8SとMC30をそれぞれ2台ずつ、
マランツはModel 1を2台とステレオアダプターModel 6を組み合わせたものと
Model 2(当然こちらも2台) を用意して、
スピーカーシステムはJBLのハークネスに、プレーヤーはトーレンスのTD124にシュアーのダイネティック。

これらのシステムを、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三、四氏が試聴されている。

Date: 10月 30th, 2012
Cate: 表現する

夜の質感(その1)

五味先生は、著書「いい音いい音楽」のなかで、こんなことを書かれている。
     *
「ハイドンは朝きく音楽だ」
 と言った人があるほど、出勤前などの、爽快な朝の気分にまことにふさわしい音楽である。そしてあえて言えば、ハイドンは男性の聴く音楽である。
     *
すこし誇張された書き方なのはわかっている。
けれど、たしかにそうだ、と読んだときに思ったものだ。
ハイドンのすべての作品が朝きく音楽、というわけではないだろうが、
ハイドンの作品でよく知られているものに関しては、そんな気はするし、
特に男性の聴く音楽というところは、まさにそうだと思う。

ハイドンが朝きく音楽であるとすれば、夜きく音楽はマーラー、ということになるだろう。

いまの季節、快晴の日は空が高くて、しかもからっと気持がいい。
そんな日の朝に、マーラーの交響曲(第四番ならまだしも)は、ふさわしい音楽はいえない。
朝からどんよりとした陰鬱な朝であれば、まだマーラーの交響曲もいいかもしれないけれど、
やはりマーラーは夜きく音楽だろう。

朝、マーラーの交響曲、二番、六番、七番とかを聴いて、
さあ、仕事に出かけよう!、という人は、まぁ、いないと思う。

音楽の聴き方は自由、ともいえる。
いくつものことが自由である。
音量も、音質も、時間も、場所も。
ソースが手元にあれば、いつでもさまざまな音楽が聴ける。
聴けるから、といって、その音楽にふさわしい時間というものがあることを、聴き手は無視できない。

けれどそうもいってられない状況もある。
ステレオサウンドの試聴室での取材が、そうだ。
天気のいい昼間からマーラーをかけることが多かった。

Date: 10月 30th, 2012
Cate: SUMO

SUMOのThe Goldとヤマハのプリメインアンプ(その9)

なぜなのか? は、当時からもあれこれいわれていた。

ちょうどそのころからアンプの電源部のコンデンサーの容量が増えはじめたころでもあった。
だから、電源部のコンデンサーに電荷がたまるまでの時間が、それだけ必要だ、という説があった。
そうかもしれない。
でも、そうだとしたら電源を入れておくだけですむはずであって、
鳴らしておかなければウォームアップにはならない、ということはないはず。

実際は違う。鳴らさなければならないし、
やっかいなのは鳴らしておいて、しばらく聴かずにそのままにしておいて、
ふたたび聴こうとしたら、またウォームアップの時間が、短いとは必要となることもある。
電源は落としていないにもかかわらず、こういうことが起きる。
となると、電源部のコンデンサーだけの問題ではないことは、はっきりする。

いまのところ、ウォームアップの挙動にはバイアス回路が深く関係している、という一応の決着がついている。

ふたつのアンプがある、とする。
どちらも同じ回路、同じ部品、同じコンストラクションで組み立てられている。
バイアス回路もまったく同じ設計なのだが、その取付け位置だけが異る、というアンプでは、
ウォームアップの挙動に違いがあらわれる。

バイアス回路は出力段の温度補償も行っている。
トランジスターは温度が上昇すればバイアス電流が多く流れる性質がある。
電流が増えれば温度はさらに上昇する。上昇すれば電流はさらに多く流れる……。
そして熱暴走を起すのを防ぐためにも、バイアス回路は大事な役割を担っている。

バイアス回路を構成する一部の素子はヒートシンクに取り付けられる。
問題は、その取付け位置と取付け方法であり、
これによりウォームアップの挙動が大きく変ってくる。

Date: 10月 29th, 2012
Cate: SUMO

SUMOのThe Goldとヤマハのプリメインアンプ(その8)

ソリッドステートアンプの大半をしめる
NPN型トランジスターとPNP型トランジスターのペアによるプッシュプル回路、
正確にはSEPP(Single Ended Push-Pull)回路では、
ドライバー段のNPN型トランジスターとPNP型トランジスターのベース間にバイアス回路が設けられている。

バイアス回路が出力段の動作を決めるとともに、
出力段のトランジスターのアイドリング電流をコントロールしているわけで、
このバイアス回路が音質に影響しないのであれば、パワーアンプの設計はどれほど楽になるのわからないほど、
バイアス回路の設計、そしてその取付け位置は難しい、といわれている。

1970年代の後半からパワーアンプのウォーミングアップによる音質の変化が顕在化してきた。
電源をいれたばかりのときの音と、1時間、2時間、さらにはもっと長い時間鳴らしていることによって、
音質が明らかに良くなるアンプがある、といわれるようになってきた。

国産アンプでは、トリオのL07Mがそういわれていたし、
海外製のアンプではSAEのMark2500がそうだった。
これら2機種は、私自身が興味をもっていたこともあって、すぐ名前が浮んできたから、
こうやって書いているけれども、これら以外にもかなりの数のパワーアンプの、
いわゆる寝起きの悪さが、問題となりつつあった時期である。

しかもやっかいなのは電源をいれているだけではだめで、
実際に鳴らしていなければウォーミングアップは終らない、ということもあった。

仕事を終えて帰宅して、レコードを聴こうとする。
電源を入れてアンプがあたまって調子を出してきたころには、夜遅くになっている。
独身であれば帰宅後の時間は、ほぼすべて自由にできるだろうが、
家族をもっている人だと、そうもいかない。

そういう人にとっては、パワーアンプの長すぎるウォームアップの時間は、大きな問題である。

理想をいえば、電源をいれてものの数分で本調子になってほしい。
それが無理なことはわかっている。でも、できれば30分程度で、長くても1時間で本調子になってくれなければ、
家庭で音楽を聴く、ということ、つまりは生活の中で音楽をいい音で聴くには、
このウォームアップの問題はしんどすぎる。

Date: 10月 29th, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×十二・チャートウェルのLS3/5A)

マランツのModel 7について語られるとき、しばしば同じ時代の、
マランツとともにアメリカを代表するアンプメーカーであるマッキントッシュのC22が引合いに出される。

Model 7とC22、どちらも真空管時代の、もっとも著名なコントロールアンプであり、
オーディオ的音色の点から語るならば、対極にあるコントロールアンプともいえる。

C22の音について語られるとき、
その多くが、C22のもつ、いわゆるマッキントッシュ・トーンともいえる音色について、である。
その音色こそが、オーディオ的音色であって、
それこそがC22の魅力にもなっているし、C22の魅力を語ることにもなる。

Model 7は、というと、昔からいわれているように、
C22のようなオーディオ的音色の魅力は、ほとんどない、ともいえる。
だからModel 7の音は中葉とも表現されてきたし、
Model 7の音を表現するのは難しい、ともいわれてきている。

それはC22のようなオーディオ的音色が、そうとうに稀薄だから、である。

もちろんModel 7にも固有の音色がまったくないわけではない。
ただ、それはひじょうに言葉にしにくい性質ということもある。
Model 7は、そういうコントロールアンプである。

だから、私はModel 7に関しては、
Black BeautyではなくTRW(現ASC)のコンデンサーに交換したい、と思うわけだ。

それではC22だったら、どうするか、というと、正直迷う。
C22にもBlack Beautyが使われている。
当然、それらBlack Beautyはダメになっているわけだから交換が必要になる。
Model 7と同じようにASCのコンデンサーにするのか、となると、
良質のBlack Beautyが手に入るのならば、それにするかもしれない……。

購入する予定もないのに、そんなことを考える。
Model 7にはASCのコンデンサー、C22にはBlack Beautyとするのは、
何をModel 7のオリジナルとして捉えているのか、何をC22のオリジナルとして捉えているのか、
そこに私のなかでは違いがはっきりとあるからだ。

Date: 10月 28th, 2012
Cate: 録音

ショルティの「指環」(続々続・スコア・フィデリティ)

けれど、そのCDでもオペラによっては幕の途中でかけられるものがある。
ワーグナーのパルジファルや神々の黄昏、ジークフリートなどが、そうだ。

これはもうしかたのないことだと、CDが出たときからそう思ってもいたし、
もしもう少しCDのサイズが大きかったら、
ワーグナーの楽劇でも幕の途中でかけかえるということはなくなったかも、と思わないではなかった。

とはいえ、こういう長さの作品のほうが、音楽の全ジャンルをみてもごく少数なのだから、
注文をつけることではないのはわかってはいる。
それでも、今回のショルティのニーベルングの指環がブルーレイディスク1枚にすべておさまっている、
ときくと、やっとこういう時代が来た、という感がある。

ニーベルングの指環は四夜にわたって演奏されるわけだから、
ディスク1枚ごとに、ラインの黄金、ワルキューレ、ジークフリート、神々の黄昏がおさまって、
計4枚のセットでいいわけだが、それを飛び越えてすべてが1枚にまとまってしまった。

収録時間という点からのスコア・フィデリティにおいて、これ以上のものは必要としない。

とはいえ、CDでもリッピングしてコンピューターに取り込んでしまえば、
スコア・フィデリティは文句なしになる。

楽章の途中でも幕の途中でもリッピングしてしまうことで、
ひとつの楽章、ひとつの幕として切れ目なく再生してくれる。
このことはデジタルの大きなメリットだといっていい。

いまはハードディスクが大容量化されているから、
以前のように圧縮しなくてもCDのデータをそのまま取りこめる。
そうしたデータをコンピューターから再生してもいいし、
iPodにコピーして、ワディアのiTransportなどを利用してデジタル出力を取り出しD/Aコンバーターに接続、
という聴き方をすれば、
iPodがブルーレイディスクをこえる記録容量をもつパッケージメディアとみることができる。

だから私は、別項「ラジカセのデザイン!」の(その11)でも書いているように、
iPodを21世紀のカセットテープだと考えている。

カセットテープの対角線は、世に出なかったものの、もともとのCDの直径でもある11.5cm。
もしCDが11.5cmのまま登場していたら、
16ビット、44.1kHzの規格ではベートーヴェンの第九は1枚に収まらなかった。
フィリップスは最初14ビットで行こうとしていた。16ビットを強く主張し実現させたのはソニーである。
14ビットだったら、11.5cmでも第九はすんなりおさまったのかもしれない。

とにかくいまはどんなに長い演奏時間を必要とする作品でも、
切れ目なく再生することがいともたやすくできる時代になった。

それは、聴き手に音楽を聴くことのしんどさを思い出させてくれることでもある。